ドストエーフスキイ全作品読む会
Medical Dostoevsky&My Dostoevsky


『罪と罰』における、異なる二つの「罪」
(2020/11/21)


下原康子

『罪と罰』の「罪」は、「罪@」と「罪A」(下記表)の二種類が使いわけられているようだ。ロシア語原文にあたれないので、“ようだ”という他ないのだが、英語訳を見ると、明らかに、二種類の罪(「crime」と「sin」)が出てくる。

日本語訳では「crime」に該当する「罪」は法的な意味が強い「犯罪・罪悪・罪」の訳語があてられている。一方、宗教・神学的な意味あいが強い「sin」には、ズバリの日本語がない。『罪と罰』では、確認できた限り「罪障」という訳語があったのみで、たいてい「罪」と訳されている。その他に、少し外して「罪びと」としたり、「あがなう」という言葉で「sin」のニュアンスを伝える訳もある。

   ロシア語(原語) 英 語 日本語  意 味
書名 Преступление и наказание  crime and punishment  罪と罰   
罪@ преступление  crime  transgress  犯罪、違反  法律に違反する罪
罪A  грех  sin  罪悪、罪業 道徳上や宗教上の罪
罰  наказание  punishment  罰、刑罰  罪や過ちに対するこらしめ。仕置き。 

参考:
◆преступление という言葉は、пре-という接頭辞と ступление という単語からなりたっています。пре-は、越えるという移動の意味を表現する接頭辞で、 ступление は英語のstepと同じ語源です。つまり、преступление は最も日本語の意味に 近いのが「踏み越える」という言葉なのです。そういう点で作品を見てみると、『罪と罰』ではラスコーリ ニコフが自らの人間としての権利以上の行為を行った、つまりは将来の善行のためとはいえ、 人殺しを行ったという、人として一線を越えた行為に対する罰がテーマとなっています。(桃井 富範 ドストエフスキーの散歩道 A )


二つの「罪」が訳し分けてあるのかどうか、そういう具体的な疑問が浮かんだことはこれまでなかった。しかし、『罪と罰』における「罪とは何か、罰とは何か」という獏とした疑問はずっと抱えていたと思う。コロナ自粛中、『罪と罰』を再読したとき、ふと、ある箇所に目がとまり、この疑問に関係がありそうな予感がした。

ラスコーリニコフの犯行告白を聞いたソーニャは言う。
「ああ、黙って、黙ってください。あなたは神さまから離れたのです。それで、神さまがあなたをこらしめて、悪魔にお渡しになったのです」(第5部第4章)

ソーニャにとっての、ラスコーリニコフの罪とは、「神さまから離れたこと」(信じなかったこと)であり、「悪魔に渡されたこと」(犯罪を犯したこと)が「罰」なのではないか。

この疑問から自然な流れで「福音書」を手にしていた。

 ヨハネの福音書 第16章
しかし本当のことを言うが、わたしが父上の所に行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者
(パラクレートス)はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世にその考えの誤りを認めさせるであろう。すなわち、罪についてとは、人々がわたしを信じないことが罪であること。義については、わたしが父上の所に行って、あなた達がもはやわたしを見ることができなくなることが、わたしが父上に義とされた証拠であること。また罰についてとは、この世の支配者(悪魔)がわたしを殺したのは、わたしが罰されたのでなく、自分が罰されたのであること。この三つのことを認めさせるのである。(塚本虎二 訳)

これがきっかけになって、『罪と罰』の中で、どこでだれが、「crime」または「sin」を、使っているか気になりはじめたのである。ウェブ上で英語訳の全文が公開されていることを知り、日本語訳と比較調査を思いついた。
Books: dostoevsky (Index of the Project Gutenberg)

当然のことながら、「ロシア語原文」にあたるべきことがらだが、悲しいかな、それができない。それでも、好奇心をいくらかでも満したという思いから、無謀にも、英語訳においては、ロシア語の罪「
преступление」が英語の「crime」に、ロシア語の「грех」が英語の「sin」に訳されていると仮に想定してみた。

英語訳の「
crime」または「sin」に該当する日本語訳の「罪」を江川卓訳『罪と罰』の中で特定して、その箇所の一部をを以下の表にまとめた。青表示が「crime」、赤表示が「sin」の訳語である。sinfulも含めた。 

sin」を使う人物は、マルメラードフ、カチェリーナ、ソーニャ、ミコールカである。

なかでも特筆すべきはミコールカの自白
[ “I am guilty! Mine is the sin! I am the murderer” ] ( 「悪うございました!あっしがいけねえんです!あっしが殺りました!」 )である。

ラスコーリニコフが使う「罪」はほとんどが「
crime」だが、ソーニャについて語るときはsin」を使う。金貸し老婆の四十もの「罪障」はsin」である。sin」の訳の部分にかぎって、一部「米川正夫 訳」と「工藤精一郎 訳」も併記した。

*元より、一介の読者が思いついて代用で行った乏しい調査です。「ロシア語原文」における正しい結果が知りたいと願っています。

『罪と罰』における、異なる二つの「罪」
(『罪と罰』
上・下 江川 卓 訳 旺文社 1966)より

 部  章  できごと

第1部 


酒場でマルメラードフと遭遇。夜11時ごろ、一家が住まうコーゼルの家まで送り、カテリーナと3人の子どもを知る。


マルメラードフ「[唯一の裁き手の方がこうおっしゃる]『来るがよい !わたしはすでに一度お前を赦した・・・・・一度赦した・・・・・いまは、おまえが多くを愛したことにめでて、おまえの多くの
も許されるぞ・・・・・』そして、うちのソーニャを赦してくださる、おれにはもう、許してくださることがわかっているんだ・・・・・」上43

6 


朝10時、ナスターシャが茶とパンを運んでくるが寝続ける。午後2時に運ばれてきたスープを機械的に口に運び、またソファに横たわる。オアシスの夢。午後6時を打つ時計の音を聞き犯行の準備をして老婆の家に向かう。



最初と、といっても、ずっと以前のことだが、彼はひとつの疑問に悩まされた。なぜ
犯罪というのは、ほとんど例外なく、ああも簡単に嗅ぎつけられ、露見してしまうのだろうか?なぜほとんどの犯人がその痕跡をああも明瞭に残していくのだろうか?彼はしだいにさまざまな興味ある結論に達したが、彼の意見によると、その最大の原因は、犯罪をかくすことが物理的に不可能であるというより、むしろ犯罪者自身のなかにあるのだった。犯罪者自身が、それもほとんどすべての犯罪者が、犯行の瞬間に、意志と判断力の一種の喪失状態に陥り、そればかりか、判断力と慎重さがもっとも必要になるまさしくその瞬間に、めったにないこどものような軽率さにとりつかれる。彼の確信によれば、この判断力のくもりと意志阻喪は、いわば病気のように人間を襲うもので、しだいに昂進しながら、犯罪を実行する直前にその頂点に達し、犯行時とその後しばらくの間、もちろん個人差はあるが、そのままの形でつづく、そしてその後で、ちょうど病気と同じ経過をとって、消えていく、というのである。病気が犯罪そのものを生み出すのか、それとも、犯罪そのものが、その特殊な性格上、つねに病的なものにともなわれずにいないのか、という問題は、彼にはまだ解決する力がないように感じられた。こういう結論に達すると、彼はさっそく、彼自身は、彼の場合には、こういう病的な変化は起こりえない、彼の判断力と意志は、そのもくろみを実行して行く全過程を通じて、いささかもくもらされることがない、と決め込んでしまった。その理由はただひとつ、彼のもくろみが「犯罪ではない」からである・・・・・ 上121

第2部


ラスコーリニコフは訪ねてきたルージンを乱暴に追い返す。(部屋にはラズーミヒン、ゾシーモフがいる)


ラズーミヒン「なに、ぼくに言わせりゃ [この犯人は] 手ぎわの悪い不慣れなやつさ。たぶん、これがはじめての仕事だな!──盗みの仕方も知らんで、殺すだけが精いっぱいだったのさ!だから
初犯 [first crime] だって言ううんだよ、初犯であがっちまったのさ、逃げたのだって計算じゃない、偶然のおかげさ」上253 


こんどこそ出頭しようと決意したところに、マルメラードフの事故に出くわし家に運ぶ。ソーニャに出会う。ポーレチカに「しもべロジオンも」祈ってくれと頼む。ラズミーヒンの引っ越し先を訪ねるが入らず、ラズミーヒンに付き添われ部屋に戻る。そこには母と妹が来ていた。



マルメラードフの臨終の場。

「神さまはお慈悲深い。主のお恵みにすがりなされ」と坊さんは言いかけた。
カチェリーナ「ええ、ご慈悲深いですとも!わたしたちにゃ届きませんがね!」
なことですぞ、奥さん、な」と坊さんは首を横に振ってとがめた。
「じゃ、これは
じゃないんですか?」カチェリーナな臨終の夫を指さしながら叫んだ。
「この人はね、収入どころか、苦労のたねになっただけなんですよ。飲んだくれめが、何もかも飲んじまったんだから。死んでくれてありがたいくらいだ!」
「臨終のときは許してあげなくちゃいかん。それに奥さん、それは
ですぞ、そんな気持ちはたいそうなですぞ」
夫のそばで何くれとなく世話をやいていたカチェリーナはふいに逆上して坊さんに突っかかった。
「神父さん!そんなのは言葉だけですよ。許すですって?今夜だって、もし馬車にひかれなければ、この人は酔っ払って帰って来たんですよ。この人はそのままぶっ倒れて寝てしまうんです。けれど、わたしは明け方まで水をじゃぶじゃぶやって、この人やこどもたちの汚れものを洗わなくちゃならない──これがわたしの夜なんですよ!それをいまになって許すのなんのと言えますか!とっくに許しちまったんだ!」上311-312


第3部 

   

 

5 


ラズーミヒンといっしょにポルフィーリイ宅訪問、ザミョートフも同席。凡人・非凡人の議論


ポルフィーリイ「じつはその問題、
犯罪とか、環境とか、女の子とかの話でいま思い出したんですがね、いやいつも関心はもっていたんだが、あなたの小論文のことですよ。『犯罪について』・・・・・ だったかどうか、題はよくおぼえていませんがね。二か月ほど前、『月刊論壇』で読ましていただいたんです」
ラスコーリニコフ「そう、ぼくはあそこで
犯罪の全過程における犯人の心理状態を考察したんでした」
ポルフィーリイ「そうなんです、で、
犯罪の実行行為はつねに病気をともなわれる、と主張しておられた。ひじょうに、ひじょうに独創的です。ただ・・・・実を言うと私が特に興味を持ったのは、論文のその部分ではなくて、論文の最後にちらともらされたある考えなんですよ。もっとも、残念なことに、あなたはそれをたんに暗示的に、あいまいな形で述べておられるだけなんですね。要するに、覚えておられますか、つまり、この世界にはあらゆる不正や犯罪を行いうる、いや行いうるだけじゃなくて、完全な権利を持っているある種の人物が存在する、そういう人物にとっては法はなきにひとしい、といったような暗示でした」上438

第4部

4 


午後11時、ソーニャを訪れる。福音書朗読。隣の空き部屋でスヴィドリガイロフが立ち聞き。


ラスコーリニコフ
「きょうぼくはね、ある無礼者に、きみに妹と同席の光栄を与えたと言ったよ」
ソーニャ「わたしと同席ですって!わたしは・・・・・けがれた女じゃありませんか・・・・・」

「きみのけがれた
のために、ぼくはそんなことを言ったのじゃない、きみの大きな苦しみのためにそう言ったんだ。きみがたいそうな罪びと [sinner] だということ、それはそうかもしれない」彼はほとんど有頂天になってつづけた。

「だが、君が
罪の女である一番の理由は、きみがむだに自分を殺し、自分を売ったことなんだ」(江川訳)下82
「きみが
罪深い女だという最大の理由は、いわれもなく自分を殺し、自分を売り渡したことだ」(工藤 訳)
「お前が
罪人な訳は、何よりも第一に、役にも立たぬことに自分を殺したからだ、売ったからだ」(米川 訳)

ラスコーリニコフ「彼女がいままで持ちこたえられてこられたのは、その悪徳が彼女にはさしていまわしいこととも思えない、それだけの理由によるのではなかろうか?いや、うそだ。そんなことはありえない。ちがう、きょうまで彼女を運河から引き止めてきたのは、の意識なんだ、それと、あのひとたちだ・・・・・」下85

ラスコーリニコフ「ぼくたちは、行く道がおなじだ。行き先がひとつなんだよ!だってきみも同じことをしたんだろう?きみも
踏み越えた [transgressed / преступил]・・・・・踏み越えることができたじゃないか。きみは自分で自分に手を下した、きみはひとつの生命をほろぼした・・・・・自分の生命をね・・・・・」下95

5 


午前11時、警察署でポルフィーリイと対決。


ポルフィーリイ「およそ事件というものは、たとえば犯罪にしても、いったんそれが現実に起こってしまえば、、たちまち完全に特殊なケースに早変りするものでしてね。いや、特殊も特殊、まるで前例のないようなケースにさえなってしまうものです」下113

6 


ミコールカの自首。



ミコールカ
「悪うございました!あっしがいけねえんです!あっしが殺りました!」(江川 訳)下135
[“I am guilty! Mine is the 
sin! I am the murderer” ]
「わるうございました!あれはわっしの仕業(しわざ)なので!わっしは人殺しでございます!」(米川 訳)
「悪かった!おれの
だ!おれが殺ったんだ!」(工藤 訳)

第5部

4 


2
度目のソーニャ訪問、犯行を告白。



ラスコーリニコフ
「・・・・・もしナポレオンがぼくの立場にいたとして、・・・・・どうしても婆さんを殺さなければならないとする。で、その場合、他に何も道がなかったとしたら、彼はそれを決行しただろうか?それがあまりに記念碑的でなくて、しかも・・・・・しかも
罪深い [sinful] ことだからと、ためらわなかっただろうか?」下243

ソーニャ「苦しみを受け、その苦しみによって自分をあがなう、それが必要なのです」(江川 訳)下252
[ “Suffer and expiate your?
sin? by it, that’s what you must do.” ]
「苦しみを身に受けて、それで自分をあがなうんです。それが必要なんです」(米川 訳)
「苦しみを受けて、自分の罪をつぐなう、それが必要なのです」(工藤 訳)

5 


カチェリーナの発狂。ドゥーニャ来訪。ラズーミヒンについて話す。カチェリーナの死。ソーニャ宅にスヴィドリガイロフが現れる。



カチェリーナ
「ええ?坊さん?・・・・・いらないよ...そんな余分なお金がどこにあるんだい?・・・・・わたしにゃ、
なんかないからね・・・・・神さまは、でなくたって、赦してくださるよ・・・・・」下276

 

第6部 

   
 2
ポルフィーリイが来訪し、自首を勧める。 


ポルフィーリイ
「いや、ロジオン・ロマヌイチ、これはミコライの仕事じゃない!これは空想的な、陰鬱な事件でしてね、現代的な事件
 [a modern case] なんです。人間の心がにごり、血が『清める』なんていう言葉がさかんに引用され、快楽こそ人生のすべてだと宣伝される現代の事件なんです。ここには机上の空想がある、理論的にいらだたせられた心情がある。ここには最初の一歩を踏み出す決意も認められる。それも特別の決意でしてね、山の上から、鐘楼の上から飛び降りるような決意なんだが、実際の犯行をやるときには、まるで足が地についていないんです──いや、これがミコライなものですか!」下314

 
安料亭でスヴィドリガイロフと話しこむ。



スヴィドリガイロフ
「どうしてです?かならず[結婚]しますよ。人間だれしも、自分のことは自分で始末をつけるものでしてね、自分をあざむくことがもっともたくみな人間が、もっとも愉快に暮らせるんですな。は!は!いや、あなたはいつからそんな堅物になられました?お手やわらかに願いますよ、私は
罪深い人間 [sinful man] ですからね。へ、へ、へ!」下359


朝5時ごろ、スヴィドリガイロフ拳銃自殺。ドゥーニャとソーニャは一日中、ラスコーリニコフを待ち続けている。夕方6時すぎラスコーリニコフは母を訪ねる。部屋に帰るとドゥーニャが来ている。



ドゥーニャ「苦しみを負いに行くというだけで、自分のの半分は洗われるんじゃないの」彼を抱きしめて接吻しながらドゥーニャは叫んだ。
ラスコーリニコフ
?なにがだ?」ふいに突きあげてきた狂暴な怒りにまかせて彼は叫んだ。「ぼくがあのけがらわしい、有害なしらみを、だれにも必要のない金貸し婆ァを、殺してやれば四十もの罪障がつぐなわれるような、貧乏人の生き血をすすっていた婆ァを殺したことが、それがなのかい?ぼくはそんなのことは考えない。それを洗い浄めようなんて思わない」下422

エピローグ

2 


せん毛虫の夢。



せめて運命が彼に悔恨 [repentance:悔い改め] をでも贈ってくれたなら、心を打ち砕き、眠りを奪い、そのあまりの苦痛に首吊り縄や深淵が目先にちらつくほどの悔恨を贈ってくれたなら!ああ、かれはそれを喜んだことだろう!苦痛と涙
 [Tears and agonies]──これもまた生のあかしではないか。、しかし、彼は自分のを悔いようとはしなかった。

『どこが』と彼は考えた。『おれの思想のどこが愚劣なんだ?日常の影響から切りはなされた、完全に独立した、広い目で事態をみるだけでもいい。そうすれば、おれの思想もそうそう・・・・・奇異なものじゃなくなるはずだ。──だがおれの行為がやつらの目にああも醜悪に見えるのはどうしたわけだ?それが
罪悪だからか?だが罪悪という言葉の意味は?おれの良心は安らかだ。なるほど刑事犯罪が犯されたかもしらん、法律の条文が破られて、血が流されたかもしらん、まあ、それなら、法律の条文のかわりにおれの頭をはねればいいはずだ・・・・・それで充分さ、もちろん、そういうことなら、権力を世襲したのでなく、みずからそれを獲得した人類の恩人たちの多くは、その第一歩ですでに処刑されていなければならないはずだ。だが、あの連中は自分の一歩を守りおおせた。そこで彼らは正しいということになった。ところが、おれは耐えられなかった。するとおれは、この一歩を自分に許す権利がなかったことになる。』

彼が自分の
犯罪を認めたのは、それに耐えることができず、自首して出たその一点においてだけであった。下460-461

彼自身は、みな(他の囚人たち)から愛されず、避けられていた。しまいには憎まれるようにさえなった。なぜだろうか?彼はそれを知らなかった。彼はさげすまれ、あざけられ、また彼よりもはるかに罪重い人たちから自分の
犯罪を嘲笑された。「あんたは旦那衆だよ!」と彼は言われた。「斧なんか持ち歩くのはあんたの柄じゃねえ。旦那衆のやるこっちゃないさね」下463