ドストエフスキーとてんかん/病い


『見てしまう人々 幻覚の脳科学』 原題: HALLUCINATIONS. by Oliver Sacks, 2012
オリヴァー・サックス著、太田直子訳 早川書房 2014

第14章 ドッペルゲンガー 自分自身の幻 (P.305-324) 一部抜粋

さらに奇妙で複雑な自己幻視が「ホートスコピー(heautoscopy)」である。これは極端にまれなかたちの自己像幻視で、本人とその分身のあいだに相互交流がある。相互交流は友好的な場合もあるが、敵対的なことのほうが多い。さらに、どちらが「オリジナル」でどちらが「分身」なのかに関して、ひどい混乱が起こる場合もある。というのも、自己意識が一方から他方へ移る傾向があるのだ。初めは自分自身の目で世界を見ていたのに、そのあと分身の目を通して見ることがあり、そのせいで彼──もう一人のほう──が本当の人間だと思ってしまうこともありえる。自己像幻視(autoscopy)の場合とちがって、分身は本人の姿勢や行動を受け身でそのまま映し出しているとは解釈されない。ホートスコピーの分身は、限界はあるものの、やりたいことを何でもできるのだ(あるいは、まったく何もせずにじっと横たわっていることもある)。

<中略>

1935年に提唱されたホートスコピーという言葉は、その後は必ずしも有用と見なされてはいない。オートスコピーとはっきり二分されるものではなく、連続性やスペクトルがあるものと考えられる。自己像との関係に対する意識は、ごく弱いものから非常に強いものまで、無関心から強烈まで、さまざまな可能性があり、その「現実味」の感覚も同じようにまちまちなのだ。

<中略>

ホートスコピーという用語が考案される一世紀前の1844年、医師のA.L.ウィーガン(Wigan,A.L.)が悲劇的な結果を招いた極端なホートスコピーの症例を記述している。

私が知っていた、ある非常に知的で感じのいい男性は、目の前の<自分自身>を認識する力を持っていた。そしてよく<彼の分身>に愛想よく笑いかけ、そのたびに相手も笑い返してくるようだった。これは長年楽しみとジョークのタネだったが、最終的には痛ましい結果を招いた。彼は次第に自分が、[もう一人の自分]に取りつかれたのだと思いこむようになった。このもう一人の自分は頑固に彼と言い争い、彼にとってひどく悔しいことに、彼を論破することもあった。論客として自らたのむところのあった彼は、そのことにひどく傷ついた。彼は常軌を逸していたが、監禁されることも拘束されることもなかった。しまいに、いら立たしさに疲れ果てた彼は、生きて新しい年を迎えまいと決意し──借金をすべて返し、毎週の請求書を別々の紙にくるんで──12月31日の夜にピストルを片手に持ち、時計が12時を打つと同時に口にくわえて発砲した。

分身、ドッペルゲンガー、半分自分で半分別人というテーマは、文学者にとって非常に魅力的であり、たいていは死や災難の不吉な前兆として描かれている。場合によっては、エドガー・アラン・ポーの『ウイリアム・ウィルソン』のように、分身は目に見える具体的な罪悪感の投影であり、その罪悪感が耐えがたいほど強くなって、最終的に本人が分身に殺意を抱き、気づくと自分自身を刺している。ギ・ド・モーパッサンの『オルラ』に出てくるもののように、分身は目に見えず実体もないのに、それでも存在の証拠を残す場合もある(たとえば語り手が水差しに入れておいた水を飲む)。

モーパッサンはこれを書いた当時、しばしば自身の分身を見ていた、つまり自己像幻視を起こしていた。友人の語ったところでは、「帰宅するとほとんど自分の分身が見える。ドアを開けると、肘掛け椅子に自分がすわっているのが見えるんだ。見た瞬間幻覚だとわかる、しかし、異常なことじゃないか?冷静な頭の持ち主でなかったら、怖くてたまらないだろうね」。

モーパッサンはこの時点で神経梅毒をわずらっていて、病気がさらに進行すると、鏡に映った自分を認識できなくなり、鏡のなかの自分にあいさつし、おじぎをし、握手をしようとしたと言われている。

人を苦しめるのに目に見えないオルラは、そのような自己像幻視の経験から思いついたものかもしれないが、まったく別物であり、ウィリアム・ウィルソンや
ドストエフスキーの小説に登場するゴリャートキンの分身のように、本質的には18世紀末から20世紀初頭にかけてはやった、ゴシック文学のドッペルゲンガーにほかならない。

現実世界では、ホートスコピーの分身は──ブラッガーらによって報告されている極端な症例はあるが──それほど悪意はないようでもある。温厚なものや、前向きで品行方正なものもある。オリン・デヴィンスキー(Devinsky,O.)の患者の一人は、側頭葉発作にともなうホートスコピーを起こして、その症状をこう説明している。「夢のようでしたが、私は目が覚めていました。突然1メートル半ほど向こうに自分が見えました。私の分身は芝刈りをしていたのですが、それは私がやっているべきことだったのです」。この男性はそのあと10回以上、発作の直前にそのような症状を経験し、発作活動とは関係なさそうな発症も何度かあった。1989年の論文にデヴィンスキーらは次のように書いている。

彼の分身はつねに透けていて、全身像で、等身大より少し小さい。患者とはちがう服を着ていることが多く、患者とちがう考えや感情を抱いている。分身はたいてい患者自身がやっていなくてはならないと思う活動をやっていて、彼は「あいつは私の罪の意識です」と言っている。

<後略>