ドストエフスキーとてんかん/病い


『見てしまう人々 幻覚の脳科学』 原題: HALLUCINATIONS. by Oliver Sacks, 2012
オリヴァー・サックス著、太田直子訳 早川書房 2014

第8章「聖なる」病 (P.163-197)

癲癇は全人口の一部とはいえかなりの数の人を悩ませ、あらゆる文化に見られ、有史時代の黎明期から認知されている。ヒポクラテスの時代には聖なる病、神の啓示による障害とされていた。それにもかかわらず、最も多い痙攣性のタイプ(19世紀まで唯一知られていたタイプ)は、恐怖と敵意と冷酷な差別の的となってきた。いまもなお、かなり悪いイメージがつきまとっている。

痙攣発作──引きつけとも呼ばれる──には、さまざまな形態がありえる。それらに共通するのは、突然始まる(まったく兆候がない場合もあれば、特徴的な前駆症状や前兆がある場合もある)ことと、脳内における突然の異常放電によって起こることだ。全身発作の場合、この放電が脳の左右両半球で同時に起こる。大発作では筋肉が激しく痙攣し、舌を噛んで、口から泡を吹くこともある。耳障りで異様な「癲癇叫声」といったものが伴うこともある。大発作を起こしている人は数秒で意識を失い、転倒する(癲癇は「倒れ病」とも呼ばれていた)。このような発作を見るとゾッとするかもしれない。

小発作では、いっときだけの意識喪失が起こる。数秒のあいだ「放心状態」に見えるが、異常なことが起きたと本人やほかの人が気づかないまま、会話やチェスを続ける場合もある。

全身発作が脳の先天的な遺伝的感受性から起こるのに対して、部分発作は脳の一部の、損傷がある領域や敏感な領域から起こる。この領域が癲癇焦点で、生まれつきのものもあれば、けがでできる場合もある。部分発作の症状は、運動発作(特定の筋肉が痙攣する)、自律神経発作(吐き気、胃の中のものが上がってくる感じなど)、感覚発作(視覚、聴覚、嗅覚などの異常が幻覚)、精神発作(明らかな原因のない突然の喜びや恐怖、既視感や未視感、突発的でたいていは異常な一連の考え)など、焦点の場所によってさまざまだ。部分発作を起こす脳活動は癲癇焦点に限定される場合もあれば、脳のほかの部位に広がる場合もあり、ときには全身痙攣につながることもある。

部分発作や焦点発作が認識されるようになったのは、19世紀後半になってからのことだ。この時代、あらゆる種類の局所的な脳内欠損(たとえば言語能力を失う失語症や物を認識する能力を失う室認証)が記述され、脳の特定領域の損傷が原因とされた。このように脳の病理学を特定の欠損、つまり「負の」症状と関連づけることが、脳内には特定の機能にとって不可欠なさまざまな中枢があるという理解につながった。

しかし(イギリスの神経学の父と呼ばれることもあるヒューリングス・ジャクソン(Jackson,J.H.)は、神経学的疾患の「正の」症状にも等しく注意を払った。すなわち、発作や幻覚や譫妄のような過剰活動の症状だ。彼は緻密かつ辛抱強い観察者であり、複雑発作における「回想」と「夢幻状態」を初めて認知した。私たちはいまだに、手から始まって腕へと「マーチ」していく運動焦点発作をジャクソン型癲癇と呼ぶ。

ジャクソンは非凡な理論家でもあり、人間の神経系はより高いレベルへと進化していき、それが階層的に組織化されていて、高次の中枢が低次の中枢を抑制していると主張した。そのため彼の考えでは、高次の中枢の損傷によって低次の中枢の活動が「解放される」可能性がある。ジャクソンにとって、癲癇は神経系の組織と機能を知る手がかりだった(私にとっての片頭痛と同じ)だ。「多くのさまざまな癲癇の症例を忠実に分析している者は、癲癇の研究よりもはるかに多くのことをしているのだ」とジャクソンは書いている。

癲癇発作を記述し分類する取り組みで、ジャクソンの若い相棒だったのがウィリアム・ガウアーズ(Gowers,W.R.)だ。ジャクソンの書いたものが複雑で入り組んでいて、やたらと条件が多かったのに対して、ガウアーズのそれは単純明快でわかりやすかった(ジャクソンは一度も本を書かなかったが、ガウアーズは1881年の『癲癇その他の慢性痙攣性疾患』をはじめ、多くの本を著している)。

<中略>

癲癇と片頭痛の混同は珍しくない。ガウアーズは1907年の著書『癲癇の境界地』で二つを区別しようと苦心していて、彼の明快な記述によって、二つの病気の類似点だけでなく差異もある程度浮き彫りにななっている。片頭痛も癲癇も発作性であり、突然発症し、通例の経過をたどり、そして消える。どちらにも症状のゆっくりした動き、つまり「マーチ」とその原因となる電気的な乱れが見られる。かかる時間は片頭痛では15〜20分、癲癇ではたいていほんの数分だ。片頭痛持ちの人がせん光幾何学図形にとどまらない複雑幻覚を起こすのはまれであるのに対し、癲癇は一般に脳のもっと高次の領域を侵すので、非常に複雑で多感覚の「回想」や夢のような空想が起こる可能性がある。ガウアーズの患者が見た「廃墟なったロンドン、その荒れ果てた光景の目撃者は彼女自身だけだった」というのもその一例だ。

大学で心理学を専攻するローラ・Mは当初「妙な発作」を無視したが、ついに癲癇専門医に相談したところ、医師は彼女が「経験しているのは型どおりの既視感の発言、夢の視覚的・感情的フラッシュバックであり、たいていは過去10年に見た5種類の夢の一つ」だとわかった。そういうことが一日に数回起こることもあって、疲れやマリファナで悪化した。抗癲癇薬を服用し始めると、発作は軽くなって頻度も減ったが、我慢できない副作用を経験するようになった。とくに過剰な刺激を感じたあと、その日遅くに「虚無感」を覚えるのだ。彼女は投薬治療をやめ、マリファナの使用を減らし、いまでは発作が月に5〜6回くらいの耐えられるレベルになっている。ほんの2〜3秒しか続かず、内面の感覚は圧倒的で彼女は少し「ボーッとする」が、他人はおかしなところに気づかないだろう。この発作のあいだに彼女が感じる唯一の身体的症状として、眼球を裏返したい衝動を覚えるが、他人が周囲にいるときは我慢する。

私と会ったときローラは、自分が見た夢はいつも鮮明で色彩豊かで、簡単に思い出せると言い、その大半が複雑な風景をともなう「地理的」なものだと表現した。発作で経験する幻覚やフラッシュバックはすべて、その夢の風景がもとになっている気がすると言っていた。

そのような夢の風景の一つが10代のころ住んでいたシカゴだ。発作の大半は彼女をこの夢のシカゴに運んでい行った。彼女にその地図を描いてもらったことがあるが、そこには実際の目印となる建物などが入っていはいても、地形が妙に変形している。彼女の大学がある別の都市の丘を中心とする夢の風景もある。「数秒のあいだ、私は前に見た夢を回想してその夢の世界にもどり、別の時間と場所にいるんです。その場所は<よく知っている>のに、実際には実在しません」。

しばしば発作中に再体験されるもう一つの夢の風景は、彼女がしばらく住んでいたイタリアの丘の町が変形したものだ。別の恐ろしい風景もある。「私は妹と一緒にどこかのビーチにいるんです。私たちは爆撃されています。そして私は妹を失いました。・・・・・人々が殺されています」。彼女が言うには、夢の風景がごっちゃになって、丘がなぜかビーチに変わることもある。つねに強い感情的要素──たいていは恐怖か興奮──がともない、実際の発作のあと15分ほど、その感情の影響を脱することができない場合もある。

ローラはこのような奇妙な出来事について、大きな不安を抱えている。地図の一枚に彼女はこう書いている。「何もかもが本当に怖い。なんとか助けてください。お願い!」。彼女はこの発作から逃れられるなら100万ドル払うと言っている。しかし発作は扉であり、自分にはどうすることもできないが、その扉が別のかたちの意識、別の時間と場所、別の世界に通じているのだとも感じている。

<中略>

ガウアーズやその時代の人たちが複雑発作や焦点発作を抱える患者にできることは、せいぜいブロム剤のような鎮静剤を与えることぐらいだった。多くの癲癇患者、とくに側頭葉癲癇患者は、1930年代に初の抗癲癇薬が導入されるまで、「医学的に治療が難しい」と考えられていた。

しかし、1930年代には、モントリオールで働くアメリカ生まれの優秀な若きの脳神経外科医ワイルダー・ペンフィールド(Penfield,W.)と、同僚のハーバート・ジャスパーによって、もっと根本的な外科的手法が始められた。大脳皮質の癲癇焦点を取り除くために、ペンフィールドとジャスパーはまず、患者の側頭葉をマッピングすることによって焦点を見つける必要があり、そのためには患者が完全に意識がある状態でなくてはならなかった。(開頭するときは局所麻酔が使われるが、脳そのものは接触や痛みを感じない)。20年にわたって、「モントリオール術」が500人以上の側頭葉癲癇患者に施された。

この人たちは多種多様な発作症状があったが、そのうち40人ほどは、ペンフィールドが「経験性発作」と名づけたものをおこしていた。その発作ではどうやら、固定した鮮明な過去の記憶が突然、幻覚となって無理やり頭の中に乱入してきて、二重意識を引き起こすようだ。患者はモントリオールの手術室にいると同時に、たとえば森のなかで馬に乗っていると感じるわけである。ペンフィールドは患者一人一人について、電極を使ってむき出しの側頭葉の表面を体系的に詳しく調べることによって、刺激すると突然自動的に記憶がよみがえる──つまり経験性発作が起こる──特定の皮質ポイントをみつけることに成功した。このポイントを切除することで、記憶そのものに影響を与えることなく、そのような発作を防ぐことができたのだ。ペンフィールドは経験的発作の例を数多く記述している。

手術で引き起こされる経験反応が、患者の過去における一定時間の意識の流れを構成するものの無作為な再現であることは、一般的にきわめて明白である。・・・・・それは音楽を聴いていた時間であるかもしれず、ダンスホールの扉を見ていた時間であるか、あるいは漫画から強盗の行動を想像している時間かもしれず、・・・・・生まれるとき分娩室に寝ていた時間か、威嚇する男におびえている時間か、服に雪がついている人たちが部屋に入ってくるのを見ている時間か、・・・・・インディアナ州サウスベンド市ジェイコブ通りとワシントン通りの角に立っている時間だったかも知れない。

実際の記憶や経験が再活性化される、というペンフィールドの考えには当時から異論があった。記憶というのは、プルーストのいう記憶という貯蔵庫にしまわれた瓶詰とはちがって、固定も凍結もされていなくて、回想されるたびに変形され、分解され、再構築され、再分類されることが、現在では知られている。

とはいえ、いつまでも鮮明で、生涯を通じてあまり変わらない記憶も確かにある。とくにトラウマとなる記憶や、強い思い入れと感情的な意味のある記憶はそうだ。それでもペンフィールドは、癲癇のフラッシュバックにそのような特別な性質はないようであることを強調しようと苦心した。「たとえその可能性が強く認識されているとしても、興奮や癲癇放電の間に想起されるささいな出来事や歌に、患者にとっての感情的な意味がありえると推測するのは非常に難しいだろう」と書いている。フラッシュバックは、偶然に発作焦点とかかわりを持った「ランダムな」経験の断片で構成されていると、ペンフィールドには思われた。

興味深いことに、ペンフィールドはそのようなさまざまな経験幻覚を記述したが、私たちが現在「恍惚」発作と呼んでいるもの、
ドストエフスキーが描写したような恍惚や超越した喜びの感覚を引き起こす発作については言及しなかった。ドストエフスキーの発作は子どものころに始まったが、頻繁に起こるようになったのは四十代、シベリア流刑からもどったあとのことだ。ときどき大発作が起こると彼は「恐ろしい叫び声、人間らしさがみじんもない叫び」を発し、そのあと気を失って倒れる(と彼の妻は書いている)。発作の前はたいてい、霊的な前兆や恍惚とする前兆があった。──が、前兆だけでそのあと痙攣も意識消失もないことがあった。初めて起きたのはある年のイースター前夜で、そのことを彼の友人のソーニャ・コワレフスカヤが『自伝と追想』に書いている。フランス人神経学者のテオフィル・アラジュアンヌ(Alajouanine,T.)がこれをドストエフスキーの癲癇に関する論文のなかで引用している。ドストエフスキーが友人と宗教について話していると、真夜中を知らせる鐘が鳴り始めた。突然彼は叫んだ。「神は存在する、神は存在するのだ!」。

「空気は荘厳な音で満たされ、私は身うごきしました。天が地上に下りて来て、私を運んで行ったような気がしたのです。“神さまはある”と叫ぶとともに、私は正気を失ったのです。あなた方のような健康な人たちは、発作の起ころうとする瞬間に私が感ずるような天福はとても想像できません。マホメットはコーランの中で自分は天国にいたと言っています。愚人やわからず屋は彼を嘘つきだとか詐欺師だとか呼びます。決してそうじゃない。マホメットはうそを吐きません。彼は私のようにてんかんを病んでいたのです。その発作が何秒つづくか、それとも何か月つづくか言えないが、どんな幸福な生活をくれたってそれと取り代えっこはしません」(『ソーニャ・コヴァレフスカヤ 自伝と追想』野上弥生子 訳岩波文庫 1933)

ドストエフスキーは小説の登場人物にも自分と似たような発作を起こさせた。症状がそっくりの場合もある。その一例が『白痴』のムイシュキン公爵だ。

この瞬間、この後輝は、発作がはじまる最後の一秒(一秒である、けっしてそれより長くはない)の予感にすぎない。この一秒が堪えがたいものであった。・・・・・こうした一刹那の感じは、自己意識の、もしそれを一語で言い表す必要があるならば、自己意識であると同時に、最高の程度における直裁端的な自己直観の、異常な緊張としかいいようがない。」(引用:『白痴』第2編5 米川正夫 訳)

恍惚発作の描写は『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』、『虐げられた人々』にもあるが、『二重人格』(『分身』)には、ほぼ同時期にヒューリングス・ジャクソン(Jackson,J.H.)が偉大な神経学論文に記述しているのとほとんど同じ「強制思考」や「夢様状態」の描写がある。

ドストエフスキーにとって究極の真実の啓示であり、神を直接かつ正しく知ることだった恍惚前兆に加えて、人生後半の創造力が最も高まった時期には、彼の人格が明らかに少しずつ変わっていった。アラジュアニヌいわく、「癲癇はドストエフスキーという人物のなかに<二重の人間>・・・・・合理主義者と神秘主義者を作り出した。状況によって一方が他方を押さえ・・・・・そしてだんだん神秘主義者が優位に立つようになったようだ」。

アメリカ人神経学者のノーマン・ゲシュウィンド(Geschwind,N.)は、発作と発作のあいだにも進行していたように思われるドストエフスキーのこの変化にとくに興味を抱き、1970年代から80年代にかけて、それをテーマに数々の論文を書いた。彼はドストエフスキーが道徳規範と適切な行為に強迫的に執着するようになっていったこと、「つまらない口論に巻き込まれる」傾向が強くなったこと、ユーモアを解する心が欠如していること、セックスに対して比較的無関心なこと、気高く真面目であるにもかかわらず、「ちょっとした挑発にもすぐに腹を立てる」ことを指摘した。ゲシュウィンドはこれらをひっくるめて「発作間人格症候群」と言っている。(現在「ゲシュウィンド症候群」)患者はしばしば宗教への強いこだわりを示す。(ゲシュウィンドはこれを「異常に強い宗教心」としている)。患者はスティーヴン・Lと同じように、何かを書かずにはいられない衝動や、芸術や音楽への異常に強い情熱を生じる場合もある。

発作間人格症候群は側頭葉癲癇のある人に共通ではないし、防げないわけでもないようだが、この症候群を発症するしないにかかわらず、恍惚発作を起こす人たちが深く心を動かされ、そのような発作が起こるのを積極的に求める傾向があることは間違いない。2003年、ノルウェーのハンセン・アスハイム(Asheim,H.B.)とエイレルト・ブロトコルプ(Brodtkorb,E.)が11人の恍惚発作患者の研究を発表した。そのうち8人がまた発作を経験したいと願い、そのうち5人が発作を誘発する方法をみつけた。恍惚発作はほかのどんな種類の発作よりも、より深い真実のひらめきや啓示として感じられるのだろう。

ゲシュウィンドの教え子だったオリン・デヴィンスキー(Devinsky,O.)は、自身も側頭葉癲癇とそれにともなって生じうるさまざまな神経精神医学的経験──発作間の人格変化だけでなく、発作中の自己像幻視、対外離脱体験、既視感と未視感、過度の熟知感、恍惚状態──に関する研究のパイオニアだった。彼は同僚とともに、患者が宗教的な恍惚発作を起こしているあいだ、臨床監視とビデオ脳波モニタリングを行うことができたので、彼らの「神の顕現」が(ほぼきまって右側にある)側頭葉癲癇焦点の発作活動と、ぴったり同時に発生していることを確認できた。

そのような啓示はさまざまなかたちを取りえる。頭を負傷したあと、短期間の既視感と表現できない妙なにおいを感じるようになった女性のことを、デヴィンスキーが話してくれた。そのような一連の複雑部分発作のあと、彼女は歓喜に満ちた状態になり、そこで天使の姿と声をした神から、議員に立候補するように命じられた。それまで宗教にも政治にも関心がなかったが、彼女はすぐに神の言葉にしたがって行動している。

非常にまれではあるが、恍惚幻覚が危険につながる恐れもある。デヴィンスキーと同僚のギョージ・ライの記述によると、患者の一人は発作にともなう幻覚で、「キリストを見て、自分の妻を殺してから自殺するように命じる声を聞いた。彼は幻覚の言葉どおりに行動し」、妻を殺したあと自分を刺した。この患者は右側頭葉の癲癇焦点を切除したあと、発作を起こさなくなった。

このような癲癇の幻覚は、癲癇患者に精神病の病歴がなくても、精神病の命令幻覚とかなりの類似性がある。強い(そして疑り深い)人間でないと、そのような幻覚に抵抗し、信頼や服従を拒むことはできない。とくにその幻覚が天啓や啓示の性質を帯びていて、特別な──そしておそらく高貴な──運命を示しているように思える場合はなおさらだ。

ウィリアム・ジェイムズが述べているように、たった一人の人間の強烈で情熱的な宗教的信念が、大勢の人々を揺さぶることもある。ジャンヌ・ダルクの人生はその好例だろう。

<中略>

恍惚発作、宗教発作、超常的な発作が起こるのは、側頭葉癲癇をわずらう人のなかのごく一部だけである。その理由は、そういう人たちに何か特殊なもの──もともと宗教や霊的な信心を求める傾向──があるからなのか?それとも、発作が脳のなかの宗教的感情を仲介する特定の部位を刺激するからなのか?もちろん、どちらのケースもありえる。とはいえ、宗教に無関心で信心に溺れることのない非常に疑り深い人でさえ、本人も驚くことだが、発作中に宗教体験をすることがある。ケネス・デュハーストとA.W.ピアードは1970年の論文で、この事例をいくつか示している。一つは、料金を集めているときに恍惚発作を起こしたバスの運転手の話だ。

彼は突然、至福に包まれた。文字どおり天国にいるような思いだった。正しく料金を徴収しながら、同時に自分が天国にいてうれしいと乗客に話していた。・・・・・彼は二日間この高揚状態にあって、神と天使の声を聞いていた。声が消えてからも彼はこの経験を思い出すことができ、その妥当性を信じ続けた。・・・・・その後二年間、彼の人格に変化はなかった。おかしな考えを話すことはなかったが、依然として信心深かった。・・・・・三年後、三日間連続で発作を起こしたあと、彼は再び天に昇る経験をした。彼は自分の心が「きれいになった」と言っている。・・・・・この発作中に彼は信仰を失った。

彼はいまではもう天国も地獄も、来世も、キリストの神性も信じていない。この二度めの──無神論への──転向は、最初の改宗と同じ興奮と啓示的性質を帯びていた(ゲシュウィンドは2009年に出版された1974年の講演録で、側頭葉癲癇の患者は何度も何度も改宗する可能性があることを指摘し、自分の患者の一人について「20代で5個めの宗教を信じている女性」という紹介のしかたをしている。

恍惚発作は人の信念の土台、人の世界観を揺るがす。本人がそれまで超越や超常的な考えにまったく無関心だったとしても関係ない。神秘主義的で宗教的な熱い感情──信仰心──はあらゆる文化にあることから、実際にその感情には生物学的基盤があることがうかがえる。美的感覚と同じように、私たち人間が祖先から受け継いだものの一部なのかもしれない。宗教的感情の生物学的基盤と生物学的前駆体──そして恍惚発作が示すような、側頭葉とその接続にある非常に特殊な神経基盤──について論じるのは、生来の原因を論じているにすぎない。そのような感情の価値、意味、「機能」について、その上に私たちが築く物語や信念について、何かを語るものではない。 (第8章終わり)