ドストエフスキーとてんかん/病い


『死と神秘と夢のボーダーランド 死ぬとき、脳はなにを感じるか』
原題:The Spiritual Doorway in the Brain:A neurologist's Search for the God Experience. by Kevin Nelson,2011
ケヴィン・ネルソン 著 小松淳子 訳 インターシフト 2013


第8章 合一の美と恐怖 神秘の脳の奥深く  
神経病、てんかん発作
 (P.304ー308」  


何千年とも知れない昔から、意識と行動に異常を来す発作に襲われた人々は、霊魂や亡霊の訪いを受けてきた。うつろな目で虚空を見つめる、卒倒する、四肢が脱力する、口から泡を吹くといった症状を伴う発作は、悪霊の仕業とも、神懸かりになった状態とも見なされていた。新約聖書の『マルコによる福音書』第九章第一四節から二九節には、“取り憑いた”子どもから出ていけと、イエスが悪霊に命じる物語が詳しく記されている。この子どもがてんかん患者であったことは言うまでもない。

つまりは、紀元一世紀の世でも、てんかん発作は霊的なものという考え方が既に定着していたわけだ。ただし、誰もがそう思っていたわけではない。それより遡ること五百年、ヒポクラテスが実に現代的な概念を提唱している。「したがって、神聖病なる病(てんかん)であるが、これは私の見るところ、ほかの病気と比べてとくに神々しいわけでも聖なるものでもなく、他の疾苦同様、自然なる原因を有する」。ヒポクラテスはこの原因が脳にあると見抜いていた。

それはそれとして、神経内科医の間では、てんかん発作が一因となって霊的体験をしたのではと見られている人物が時代を超えて大勢いる。たとえば、聖パウロ、ジャンヌ・ダルク、聖テレサ、エマヌエル・スヴェーデンボリだ。

てんかん発作にはさまざまなタイプがあるが、霊的体験の発現と最も結びつけやすいのは、側頭葉と前頭葉の辺縁系構造物における電気活動の異常による発作である。辺縁系に発作の焦点を持つてんかんは、短時間ではあるが強烈な霊的体験を生むことがあるからだ。なかには立て続けの発作が治まった後に霊的な妄想や幻覚に襲われるてんかん患者もいる。

辺縁系てんかん発作の単発精神症状と言えば概ね恐怖であり、これには時として、既視感や離人症(夢様体験)、体外離脱体験、恍惚感、記憶回想、幻覚、正体不明の存在の察知も含まれる。

辺縁系てんかん患者は、自分の発作が霊的体験に直接結びつかなくても、しばしば霊的体験に関する話題に執着する。ただし、組織化された宗教には縛られていないことが多いようで、辺縁系てんかん発作を起こした後、ころっと改宗してしまうこともある。

辺縁系てんかん発作の中でも最も霊的な色彩がはっきりしているのは、“恍惚感”を伴う発作である。神経内科医は以前から、フョードル・ドストエフスキーが小説や自伝に書いている、恍惚感を伴う発作に関心を抱いてきた。ドストエフスキーは、友人とこんな議論を交わしている。

私は本当に神に触れたんだ。神が私の中に入ってきたのだから。そう、神は存在する。そう叫んだけれど、後は何も覚えていない。君たち、健康な人には、私のようなてんかん患者が発作の寸前に感じる幸福感を決して想像できまいよ。この至福が何秒、何時間、何か月続くものか分からないけれど、嘘じゃない、人生がもたらすどんな喜びとも引き換えにするつもりはない…全生涯にも値する至福なのだから。

ドストエフスキーは自分の霊的恍惚感に火をつけるのは病気ではないかと薄々気づいていて、『白痴』のムイシュキン公爵にこう言わせている。「これが病気だとしたらどうしよう? いや、精神の異常な緊張のせいだとしても、かまうものか。治った時に思い出せる結果を、あの一瞬の感覚を子細に検討してみて、やはり調和と美の極致だったと納得できるものであるなら、しかも、今まで想像することもなかった未知の感覚、完璧さと均整と融和と祈りがもたらす恍惚感とが渾然一体となって至高の人生を得たと感じることができるなら、病気だからどうだと言うのだ?」

時間の消失と究極の確かなるものとの接触は、紛れもなく霊的体験の要素だが、私か知る限りではプロティノスやエックハルトの記述にある神秘的な合一については、ドストエフスキーは一言も触
れていない。ドストエフスキーのこの上ない多幸感は、てんかん発作がもたらしたものであるけれども、それを彼が神に与えられたと感じたのなら、モルヒネが脳に及ぼす影響と何ら変わらないのではないか? ドストエフスキーのてんかん発作とは別に、神秘的合一を体験させる、恍惚感を伴うてんかん発作もあるのかもしれない。ならば、そうした発作を研究すれば、神秘的合一にかかわる脳領域を見定められるかもしれないが、今のところ、そういう特殊なてんかん発作が脳内のどこから生じるか、原因は何なのか、定かでない。と言うのも、そのタイプのてんかん発作はきわめて稀であるからだ。ドストエフスキーさえ体験したことがないと思われるほど稀なのだ。

それよりもはっきりしているのは、ドストエフスキーが、宗教的な話題への執着と、とりわけ宗教的なテーマについて書きたいという強迫衝動とを特徴とする、典型的な“側頭葉人格”であったことだ。

自分が治療しているてんかん患者が霊的体験をしても、それを評価できるほどの心理学と哲学の高度な知識を持ち合わせていない神経内科医は大勢いる。そうした神経内科医は得てして、神秘体験を何となく霊的と思える他のタイプの体験と十把一絡げに扱うものだ。そうした中で、注目に値する例外と言えるのが、ロンドン大学の脳神経科学者、マイケル・トリンブルとアンソニー・フリーマンである。フードの“M”評価尺度を側頭菓てんかん患者に適用して、彼らが自己喪失や自分より偉大な存在に吸収される感覚を体験している事実を突き止めた。それでも、その患者たちが、意識の特異点や合一や神の特使として選ばれたという妄想を体験したフランクと同様の神秘体験をしたのかと言えば、やはり疑問だ。彼らが精神障害者と神秘体験者のいずれであったかはいまだ不明である。さらに言うなら、こと脳に関する限り、どうなればその両方になりうるかも不明なのだ。

世界各国の神経内科医が収集した事例を見ると、霊的な体験を伴うてんかん発作は、右側の辺縁系の構造物に端を発している可能性が高い。一方、脳の異常な放電が治まった後の霊的体験につながる精神障害と妄想はむしろ、多くの場合、左右両側の辺縁系が病んで起こる。

こうした稀な例と言える歴史上の人物はさておき、たいていの人では、辺縁系てんかん発作が霊的体験の触媒になることはない。それでも辺縁系てんかん発作が注目に値するのは何より、原因が普通はてんかん発作以外であるにせよ、活性化されれば霊的体験の一因となりうる脳領域がどこなのか教えてくれるからである。