ドストエフスキーとてんかん/病い


『死と神秘と夢のボーダーランド 死ぬとき、脳はなにを感じるか』
原題:The Spiritual Doorway in the Brain:A neurologist's Search for the God Experience. by Kevin Nelson,2011
ケヴィン・ネルソン 著 小松淳子 訳 インターシフト 2013

第6章 古代のメトロノーム 恐怖から霊的至福に至るテンポ  
ドストエフスキーが受けた啓示 (P.214-218)


一八四九年四月二三日午前四時、サンクト・ペテルブルク。若きドストエフスキーは旧ロシア皇帝の秘密警察にたたき起こされ、連行された。帝政ロシアの農奴制に反対する執筆・言論活動を展開していた進歩的な知識人のサークルに参加していたため、政治犯として罪に問われたのだ。

長期に及ぶ尋問の末に独房に収容されたドストエフスキーは、そこで二か月にわたって呻吟の日々を送る。そして迎えた十二月二二日の早朝、同じく政治犯として収監されていた同志だちとともに薄着のまま衛兵に引き出され、極寒の屋外に一列に停めてあった無蓋の馬車に乗せられた。三〇分の道程を走って着いた先は、セミョーノフスキー練兵場だった。武装した兵士たちが周囲を固めている。

見物人も人垣を作っていた。練兵場の中央にドストエフスキーが見たものは、黒い布を掛け巡らせた、できたばかりの処刑台だった。無言の神父に処刑台の上に誘われたドストエフスキーたちは、銃殺刑を言い渡され、死刑服を着せられた。片手に聖書、片手に十字架を待った神父が、死刑囚の間を順に巡ってくる。懺悔を勧め、十字架に接吻せよというのだ。神父は十字架を死刑囚たちの唇にそっと押し当てた。頑なな無神論者も、この儀式は拒まなかった。

最前列に並んでいた三人の死刑囚が処刑台から降ろされ、近くに立てられていた柱に括りつけられる。二人は頭から頭巾を被されたが、ひとりはそれを拒否し、銃殺隊を傲然と睨みつけていた。次に順番が巡ってくる三人の中に入っていたドストエフスキーは、既に死を覚悟していた。その時、太鼓の音が轟いた。士官として従軍した経験のあるドストエフスキーには、それが撤退の合図だとすぐに分かった。命拾いか。その読みは現実となった。早馬に乗った皇帝の侍従武官が皇帝の勅命を携えて駆けつけてきたのだ。ドストエフスキーはシベリア流刑とする。これが本当の宣告だった。〔皇帝が政治犯に対する見せしめとしてシナリオを書いた〕この処刑劇の間に、柱に縛りつけられて銃口を向けられていた男たちのひとりは、獄中にある時から既にぎりぎりの精神状態にあったため、ドストエフスキーが神経の崩壊と表現している状態を来した。ドストエフスキーによれば、彼の顔は血の気が引いて蒼白になっていたそうだが、思うに失神に近い状態にあったのだろう。彼がこの体験から情動的に立ち直れずに終わったことは想像に難くない。

一方のドストエフスキーには、迫り来る死を見据えている間に、まったく異なる反応が起きた。霊的に覚醒していたのである。処刑を免れて独房に戻されるや、シペリアに流される前にと、すぐさまペンを取って兄に手紙をしたためた。死に直面したことで人生観が一変したと知らせる手紙である。啓示を得たドストエフスキーは、恍惚感に浸りつつ、神から賜るあらゆるものの中で最も偉大なるものは命であり、私たちは誰しも、その一瞬一瞬を“無限の幸福”に変える力を内に秘めているという、目のくらむような真理に目覚めたのだ。処刑台の上で銃口を向けられる順番を待ちながら、ドストエフスキーは許し、許されたいという衝動に駆られていた。死を目前にしながら無条件の愛と寛容を以て他者を包み込むことが人間の至高の徳と悟ったのだ。これこそ、彼が生涯貫くことになる信念である。何年も後に、彼は妻にこう語ったそうだ。「あの日ほど幸せに思ったことはないのだよ」

霊的な再生はドストエフスキーに強靭な精神力をもたらした。「私は新しい形で生まれ変わります」。シベリア流刑を目の前にして、兄に宛てた手紙にこう書いている。この時を境に、宗教的な信仰が彼の核となった。以後の執筆生活で、題材と芸術的な活力の源となったのも信仰である。処刑劇から二〇年の時を経て筆を執った小説『白痴』(新潮社)の中で、円熟の時を迎えたドストエフスキーは、キリストをモデルにしたと言われる主人公ムイシュキン公爵にセミョーノフスキー練兵場での試練を語らせている。ドストエフスキーと同様の立場に置かれた政治犯から聞かされた処刑前の印象を、ムイシュキン公爵が振り返る場面である。

「彼が生きていられる時間はあと五分しかありませんでした。その五分が彼にとっては果てしない時間、莫大な富であるように思えたそうです。それほどの時間があれば、今さら自分の最期を心配するまでもないほどたっぷり生きられるような気がしたので、彼は時間を割り振りすることにしました。友だちとの別れに二分、自分の人生をもう一度振り返るために二分を充て、残りの一分は、この世の名残に自分を取り巻く世界について考えて過ごそうと決めたのです。こんな風に時間を割り当てたことを、彼は鮮明に覚えていました。屈強で健康なのに、二七歳で死のうとしていたのですからね。友だちに別れを告げている時、そのうちのひとりに、永久の別れにはふさわしくないとんちんかんな質問をして、相手が何と答えるかわくわくしたことまで覚えていると言っていました。さて、別れが済んで、自分自身のことを考えるためにとっておいた二分が巡ってきました。何を考えればよいか、彼にはもう分かっていました。できるだけ早く、できるだけはっきりと、納得したい疑問があったのです。自分は今、こうして存在し、生きているのに、三分後には何かになってしまう。誰かだか何かだか知らないが、一体何になる? どこへ行くのだ?これだけの疑問にその二分間で答えを出そうとしたのです! 処刑場からさほど遠くないところに教会があって、金色の屋根が眩い日の光を浴びて燦然と輝いていました。その屋根と屋根から輝き渡る光をいつまでもじっと凝視していたそうです。目を離すことができなかった。その光線こそが自分の新たな本質だ、どういう風にかはわからないけれど、三分経てばあの光に溶け込むのだと思えたからです」(木村浩 訳)


神経科医の目からすれば、ドストエフスキーが処刑台に立っていた時、彼の身体をアドレナリンが駆け巡り辺縁系が海馬に自伝的記憶を焼きつけていたことは明らかだ。たくさんの記憶を形成していたから、「その五分が彼にとっては果てしない時間に思えた」のである。

青ざめた同志とは違って、ドストエフスキーには、臨死体験によくあるように、失神しかけたり、脳血流が欠乏したりした様子がない。ならば、彼の脳はどうやって闘争・逃走反応と恐怖とを目のくらむような真理へと変容させたのか? 彼が“今際”に考えたことには、臨死体験に共通する心の広がりと愛というテーマを見て取ることができる。「その時になってようやく、僕がどれほど兄さんを愛しているか痛感しました」と兄に書き送っている。命が尽きようとするまでの数分間、彼の意識は自分が大切にしているものすべてに集中していた。「命は神からの賜物です」。これも兄への手紙にある言葉だ。そして最後は、命の奇跡という報酬を手に入れた。こう言うとどなたかのご機嫌を椙ねることになるかもしれないが、さまざまなタイプの霊的体験に伴う、いつまでも心に残る至福の源を探るなら、大小を問わず報酬にかかわる脳内のメカニズムに目を向けるべきと言いたい。