ドストエフスキーとてんかん/病い


癲癇と文学  フローベールとドストエフスキー

(村上仁著『芸術と狂気』みすず書房 1950)

フローベールとドストエフスキーとは何れも十九世紀後半における偉大な散文作家であり、長編小説という文学形式における最高次の作品の創造者として現在一般に認められている。しかし私は今ここで彼等の作品について文芸批評を試みようとするのではない。私が述べたいのは彼等が何れも癲癇という疾患の持主であつたという事実、及びこの事実に関する二三の考察である。

癲癇とはいう迄もなく発作的な意識消失と痙攣を主な徴候とするものであるが、この徴候の発現の原因は決して一様ではない。大別すれば頭部の外傷や大脳実質の疾患が原因になるものと、遺伝的体質によつて来るものとあるが、大部分の癲癇は後者に属するものである。そしてこの遺伝的体質によってくる癲癇では、痙攣発作の外に、病者に一定の体格的及び性格的特徴が見られるものである。癲癇者の体格で最も多いのは筋肉型、闘士型、つまり筋肉骨格のよく発達した型である。しかしこれには例外も多く、寧ろ発育不完全型に属するものもある。次に癲癇者の心性の特徴として、主な点を挙げれば、まづ一般に思考過程が迂遠で且つ些細な部分に拘泥し、全体の把握に欠ける傾向がある。したがって癲癇者の談話はまわりくどくて繰り返しが多く、且つ細部の描写が多くて要領を得ない。行動の面でも、小さいことにこだわり、几帳面にすぎ、てきぱきと仕事を片付けることができない。感情的にも主我的、強情で怒りやすく、またものごとに執着する傾きがあり、僅かな怨みでも容易に忘れない。その代り他人の一寸した親切にも非常に感動する。動作は丁寧で必要以上に礼儀正しく、時としてわざとらしい。以上悪い方だけ挙げたが、人情にあつく几帳面徹底的という美点もある。一般的に理性的、抽象的というというより衝動的、生命的、具象的といえる。勿論癲癇者のすべてがこのような性格の持主ばかりではなく例外もあるが、多かれ少なかれ上述の特徴が認められることが多い。

さて前置きは、これ位にしてこれから本題に入る。まづフローベールやドストエフスキーは本当の癲癇であつたかどうかという問題を第一に解決しなければならない。フローベールの発作については、以前はヒステリー性のものだという説もあったが、現在では彼の発作が癲癇性のものであったことは疑ひのない事実だとされている。最も確実な証拠は友人のマクシム・デュ・カンによってなされたフローベールの発作の詳細な記述である。少し長いが引用する。

「それは一八四三年十月彼自身手綱をとって馬車に乗っていた時であった。荷車が馬車の傍を通った拍子に彼は発作を起し馬車から落ちた。その後同様の発作が二週間に四回起った。発作の様子は毎回同じで前駆症状も同じであった。突然彼は上を向き蒼白となり、目つきは苦悶の色を現わし、絶望的に両肩を挙げた。彼は言う「左の限が燃えるようだ」そして少しして「右眼も火のようだ。何も彼も金色に見える」この状態が時には数分続き・・・・・顔色は益々蒼くなり絶望的な表情になり、急にベッドの方に走り、生きながら棺に入るような暗い面持で横臥した。次で今でも私の耳に残っている程の特有の調子の叫び声と共に痙摯が始まり、それに続いて深い睡眠と数時間も続く疲労状態とが来た」

この記載によればフローベールの発作が明らかに癲癇性のものであることは疑いを入れない。彼の発作は青年時代に始まり、東方旅行以後は少々回数が減じたが、後年に至って再発し、彼の死因もこの発作のためだという。

ドストエフスキーの発作が癲癇なることは、彼自身及び彼の側近の人が明言していることであるから詳しく説明するまでもあるまい。彼が『白痴』や『悪霊』の中で記載している発作の直前のアウラ(前徴)の心理は(多少の文飾はあるにせよ)彼自身の体験を述べたものと考えられる。

次にこの二人の文学者において、上述した癲癇者特有の性格がどの程度認められるか、またこの性格的特徴がその作品にどのように反映しているかに就て考へよう。

まづフローベールの場合。彼は堂々たる偉丈夫で、典型的な闘士型であつた。愛人ルイズ・コレも、ゴンクール兄弟も、ブールジェも、彼の六尺豊か体躯と高い額と立派な肩とを嘆賞している。彼の性格の特徴として、まづ感情の激しさが挙げられる。「彼は伝説のローランの如く唸る、怒るとテーブルを拳で叩き、怒号し、雷のような声で叫ぶ」(ゴンクール)。彼が友情に厚く「忠実で他人の成功を自分のそれよりも喜ぶ」という風であったにしても友人や家族に対する彼の態度は甚だ無遠慮であつた。例へば次の姪への手紙を見よ、「前もって貴女とお母さんに言いつけておく、私がルーアンにいる間は、出来るだけ愛敬よくしてもらいたい。貴女が腰が痛かろうと頭痛や火傷で気分が悪かろうと問題ではない。重要なことは私の滞在を愉快にしてくれることだ。」癲癇者の主我的傾向をこれ程よく示す手紙はあるまい。気嫌が悪くなるとこの傾向は激しい怨恨に変化する。ファゲは「フローベールほど過激で非妥協的な個性は滅多にない。」といっている。真面目な問題を軽くとり上げ、自身の興奮を批判し「愛や憎しみを適度に止める」ということは彼には不可能であった。彼の文体にも同様の特徴がある。激しく爆発的であるか、後述するやうに骨の折れる努力の末の美文であるか何れにしても「極端さ」がその特徴である。

同時に彼には女のやうな過敏な神経質なところがあった。姪の言う如く「精妙なものを求めるあまり、彼はあらゆる感覚を苦痛と感じるようになった。」また、「彼は原因なく激しい喜びから極端な疲労状態になった。彼には中問の状態はなかった」(マクシム・デュ・カン)。対人関係においても同様なところがあり、彼が社交生活を離れて隠者のような暮しをするようになったのもそんな性格のため人間的な交渉に堪へられなかったからであると思はれる。
 
また彼が几帳面で細いことにこだわり、徹底的であることは彼の作品の創作過程を観察すれば明らかである。彼が文章の細部に念の入った凝り性を発揮したことは有名な話である。『サランボー』を書くために彼は驚くほど多量のノートをつくった。彼はある鉱物の名を探すためにアルジェリー鉱山の発掘の専門的な報告を四冊も読み、やっとそれを発見して、しかも音の響きが悪いと言う理由でそれを用いるのをやめる。彼はサントブーヴに答えて「一萬一千三百九十六人の兵隊という数字はでたらめではありません。実際の記録の人数を合計したものです。」と大真面目で言っている。一字を削るために夜中に起き上がり、一つの形容詞のために何日も考える。四百頁の『ボヴァリー夫人』のために七年を費した後でも「なおさなければならないところが一杯ある。」しかも彼の文体は自然さと流暢さを欠き、何か人工的な所があるというのは一般の定評である。ドーデはフローベールを「抒情味のない詩人」と呼び、その原因が彼の疾患にあることをも洞察したし、プルーストもその文章の不自然さを指摘した。

彼は現実の詳細かつ具体的な描写に努めて、自然主義の祖先となったか、少くともその原因の一部は彼の癲癇性性格が創作へ反映したことによると考えることが出来よう。(これらの点に就ては雑誌「ユーロップ」一九三九年四月号にフレテが「フローベール、癲癇と文体」について論じたものが最も要領を得ている。筆者は機会があったらこの論文をもっと丁寧に紹介したいと思っている。)

勿論フローベールの作品の文学的価値は彼が癲癇であったといふことで説明することは
できない。両者は全く別のカテゴリーに属する事柄である。しかしフローベールの場合は癲癇性性格が芸術作品に極めて明瞭な特徴的な影響を与えているといふ点で甚だ興味あるものである。

ドストエフスキーにおいては癲癇性性格はフローベールの場合ほど典型的ではない。しかし彼が強情で怒りっぽく、あきらめが悪く、些細なことにこだわる性質であったことは伝記を一読しただけでも判る。感情にとらわれ易く、思い切りの悪い特徴は彼の対女性関係においても明瞭に見られる。最初の妻マリヤとの関係も女学生ポーリナとの恋愛も一言にして言へば極端なほど思い切りのわるい感情的執着によって特徴づけられている。彼の賭博に對する熱中も同様の傾向の現われである。彼の場合は思い切れないままにづるづるまけてしまうので、本当の賭博者らしい大胆なやりロではなく、従って何時でも負けてばかりいた。彼の書簡はいつも自己の健康のわるいこと、貧乏なこと、借金の言いわけ等が驚くべき単調さと冗長さで綿々と書きつづられているのが特徴であって、癲癇者の迂遠冗長な会話の特徴の典型である。

彼には几帳面さという特徴はあまり見られず、寧ろ彼の生活は外見的に見ればだらしないといった方がよい。しかしこれは現実への無関心の現われではなく却って彼の対人的感情の烈しさ、ねばり強さのために常識的な生活が不可能なことから来るのであると思われる。彼はある時は疑ひもなく人情の厚い「天使のような男」であったが、一つ間違うとそれは極端な憎しみ怨みに変り、しかも容易に解けない。ストラーホフは「・・・・・彼は意地の悪い嫉妬深い癖の悪い男でした・・・・・スイスにいた時、私は彼が下男を虐待する様を目のあたりに見ましたが、下男は堪へかねて『私だって人問』だと大声を出しました。・・・・・これと似たような場面は絶えずくり返されました。それというのも、彼には自分の意地の悪さを抑へつける力がなかったからです。・・・・・」と言っているが、このような「つき合いにくさ」は癲癇者に累々見られるものである。

ドストエフスキーの文体にフローベールのそれに類似の特徴があるかどうか筆者には判らない。少くとも彼はフローベールとは違って文章にそれほど念入りな努力を費す方ではなく、執筆の速度も速い方であった。むしろ彼の作品の癲癇性特徴としては、その小説の人物相互間の複雑な感情的精神的葛藤から生ずる特有の雰囲気をあげるべきであろう。『罪と罰』のマルメラードフと、その妻や娘ソーニャとの感情的交渉、『永遠の良人』の情夫ベリチャニノフとトルーソツキーとの愛憎のいり交った関係、『白痴』のナスターシャと公爵、ラゴージンとの間の感情的動き、その他すべて彼の作中人物の動きは単に意識的に割り切れるものではなく、深い無意識的衝動を合んだ極度に人間的具体的なるものであり、極度に激しく且つ粘り強いものである。

なお癲癇と宗教的傾向との関係については従来くり返して述べられている。ドストエフスキーは勿論、「芸術の殉教者」としてのフローベールも宗教と無開係な人ではないと思わはれる。しかし癲癇と宗教との関係は必ずしも簡単なものではない。また『ボヴァリー夫人』の厭世的ニヒリズムとイワン・カラマーゾフやスタブローギンの無神論的ニヒリズムとの間に共通点を見出して、それが彼等の疾患と何か関係があるのではないかと問うこともできる。勿論この二人のニヒリズムは深い生命的な基礎づけを持つものであり、単なる理窟ではないが、しかしこれを直ちに彼等の疾患と結びつけるのは少し疑問がある。少なくとも類型学的な意味での癲癇性性格は特にニヒリズムと結びついているものではない。一般にある芸術家の医学的、心理学的特徴づけと、その芸術家の作品の文化的価値判断とは全く別のことである。我々はフローベールやドストエフスキーの医学的、性格的特徴を述べて、これがその作品に及ぼした影響について述べたのであって、この見地は彼等の創造した文学の独自の価値を理解せしめるものではない。我々の方法には一定の越え得ない限界があることを忘れてはならない。

最後にこの癲癇性格がクレッチマーによる性格分類とどのやうな関係にあるかについて一言する。クレッチマーが人間の性格を分裂性性格と循環性性格とに分類し、前者を内閉性、非社交性、後者を外界との親和性、適応性として特徴づけたことは周知の事賞である。クレッチマーはそのほか癲癇に特有の性格のあること、及びこれが闘士型の体型と結びついていることをも認めたが、それをあまり重視しなかった。従ってこの性格はその非社交的な特徴から、しばしば分裂性性格の一部として取り扱われる。(クレッチマーが分裂性格の過敏性の極と呼んだものは癲癇性性格と共通する所がある。) しかし筆者の意見によれば分裂性性格と対照さるべきものは循環性性格であるよりも、むしろ癲癇性性格ではないかと思われる。分裂性性格の非社交性は対人関係における「現実と生的接触の減退」(ミンコフスキー)、それに件う非現実的空想的傾向の増大によるのであるが、癲癇性性格者の非社交性は逆に極度に激しい専制的粘著的な対人的態度から生れる。前者は現実から離れた抽象的、理性的あるいは夢想的世界に生き、後者は衝動的、具象的、生命的な世界に生き、そのため両者とも社会的現実に適応できなくなる。ヘルダーリン、ノヴァーリス、カント等は前者の典型であり、ドストエフスキー、フローベール、ファン・ゴッホは後者の典型である。前者は慢性の予後の不良な分裂病に罹り易い傾向があり、後者は癲癇かこれに近縁の急性発作性精神病になり易い。一般に癲癇性性格の傾向は芸術家などの場合には分裂性性格傾向よりも遥かに重要で興味あるものと考えられる。この問題についてはまた別の機会に述べることにしたい。(1949.5)