Medical Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会『読書会通信』 2003.12


ドストエフスキーのてんかん:ある症例との比較

Howard Morgan,
 下原 康子 訳

論 題:Dostoevsky's Epilepsy: A Case Report and Comparison
著 者:Howard Morgan, M.D.
所 属:Methodist Hospital, Lubbock, Texas
掲載誌:Surgical Neurology 1990;33:413-6.


ロシアの作家ドストエフスキー(l82l-l881)はその稀な症状のために「恍惚てんかん(ecstatic epilepsy)」と名付けられた側頭葉てんかんをわずらっていた。彼はムイシュキン(『白痴』の主人公)の創造に自らのてんかん体験を利用している。最近、側頭葉脳腫瘍から恍惚てんかんを来たした患者を経験したので、ムイシュキンとの比較を試みた。ドストエフスキーを読むことによって、てんかん患者の内面に対する洞察力が得られた。芸術作品が実際の診療に直接的に有益であったという一例である。

はじめに

ここでは、稀な症状をもつてんかんの、1世紀以上隔てた2つの症例を比較する。第1の症例はムイシュキンである。第2の症例は最近、著者が経験した脳腫瘍の患者である。

ドストエフスキーは世界で最も偉大な作家の一人であり、中でも『罪と罰』(1866)と『カラマーゾフの兄弟』(l880)は、異常心理の研究における先駆的作品として評価されている。

恍惚てんかんは、極度の愉悦、歓喜、満足感を伴う側頭葉発作の症状と定義され、2つの型が見られる。第1の型は、突然、意識が低下すると共に、強烈で不可解な歓喜の感覚が起こるもので、この場合は他の発作は伴わない。第2の型は全般てんかんあるいは大発作に至る直前に前兆として恍惚の感覚が起こるタイプである。

恍惚発作ならびに恍惚前兆はてんかんの症状の一つである。しかしながら、神経病学教科書に言及はなく、症例報告も稀である。PenfieldおよびKristiansenは恍惚てんかんに言及しているが、1回のみである。医学論文での報告は1ダースに満たない。(Cirignotta,Lennox,Penfield,Voskuil)

1980年にイタリアのボローニャでCirignotta
らが報告した恍惚てんかんの症例はよく記録されており、側頭葉に焦点を持つ患者の発作中の脳波が完全に記録されている。通常、医学文献では、恍惚てんかんをドストエフスキーてんかんと名付けている。数少ない恍惚てんかんの報告を見る限り、脳腫瘍によって引き起こされた例はみあたらない。

ドストエフスキー

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは1821にモスクワの病院で生まれた。それは貧民層のための病院で、彼の父親はそこの医者であった。貴族の家系ではあったが、経済的には中流階級だった。ドストエフスキーはモスクワの寄宿学校における初期教育の後にペテルブルクの工兵士官学校に入学し1843年にそこを卒業した。軍隊での短期訓練の後、1844から1849年にかけて創作に没頭し、2つの小説およびいくつかの短編小説を発表した。

1849年に禁止されていた政治活動を行った罪で逮捕され、死刑の宣告を受けた。彼は射撃斑の前に引き出された。しかし、最後の瞬間に、ロシア皇帝の命令によって減刑され、シベリアへと送られた。刑務所で4年、その後6年を軍隊で兵士として送った。退役後、文学活動を再開し、残りの生涯で10作を超える長編と多くの短編、様々な雑誌記事を書いた。生涯の多くの時間を、健康、金銭、家族の問題で苦しんだ。1881年、肺炎に頻発する肺出血のために死亡した。

成人してから後のドストエフスキーはてんかんによって悩まされ続けた。(Frak,Gastaut,Kiloh,Rice) 発作は頻繁に起こる大発作で、夜行性であった。恍惚前兆は目覚めている時に大発作に先行して起こった。このことから、Kiloh,Voskuilらはドストエフスキーのてんかんは二次的に全般てんかんあるいは大発作が引き起こされるタイプの側頭葉てんかんであるとした。

ドストエフスキーは発作の直前に起こる数秒間の体験を語っている。それは経験した人でなければとても想像できないような満ち足りた瞬間である。その時、彼は全宇宙とのハーモニーを感じた。意識は鮮明で、しかもその激しい歓喜はこの至福の数秒とその後の10年を取り替えても惜しくはない思うほどであった。(書簡、同時代人の回想)

ドストエフスキーの大発作は非常に激しく、発作の後の数日間は発作後に特有の混乱や昏睡、不活発などに苦しめられた。(Kiloh,Voskuil)発作は35年間で平均すると1か月に1回程度で起こったが、4か月に1回から一日のうちに2回までの変動がある。(Voskuil)

『白 痴』

ドストエフスキーは小説の中で、4人のてんかん者を描いている。『悪霊』のキリーロフ、『カラマーゾフの兄弟』スメルジャコフ、『虐げられた人々』のネルリ、そして『白痴』のムイシュキンである。

アンドレ・ジイドは述べている。「ドストエフスキーがてんかんを彼の小説に関与させるについて示す熱心さというものは、彼の倫理の形成にあたって、彼の思考の曲線において、彼がてんかんという病気に付与した役割がどんなものか、それについて十分にわれわれを啓発してくれます」(アンドレ・ジイド『ドストエフスキー』寺田透訳 岩波文庫 1995 P.229)

『白痴』ではてんかんが主要なモチーフとなっている。この作品においてドストエフスキーは主人公ムイシュキンのてんかんを描写している。

Mochulskyは述べている。
「ドストエフスキーは、最愛の主人公ムイシュキンにドストエフスキーにおいて最も親密で神聖だったもの、恍惚前兆と自らのてんかんを授けた」

Frankが示唆するように、ムイシュキンは非喜劇的で自己犠牲的なドン・キホーテである。貧困に陥った貴族であったが、後にばく大な遺産を引き継ぐ。率直で純粋なキリストのような人物である。ドストエフスキー自身が手記の中で、ムイシュキンを美しい無垢の人として描くつもりであったことを明白に述べている。ムイシュキンは気取らず、正直で、同情的である。彼は小さな子どもたちの友人であり、病気や落ちぶれた人たちの擁護者である。一方で、白痴あるいは聖なる馬鹿(ロシア文学に見られるテーマ)と見なされるような人物でもある。自らがてんかんであったドストエフスキー以外の誰がムイシュキンのような人物を創造できたであろう?

この作品におけるドストエフスキーのもう一つ目的は、てんかん病者の一様ではない予測不能の日常を小説自体の流れの中で象徴的に示すことであった。『白痴』という作品に対して、プロットを追っていくことが困難な解体された小説、という見方をする批評家もいる。しかしながら、Daltonが示唆するように、少し距離をおいて『白痴』という小説の構造を見ると、この小説がてんかん病者の生活の記述であることが解る。その活動は、てんかん発作が集積され爆発した後に不活発や昏睡に陥るように、一様でない進み方で展開していく。

『白痴』の第5章2節で、ドストエフスキーはムイシュキンをとおして恍惚発作について次のように語らせている。

さまざまなもの思いのうちに、彼はまたこういうことも思ってみた。彼のてんかんに近い精神状態には一つの段階がある。(ただし、それは意識が醒めているときに発作がおこった場合のことである)それは発作の来るほとんどすぐ前で、憂愁と精神的暗黒と圧迫を破ってふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。生の直覚や自己意識はほとんど十倍の力を増してくる。が、それはほんの一転瞬の間で、たちまち稲妻のごとく過ぎてしまうのだ。その間、知恵と情緒は異常な光をもって照らし出され、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、諧調に満ちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境に忽然と溶け込んでしまうかのように思われる。(米川正夫 訳)

現代の症例

1985年の秋、38歳で右利きの白人患者が夜行性の大発作で、テキサス州ラボックのメソジスト病院に収容された。それまでの彼はまったく健康であった。

抗痙攣性の薬物が投与されることにより、てんかん発作は一時的にコントロールされたが、4か月後、再び発作を起こし入院した。その時、患者の症状は恍惚前兆を伴っていた。恍惚前兆は、2ヶ月にわたり一日に数回生じた。

典型的な発作は、突然の興奮の直後に超越感覚が起こるというものだった。発作の最中、患者は明るい、しかしまばゆくない、一つの光を見た。彼は、その光が知識と理解の源であることを感じた。また時おり、やわらかな音楽が聞こえた。これらのエピソードのおよそ半分で、若いひげのある人が現われた。その人は身元を明かさなかったが、患者は、漠然とした姿にもかかわらず、その人をイエス・キリストであると感じた。このエピソードは1〜2秒しか続かなかったが、患者にはそれは実際よりもはるかに長く感じられた。彼の家族は、発作中、彼は別世界の中にいるように見え、通常の応答はできなかったと語った。

最初のころ、患者はこうした発作に驚愕したが、次第に喜ばしく楽しいものとして感じるようになった。発作の間、彼自身と宇宙のハーモニーが実現した。彼はえもいわれぬ満足感および達成感を覚えた。いくつかの場合、この恍惚前兆の後に大発作が起こった。

コンピューター断層撮影により、この患者の右側頭葉に脳腫瘍があることが分かった。前部の側頭葉切除が行われ、併せて扁桃および前部の海馬も切除された。病理診断では悪性の神経膠星状細胞腫(gradeV/IV)であった。手術後、発作は起きなくなった。その後、放射線療法を受け、9か月は無事にすごした。しかしながら、腫瘍は再発し手術の15か月後に死亡した。

レントゲン写真で、この症例における恍惚てんかんの原因になる病理学上の傷害の正確な場所が、前部の非優性の側頭葉に局限されていることがわかった。それは外科標本からも病理学的に証明され、発作が手術の後に再発しなかったことからも裏づけられた。このことから、この患者は、恍惚てんかんにおいて、脳の中で異常が起こった場所を正確に限局できた始めての症例となった。これまでの恍惚てんかんの報告でも側頭葉の障害であるとされており、ある論文では側頭葉の異常が脳波で確認されてもいたが、正確な病巣部位の限局はなされていなかった。したがって、今回の症例は、恍惚てんかんの原因になる脳障害の正確な部位を局限した点においてユニークであったと言える。

考 察

ムイシュキンの恍惚てんかんは、私の患者のそれと類似点が認められる。両者共に恍惚前兆は、光の前触れと共に突然起こった。ムイシュキンの場合には、その光の感覚はドストエフスキーによって次のように記述された。「素晴らしい内部の光が彼の魂を照らした」また、「彼の精神と心はまばゆい光によって満たされた」

私の患者は実際に光を見て、その光がかけがえのない理解の根源であると感じた。二人とも恍惚発作の最中は我を忘れ、自分がどこにいるかもわからない状態だった。

ムイシュキンは一時モスクワで仲のよかったラゴージンにこういったことがある。「この一刹那に、ぼくはあの“時はもはやなかるべし”という警抜な言葉が、なんだかわかってくるような気がした」それからほほえみながらつけ足した。「あのてんかん持ちのマホメットがひっくり返した水瓶から、まだ水の流れ出さぬさきに、すべてのアラーの神の棲家を見つくしたというが、おそらくこれがその瞬間なのだろう」(米川正夫 訳)

私の患者も、実際の発作の時間が短いのは承知していたが、実際よりもずっと長く感じていた。彼らにはあたかも時間が拡張するかのよう見えたのである。

一方で、ムイシュキンは自己疑念に悩まされもいた。自分自身を無価値と考え、自ら白痴と呼び、社会においては不必要な人間であると感じていた。私の患者も病気の間、心理的な問題で苦しんだ。働くことができなかったし、車の運転もできなかった。それで自分が夫として家族の担い手として価値がなくなったと感じていた。

Riceが示唆したように、ムイシュキンの恍惚前兆は宗教的な連想を呼ぶ。ムイシュキンは祈りについて、イスラム教の予言者について語っていた。一方で、私の患者は、恍惚発作の間、イエス・キリストの訪れを感じた。そのとき、あたかも教会にいるかのように音楽が聞こえた。彼は成人してからはめったに教会に行かなかったが、子どものころは規則正しく通っていたのだ。恍惚発作の最中、ムイシュキンと私の患者は共に、宇宙との満ち足りた一体感を感じた。Daltonによれば、この感覚は、フロイドのいう、自我の境界が溶かされる「大洋感覚」また、[胎児回帰の感覚」である。

現代の神経内科医の多くは、てんかんの診断、評価および治療を器質的な問題として扱い、もっぱら彼らが得意とする神経学的疾患の枠の中で考えようとする。しかしながら、私たちの多くはてんかん者が提示する非器質的側面、情動や心理やモラルやそこから生じる形而上学的な謎を目前にし、それらの問題に対して充分なトレーニングを積んでいないことを感じている。

ドストエフスキーは、てんかんの器質的な側面は無視している。しかしながら、ムイシュキンや他の作品の登場人物を通して、てんかん患者の心や感情へと私たちを導いてくれる。Miksanekが述べるように、ドストエフスキーの『白痴』は、芸術がいかに科学的観察を補強し、推考を助けることができるかを示す好例である。『白痴』や他のドストエフスキー作品のいくつかを読むことによって、不治のてんかん病者との類似を学ぶことができるのだ。このような洞察は、最良の神経病学または脳神経外科学の教科書の中でさえ、提示されたことがない。

Reference

1.Cirignotta,F et al. (1980)
2.Dalton,E.(1979)
3.Frank,J.(1986)
4.Freud,S.(1961)
5.Gastaut,H.(1978)
6.Gide,A.(1952)
7.Kiloh,L.G.(1986)
8.Lennox,W.G.etal.(1933)
9.Miksanek,T.(1982)
10.Mochulsky,K.(1967)
11.Penfield,W.(1951)
12.Rice,J,L.(1985)
13.Voskuil,P.H.A.(1983)