ドストエフスキーとてんかん/病い


<抜粋>


アンナ・ドストエフスカヤ著 松下裕訳『回想のドストエフスキー』筑摩書房 1973

抜粋 <結婚後まもなく夫人の目の前で起こった発作>

「聖週間の最後の日、わたしたちは親類の家によばれ、姉の家にまわって夕べをすごしていた。夕食はとても愉快で(いつものとおりシャンパンが出た)客が帰って身内のものだけになった。フョードル・ミハイロヴィチは殊のほか元気で、姉と楽しそうに何か話していた。すると突然、何か言いかけて、真っ青になったかと思うと、ソファから体を浮かすようにしてわたしの方にもたれてきた。すっかり変わってしまったその顔つきを見てわたしはぎょっとした。急に、おそろしい、人間のものとも思われぬ叫びが、というより悲鳴がひびきわたって、彼は前にたおれはじめた。同時に、夫とならんで掛けていた姉が金切声をあげ、椅子からとびあがると、ヒステリックに泣き喚きながら部屋を駆け出して行った。義兄もそのあとを追って飛び出した。

てんかんの発作の初期にはつきものの、この“人間のものとも思われぬ”悲鳴を、その後、わたしは何十ぺんも耳にすることになった。だが、われながら意外だったのは、てんかんの発作を見るのは生まれてはじめてだったのに、この瞬間少しも驚かなかったことだ。わたしは彼の肩を抱きかかえ、力をこめて長椅子に掛けさせた。だが無感覚になった体は長椅子からずりおち、私の力ではどうしようもなかった。それを見たとき、どれほど驚いたことだろう。私は灯のともっていたランプを置いた椅子を押しやり、ようやくのことで彼を床におろし、自分も座り込んでけいれんの続くあいだ自分の膝の上に頭をのせていた。だれも助けにくるものはいなかった。姉がヒステリーをおこしたので、義兄も女中も、彼女につきっきりで介抱していたからだ。少しずつけいれんがおさまると、彼は意識をとりもどしはじめた。しかし、はじめのうち、自分がどこにいるかもわからず、口もきけなかった。たえず何か言おうとしたが、ろれつがまわらず、何を言っているのか聞き取れなかった。半時間ほどもしてから、わたしはやっと彼を起こして、長椅子に横にさせることができた。そして家に帰れるようになるまで、もう少し休ませることにした。だが、なんというひどい悲しみだったことか。発作が最初のから一時間たってぶり返したのだ。今度はもっと強く、二時間以上もたって、意識を取り戻してからも彼は苦痛に声をあげて叫ぶのだった。なんと恐ろしい光景だったろう!その後も彼は、二度つづく発作をたまには起こした。医者が言うのには、このときの発作は、挨拶まわりや招待宴ですすめられたシャンパンで興奮しすぎたためだった。酒は特に体によくなかったので、けっして飲まないようにしていたのだが。