Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイの会会報 No.32(1974.7.18)

『回想のドストエフスキー』上・下 

アンナ・ドストエフスカヤ 著 松下裕 訳 筑摩書房 1974-75  

下原(佐伯) 康子

アンナ・ドストエフスカヤはドストエフスキーの二度目の妻で、彼女が速記者として雇われた仕事が終わった直後に求婚された話は有名である。その時ドストエフスキーは45歳、アンナは20歳だった。この回想は二人の出会いからドストエフスキーの死までの14年間の多難にもかかわらず、愛情あふれる日々の記録である。内容は日常のできごとに終始しており、ドストエフスキーの思想や作品の内容にはまったくといってもいいほど触れていないが、それがかえってドストエフスキーを理解する上での確実な方法からの基盤をあたえてくれているように思われる。

ドストエフスキーを愛するものにとってはまことに興味あふれる楽しい一冊だ。ときおり、おや!と思うようなドストエフスキーの意外な面が発見できる。たとえば、なかなかおしゃれで美しいものに対するよいセンスを持っていたとか、勤勉な努力家で規則正しい生活を好み清潔好きだったことなどは、私がこれまで抱いていたイメージとは違うような気がしたが、だからといってドストエフスキーの全体像に混乱をきたすというほどではない。一つ一つ具体的な事実やエピソードで描かれているためだろう、ドストエフスキーの性格は複雑になっても、全体としてはかえってその魂の純粋さがきわだってくる感じがした。

よく描かれているのは最初の部分、二人の出会いから結婚までだろう。著者の心にその時の思い出が昨日のことのように生き生きと残っているのがよくわかる。アンナ夫人は愛情と尊敬のすべてを傾けて夫の日常生活をできるかぎり詳細に描こうと努力したようだ。ドストエフスキーの子どもへの愛情も感動的だ。すぐに子どもにとけこんで彼らの信頼を得る特別の才能があったらしい。アリョーシャ・カラマーゾフがその才能を受け継いでいる。ドストエフスキーの異常なほどの嫉妬も印象に残るが、それにしてもどことなくユーモアを感じさせる。回想の大半を占めているのは借金と病気をかかえた苦心惨憺の生活ぶりである。彼らは13年間かかってやっと莫大な借金を返済した。そのころには名声も高まったが、まもなく死を迎える。

アンナは文句なしの良妻だと思われる。その彼女が回想の最後の部分でおもしろいことを言っている。「私は格別美しくもなく才能もなく知的に発達しているわけでもなかった。それにもかかわらず、こういう賢明で才能のある人物から深い尊敬を受け、ほとんど崇拝されたということは、これは私の生涯にわたってのある種の謎だった」。しかしその後、夫人はその理由をいくらか理解したといって次のように書いている。「私と夫はまったく違った構造、まったく違った性格、異なった意見の人間だったが、少しもまねをせず媚びず常に自己を失わなかった。彼も私が彼の精神生活、知的生活に介入しなかったことを認めてくれたのだろう、だからこう言っていた。《おまえは私を理解してくれるたった一人の女性だ》彼の私に対する関係はつねに一種の堅固な壁をなしていたが、それについて彼はそれをよりどころにし、あるいはよりかかれるものというふうに感じていた。壁は失われないだろうし、心をなぐさめてくれるだろう」。興味深い優れた洞察だと思う。ドストエフスキーとアンナ夫人の間には妻と夫としての愛情以上にキリスト教的な謙遜で深い尊敬の感情がかよっていたようだ。

死の直前、彼は妻に言った。「よく憶えておいておくれ、アーニャ、わたしはいつもおまえを熱烈に愛してきたし、心の中でさえ決して裏切ったりしなかったことを」いかにもドストエフスキーらしいことばだと思う。