ドストエフスキーとてんかん/病い


<抜粋>

宗教的経験の諸相 上・下
James, William 1901-02 The Varieties of Religious Experience,
ウィリアム・ジェイムズ 著 枡田 啓三郎 訳
岩波書店  1969

目 次

原著序
第一講 宗教と神経学
 緒言、講義は人類学的な方法をとらず、個人の文書を取り扱う
 事実の問題と価値の問題
 事実上、宗教的なものはしばしば神経病的である
 この理由から宗教を非難する医学的唯物論の批判
 宗教は性欲的起源をもつとする説の反芻
 あらゆる精神状態は神経によって制約される
 精神状態の意義はその起源によってではなく、その果実によって吟味されねばならない
 価値の3つの規準。起源は規準として役にたたない
 精神病的気質は、優秀な力が伴う場合には、いろいろの長所をもっている
 ことに宗教的生活にとってそうである
第二講 主題の範囲
 宗教を簡単に定義しても無益である
 唯一の特殊な「宗教的情緒」など存在しない
 制度化した宗教と個人的宗教
 私たちは個人的宗教の部門のみを取り扱う
 この講義の目的のための宗教の定義
 「神的」という言葉の意味
 神的なものは厳粛な反応を促すものである
 私たちの定義を明確にすることは不可能である
 私たちはより極端な場合を研究しなければならない
 宇宙を受け容れる二つの仕方
 宗教は科学よりも熱狂的である
 宗教の特徴は、厳粛な感情における熱狂である
 不幸を克服する宗教の能力
 生物学的見地から見たかかる能力の必要
第三講 見えない者の実在
 知的対抽象的概念
 後者が信仰に及ぼす影響
 カントの神学的観念
 私たちは、特殊な感覚によって与えられるのとは違った実在感をもっている
 「現前の感じ」の実例
 非実在の感情
 神の現前の感じ、その例
 神経的経験、その例
 神の現前の感じの他の諸例
 不合理な経験のもつ説得力
 信仰を確立するのには、合理主義は劣っている
 個人個人の宗教的態度においては、熱狂か厳粛かのいずれかが優位を占める
第四・五講 健全な心の宗教
 幸福は人間の主要な関心事
 「一度生まれ」と「二度生まれ」の性格
 ウォルト・ホイットマン
 ギリシア的感情の混合した性質
 組織的な健全な心
 その合理性
 自由主義的キリスト教がそれを示している
 通俗科学によって助長された楽観論
 「精神治療」運動
 その信条
 その実例
 その悪の説
 ルター神学との類似
 緊張の弛緩による救い
 その方法、暗示
 瞑想
 「精神集中」
 検証
 宇宙に対するさまざまな可能な適応の仕方
 付録 精神治療の二つの例
第六・七講 病める魂
 健全な心と悔改
 健全な心の哲学の本質的多元論
 病的な心の状態‐その二つの段階
 苦病‐閾は個人個人で違う
 自然的な善の不確かさ
 あらゆる生活における失敗、あるいは空しい成功
 あらゆる生粋の自然状態の悲観論
 ギリシア人とローマ人の見解の慰めなさ
 病的な不幸
 「アンヘドニア」(快感欠乏)
 ぐちっぽい憂鬱
 生々とした喜びはまったくの賜物である
 その喪失は物質的世界を違った目で見させる
 トルストイ
 バニヤン
 アリーン
 病的な恐怖
 このような場合の救済には超自然的宗教が必要である
 健全な心と病的な状態との対立
第八講 分裂した自己とその統合の過程
 異質混交的な人格
 性格は漸次に統一に達する
 分裂した自己の例
 達せられた統一は宗教的であることを要しない
 「逆回心」の諸例
 他の諸例
 漸次的な統一と突発的な統一
 トルストイの回復
 バニヤンの回復
第九講 回心
 スティーヴン・ブラドリーの場合
 性格変化の心理学
 感情の興奮は人格的エネルギーの新しい中心をなす
 そのいろいろなあらわれ方
 スターバックは回心を正常な道徳的成熟と同一視する
 リューバの考え方
 一見、回心することのあり得ないと思われるような人々
 回心の二つの型
 動機の潜在意識的潜伏
 自己放棄
 宗教史におけるその重要性
 さまざまな例
第十講 回心‐結び
 突発的回心の場合
 突発的であることは本質的なことか
 否、突発的であるのは心理学的特異性による
 超周辺的あるいは識閾下の意識の存在することは実証されている
 「自動現象」
 瞬間的な回心は、当人が活動的な潜在意識的自己を所有しているのに因ると思われる
 回心の価値は、その過程にではなく、その果実にある
 この果実は突発的回心の場合の方が優れているということはない
 コー教授の見解
 結果としての聖化
 私たちの心理学的説明は神の直接の現前を排除しない
 より高いものの支配の感じ
 感情的な「信仰状態」と知的な信念との関係
 リューバの引用
 信仰状態の特徴、心理の感じ、世界が新しく見えてくる
 感覚的自動現象と運動的自動現象
 回心の恒久性
第十一・十二・十三講 聖徳
 恩寵の状態に関するサント‐ブーヴの見解
 衝動と抑制の均衡による性格の諸型
 主要な興奮
 おこりっぽさ
 高級な興奮一般の効果
 聖者の生活は霊的興奮によって支配されている
 この霊的興奮は官能的衝動を永久に消滅させることができる
 潜在意識の影響が含まれているらしい
 性格の永久的変化をあらわす機構
 聖徳の特徴
 より高い力の実在の意識
 心の平和、慈愛
 平静、強さ、など
 これとくつろぎとの関係
 生活の純潔
 禁欲主義
 服従
 貧困
 民主主義の感情と人間愛の感情
 高級な興奮の一般的効果
第十四・十五講 聖徳の価値
 それはその果実の人間的価値によって吟味されねばならない
 神の実在性も同様に判断されねばならない
 「不適当な」宗教は「経験」によって排除される
 経験主義は懐疑論ではない
 個人的宗教と民族的宗教
 宗教の開祖たちの孤独
 成功の後に堕落がくる
 過度な場合
 極度の信心、その例としての狂言
 神がかりの熱狂状態
 極度の純潔
 極度の慈愛
 完全な人は、完全な環境にのみ適合している
 聖者はパン種である
 極度の禁欲主義
 禁欲主義は英雄的な生活を象徴している
 軍人気質と貧に甘んずる心とは等価物でありうる
 聖者的性格の肯定面と否定面
 聖者対「強者」
 彼らの社会的機能が考慮されねばならない
 抽象的にいえば、聖者は最高の型の人間であるが、現在の環境においては、失敗することがありうる、だからわれわれは危険を覚悟で聖者となる
 神学的心理の問題
第十六・十七講 神秘主義
 神秘主義の定義
 神秘的状態の四つの特徴
 これらの四特徴が1つの判然たる意識領域を作っている
 その低級ないくつかの実例
 神秘主義とアルコール
 「麻酔剤による啓示」
 宗教的神秘主義
 自然の光景
 神の意識
 「宇宙的意識」
 瑜伽
 仏教的神秘主義
 スーフィ教
 キリスト教的神秘家
 彼らのいだく啓示の感じ
 神秘的状態のおよぼす強壮的効果
 彼らは否定によって叙述する
 絶対者との合一感
 神秘主義と音楽
 三つの結論
 その一。神秘的状態は、その状態にある人に対して権威をもつ
 その二。しかし他の人に対しては権威をもたない
 その三。けれども神秘的状態は、合理主義的な状態の独占的な権威を打破する
 神秘的状態は、一元論的、楽観論的な仮説を強める
第十八講 哲学
 宗教においては感情が優位に立ち、哲学は第二義的な機能である
 主知主義は、その神学的な構成物のうちに主観的な規準を含まないと公言する
 「教義神学」
 教義神学の説く神の属性に対する批判
 概念の価値のテストとしての「プラグマティズム」
 神の形而上学的属性は何ら実際的な意義をもたない
 神の道徳的属性を証明しようとする論証は不十分である。組織神学の崩壊
 先験的観念ならうまく説明できるか?その原理
 ジョン・ケアドからの引用
 彼の説は、宗教的経験の叙述としてはすぐれているが、理由に基づく証明としては説得力がない
 哲学は「宗教の科学」に変形することで、宗教に対して何をなしうるか
第十九講 その他の特徴
 宗教における美的要素
 カトリシズムとプロテスタンティズムとの対照
 犠牲と告解
 祈り
 宗教は、祈りによって霊のはたらきがほんとうに影響を受けるものと考える
 その影響に関する三段階の意見
 第一段階
 第二段階
 第三段階
 自動現象、これが宗教的指導者たちのあいだにしばしば見られる
 ユダヤ人の場合
 マホメット
 ジョセフ・スミス
 宗教と潜在意識の領域一般
第二十講 結論
 宗教的特徴の要約
 人々の宗教は同一である必要はない
 「宗教の科学」は、宗教的信条を暗示しうるばかりで、それを要求することはできない
 宗教は原始的思想の「遺物」か?
 近代科学は個人性の概念を排除する
 擬人観と、個人的な性格をもった科学以前的な思想の信仰
 それにもかかわらず、個人の力は真実である
 科学の対象は抽象物であり、個人化された経験のみが具体的である
 宗教は具体的なものを固守する
 元来、宗教は生物学的な反応である
 その最も簡単なものは、不安と救いである。救いの記述
 より高い力の実在の問題
 著者の仮説。一.自然とより高い領域とを仲介するものとしての潜在意識的自己
 二.より高い領域、あるいは神
 三.神は自然界に真の効果をつくり出す
後 記
 本書の哲学的立場は、断片的超自然主義と定義できる
 普遍主義的超自然主義の批判
 原理の違いは事実の違いとなってあらわれざるをえない
 神の存在は、事実上のいかなる違いとなってあらわれることができるか?
 霊魂不滅の問題
 神の独自性と無限性の問題。宗教的経験は、この問題を肯定的に決定しない
 多元論的仮説のほうが常識に適っている