ドストエフスキーとてんかん/病い
<抜粋>
肺気腫患者としてのドストエフスキー 晩年の書簡にみる当事者の思い
日本病跡学雑誌 75号:65-75 2008
高橋 正雄 著
(抄録)
50 代のドストエフスキーは慢性的な咳や痰に悩まされ、4度に渡ってドイツの鉱泉保養地エムスで療養生活を送るなど、当時の医師から肺気腫と診断されているが、本論では晩年の書簡を中心にドストエフスキーの呼吸器疾患当事者としての思いを検討した。その主な結果は、以下の通りである。
@ドストエフスキーの療養生活で目立つのは、律儀で几帳面な療養態度であり、 特に鉱泉療法の実施にあたっては細部に至るまで医師の指示を守りながら、規則正しい生活を送っている。
Aエムスでのドストエフスキーは、他医や他患の意見も参照して医師に相談するなど、自ら納得できる治療が受けられるように努力する一方で、一人異国で療養しなければならない孤独や無聯に堪え、故国に残してきた妻子のことを思いやっている。
B ドストエフスキーは自らの症状の悪化と連動させるような形で、医師の倣慢さや自尊心、説明不足などを非難している。
C 『カラマーゾフの兄弟』にみられる医師批判や理想化された呼吸器疾患患者マルケルの造形などは、ドストエフスキーの呼吸器疾患患者としての体験に基づくもので、『カラマーゾの兄弟』にはてんかんと肺気腫というニーつの持病の苦しみと死の予感から産み出された作品という側面がある。
D当時の医者もドストエフスキーも呼吸器疾患の治療において煙草の害を十分に認識していない。