ドストエフスキーとてんかん/病い
ドストエフスキーの意図しなかったてんかん学への貢献
(日本語訳:「ドストエフスキーのてんかん再考−原発性全汎てんかん説」和田豊治訳 大日太製薬株式会社 1981)
典拠:Gastaut H. Fyodor Mikhailovitch Dostoevsky′s involuntary contribution
to the symptomatology and prognosis of epilepsy. William G. Lennox Lecture,
1977. Epilepsia 1978;19:186-201.
概 要(下原康子)
「ドストエフスキーの意図しなかったてんかん学への貢献」という原題のこの論文で、論議を呼んだ点はドストエフスキーのてんかん発作時のアウラ(前兆)として有名なエクスタシーを事実ではなくドストエフスキーの文学的創造であるとした点である。その根拠をガストーは次のように説明した。
現在ではアウラそのものが既にてんかん発作そのもので、解剖生理学的には側頭葉てんかん、臨床的には精神運動発作と考えられる。ドストエフスキーのてんかんは側頭葉てんかんであろうという従来の説を作家の病歴により詳細に検討したところ、確実なものとして信用できるてんかん発作は、ミオクロニー(四肢の電撃的なれん縮)に始まり、それに引き続いて起こる大発作のみである。そしてその発作は睡眠中に起こっている。
この発作型から作家の羅患したてんかんは、原発性全汎てんかんであると結論できる。原発性全汎てんかんは原則的には何の前兆もなく大発作を招来するのであるが、稀に、ミオクロニーが前駆する例がある。ともかくドストエフスキーのてんかんは側頭葉てんかんではないから、彼の作品における大発作前のエクスタシーは彼自身の発作体験ではなく、完全な創作である。
さらに、ガストーは、エクスタシーというのは精神発作の内容として経験したことがない。精神発作として恐怖、悲哀、不安、怒りなどは確かにあるが、エクスタシーを発作として持つ例に出会ったことは未だかって一度もない。この点でもキリーロフやムイシュキンの体験は作家の天才によるもので、てんかんとは何等関係がないと断言できる。
エクスタシー前兆の存在に関するただ二つの証言が、ソーニャ・コヴァレフスカヤとストラーコフの回想であるが、『白痴』は、2つの回想記が書かれるずっと前に出版されており、二人はいずれもムイシュキンのエクスタシーの描写に直接影響を受けたのではないかと思われる。
ドストエフスキーの意図しなかったてんかん学への貢献はまったく別にある。ガストーが行った予後調査によれば原発性全汎てんかんは発作をくりかえしても知能の低下は来たさないことがわかった。ドストエフスキーは生涯にわたって卓越した知能を保っていた。すなわちドストエフスキーはこのことを証明してくれているわけである。
この論文はガストー自身も主張していた従来の側頭葉てんかんとする見地とは意見を異にしていたのでたいへんに反響を呼び、その後のドストエフスキーの病跡学に大きな影響を与えた。しかし彼が否定したエクスタシーのあるてんかん発作がその後、いくつか報告され、(日本にも一例ある)再検討した結果、やはりドストエフスキーのエクスタシーは実際にあったものだというVoskuilの論文が発表された。
それを受けて、ガストーは6年後に「ドストエフスキーのてんかんについての新しい考察」を発表した。