Medical Dostoevsky&My Dostoevsky

福音書の中のてんかんとドストエフスキー


典拠:福音書(塚本虎二訳  岩波文庫)

癲癇をなおす マルコ9・14-29  [マタイ17・14-21 ルカ9・37-43]

山を下りて、ほかの弟子たちの所にかえって見ると、大勢の群衆が弟子たちを取り巻き、聖書学者たちがこれと議論していた、群衆はイエスの姿を見るが早いか、皆びっくりして、駆けてきて歓迎した。イエスが群衆に尋ねられた、「弟子たちと何を議論しているのか。」群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれているせがれをあなたの所につれて来ました。この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯ぎしりして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか、いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」こう言って群衆のいないところに行かれた。人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。イエスが父親に尋ねられた、「こうなってからどのくらいになるか。」父親が答えた、「子供の時からです。霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども親子を不憫と思って、お助けください。」イエスは言われた、「もしお出来になるならと言うのか。信ずる者にはなんでも出来る。」即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」イエスは群衆が駆け寄ってくるのを見ると、急いで汚れた霊を叱りつけて言われた、「
唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出て行け、二度と入るな!」霊はどなって、激しくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が「死んだ」と言った。イエスはその子の手をとって起された。すると立ちあがった。家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」彼らに言われた、「この種類の霊は、祈り以外の手段では決して出てゆかせることはできない」

 『罪と罰』:ラスコーリニコフが見るネヴァ川のパノラマ。「そのパノラマから言いようもない冷気が吹いてきて、彼にとってはこのはなやかな画面が唖と聾の霊に満たされている」(第2部2)
『白痴』:イッポリートの告白。「自然というものが、なにかしら巨大などんらんなあくなき唖の獣のように感じられる」(第3部6)


ゲラサの豚 ルカ8・26-39 [マルコ5・1-20 マタイ8・28-34]

かくて一行はガラリヤの向い側にあるゲラサ人の地に渡った。イエスが陸にあがられると、その町の者で、悪鬼につかたひとりの男が迎えた。この男は長い間着物を着ず、また家にすまずに墓場にすんでいた。イエスを見ると、叫びながらその前にひれ伏し、大声で言った、「いと高き神の子イエス様、“放っておいてください”。お願いです、わたしを苦しめないください。」これはイエスが汚れた霊に、その人から出てゆけと命じられたからである。汚れた霊は何度も何度もその人をつかんだ。いかに鎖と足かせでつながれ監視されていても、その繋ぎをひきちぎり、悪鬼に追われて荒野にいったのである。「あなたの名はなんというか」とイエスがお尋ねになると、「軍団(レギオン)です」とこたえた。悪鬼が大勢、一軍団(レギオン)も彼の中に入りこんでいたからである。また地の底に行くことをお命じにならぬようにと願った。折から、
そこの山で多くの豚の群れが草を食っていた。悪鬼どもは、それに乗り移ることを許されたいと願った。お許しになると、悪鬼どもはその人から出ていって豚に乗り移った。すると群は気がちがったようにけわしい坂をどっと湖になだれこみ、溺れて死んだ。豚飼たちはこの出来事を見て逃げ出し、町や部落に知らせた。人々はこの出来事を見に出てきたが、イエスの所に来て、悪鬼を追い出された人が着物をき、正気にかえって、イエスの足もとにじっと坐っているのを見ると、恐ろしくなった。また現場を見ていた人たちは、悪鬼にとりつかれたいた者がどんな風にして救われたかを、その人人に知らせた。ゲラザ地方の住民は皆すっかりおびえ切って、イエスに自分たちのところから出て行ってもらいたいと頼んだ。そこでイエスは舟に乗って帰られた。帰ろうとされる時に、悪鬼を追い出された男がお供したいと願ったが、許さず、こう言ってお帰しになった。「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、みんなに話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。

で示した部分が、プーシキンの詩「悪鬼」と共に『悪霊』のエピグラフ(題銘)になっている。 
臨終のステパン氏は、聖書売りのソフィアにこの部分の朗読させ、あの連中(ピョートルたち)を「病人から出て豚に入った悪霊ども」になぞらえ、自分があの連中の先頭を行く親玉だったかもしれない、と興奮して話す。(3部第2