Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエフスキーとてんかん/病い

ドストエフスキーと自殺


James L. Foy and Stephen J. Rojcewicz, Jr
(下原康子訳)

論 題:Dostoevsky and Suicide 
著 者:James L. Foy and Stephen J. Rojcewicz, Jr.
所 属:The Department of Psychiatry, Georgetown University Hospital, and the U.S. Public Health Service Outpatient Clinic, Washington, D.C.
掲載誌:Confinia psychic t. 22: 65-80 (1979)


1974年5月10日、ミシガン州デトロイトの米国精神医学会第127回年次総会における発表に基づく
抄 録
フョードル・ドストエフスキーは後世の作家たちに影響を与え続けている。彼の現代性は、とりわけ、人間の性格と動機についての心理学的な洞察にある。彼の作品において自殺は無視できないほどの関心と分析が払われている。力動精神医学においてドストエフスキーは高く評価されているが、実際には、多くの精神科医は自殺に関するドストエフスキーの貴重な洞察を無視する傾向があった。この論文は彼の小説、雑誌、および作家自身の人生経験の中に現存する自殺に関する言及を考察し、ドストエフスキーの自殺学への貢献の全体像を提供する。ドストエフスキーの著作は、彼の小説とナラティブ・ジャーナリズムの間の連続的かつ卓越した相互関係にあり、個人、家族、集団力学についての深い理解、イデオロギーの根源に対する作家の知的探求、そして彼の人生における真の経験と霊的探求の証である。
 


目次:序 論  小 説  雑 誌  生涯  考察 訳者による参考

序 論

ドストエフスキーが後世にもたらした文学的感性、宗教思想、心理学への貢献は広く認められている。彼の心理学は体系化されてはいない。厳密にいえば、その心理学は一連の小説における作家の芸術的才能から生じた副産物と言えるが、人間性への深い洞察、隠れた衝動を照らし出す能力、並外れた情熱の発露などは読者に強烈な印象を与えずにはおかない。フロイト、アドラー、ランク、シュテーケル、アレクサンダー、ホーナイらは、ドストエフスキーが人間の内奥を探る感受性の高さを称賛し、力動精神医学の初期の創始者かつパイオニアの一人として彼の名前を挙げた。ドストエフスキーの心理学的洞察力に対してはかれらの見解は一致していたが、作家本人と個々の作品についてのアプローチはそれぞれ異なっていた。しかしながら、誰一人として、ドストエフスキーと自殺というテーマに言及しなかったのは奇妙なことである。

フロイトは、ドストエフスキーの作品における父親殺しのテーマを考察し、オイディプス・コンプレックスに照らして、てんかん発作と強迫的な賭博の分析を試みている(Freud、1928)。この文学的研究においては、精神分析的文学批評に加味した病理学の側面が強い。フロイトは作家としてのドストエフスキーはシェイクスピアに匹敵すると賞賛した。しかし、Reikへの手紙の中でドストエフスキーの道徳的に不寛容な性格を指摘し、保守的な政治的、宗教的信念を批判している(Jones,1957年)。

アドラーとランクの研究においては病理的素質の調査は避けている。1918年にアドラーは講演で、芸術家、倫理的哲学者、心理学者としてのドストエフスキーに対して幅広い感謝を表明した。ランクの精神分析的研究『分身 ドッペルゲンガー』(1925)では、ドストエフスキーの『分身』をドッペルゲンガーのテーマにおける心理学的に驚嘆すべき物語として記述している。ナルシストのゴリャートキンは絶望している。彼の分身は彼のライバルとなって、やがては破滅と死をもたらす。自殺への暗示はごく遠まわしで、精神病がゴリャートキンの運命とされている。

Stekel(1943年)、Homey(1950年)、Alexander(1961年)、Laing(1961年)らはドストエフスキーの小説の登場人物を、かれらが神経学的特徴の概念を説明するときに参照している。カール・メニンガーは、『おのれに背くもの』(1938年)で、自殺の動機について議論する中で、『カラマーゾフの兄弟』の長兄ドミートリイについて、実際に自殺をしたわけではないが、殺人の罪を背負ったという点において自己破壊的な人物であると指摘した。奇妙なことに、メニンガーは、ドストエフスキーの小説にたびたび登場する自殺者や自殺未遂者には言及を広げていない。これらの研究や他の研究によって判断されるように、フロイトの考察以後の心理学者は、ドストエフスキーの再考に際して自殺ではなく父親殺しのテーマを重要視した。(Burchell、1934; Coleman、1934; Squires、1937; Kanzer、1947; Kanzer、1948; Bonaparte 、1962)。実際、ドストエフスキーと自殺に関する唯一の論文を著したのは、精神科医や心理学者ではなく、ドイツの法律学者かつ裁判官であった。(Wolfahrth、1934)

現代の作家はドストエフスキーの小説の自殺者を再発見し、かれらの複雑な心理的動機に注意を向けている。カミュは、キリーロフの「論理的帰結の自殺」の不条理性に衝撃を受けた(Camus、1955年)。自殺に関するFarber(1966年)の実存的・現象学的エッセイでは、キリーロフが自殺を引き延ばした理由について詳しく考察している。Buber(1957年)は、冷静で理性的なスタブローギンを自殺に導いたのは恥の感覚と罪悪感であったことを指摘した。

ドストエフスキーの著作の自殺のテーマは、心理的コンプレックスの宝庫である。以下において彼の小説、雑誌、そして彼自身の人生経験における自殺行動について考察する。

小 説

ドストエフスキーの小説には自殺の言及が豊富にある。17人以上の人物が実際の自殺者である。自殺を試みたり自殺を考えたりした人物も少なくない。この中の数人は主要人物で、かれらの自殺は作品に大きな影響を及ぼしている。その他は小人物である。小説の展開に自殺が不可欠だった場合もある。事件の周辺にすぎない自殺もある。また、単なる偶発、あるいは明らかに余談と思われるものもある。

ドストエフスキーの小説における自殺の役割を考察する背景として、彼は無から有を創造したのではないことをふまえておくべきである。彼の特異な天才は文学的伝統の文脈から現れた。劇的なテクニック、性格描写、プロット、背景の多くは、ヨーロッパ文学、特にゴシック小説とフランスの小説の主流に密接に関連している。(Steiner,1959)。ドストエフスキーの著作における自殺の語りの役割は、ある意味では、作家の文学の源泉における自殺の役割の応用と発展でもある。彼が描いた自殺や自殺念慮は数においてもその劇的な質においても増大していったが、それは、『人間喜劇』の重要性を反映している。実際、ドストエフスキーは彼の文学的キャリアの早い段階でバルザックの翻訳者であり、彼の影響を大きく受けた(Grossman、1973)。ドストエフスキーは時々、先人の著作から直接的に真似ることがあった。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』に若い村の少女たちの間で自殺がはやったとき、当局が介入して裸の死体を通りに引きずったら連鎖が止まった、という逸話がある。
(訳者注:訳者は『カラマーゾフの兄弟』の中でこの逸話を確認できていない)これはモンテーニュ『エセー』の「ケオス島の習慣」にある“ミレトスの乙女たちの連鎖的自殺”を言い換えたものだ。「少女たちが狂気に駆られて次々と首をつったため、役人が自殺した娘をみつけたら裸にして、綱にじゅずつなぎにして町中をひきまわしにすべしという命令を出してようやく連鎖を止めた」(Montaigne、n.d.)。

ドストエフスキーの天才的な自殺描写は、文学における自殺の扱いに変革を起こすことも、文学的伝統を破ることもなく、文脈にそって人間の状況を深く統合的に探求した。

ドストエフスキーの作品の中の自殺者は、犠牲にされた者、虐待された者、裏切られた者、苦しんでいる者に分けられる。かれらの多くは子どもや若い女性、とりわけ性的に虐待された少女たちである。『作家の日記』では子どもと若い女性の自殺が扱われている。「被害者としての子ども」はドストエフスキーによく見られるテーマである。(Rowe、1968)

『おとなしい女』の無名のヒロインと『悪霊』の中でスタブローギンに凌辱された少女マトリョーシャについては、追って詳しく述べる。その他には『罪と罰』のスヴィドリガイロフの犯罪による犠牲者がいる。『未成年』には三人の自殺者がいる。最初の犠牲者の自殺は『罪と罰』においてである。スヴィドリガイロフによって自殺に追い込まれた二人についての記述は簡単ではあるが、「犠牲者自殺」の主な特性と含意を明らかにしている。その後の作品においてはこの基本形の論理的発展と応用が見られる。スヴィドリガイロフは快楽を追求する自己中心的な人物である。人を操り、残酷に扱い、嘲笑して自分の目的を遂げる。彼の下男はひどい扱いを受け、最終的に自殺に追い込まれた。またスヴィドリガイロフは少女を凌辱し、彼女は川に身を投げた。彼は自殺の前に自分が溺死させた14歳の少女の夢を見る。「棺の中に花に埋まるようにしてひとりの少女が横たわっていた。少女の乱れたブロンドの髪は、ぐっしょり水に濡れていた。少女の青白い唇に浮かんだ微笑には、どこかこどもらしくないかぎりもない悲しみと、深い哀願とがあふれていた。」

『未成年』には複数の自殺と自殺未遂がある。その中には三つの犠牲者自殺が含まれている。ドストエフスキーの「創作ノート」に見られるように、これらの自殺は当初から考案されていた。

内気な17歳の少女リディア・アフマーコワはヴェルシーロフに恋する。ヴェルシーロフは周囲からはいかがわしい人物と見られ、リディアの若く魅力的な義母とのうわさもあった。周囲の虚偽と策謀に疲れ果て、少女は自殺を図り2週間後に死ぬ。
(訳者注:ただし、この噂が真実かどうかはわからない。ヴェルシーロフはアルカージイに彼女は肺病で死んだと話している。)少女の死後まもなくして少女を熱愛していた父親も脳卒中で死ぬ。

オーリャは母親と二人でペテルブルグにたどり着いたばかりの若く貧しい女性である。職探しのなかで騙され誘惑され売春宿に引きずりこまれそうになる。そんなときヴェルシーロフが彼女に貸し付けという名目でお金を提供しようと言う。しかし、彼女はヴェルシーロフの正体を耳にしてお金をつき返し、母親が眠っている同じ部屋で縊死する。彼女は暗闇の中で遺書を残した。「愛するお母さま、わたしが人生のデビューを自分の手で断ちましたことをお許しください。あなたを悲しみにおとしたオーリャより」

『未成年』における犠牲者自殺のテーマの極致は、かってヴェルシーロフの家僕だった純真で賢いマカール・イヴァーノヴィチが語った挿話である。(『未成年』第3編第1章4)「読みたくない人はこの話を抜いてしまってもいい」という語り手の一言によって皮肉にもこの物語の魅力が際立っている。ある町に金持ちの商人がいた。同じ町にもう一人若い商人がいて、二人はいがみあっていた。若い商人はしごとに失敗し借金まみれになって死ぬ。妻と5人の幼い子どもが残された。金持ちの商人は借金の抵当に家をとりあげてしまう。幼い4人の女の子たちは疫病で次々に死んでいき、ひよわな7歳の長男だけが残る。母親はこの子を預けて必死に働く。あるとき少年は、うっかり金持ちの商人にぶつかってしまう。腹を立てた商人は子どもを鞭打たせる。子どもはそれがもとで病気になる。この男の子が死んだ商人の子どもであることを知った金持ち商人は、子どもを無理やり引き取り、その日から子どもの恩人のようにふるまう。母親から引き離された少年は、商人の過度な干渉におびえきって恐怖の日々をすごす。ある日、彼は誤って陶磁器のランプを壊し川に向かって逃げ出す。商人が追いかけて彼を脅かすと、その男の子は川に飛び込んで死んでしまう。それ以来、商人は少年の夢に悩まされる。彼は人が変わったようになり、田舎絵師に天使たちが自殺した男の子を迎えに飛んでくるところの絵を描いて欲しいと頼みこむ。絵師は自殺は罪だから描けないといったん断るが、空と天使はやめて、上の方から一筋の明るい光線が射す絵を描く。商人は少年の母と結婚し、多く人々に慈善を施す。二人の間に息子が生まれたが、病気になり死んでしまう。商人はすべての財産を妻に渡し巡礼の旅に出る。

犠牲者自殺の人物にはいくつかの共通の特徴がある。うら若く無力でたいてい貧しい。

もう一つの特性は被害者の無名性と間接的語りである。『おとなしい女』のヒロインは名前をもたないし、マカールの物語の男の子も名前がない。『未成年』のリディアとオーリャはともに、自殺が語られたとき初めて名前が付けられている。ほとんどの場合、これらの自殺は物語の本筋からは分離されている。かれらは、周囲の人物の日常的な会話、挿話、または誰かの書面で記述されている。無名性と間接的語りの使用は、ドストエフスキーがこれら自殺の説明から距離をおこうとしていることを示唆しているのかもしれない。

犠牲者自殺をした者は、夢に現れて苦しめた相手を自殺に誘うことさえある。スヴィドリガイロフは自殺の前に、彼が自殺に追いやった少女の夢を見る。スタブローギンもまた、拳をふりあげたマトリョーシャの姿を見る。

私はマトリョーシャを見たのだった。あのときと同じように、私の部屋の戸口に立って、私に向かって顎をしゃくりながら、小さな拳を振り上げていたあのときと同じように、げっそりと痩せこけ熱をもったように目を輝かせているマトリョーシャを。いまだかって何ひとつとして、これほどまで痛ましいものを私は目にしたことがない!私を脅しつけようとしながら(何によって?私に対していったい何ができたというのだろうか、おお、神よ!)むろん、おのれひとり責めるしかなかった、まだ分別も固まっていない、孤立無援の存在のみじめな絶望!いまだかって、私の身にこのようなことが起こったためしはなかった。私は深更まで、身じろぎひとつせず、時のたつのも忘れてすわっていた。私はいまこそはっきりと告白し、そのとき起こったことを完全に明確に伝えておきたいと思う。これが良心の呵責、悔恨と呼ばれるものなのだろうか?私は知らないし、いまもってそう言い切ることはできない。しかし、私にとって耐えがたいのはただ一つ、あの姿だけなのである。ほかでもない、小さな拳を振り上げて私を脅そうとしていた、あのときの彼女の顔つきだけ、ほかでもないあの一瞬、顎をしゃくりあげていたあの姿だけなのである。あの身ぶり─つまり、彼女が私を脅そうとしたことが、私にはすでに滑稽なことではなく、恐ろしいことだったのである。私は哀れで、哀れでたまらなくなり、気も狂わんばかりだった。そしてあのときのことがなくなってくれるものなら、私の体を八つ裂きにされてもいいと思った。私は犯罪のことを、彼女のことを、彼女の死のことを悔やんだのではない。ただただ私は私はあの一瞬だけが耐えられなかった、どうしても、どうしても耐えられなかった、なぜなら、あのとき以来、それが毎日のように私の前に現れ、私は、自分が有罪と認められたことを完璧に知らされたからである。それこそが、私には耐えられない、なぜならあのとき以来、それはほとんど毎日のように私の前に現れるのだから。いや、それとは知らず、以前にも耐えられなかったのだが。それは自分から現われてくるのではなく、むしろ私が呼び出すのである。そして、それと暮らすことなどできるはずもないのに、呼び出すにはいられないのである。おお、たとえ幻覚にもせよ、いつの日か彼女を現に見ることができるのであったら!私は、せめてあと一度だけでもいい、彼女に自分の目で私を見てもらいたい、あのときのような。大きな熱に浮かされた目で私の目をのぞきこんでもらいたい、そして知ってもらいたい・・・・・実現するわけもない、愚かな夢!(江川卓訳『悪霊』スタブローギンの告白)

後期の小説に登場する主要な自殺者(スヴィドリガイロフ、キリーロフ、スタブローギン、スメルジャコフ)は同じグループに分類できる。『罪と罰』のスヴィドリガイロフは、快楽を追求する冷酷な人物で、ラスコーリニコフの妹のドゥーニャを誘惑する。また、何人かを自殺に追いやった。キリーロフとスタブローギンは『悪霊』に登場する。キリーロフは革命的なグループのメンバーだが、自分の思想に没頭し周りの人々から切り離されている。『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフは、老カラマーゾフの非嫡出子で、てんかんを患っている。傲慢でうぬぼれが強く人々の価値観を嘲笑している。

4人の人物に共通するのは、誇張された自意識、利己主義、ナルシズムであり、社会のいかなる規範にも
服従することを拒否する。かれらの自殺は、デュルケームが『自殺論』(1952年)で述べた自殺の四分類の中の「利己的自殺」と呼ばれるものであり、自分の我意を過剰に主張するため、人間の存在を支える大切な人々との関係や連携を奪われている。

過度の我意のテーマは、ドストエフスキー自身が彼の逮捕の直前にペトラシェフスキー・サークルで講演した「政治に全く関係のない問題─個人とエゴイズムについて」の反映であり、その思想はキリーロフによってぶっきらぼうに語られる。「ぼくには自殺の義務がある。なぜなら、ぼくの我意の頂点は、自分で自分を殺すことだから」(Grosman、1974)

かれら我意主義者は自分自身の自殺や犠牲者の自殺のみならず、暴力行為にも関与しており、その多くは殺人である。スヴィドリガイロフは妻を殺害した。スメルジャコフは老カラマーゾフを殺した真犯人である。スタブローギンは実際に手を下してはいないが、何人かの人物の殺害に関して罪がある。キリーロフはシャートフ殺害の罪をかぶって自殺した。

ドストエフスキー作品の中では、後にレスターが指摘したように、殺人と自殺は密接に関係しており、その理論的対立は表面的なものである(Lester、1972)。すでにデュルケームも指摘している。
「自殺も殺人もともに暴力的な行為である。ところが、あるときには、これらの行為を生じさせる暴力は、社会的環境のなかで抵抗に出会わずに展開し、そのばあいには殺人となる。またあるときには、世人の意識のおよぼす圧力のため、外部に現れるのをさまたげられ、内攻し、その源になっている当人自身がその暴力の犠牲となる。それゆえ、自殺とは、変形され、また弱められた殺人ということになろう」(Durkheim、『自殺論』1952年)ドストエフスキーの作品においては、いずれのタイプの暴力にしろ大半が最終結果に至っている。

ドストエフスキーの小説における犠牲者自殺と我意主義自殺の両方に共通する要素は、宗教的視点である。宗教への言及は豊富にある。『おとなしい女』のヒロインは聖像を抱いて飛びおり自殺をする。『未成年』では、老巡礼者のマカールが自殺に関して神の許しを論じ、続けて金持ちの商人に脅かされて自殺した男の子の話をする。商人は償いのため、絵師に自殺した少年が天使たちに迎えられるところの絵を描くように頼み込んでいる。

犠牲者自殺の正当性を酌量するにあたりドストエフスキーは、集団で自己犠牲を説いたロシア正教会の古儀式派、分離派教徒(ラスコーリニキ)の影響を受けた。かれらの教義ではツァーリの暴虐に屈するくらいなら死の方が好ましいとされ、焼身自殺は差し迫った事態における最後の選択であった。少なくともいくつかのグループでは、自殺は神に許された究極の救済であった。(Merejkowski、1931年)。

我意主義自殺の宗教的テーマは、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフの最初の会話にも現れている。彼はロシア正教の信仰を嘲笑する。もう一人の我意主義者クラフトは『未成年』の中で、論理的帰結の自殺を実行する。彼はロシア教会の聖なる使命への信仰を失ったため、ロシア国民に対する信仰をも失い自殺に至ったと考えられる。

宗教と我意主義の対比において、最もあからさまなのはキリーロフである。「もし神があるとすれば、すべての意志は神のもので、ぼくはその意志からぬけだせない。もしないとすれば、すべての意志はぼくのもので、ぼくは我意を主張する義務がある」。自分を殺すことによって、キリーロフは自分が神になると主張する。死の直前に陥ったキリーロフの激しい動揺はこの理論の崩壊を示唆している。

『白痴』のイッポリートは、思春期の陰鬱な哲学者である。劇的な場面が展開する。彼は三週間しか生きられないと知って、集まった人々の前で我意主義に基づいた長く知的な告白を読みあげる。彼は次のように結論する。「自然は三週間の宣告でもって、極端にぼくの行動を制限してしまったので、今のところぼくが自分の意志で始められるとともに片づけられる仕事は、自殺よりほかにないかもしれない。いや、まったくのところ、ぼくは最後の事業の可能を利用したいのかもしれない。反抗も時としては大きな仕事になることがあるのだ」。

聴衆が自分の長い告白にうんざりしたと感じたイッポリートは、人々との短いやりとりの後に、ピストルをこめかみに押し当て引き金を引く。しかし発射しなかった。雷管を入れ忘れていたのだ。人々の最初の驚愕は、とたんに笑いに変わった。中にはこのできごとに意地悪い喜びを感じて、大声で笑い出すものさえあった。イッポリートはヒステリーでもおこしたように、しゃくりあげて泣きながら、だれ彼の差別なしに飛びついて、雷管を入れ忘れたのだ、「つい、うっかりして忘れたんです。わざとじゃありません」そして、「ぼくは永久に恥辱を受けた」などと訴えるのであった。彼はついに意識を失って倒れた。この芝居がかった場面の不条理さが、その後に続くイッポリートの結核死を受け入れやすくした。

雑 誌

ドストエフスキーは晩年が近づいたころ、個人雑誌『作家の日記』の自費出版を開始する。数千人の購読者があった。『作家の日記』には、当時のできごとに関連して、政治評論、社会批評、文学的回顧、哲学的逸話、そして短編小説などが収録されている。購読者との毎月の交流は、作家の創造に寄与する一種の実験室となったが、最後の小説『カラマーゾフの兄弟』の執筆のため、雑誌の発行の中断を余儀なくされた。アルヴァレズは、ドストエフスキーが、とりわけこの時期に自殺のテーマに引き寄せられ、テリア犬のように、自殺の問題をくわえて離さないでいた、と書いている。(Alvarez、1972)。『作家の日記』のなかには、1876から1877年の間に新聞で報道された以下の6件の自殺についての言及と論評がある。

@同棲していた女性が相手の男に切り殺され、その男も自殺した。二人の子ども(二人とも私生児だが、下手人の子どもではない)が事件を目撃していた。(『作家の日記』1876年1月第1章2)
A25歳の助産婦の自殺。地主の娘で、少しも金に困ってはいなかったが、世の進歩に身を捧げるつもりでペテルブルグに出て助産婦になった。かせぎは十分だったが、非常に「疲れた」。「墓の中よりもよく休める所が、どこにあろう?」。自嘲的で哀れな長い遺書を残した。(『作家の日記』1876年5月第2章2)
Bロシアからの亡命者ゲルツェンの娘(23,4歳 
訳者注:後に17歳と訂正された)が、クロロホルムを浸した綿で顔をおおって寝台に横たわりそのまま死んだ。奇妙な遺言を残した。「私の自殺が成功しなかったら、シャンパンで私の蘇生を祝ってちょうだい。もし、うまくいったら、死んだことをよく確かめて葬ってください。だって、地下の棺の中で目をさますのは不愉快千万ですもの。あんまりシックでなさすぎますわ!」。ドストエフスキーは「彼女は、“冷たい闇と退屈”のために死んだ」と書いた。(『作家の日記』1876年10月第1章2)
C貧しい裁縫女が仕事がみつからないことに悲観して4階の窓から飛び降りた。地面に墜ちたとき、両手に聖像をいだいていた。「なんとつつましやかな、おとなしい自殺だろう」とドストエフスキーは書いた。(『作家の日記』1876年10月第1章2)
D予備中学校の少年(12,3歳)が学校で縊死した。その日少年は宿題をしてこなかった罰として、夕方5時まで学校に残された。彼の父は厳格な人だった。その日は少年の命名日にあたっていたので、彼は家に帰ったら悦び迎えられるはずであった。(『作家の日記』1877年1月第2章4)
Eガルトゥング将軍がモスクワ地方裁判所の公判廷で横領の罪で裁かれ、陪審員の有罪判決を聞いてから15分後に拳銃自殺をした。諸新聞は「明白に不公平な裁判」とさえ書きたてた。ドストエフスキーは「ガルトゥングは、完全に自分が潔白であるという意識を抱いて死んでいったが、しかし誤謬は・・・・・厳密な意味における裁判上の誤謬は、全然なかった。そこにあったのは宿命であり、かくして悲劇が生じたのである。盲目な力が、なぜかガルトゥング一人を選んで、彼の社会に蔓延している悪徳に対して、彼を罰したのである。」と論評した。(『作家の日記』1877年10月第2章)

この中の2件の自殺はドストエフスキーの創作に直接的な響響を及ぼした。「冷たい闇と退屈」による反抗的な自殺と見られるゲルツェンの娘の死に刺激され、「宣告」が書かれた。その中で作家は「論理的帰結の自殺」という考え方を示した。それは、驚嘆すべき理由による静かな自己処刑であった。

「もし、人間というものが、こんな生物でも地上に住みおおせるものかどうか」というずうずうしい試みのために、地上へ放たれたものだったらどうだろう?」こう考える悲哀のおもなところは、─ここでもやはり責任者というものがなく、だれもそんな試みをしたものもなければ、だれをも呪うべき人がなく、ただすべては、おれにとって不可解で、おれの意識とはどうしても一致できない自然律によって生じたことである。Ergo(かかるゆえに)─
幸福に関するおれの問題に対しては、おれ自身の意識を通して自然から「お前には理解もされないし、また明らかに永久理解することのできない全体としての調和の中においてのみ、お前は幸福であり得る」という答えを与えられているがゆえに、─
自然は説明を要求する権利をおれに認めてくれないのみか、ぜんぜんおれに答えてくれようともしない、─しかも、答えることができないからでもあるがゆえに、─
自然はおれの問いに答えるために、おれ自身をおれに任命し(無意識的に)、おれ自身の意識をもっておれに答えている。(なぜなら、おれはこれらすべてを自分にいっているのだ)かく確信しがゆえに、─
最後に、かような状態では、おれは同時に原告と被告、犯人と裁判官の役を引き受けることになる、しかも、おれはこの喜劇を、自然の側からいえば、まったく愚劣なものと見なすし、おれの側からいえば、こんな喜劇を我慢することむしろ屈辱である、かく考えるゆえに、─
それゆえに、おれは原告と被告、裁判官と犯人の紛れなき権能を行使して、かくも無作法にずうずうしくおれを苦難のために生み出した自然を、おれとともに破滅すべしと宣告する・・・・・が、おれは自然を滅却することができないから、おれは一個を滅ぼす、ただし、それは単に、責任のない暴虐を忍ぶ味気なさから、のがれるためにすぎないのだ。 (米川正夫訳(『作家の日記』1876年10月第1章4)

しかし、一部の読者は明らかにドストエフスキーが「宣告」に込めたアイロニーを見落した。そのため12月号で「遅まきの教訓」と題して次のように弁明した。(訳者注:このテーマは『おかしな人間の夢』(1977)で再現する。)

私の小文「宣告」は、人間生存の根本的な最高思想、──人間霊魂の不滅を信ずることが欠くべからざる緊要事である、という点にふれているのである。「理論的自殺」で滅びゆく人のこの懺悔の裏打ちは、自分の魂とその不死を信じることなしには、人間の生存は不自然であり、考えることもできないほどたえがたいものであるという結論が、すぐその場で必要なことである。そこでわたしは、理論的自殺者の公式を明瞭に表現し、発見したような気がしたのである。(『作家の日記』1976年12月第1章2)

もう一方の、貧しい裁縫女の自殺はドストエフスキーを戸惑わせた。彼女は聖像を抱いて飛び降り自殺をしたのである。どうして、若い女性が信仰を持ちながら自ら命を絶つことができたのだろうか。この疑問と、自殺という行為が遺す恥辱と後悔を探るために、作家の芸術的才能は、残された夫の立場から書かれた特別な物語を創作した。『おとなしい女』は、若い妻の死骸の傍らにすわる夫の思考のすべてを包み込むように描かれている。彼は自分の求愛と結婚生活を思い返し、押し寄せる悲しみと罪悪感、そして短い期間における二人の関係の痛恨のいきさつを語る。

ドストエフスキーは二人の性格と動機を深く掘り下げている。それぞれを互いに引き寄せたものは何だったのか。どこでつり合いがとれていたのか、愛および礼儀を放棄させたのものは何だったのか。サディズムとマゾヒズムについて、また加害関係についてうんぬんするよりも、この痛ましい悲劇はこの不幸なカップルの関係における両義性をすべての点で明らかにしている。ドストエフスキーは、最も微妙な結婚と家族の力学について鮮やかな直感を示した。誰に責任があるのかを問う読者をドストエフスキーは置き去りにする。それは、失敗と無知の薄暗がりの中に、我々が解決すべき問題として残された。ドストエフスキーは物語の最後の部分に作家の叫びを加えた。


──これが不幸なのだ!「この野に生きた人間がいるだろうか」と古いロシアの勇士は叫ぶ。勇士ではないが、わたしも叫ぶ。しかし、だれも応えるものがない。太陽は宇宙に生気を与えるという。太陽が昇ったら、──その太陽を見るがいい、はたして死んでいないだろうか?なにもかも死んでいる、至るところ死人だらけだ。ただ生きているのは人間ばかり、その周囲は沈黙が領している、──これが地上の有様なのだ!「人々よ、互いに愛し合うべし」これをいったのはだれだ?これはぜんたいだれの遺訓だ?(米川正夫訳『おとなしい女:作家の日記1976年11月』)


生 涯

ドストエフスキーの小説の中の情熱は、しばしば彼の波乱に満ちた生涯の中にそのルーツが見出せる。ペテルブルグでの貧困、革命サークルへの熱中、てんかんに由来する激情、死刑宣告、長いシベリア徒刑、賭博への耽溺、そして最後に作家としての成功。これらの経験から、ドストエフスキーの自殺に対する文学的意識が自身の自殺行動の経験に基づいていたとしても不思議ではない。メルヴィル(Melville)やD.ローレンス(D. Lawrence)たちの天才的な作品は、とりわけ自らの「創造的自殺危機」に関係がある(Tabachnik、1973)。

彼の娘エーメ(Aimee)によると、ドストエフスキーは自身の自殺思考を家族や友人たちに訴えていた。(A. Dostoevsky、1972)。彼の手紙と伝記資料によれば、少なくとも、生涯に3回、自殺念慮があったのは明らかである。

1845年、若く貧しいペテルブルグの作家だったドストエフスキーは『貧しき人々』と『分身』を発表した。友人の手紙や医師の証言から、当時作家がうつ病、心気症、過度の自己批判と抑うつに苦しんでいたのは明らかである。彼は文学作品を自分の救いとしており、その失敗を個人的な運命とみなした。1845年3月24日、彼は兄のミハイルへの手紙に書いた。「問題は、こんなことをすべて小説で決済するということです。もしことがうまくいかなかったら、ぼくは首をくくってしまうかもしれません。」その2ヵ月後の5月4日、同じくミハイル宛ての手紙に、「もし、小説の始末がつかなかったら、それこそネヴァ川に飛び込むかもしれません!。ぼくは何もかも考えつくしたのですから!。ぼくは自分の固定観念の死滅を見て、生きながらえる気はありません!」。このときの自殺思考は、革命的陰謀の容疑で逮捕されるまで続いた。裁判と投獄に直面してからのドストエフスキーはいっしょに逮捕された仲間たちよりもむしろ落ち込みが少なかったようだ。

次にドストエフスキーが自己破壊的な思考に陥ったのは、1854年、オムスク監獄から解放されて中央アジアのセミパラチンスクのシベリア第七守備大隊に配属されたときだった。ドストエフスキーは寡婦になったばかりのマリア・イサーエワに恋をした。マリアに他に愛人がいると知ったドストエフスキーは激しく狼狽する。1856年3月23日、友人のヴランゲリに次のように書いている。「もし、あの天使を失ったら、ぼくは破滅です。発狂するか、それともイルティシ河に飛び込んでしまいます。」(Slonim、1955)。また、1856年11月9日、おなじくヴランゲリに書いた。「ぼくは気が狂いそうなほど彼女を愛しています。・・・・
(不明)はぼくを棺の中へたたき込むか、それとも自殺にまで追い込んでしまうでしょう、もし彼女に会えなかったとしたら・・・・・。ぼくは不幸な狂人です。こういうふうな恋は病気ですね。ぼくはそれを感じます。」

最後に自己破壊的な思考が生じたのは、ヨーロッパ滞在中にルーレット賭博に耽溺した時期だった。大きな金銭的損失、身の回りの品や妻の持ち物まで質入れする悲惨な状況がドストエフスキーを絶望に突き落とした。妻のアンナが日記に書き留めている。「哀れなフェージャはすごく悲観して帰宅し、借金を払う目当てもないし、借金は多いのに払う金はないので、自分はかならず気が狂うか、自殺せざるをえないと言った」(『アンナの日記」1867年8月6日)。この時期の自殺思考の訴えはおおげさな傾向が見える。数日後の8月11日、二人はいさかいをした。「突然、フェージャは、おまえがわめき続けるなら、自分は窓からとびおりる、と言った」(『アンナの日記」1867年8月11日)。賭博の呪縛がとけるとともに、自殺思考も消えた。

ドストエフスキーは自殺思考の経験があった一方で、友人を自殺念慮から救っている。ドストエフスキーはドゥロフとヤストルジェームスキイといっしょにシベリアに運ばれたのだが、そのときヤストルジェームスキイは深い絶望に陥って自殺を決意していた。彼は回想の中で、自分を自殺から救ってくれたのはドストエフスキーであったと書いている。
私たちは偶然にも、思いがけなく、脂蝋燭とマッチと、熱いお茶をもらった。そのお茶は天の甘露よりも美味に思われた。ドストエフスキーはすばらしい葉巻を持っていたが、幸いにも、イヴァン・ガブリーロヴィッチにみつからなかった。わたしたちは隔てのない物語の中に、夜の時間の大部分を過ごした。ドストエフスキーの親切な優しい声、その愛情ともの柔らかさ、まったく女性といっていいほど気まぐれな癇癪の意外な爆発、こういうものが、わたしの気持ちを落ち着かせるのに効果があったのである。わたしはいっさい、極端な決意を棄ててしまった。(米川正夫『ドストエーフスキイ研究(ドストエーフスキイ全集 別巻)』)。

考 察

ここまで豊富な資料(小説、雑誌、手紙など)によってドストエフスキーの自殺学を考察してきたが、作品の中の自殺の理論的側面に目を向けると、明示的にしろ暗示的にしろ、ドストエフスキーが示したこの特異な人間の行動に対する思考の深刻さと複雑さに直面させられる。自殺と殺人の両方の体験者について、作家は、理論的、心理的、倫理的、存在論的、宗教的などのネットワーク的視点から生と死の究極の問題にアプローチした。この多面的視点からの考察こそが、19世紀世界文学の最前線でヒューマニズム思想家と称されるドストエフスキーの力強い洞察力のあらわれである。ロシアの知識人、ヨーロッパ人、アメリカ人、アジア人の作家たちに対するドストエフスキーの影響は現在まで途切れることがない。

チェコの政治家でヒューマニストのトマーシュ・G・マサリク(Thomas G. Masaryk)は、ロシア研究の集大成『ロシア思想史』(1961年)を著した。彼は自殺という悲劇についての多層的アプローチこそがドストエフスキーの思想を明らかにしていると指摘した。彼は哲学者として、また心理学者としてのドストエフスキー、とりわけ「宣告」における自殺の扱いには疑問を残したが、ドストエフスキーが自殺を社会および歴史的な事実・事象としてとりあげて、作家として考察した点を賞賛した。マサリクたちはドストエフスキーの小説の中で人々がいかに生きて行動するかを指摘してきた。自殺や殺人、病気や疎外の危機に瀕した人々の描写は、ヒューマン・リアリティーへの実存的アプローチを具現化している。まさしく、ドストエフスキーは近代に現れた実存思想家である。『地下室の手記』(1864)は、文学と人間科学の分野で、実存的反抗の心騒ぐ序章という評価がなされてきている。

ドストエフスキーは数多くの劇的な人物を誕生させたが、一方で空想に耽る空想家をも創造した。ドストエフスキーの空想家はリアリズムとは別次元の人間である。確かに空想は、ロマン主義文学の特徴ではあるが、ドストエフスキーにあっては空想の存在心理学を新たに創造した。力動的無意識の渦から意識をつかみとりその輪郭を黙示的に描いた。ドストエフスキーは常にわれわれを動機と行動が未分化な回路へと引き戻す。イッポリートの空想は彼の行動や病気以上に多くのことを我々に告げている。これこそドストエフスキーの強力な劇的装置であり、自殺への空想を対話の中で告白させている。

これまで、小説の中に見出される複数の自殺者を列挙した。以下では一つの小説に絞って議論する。多くの自殺が語られている『悪霊』は、ドストエフスキーの自殺のテーマの扱い方を明瞭に示し、作家の実存思想家としての才能をさらに確実にしている。この小説において、他の著作もそうだが、ドストエフスキーは存在の次元と自己破壊の様式に関連して、ヒューマン・リアリティーの三層構成を明らかにした。人間存在は連続し、重なりあって、全体へと発達する次の3つの位相で維持されると考えられる。(1)持続的環境世界の場にコンタクトする位相(2)社会的関係性に満たされた他者の世界への参加の位相(3)対話と真の相互関係の世界で構築された創造性と理解の位相である。

『悪霊』の「スタブローギンの告白」として知られる章では、マトリョーシャの“無力感の自殺”が提示されている。人間に対する信頼の喪失と自主性の失墜を伴う自殺である。ドストエフスキーは、もっとも近しい人から疎外された少女の犠牲者自殺を描いた。この自殺は基本レベルまたは小児期レベルの転移から動機づけられる。マトリョーシャは母親と憧れた“恋人” ─実際には誘惑者であったが、その二人に裏切られことが受け入れられず、悲しみと怒りに打ちのめされた。彼女は存在の根底における足場を失ったのである。

“絶望の自殺”がスタブローギンという人物において提示された。これは社会性喪失とアイデンティティ拡散を伴う自殺である。ドストエフスキーは、スタブローギンの人間関係の失敗、仕事と愛の疎遠、性的願望と社会的願望の崩壊などを広範に記述した。彼の自殺は不可欠な関係への断絶から動機づけられる。スタブローギンは、くすぶる怒りと限られた選択の中で、最後にはインポテンスと虚無感に陥る。

最後に、“無意味さの自殺”が、キリーロフという人物で提示されている。彼は自分の思想が人々に理解されないことに絶望し、自殺を引き延ばしている。ドストエフスキーは、キリーロフにおける対話の失敗、創造的思考の誤謬、宗教的態度の意図的歪曲などの詳細を列挙しており、このような考え方のすべてがコミュニティを破壊し孤立をもたらした。キリーロフの自殺は、人格の衰退と知的・道徳的コミットメントの曲解から動機づけられる。最も魅力的な人物の一人であるキリーロフは、嫌悪と自己破壊の犠牲になって終わる。

無力感、絶望感、無意味感、という3つの形態の自殺。これらの感受性、行動、思想に関わる自殺は、ドストエフスキーの実存的洞察の好例であり、一つの物語芸術の中に複雑な人間の現実と悲劇の構造を鮮やかに包含している。

ドストエフスキーの自殺学は創作を通して生まれた想像力豊かな経験の集積である。それは自殺に関する多くの理論よりも幅と深さがある。自殺は作家にとって単なる一つのテーマではなく、彼の精神の探求における中心的なアイディアであった。自殺の物語は強い感情で作家を苦しめ、神学的、形而上学的に心を揺るがせたのである。

ドストエフスキーの自殺の語りとその力学は素晴らしい。かすかな病的そぶりから計画的な自己殺人による深刻な死にいたるまで、様々な状況下にある多くの自殺者たちを卓越した共感力で描いた。心労と苦痛から生命を離れて無名の忘却に逃げ込む人々。一方で精神的高揚と誇りに駆られて、反抗と議論を主張する人々。かれらを作家はよく知っていた。倦怠を嘆く人もいるが、自分の意思決定の論理を誇り高く叫ぶ人もいる。ドストエフスキーは自殺の多様な局面、その複雑さとそのコンテキストを観察した。自殺行動を起こしている人たちと家族との力学の理解において、ドストエフスキーは非常に臨床的であり、すべてのレベルにおいて、自殺に内包された不安定な暴力の存在を感じ取っている。

実存的な思想家としてのドストエフスキーの洞察は、自殺とその状況の特性分析において、類型化から抜きん出て著しく前進した。動機のパズルと自殺のパラドックスが彼を惹きつけていた。 ドストエフスキーは自己表現と個性化における空想の世界の意義をいち早く評価した現代思想家の一人であった。

自殺の探究はドストエフスキーにとって単なる知的活動ではなかった。彼は人生で何度か激しく自殺に捉われたが、文学の世界ではこれら個別の範囲を超えて自殺を文学的に取り扱った。さまざまな人物の自殺についてそれぞれの個人的な妥当性を共感をもって描いた。犠牲者自殺の記述では、犠牲者の無名性と挿話、または間接話法を使用している。これは、これらの自殺に言及することがドストエフスキーには個人的にまたは理論的に苦痛だったので、彼自身と読者を自殺思考の説明から遠ざけるために使われた文学的装置かもしれない。

ドストエフスキーの著作は、彼の小説とナラティブ・ジャーナリズムの間の連続的かつ卓越した相互関係における証言である。作家の個人、家族、集団力学についての深い理解、イデオロギーの根源に対する知的探求、彼の人生における真の経験と霊的探求、これらすべての要素を徹底的かつ創造的に統合することで、ドストエフスキーの自殺学が人類全体の業績となる。

References

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訳者による参考

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  早乙女忠 訳 新潮社 1974 Alvarez, A.: The savage god. A study of suicide. (Random House, New York 1972)


2.田中駢拇:ドストエフスキーと自殺 

   ドストエフスキー広場 第16号:28-44 ドストエーフスキイの会 2007


2007年のドストエーフキイの会で報告されたものである。傍聴記(下原敏彦)
冒頭で、アルヴァレズ の「ドストエフスキーが19世紀と20世紀をつなぐ役割を果たすのは自殺によってである」という言葉を紹介している。自殺感の変遷、キリスト教、近代刑法、自殺権、精神医学など、自殺をめぐる歴史的背景を概観した上で、本論「ドストエフスキーの作品に見る自殺者と自殺感」を考察している。取り上げている作品と人物は以下の通り。
『罪と罰』:運河に身投げした少女(未遂)、マルメラードフ、農奴フィリップ、レスリックの娘、ペンキ職人ミコライ(未遂)、スヴィドリガイロフの夢の少女、スヴィドリガイロフ、ソーニャ(未遂)
『白痴』:イッポリート(未遂)、エヴゲーニイの伯父、マトリョーシャ、キリーロフ、旅の若者、ステパン(未遂)、スタブローギン
『カラマーゾフの兄弟』:フョードルの最初の妻(未遂)、スメルジャコフ
『作家の日記』:亡命者ゲルツェンの娘、貧しい裁縫女、「宣告」の語り手、予備中学校の少年、ガルトゥング将軍