Medical Dostoevsky

ドストエーフスキイ全作品を読む会
2011年4月23日読書会 報告要旨 (改訂:2015.1.13)


『分身』は自己像幻視の症例報告では? 

下原 康子


『分身』(1846)は苦手な作品だった。ゴーゴリの『狂人日記』(1834)や『鼻』(1836)を連想させるが、ファンタステック度とユーモアではかなわない。それでいて、私にとってドストエフスキー度を測るバロメーターであるところの、なじみのあるリアルな感覚と偉大なる親しさも伝わってこない。なぜか納得がいかない作品だった。それにしても、ドストエフスキーは『貧しき人々』に続く第二作の『分身』について、たいへんな自信を持っていたようだ。(しかしながら、実際には、はなはだしく不評であった。)
『分身』に関する書簡 (1846年2月1日) 兄ミハイルへ(抜粋)  
今日ゴリャードキンが門出します。つい4日前までは書いていたのですがね。『祖国雑誌』で11台分しめることになります。ゴリャードキンは『貧しき人々』より10倍も上です。仲間の連中は『死せる魂』以来、ロシアにこれだけのものは何ひとつ現れなかった、これは天才的な作品だ、といっています。まだまだ彼らのいうことはこれどころじゃありません! まったくゴリャードキンはこのうえなく成功しました。あなたも気に入るでしょう。何がどうということはわかりませんがね!きっと『死せる魂』以上に気に入るでしょう。
「何がどうということはわかりませんがね!きっと気に入るでしょう」という謎めいた言い方が気になりつつもこれまで再読する気にならなかったこの作品が、あるきっかけでにわかに興味あるものになった。『分身』開眼のきっかけは映画「シックスセンス」である。めずらしく家族そろって見た映画だった。私一人最後までトリックを見抜けなかったのだが、『分身』のトリックが映画と同じであることに突然気づかされたのである。「幽霊が見える」これが決め手となった。同じ頃に見た映画「ビューティフル・マインド」にも主人公(天才数学者ジョン・ナッシュ)が友人の幽霊を見る場面が描かれていた。ドストエフスキーの作品にも幽霊を見る主要人物が少なくない。カッコ内が幽霊。

『罪と罰』のスヴィドリガイロフ(妻マルファ、下男のフィーリカ、ぐしょぬれの少女)
『白痴』のイッポリート(ラゴージン)
『悪霊』のスタブローギン(マトリョーシャ)
『カラマーゾフの兄弟』のイワン(悪魔)

医学的には幽霊は「幻視」と診断される。精神医学の分野において、幻視は統合失調症、てんかん、レビー小体型認知症、アルコール・薬物中毒などの症状として現れることがあるという。「シックスセンス」のコール少年もジョン・ナッシュも精神的な問題を抱えていたとされている。幻視には、人、動物、風景、事物など様々あるが、その中でも自分の姿をみるものを自己像幻視(ドッペルゲンガー)という。てんかんを患っていたドストエフスキーに自己像幻視があったとしても不思議ではないということだ。

以上を踏まえて『分身』を注意深く読み返してみた。新ゴリャートキンの姿が見えるのは、ゴリャートキン自身と読者だけなのである。『分身』はドストエフスキー自身の自己像幻視体験を描いた作品ではないだろうか。疑問を解決すべく文献を探してみた。米国立医学図書館がインターネットで無料公開している世界最大の医学データベースPubMedで、<dostoevsky epilepsy>と入れて検索すると32件(2015.1.13現在)がヒットする。病歴、鑑別診断などの医学的テーマが作家の作品との関連で論じられている。ムイシュキンとキリーロフに「全生涯を投げうってもよい」と言わしめたかの「歓喜の瞬間」を論点にしたものが目につく中で、自己像幻視(double、autoscopy)でヒットした文献は以下の1件のみであった。

文学における様々な分身:身体的自己に関する研究における文学の貢献
Sebastian Dieguez
Doubles everywhere: literary contributions to the study of the bodily self.
Front Neurol Neurosci.2013;31:77-115. doi: 10.1159/000345912. Epub 2013 Mar 5.

もっとも、ドストエフスキーに限定しなければ「自己像幻視の症例」は決して少なくない。「恍惚前兆の症例」よりもはるかに多い。幻視の体験者は少なくないということだ。
古くから、医学者よりもこの特異な現象に注目したのは、古今東西の作家たちであった。自らの体験として作品の中にドッペルゲンガーを描いた作家もあったと言われている。(ホフマン,ポー,ドストエフスキー,芥川竜之介ら)改めて一筋縄ではいかないドストエフスキー作品の深さを思い知らされた。注意深く繰り返し読み続けていきたいと思う。



参 考

1.『分身 ドッペルゲンガー』 
   オットー・ランク 著 有内嘉宏 訳 人文書院 1988 

2.統合失調症の最も古い症例の一つ:ゴーゴリの『狂人日記』

3.古川哲雄:自己幻視 <原典・古典の紹介>(抜粋)
  神経内科53:566-571,2000
自己幻視は古くより知られていたが、1891年Charles Fereにより医学の対象として取り上げられるようになった。人間の精神現象を考える上では極めて興味ある特異な幻視であるが、未だ文学のテーマではあっても医学が取り扱いかねている現象の一つである。文学作品中に見られる自己幻視の代表格はドストエフスキーの『分身』であろう。この作品は、主人公のゴリャートキンが自己幻覚につきまとわれるものであり、自己幻覚そのものが主題になっている。 (中略)この作品は発表された時は評論家ベリンスキーも失敗作であると断定したほど評判は悪く、現在でもそう読まれる作品ではない。この現象を経験したことのない人にとっては幻想的な駄作としか考えられないであろうが、経験した人にとっては興味深いものであろう。ドストエフスキーがこれを自信をもって発表したのは彼自身この体験があったからではなかろうか?そうでなければこれほどの記載は不可能であろう。ついでながら、彼の記載はクローン人間を考える上で参考になる。筆者自身は幸か不幸かこの体験はなく、医学的な興味で読んでいるのである。 自己幻視は全身のこともあり、身体の一部、とくに顔面のこともある。その意味でゴーゴリの『鼻』も自己幻視を扱った文学の一つに入れるべきではなかろうか?

古川先生は神経内科医で『天才の病態生理 片頭痛・てんかん・天才』(医学評論社 2008)の中でドストエフスキーのてんかんについて書かれています。



4.レンブラント「アトリエの画家」
1628年頃、油彩・板、248 x 317 mm ボストン美術館

レンブラントの絵の多くは肖像画である。その中でも生涯にわたり50〜60に及ぶ自画像を描いた。「アトリエの画家」もその一つで、初期に描かれた小品である。それにしても、なぜお金にもならない自画像を繰り返し描いたのだろうか?その秘密は明らかにされていないのだが、この絵は私にとって『分身』を連想する印象深いものだ。







おまけ:てんかん発作と地震のアナロジー
分身のテーマからはずれますが、東日本大震災の翌月のレポートであったために思いついたアイディアです。

        てんかん発作と地震のアナロジー

てんかん発作

地 震

場 所

脳内

地球

エネルギー

脳内電気

@地球が形成される際の衝突エネルギーによって蓄えられた熱
A地球の中心部分(コア)にある放射性元素の崩壊によるもの

B太陽エネルギー

予 知

×(△?)

成 因

メカニズム

大脳ニューロンの過剰な放電

地下の断層のずれ

発 生

突然 

突然

頻 度

反復性

反復性

防 止

×

×

防 御

投薬 外科手術

防災対策

分 類

全般発作 部分発作

プレート間 プレート内 火山性 など

予 兆

前兆症状

前震(大きな地震でも1割程度)

事 後

後遺症

津波 余震

深刻度

難治度

震度 マグニチュード

モニタリング

脳波 CT,MRI,PET など 

震度計 モニタリングシステム