Medical Dostoevsky&My Dostoevsky


アンナ夫人が日記に残したてんかん関連とvs.スースロワの記録
期間:1867年4月〜12月 滞在地:ドレスデン、バーデン・バーデン、ジュネーヴ

抜粋編集:下原康子 本書書評
抜粋典拠:『 ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』(アンナ・ドストエーフスカヤ 著  木下豊房 訳河出書房新社 1979
     
Fyodor Dostoevsky  Anna Dostoevskaya  Polina Suslova 

 『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』について
アンナ・ドストエーフスカヤはドストエフスキーの二度目の妻で、彼女が速記者として雇われた仕事が終わった直後に求婚された話は有名である。その時ドストエフスキーは45歳、アンナは20歳だった。二人の結婚は1867年2月。その年の4月、二人は外国旅行に発った。はじめ2,3か月の予定だったが、結局4年の長きにわたった外国生活の最初の年に書かれたのがこの日記であるポリーナ・スースロワはアンナと結婚する前、ドストエフスキーの恋人だった女性で、日記当時、27歳くらいだった。
なぜ抜粋を行ったか。
抜粋は、発作、発作後、予感、心配、うわさ(発作関連)と隠し事(スースロワ関連、ノートの盗み見)に分類して抜粋した。抜粋を行った理由は次の3点である。
@ ドストエフスキーの発作(8か月間で12回)が具体的に詳細に記録されており、ドストエフスキーのてんかん研究に大きく寄与する得がたい貴重な記録であること。A 20歳の妻アンナの驚くべきケアの能力とそれを支えていたドストエフスキーへの深い愛情に感銘を受けたこと。B スースロワをめぐる不安と葛藤(抜粋:隠し事)に共感し、このエピソードをたいへん興味深く思ったこと。

本書頁 日記日付
(ロシア暦)
滞在地
 
内容  日記本文抜粋 
6 4月15日
ヴィリナ
発作@ ドレスデン途上のヴィリナで。夜中の2時15分前にフェージャはとても強い発作を起こした。それは15分間続いた。
22 4月25日
ドレスデン
発作の
予感
彼は今夜発作がおこりそうだと言っていたが、ありがたいことに無事だった!
24 4月25日
ドレスデン
隠し事
スースロワ 
私は貸本屋のアドレスを調べ終えてフェージャの机の中にみつけておいた手紙を読むために家に帰った(もちろん、夫の手紙を盗み読むのはいけないこと。でも読まずにはいられないのだからしかたがない!)。それはSからの手紙だった。手紙を読み終えた私はすっかり気持が動転してしまい、どうしていいかわからなかった。身体が冷たくなって、ふるえ、ぽろぽろ涙さえもこぼしていた。昔のよりがもどり、私に対する愛情が薄れていくのではないか、と心配した。そんなみじめなことはいや!私はとても悲しかった。・・・・・フェージャが帰ってきた。彼は私を見てひどく驚いた。おなかが痛いのだと、私はいった。(なぜかわからないけど、彼がいま帰ってくるという予感が私にはあった)。彼は私をベッドに寝かせようとし、大変心配して、その原因をいろいろとたづねた(彼はまだ私を愛している。私に何かことが起こると、彼はいつもとても心配してくれる)。
43-46 5月4日
ドレスデン 
隠し事
スースロワ
 
[後3時ごろ、夫はルーレットをするために、単身ホンブルグに向かう。]
私はフェージャを送ってからパン屋に寄り、中央郵便局に来ていた。なぜかわからないけど、あの女からの手紙がきているのではないかしらという予感がしていた。フェージャが留守の間にその通りになって、その手紙を読めるのがとても痛快だった。筆跡を見てぴんときたけれど、さりげない表情で家に向かった。でもそのあと落ち着かなくなった。急いで家に帰り、心穏やかならぬ状態でナイフを取り出し、注意深く手紙を開封した。それは愚かしい粗野な手紙で、あの婦人の知性の片鱗もうかがわせるものはなかった。彼女はフェージャの結婚をひどくくやしがっていて、手紙の調子に彼女のいまいましい思いがにじみ出ているように私は思った。(私の推測はぴったりと当たっていて、手紙はドレスデンから出されていた)。・・・私は鏡の前に行って中をのぞいてみたが、興奮のあまりに顔中がまだらになっていた。そのあと、私はスーツケースを引っぱり出して、彼宛ての手紙を調べた。そのうちの多くはすでに以前読んだものばかりだった。いくらかでも気持を鎮めるために散歩に出てビーズやなにかを買った。
 
81  5月15日
ドレスデン
 
隠し事
スースロワ
 
[夫が午後6時、ルーレットですって、ホンブンルグからドレスデンに帰ってくる。]
フェージャは運がついていなかったいきさつを話してきかせた。私もとても残念に思ったけれど、でも、無事に彼が帰ってきてくれたので、すごく幸せだった。・・・・・お茶を飲みながら、自分宛ての手紙がきていないかと彼がたずねたので、私は彼女からの手紙を渡してやった。彼は誰からの手紙かをほんとうに知らなかったのか、それとも知らないふりをしていたのか、封を切るやいなや署名を見て、読みはじめた。彼が手紙を読む間中、ずっと彼の表情に注目していた。彼はそこに書いてあることが解せないといったふうに、第一枚目を長いこと読み返し、それからようやく読み終えると、顔を赤くした。彼の手は震えているようだった。私は素知らぬふりをし、ソーネチカ(夫の姪)は何をいってきているの、と彼にたずねた。ソーネチカからの手紙ではない、と彼は答え、苦々しそうな微笑みを浮かべた。こんな彼の微笑を私が見たのははじめてだった。これは軽蔑の微笑なのか、それとも憐憫の微笑なのか、わからないけれども、なんだか悲しげな途方にくれたような微笑だった。そのあと彼はひどくぼんやりしてしまい、私の話すこともろくに理解しないようだった。
 
106 5月29日
ドレスデン
発作の
予感
射的をした。いばらくいてビールを飲み、家に帰った。フェージャは今日、とても気分がすぐれず、発作を恐れている。晩遅く、彼は頭に強いショックを感じた。それでお休みを言いに来た時、発作が心配だといっていた。
106-108 5月3日
ドレスデン
発作A 今朝、4時45分か3時45分か、はっきりしなかったけれども、私はフェージャに起こされた。──発作がはじまったのだ。発作は見たところ、あまり強いものではなかったけれど、3分間続いた。可哀そうなフェージャ、彼が気の毒でならない。私は彼の様子を、涙なしには見ておれない。ひどい苦しみよう!フェージャは正気に返ったが、もし私が黙っていたら、自分に発作が起きたことも、彼は気づかなかったろう。そのあと、彼は寝入ったけれども、数回目をさました。発作のあとはいつものことだけれど、今日の彼はとてもご機嫌がわるい。でも今日はとくに気がふさいでおり、すごくあきっぽい。頭痛、それもとてもひどい頭痛を訴えている。これは発作のあとでもめったになかったこと。概して、今日の彼はとても気分がうっとおしく、なにかにつけて癇癪玉を破裂させている。・・・フェージャはなぜか、マダム・ツィムマーマン(貸間の家主)に自分が病気だってことを、私の口から知らせたくてたまらなかった。私はそれには気がすすまなかった。誰に対してでもあれ、彼の病気のことを口にするのはとてもいや。彼に力をかしてくれるわけではないし、同情を聞かされるのはつらい。そのあと、フェージャは長いこと横になっていたが、また発作が起こるのではないかと、ずっと心配していた。でも私は彼を慰め、発作の心配はないわよ、といってきかせた。(私はビーズでいろんな模様を編んで、その晩を過ごした。)12時に私はベッドに入ったが、寝つけなかった。フェージャはどこかへ立っていき、咳をしはじめた。発作が起きたのではないかと思って、私はすぐにドアの外に飛び出し、フェージャが部屋にもどってくるまで、そこに立っていた。
121-122 6月5日
ドレスデン
発作B Grand Jardinに出かけて、モーツアルトのアンダンテ・カンタービレを聞く。フェージャは完全に陶酔していた。私たちはそこでコーヒーとビールを飲んだ。そのあと、フェージャは射的に出かけたが今日はまったく当たらなかった。・・・その晩はずっと『レ・ミゼラブル』を読んですごした。11時半──私がベッドに入るいつもの時間──を打つと、明日読み終えればいいのだからと、といって、フェージャは私を寝室に追いやった。私はフェージャにお休みを言い、寝室に行って、そこでも一章を読み終えた。私が寝入って30分たつかたたない夜中3時50分ごろ、フェージャに発作が起きた。私はすぐにとび起きた。それで、あとで彼が話したことだけれども、発作が始まった時に、私が駆け寄ってくるのが、彼にはわかっていたそうな。こんどの発作には、私もとてもびっくりした。私はひざまずいて手をもみ絞り、ああ、不幸な人、不幸な人!と繰り返してばかりいた。実際に彼の苦しみようはすざまじかった。でも幸いに、発作は長くは続かなかった。それから彼は意識を取り戻したけれど、自分に何があったのかわからないらしかった。それで、半時間ほどたってから、発作だったのよ、と私は彼にいった。彼は私に対して驚くほどやさしくなり、おまえは気だての良い女だ、とかおれはおまえを愛している、とかいい、ベッドへ行って休んでくれ、としきりに頼んだ。可哀そうな私のフェージャ、こうした発作に彼がみまわれる時、私は彼が気の毒でならない!ああ、彼が完治できるものなら、私はすべてを投げ出しても惜しくない。
122 6月6日
ドレスデン
発作後 発作のあと眠って、12時ごろ起きた時のフェージャはひどくぐったりとしていて、いつもとはまるでちがった印象を与えた。彼は発作のあとには、ひどく気持ちが沈み、気むづかしくて、まるで誰かの葬式に参列しているかのようである。彼はひどくつかれていた。朝のうちは私に対してとても打ち解けた態度をとっていたが、時がたつとともに、ひどくふさぎこむようになった。今日私は美術館に行くつもりだったのだけど、彼がとてもふさぎこんでいるのを見て家にいることにした。
143-144 6月14日
ドレスデン
発作C
発作後
シストの
聖母
フェージャに発作の心配はない、と私が安心しきっていた朝5時10分に、彼は不意に叫び声を発した。私は飛びおきて、彼のもとへ行った。叫び声は間もなくやんだけれど、けいれんがすごくて、片手全体が鉤のように強く屈曲し、両足も同様だった。そのあと、彼はこれまでなかったことだが、しゃがれたような声を出しはじめた。それから目を開いて、一度、数分間まるで発作が始まる時のような目つきになった。それで、私は、発作がくり返されないように、ひたすら神に祈った。再発したとしたら、私はどうしたらよいのか、まったく困り果てたに違いない。医者を呼んだものか、医者にはどう説明したらよいのか、それに適当な医者が当地にいるのかどうか。だいたい彼に発作が起きると、いつも私はたまらなくみじめになり、涙にくれ、祈り、暗たんとした思いに襲われる。幸いに発作は過ぎ去り、フェージャは正気にもどって寝入り、朝まで目を覚まさなかった。朝8時に、彼はもう12時だと思って私を起こした。私は起きたけれど、マダム・ツィムマーマンからまだ8時だと聞いて、[時計は質に入っていたのかもしれない]彼に伝えると、彼はふたたび眠った。・・・私は寝不足で頭痛がしたが、気晴らしのため市場に行き、櫛とドレスデンをかたどった星章を買った。何か残るものを買ったほうがいいと思ったから。──フェージャはひどく神経が高ぶりぐったりして起きてきた。気分がひどく沈んでいた。美術館に行ったが、フェージャは例によって、今日は何一つ気に入らなかった。前にはすばらしいと言っていたものも、今日は見る気もしない様子だった。これは彼にはよくあることで、発作のあとでは印象がまるで変ってしまうのだった。フェージャは聖シストの聖母をまだよく見たことがなかった。というのは遠くにあるので見にくかったし、彼はロルネットも持っていなかったからである。それで今日、フェージャは聖母をよく観るために、この絵の前の椅子の上に立つことを思いついた。もちろん、ほかの時ならば、フェージャはこんな突拍子もない無作法はやる気にならなかっただろうけれど、今日はそれをやってのけたのだ。私が止めても無駄だった。フェージャのところに係員がやってきて、そんなことは禁止されています、と注意した。係員が部屋から姿を消してしまうと、フェージャは、外に連れ出されてもかまわないから、もう一度、椅子に登って聖母を見るのだ、と言い張り、もしおまえがいやな思いをするのなら、他の部屋へ行っててくれ、といった。私は彼をいらだたせなくなかったので、そのようにした。数分たって、フェージャは聖母を見たよ、といって、やってきた。・・・・・フェージャは発作をまた心配している。ああ、なんということだろう!当地でも発作が続くのだろうか。私はこれがたまらなく悲しい。どうしたらいいかわからない。彼の健康が急速にわるくなっていくのをどう考えたらいいのだろうか。どうか私のために、彼が長いこと元気でいてくれますように!
148 6月16日
ドレスデン
発作?
幻覚?
フェージャは領事館の若い役人の見下したような態度に腹を立てた。もちろん平生だったら、フェージャも自分をおさえたたかもしれないけど、発作のあとの彼はいつもとてもいらだちやすいので、役人の調子に我慢できなかったのである。その晩はずっと、フェージャはさきほどのことをたえず思い出しては、たけり狂い、これには私も恐れをなしてしまった。そのあとで、彼は私にこう話した。領事館の事務室にいた時、突然、ミーシャ兄さんの姿が見えた──ドアのかげから、不意に頭と肩が現れた。もしかしたら、自分は気が狂いはじめているのではないだろうか、と。私の大切ないとしいフェージャ、私には彼が哀れでならない。彼のいらだちを見ていると、私自身の神経もおかしくなってきて、ものすごく悲しくなり、あらぬことを想像してしまう。例えば、彼が靴をはきはじめた時、私はすごくびっくりしてしまった──彼がどこかへ出かけようとしているように思えたからである。私は彼のそばへ行って、激しく泣きながら、涙ながらにこういった。もし私がいるのに耐えられないなら、私が出て行ったほうがましよ。一日中外出しているから、あなたは心配しないでいてちょうだい。彼はとても驚いた。私も自分がどうなることかわからなかったけど、ひどく取り乱していた。私は何もかもが悲しくて、すごく気が滅入って、いつでも涙があふれださんばかりだった──きっと私はひどく神経を狂わしていたのだろう。でも私は自分をおさえるように努めている。・・・・・今夜おやすみ前の夫婦の語らいで、フェージャはまたもや私のことを愛らしい素敵な女だ、誰よりも最高におまえを愛しており、熱烈に愛することのできる人間を、自分はようやくみつけることができた、といった。
151 6月17日
ドレスデン
心配 今朝は郵便局に行って封筒を2枚買うために早く起きた。ベルリンに住む、てんかん治療医に問い合わせの手紙を出そうと思ったのである。[火事発生]しばらく火事を見てから私は家に帰り、医者に手紙を書いて、返信の封筒を同封し、できるだけ早く返事をお願いします、と書いた。このあとフェージャ起きてきた。今日の彼はとてもひょうきんで午前中は私のおなかのことで冗談いってばかりいた。私はすごく嬉しくて楽しい気分で過ごした。
154 6月19日
ドレスデン
心配 今日は私宛てに例の医者から返信がきていた。フェージャは私のところにやってきて、誰からの手紙か、とたずねた。いえない、と私はいった。私がてんかんの件で医者に問い合わせを出していることを知ったら、フェージャが腹をたてるであろうことはわかっていた。彼はどんな薬も信用せず、治療するどころか害になると思いこんでいる。彼を怒らせないためにベルリンにいる知り合いの女性云々という話をでっちあげた。[以後、この手紙についての言及はない]
169-333 6月23日−
8月11日
バーデン・バーデン
賭博 [ほぼ3週間連日ルーレットに耽溺する。ドストエフスキーのルーレット賭博関連の記録 
8月11日バーデン・バーデンを去ってジュネーヴに向かう。] この呪わしい町を、ようやくあとにできることで、私はとてもうれしかった。この町には私は二度と来たくないし、自分の子どもたちにも行かせない。
258-261 7月22日
バーデン・バーデン
発作D これは自分でも気がついているのだけれど、私たちの手もとにいくらかでもお金があって、気持ちが落ち着いている時には、私はたちまち陽気でおしゃべりになり、何でも気が向く方に考えが行って、裁縫したり、読書したり、書き物したり、なんでも好きなことをやってみる気になるのだった。ところが、質草が今にも流れそうだとおもわざるをえなくなると、それ以外のことは考えられなくなって、すごく頭を悩ますのだった。・・・・・フェージャは私がジャケツの襟を縫い直している間にルーレットに行った。[彼はその都度アンナにたのんで出してもらったお金で6回勝負したが、結局負けた。]ああ、私たちは沈み込んでしまったこの呪いの淵からいつ抜け出せるのだろう。抜け出せないと思う。食後フェージャはコーヒーを一杯のみ、5時半に起こしてくれ、といって、5時に横になった。私もベッドに横になって、うつらうつらしはじめた。朝5時25分にフェージャは起き上がって、私のベッドのそばにきて、キスした。どうしたの、フェージャ?と私はいった。彼はその時はもうそばを離れていたけど、それから私の方に向き直った。すると突然に彼の発作が始まった。どんなに私は驚いたことか。彼のベッドに連れて行こうとしたけれど、間に合わなくて壁と私のベッドの間で、私のベッドによりかからせた。けいれんが続く間ずっと、彼はもたれかかったまま、足をのばしていた。そのために、今も右足が痛むと言っている。というのは右足を壁に突っぱらせていたからである。そのあと、けいれんが終わると、彼は身体を反転しはじめた。私がどんなに押さえつけようとしても、止めさせるだけの力はなかった。そこで床に枕を二つ置いて、彼を床のじゅうたんの上に、静かにおろした。それで、彼は足をひろげて、うまく横たわった。それから私は彼のチョッキとズボンのボタンをはずしてやった。これで彼はいくらか呼吸が楽になった。今日、彼の唇がすっかり青くなり、顔がいつになく赤いのに、はじめて私は気づいた。なんとみじめだったことか!彼は今回は、かなり長いこと意識がもどらなかった。意識がもどりはじめた時、私としては痛ましく、また気の毒だったのだけど、彼が私に対していった最初の言葉がドイツ語だったのには笑わされた。Was?Was doch? Lassen Sie mir(どうしたんだ?いったいどうしたんだ?ぼくをほっといてくれ)そのほかいろんなドイツ語のフレーズを彼はいろいろつぶやき、それから私をアーニャと呼んで、許しを乞うたが、私にはさっぱり意味がわからなかった。そのあと、賭けに行くからお金をくれ、とたのんだ。賭博者というのは、まことにいい気なもの──想像するに、彼は夢うつつで賭博をしていたのだろう。でも、まさしくそこでこそ彼は勝っていたに違いない。・・・・・フェージャは意識をとりもどすと、じゅうたんから立ち上がり、ボタンをかけたり、帽子をくれ、といったりして、部屋中をうろうろしはじめた。どこかに出かける気でいるのだ、と私は思い、どこへいくの?とたずねた。“Comme ca”(この通り)と答えた。私にはさっぱりぴんとこず、コルバスヌユ(ソーゼージ店)に行くと聞こえたので、彼にもう一度くりかえさせた。そのあと、彼を寝かせようとしたけれど、彼はいやがって、どうしておまえは自分を寝かせようとするのか、何だって自分を苦しめるのか、といって怒鳴り始めた。ついに彼は横になったが、寝たのは切れ切れで、10分おきに目をさまし、45分ともたなかった。7時に私たちは外出した。歩きながら、フェージャは急に私の手にキスしたい、といいだし、させてくれなければ、自分の妻とは思わないといった。もちろん、私は思いとどまらせた──路上の人々の目の前ではとても滑稽だから。・・・・・突然、フェージャは思いついたように、おまえは子どもだなあ、と言い出し、おまえの顔はまるで子どもで、なんだかあどけない顔だ、といった。
265
7月23日
バーデン・バーデン
発作後 おおむね、発作後の3日間は私にとって、もっとも重くるしい日。可哀そうなフェージャ自身が自分のふさぎの虫から逃れようとしているけど、それができないでいることは、私にもよくわかる。こういう時、彼はすごく気まぐれで怒りっぽくなる。例えば、散歩の途中で、私がしょっちゅうベンチにすわりたがる、といって腹を立て、おまえが一人で歩く時は疲れないくせに、自分と一緒だとすぐに疲れがでてくる、というのだった。それから私がどうして彼と同じ歩調で歩かないのか、といって怒鳴り、なぜびくびくするのか、と言って怒鳴り、要するに、健康な状態なら決して叱らないことで、何かにつけてがみがみいうのだった。
294 8月1日
バーデン・バーデン
発作E 今日、私たちはどのようにしてお金を工面するかに頭を悩ましながら起きた。[妻の弟I.G.スニートキンから送ってきた100ルーブリを受け取ると夫はまたすぐにルーレット] 夜3時15分、フェージャは寝入りかけたが、10分ばかりして、急に発作がはじまった。おなかのソーネチカなりミーシャは神様がお守りくださっている。神様は私がびっくりして流産するのをお望みではない。だから発作が起きるのは、昼間か、あるいは夜中に起きる場合にも、私が眠っていない時である。フェージャがお休みをいいにきたあとでは、私はいつもはすぐに寝入ってしまうだけに、どう考えても不思議だ。私はすぐにベッドからとび起きたが、ろうそくがなかった。隣の部屋に駆け込んで灯をともした。フェージャはベッドすれすれに頭がきており、もうちょっとで床にずり落ちそうだった。あとで彼が語ったところによると、発作のはじまりは記憶している。彼はその時はまだ寝ついてはいず、起き上がろうとした。それで、ベッドすれすれで倒れたのだと思われる。私は汗と泡をぬぐいはじめた。発作はさほど長くは続かず、それほど強くないようだった。白目をむくことはなかったが、けいれんはひどかった。そのあと、彼は意識をとりもどしはじめ、私の手に口づけし、私を抱いた。それからすっかり意識がもどったけれど、なぜ私が彼のそばにきたのか、いっこうに得心がいかなかった。それから彼は「きのうぼくは発作を起こしたのか」とたずねた。いまよ、と私は答えた。彼は夢中で私に口づけし、おまえを気が狂うほど愛しているし、おまえを崇拝する、といった。発作が過ぎると、彼は死の恐怖に襲われた(死の恐怖は発作後のいつものことであった。夫は私がそばにいれば死からまぬがれると思われるのか、自分から離れないでくれ、一人にしないでくれ、としきりにたのむのだった──夫人注)。もうすぐ死にそうな気がする、と彼は言いはじめ、ぼくから目を離さないでくれ、と頼んだ。私は彼を落ち着かせるため、あなたのベッドのそばのソファー・ベッドで寝ることにする、すぐそばだし、あなたに何かあったら、すぐに聞きつけて起きるわ、といった。彼はそれにとても満足し、私はただちに別のベッドに移った。彼はなおも恐れ、祈って、今自分が死に、おまえと別れることになるのがどんなにつらいか、ソーネチカかミーシャを見られないのはどんなにつらいかを語り、ソーネチカを大切にしてくれ、朝、目がさめたら、ぼくが生きているかどうか、ぜひ見てくれと頼んだ。私は彼に、お休みなさい、あなたが眠るまで私は起きているから、夜中の心配もいらないわよ、といってきかせた。もう5時だった。私は長いこと眠れなかったけれど、ようやく寝入った。・・・・・フェージャは8時に起きて巻きたばこを吸った。彼は鏡をのぞいてみて、自分の顔に赤い大きな斑点が二つ浮き出ているに気づいた。彼はすごく頭が痛い、といった。私は完全には眠気をさましたくなくて、もう一度眠り、そのまま11時まで私たちは寝ていた。
315 8月8日
バーデン・バーデン
アンナも
賭け
今日はぜひルーレットに行こうと考えて起きた。私はもうだいぶ前からそう考えていたのだけれども、どういうわけかやってみる機会がなかった──いつもフェージャが邪魔していた。でも今日は決心を固めて行くことにした。[何度かやって勝っていた時、フェージャが現れた。それで賭けは無駄になり私は1ターレルだけすった。彼は私のような若い女が、なぜ一人できたかといって叱った。妊娠中で気持ちが高ぶる時期だからトラブルを心配しているのだ、といった]。
345 8月12日
バーゼル
ホルバインのキリスト [ジュネーヴ途上、バーゼルの博物館でハンス・ホルバインのキリストの死後の絵を見て魅了される]。
351 8月25日
ジュネーヴ

発作の
予感
今日彼はなんだかすごく退屈し、気持がふさいでいて、思考も定まらず、また発作を起こしはしないか心配だ、といった。精神病院行きは避けられないだろう、と今日彼は言い、そんなみじめなことになっても、自分を外国に置き去りにしないでロシアへ連れて帰ってくれ、と頼んだ。私はできるだけ彼を慰めた。でもそんな不幸はあまりにつらいことだし、神様のご加護でそんなことにはなるまい、と私は信じている。
359 8月29日
ジュネーヴ
発作F 今日、朝5時10分にフェージャは発作を起こした。こんどはとても強く、これまでの発作よりもひどいように思われた。というのは顔のけいれんがこれまでよりもはるかにひどく、頭がぐらぐらして、そのあとも長いこと意識がもどらなかった。もどったあとでも、眠ったかと思うと、5分おきぐらいに目をさました。これはちょうど一週間目の発作で、あまりに間が近い。[一週間前の日付の日記はない]ここの天候がよくないのではないか、という気する。天候はいまでは一変してしまって、今日は朝早くから雨だった。可哀そうに、フェージャは発作のあと、いつもひどく青ざめ、気分がすぐれない。でも一つだけ気がつくのは、私と結婚する前、それに結婚して間もないころ、自宅で以前発作を起こしていた時のようには、発作後気むづかしくなく、またいらだちも少ないということである。今日、彼は仕事をする気でいたのだけれど、わずかしか執筆できなかった。これでまた4日も仕事がふいになった。というのは、このごろは発作のあとの意識障害がひどくて、4,5日間は正常にもどれないのである。かわいそうなフェージャ、ほんとうに私は彼が哀れでならない。彼に発作が起こらないようにできるのならば、私は何を犠牲にしてもかまわない。ただ、発作さえなくなれば。
360ー365  8月30日
ジュネーヴ
 
隠し事
いさかい

スースロワ
今日、8月30日は私の誕生日。昨年の今日、一年後にはもう結婚6か月半で、おなかに子どもを宿し、いまジュネーヴで暮らしているなんて考えただろうか。・・・・・今日一日は平穏に終わるかと思われたが、突然、夕方、私たちは喧嘩した。そのいきさつはこうだった。私たちはしばしの散歩に出かけて、郵便局に立ち寄ってみる気になった。私は身分証明書を持ってこなかったことを思い出し、フェージャにそういった。すると彼は自分のポケットを探って、鉛筆で何ごとか書いてある小さな紙切れを取り出した。私はそれに何が書いてあるのか知りたくなって、そのメモをつかんだ。フェージャは突然にわめきだし、歯をくいしばって、私の手をすごく痛いくらいにつかんだ。私はそのメモを手放したくなかった。それで、私たちは引っぱりあって、半分に引き裂いてしまった。私は自分の手に残った半分を地面に投げ捨てた。フェージャも自分の分を同じように投げ捨てた。フェージャはなぜメモをもぎとったかといって私に怒鳴り出し、そのことが私をなおいっそう怒らせた。私は彼のことを、馬鹿よ、といい、くるりと踵を返して家のほうに歩きだした。私がそうしたのも、あとで紙片を拾って、その内容を知りたかったからである。私って大変なろくでなし!いらだちと猜疑心がわきおこり、あれはごく最近の書きつけ、それも要するに、フェージャに金輪際つきあってもらいたくないある婦人の書きつけだと、私には思えたのだった。フェージャの姿が見えなった時、私は紙を投げすてた元の場所に駆けつけて、3,4片を拾い、家で読むつもりで駆け出した。どんなに興奮して帰宅したか、言葉につくしがたい。あの婦人がこのジュネーヴにきていて、フェージャは彼女に会い、彼女は私の目を避けていて、彼らは私に黙って密会している、と私には思えた。フェージャが私を裏切らないなんて、はたして信じられようか?私がそう信じられる保証がどこにあるか?彼はあの婦人を裏切ったのだから、私を裏切らないはずがないではないか?ところが、私にはそれこそ断じて許せないことである。私はそれをかならずつかまなければならない。私はだまされたくない。彼らは私が何も知らないと思って、私のことをあざ笑っているかもしれない。いや、そんなふうにはさせない。私は自分が嘲笑されて黙っているほど誇りを失ってはいない。しかも私には値しないような婦人の嘲笑に対して。だからこそ私は彼らを常に監視し、決して彼らの言葉を過度に信用しないことをみずから誓ったのである。それはひどくよくないことであっても、やきもちをやくほど、フェージャを愛しているいる以上、どうにもできない。神様、ほんとうは不信を持ってはいけない夫をひそかに探るなんて、おそらく卑劣としかいえない私の行為をおゆるしください。でも、問題は、フェージャ自身、私をあまり信用する気がなく、たとえば、ドレスデンでの周知の手紙(5月15日)についても私にはひとこともいわず、概してこの件では完全な沈黙を保っていることにある。それで私が平静でいられようか。いいえ、たとえ正当ではないとしてもあざむかれないためには、これから先も目を離すわけにはいかない。私はひたすら駆け足で急ぎながら泣いた。私はフェージャよりも先に家に着いた。書きつけを注意深く並べにとりかかり、なんとかつなぎ合わせて<リーヴ通り、ブランシャール氏方階下>という字を読み取った。書きつけはあの婦人の書いたもの、完全に彼女の筆跡のように思われた。・・・・・フェージャは喫茶店へ新聞を読みに行ったのではなく、彼女のもとへ行ったのではないか、彼女が彼に自分のアドレスを書いてよこしたのを、彼はいつもの癖でうっかりして取り出し、あやうく秘密を私にもらしそうになったのではないか、と思われた。とくにショックだったのはあの書きつけを見せても平気だったら、あんなふうにもぎとるはずがない、ということだった。つまり書きつけを見せたくないということは、つまり見られては困るということである。これがショックで、私は泣き出した。こんなにひどく泣くのはめったにないことで、私は自分の両手を噛み、首を縮めて泣き、途方にくれた。気が狂ってしまうのではないかと思われた。私がこんなに愛している人、あの人に突然裏切られたと思うのはとてもつらいことだった。私はかならず明日にはアドレスを訪ねて行って、誰がそこに住んでいるのか確かめようと決心した。もし、そこにいるのが例の婦人だったら、そのことをフェージャにいってやろう。そうなると私は彼のもとから去らなければならないことになるかもしれない。でも明日まではまだ相当の時間があって、私はものすごく思い悩まされた。私の涙にくれようはひと通りではなく、苦しみはもちこたえられないほどだった。きっと私をきらっているにちがいないあの卑怯な婦人のことで頭がいっぱいだった。彼女は私にいやな思いをさせようという魂胆だけからでも、私に苦い思いをさせることを承知で、わざと彼になびきかねない。そしていま、実際にそういうことになって、二人して、かってマリヤ・ドミートリエヴナ(夫の最初の妻)をあざむいたように、私をあざむけると思っているに違いない。フェージャが帰ってきて、私が泣いているのを見て、ひどく驚き、まずその理由をたずねた。でも私はあまりに悲しくて、彼には乱暴に答えを返し、気にしてもらいたくないといって、泣き続けた。私は気持をしずめることができなかった。そのくらい私は苦しい思いをしていた。フェージャは悪態をつきはじめて、彼の書きつけをわざととろうとして私が彼にとびついた時、まったく唖然とした、ともらし、あれは質屋にもらった書きつけ、すなわち、別の質屋の住所だ云々といった。とにかく彼は私に対してかんかんに怒っていた。これに私はいちだんと腹をたてた。なぜなら、人間は腹をたてたり機嫌をそこねている時ぐらい、ぐわいの悪いときはないのに、いきなりその人間に対して毒舌をはいたり、嘲笑したりするのだから。私はワーニャに手紙を書きはじめた。大急ぎで手紙を出して、例の婦人が向こうにいるかどうか、すでに向こうを発っていないかどうか、確かなところをワーニャにつかんでもらいたかったのである。そのあと、私が寝ついてからも、フェージャはお休みをいいにこなかった。これは彼の出方としてはとうてい感心できないことである。私が普通の身体ではないことを知っているくせに、寛容な態度を取れないのだろうか。ほんとうなら、私に対して、もっとずっと思いやりがあってよさそうなもの。そのあと、一日あけて仲直りした時、私たちが喧嘩したのは平和会議(ジュネーヴ第一回自由平和連盟国際会議)へ行ってきたからだよ、とフェージャはいった。確かに、いったいにあの平和会議では喧嘩のほうがはるかに多くて、どの弁士も平和ではなく戦争をとなえていた。夜中、私はよく眠れず、目がさめてしまって、あれこれと考えた。明日はなんとかどうにか決着がつくだろう。私にとって明日は不幸が待っているのだろうか。彼女は本当に当地にいるのだろうか。私のすべての幸福は崩れてしまったのだろうか?もし、そんなことになったら、ああ、私は死んでしまうにちがいない。
365-367 8月31日
ジュネーヴ
隠し事
スースロワ
今朝、まず郵便局へ出かけ、それからリーヴ通りに捜しにでかけた。それは私たちがいつも食事に行っている場所だった。私は女店員にたずねた。彼女は通りの角にブランシャールという女裁縫師の住んでいる家がある、と教えてくれた。私は出かけて、ほんとうに女裁縫師とその夫を確認した。 部屋までは入れないので玄関口へ入った。なぜなら、その婦人は見るからに押し出しがすごそうだったし、したがって、彼らがなかにいる可能性が大いにあった。そうなると、フェージャにばったり出会って、あとでとてもぐあいのわるいことになりかねなかった。門番の婦人の住居を探し当てたがドアは閉まってはいなかったけれど、彼女は留守だった。店でたずねると、彼女に会えるのは夕方でなければ無理だろう、という話だった。くやしくてならなかったけれど、帰宅せざるをえなかった。相手をつきとめぬままに、ひとまず私はフェージャと仲直りすることにした。というのも今日はひどくもの悲しかったから。彼が食事に出かける身支度をしている時に、私は彼に近寄って、声をたてて笑いだした。すると彼はどんなにがまんしようとし、生真面目で冷たい表情をつくろうとしても、微笑はいやおうなしに彼の顔にほころび出て、彼も大声をあげて笑った。私は彼の膝にすわって、私に腹をたてないで、と彼にいいはじめた。そこで私たちは完全に仲直りして食事に出かけた。食後、彼は新聞を読みには行かず、帰宅して横になった。私は彼が眠っている間を利用して、もう一度あそこへ行ってみた。でも今度も彼女は不在で、うまくいかなかった。・・・・・夕方、私たちは散歩してオガリョフに会った。・・・・・帰宅して、おたがいにかなり親密に話し合った。とはいえ、私の心はおだやかではなかった。彼にあざむかれながら、正体をつかめないような気がしてならなかった。それにしても、私にとってはこわいこの真相を知るのはできるだけ先にのばしたいように思った。
367 8月31日
ジュネーヴ
心配 Cora-terie通りでオガリョフと会った。この前、フェージャが彼と会ったのは汽船に乗り合わせている時で、オガリョフはフェージャとしばらく同席した。その時フェージャはよい医者がどこかにいないだろうか、と彼にたずねたのだった。[オガリョフもてんかんだった。彼はある医者を教えてくれたが、値段のあまりの安さに、推して知るべし、と思った]。
367-368 9月1日
ジュネーヴ
隠し事
スースロワ
今日はすばらしい天気。かなり早く起きて、あのいまいましい門番に会いにまたもや出かけた。やっと今日は会えた。彼女がいうには、誰かがこのアパートに入りこんでるなんて自分は知らない。もし、本当ならば、寝耳に水だ。だって、あの男の住居はとてもせまいし、2,3か月前にはあの女房の年老いた叔母がころがりこんで、はたしてそれだけの余裕があるかどうかというところだし、そのうえに他の誰かに部屋を貸すなんてことは考えられない、と彼女は話してくれた。この話を聞いて、私はいくらか気持が安らいだ。でなければ、すごく不安だった。今日一日、私は病気同然だった。でもそれは肉体的なものでは決してなく、精神的な病で、とてもつらくて、何もかもがもの悲しく、生きた心地がしないのだった。だから、もし思いがけなく安心の結末が得られなかったら、身体にも病いを病んで私は死んでしまったかもしれない。私はこう考えた。これはすべて自分でこしらえたことであって、何ひとつ事実をつきとめぬうちはまったく悲観すべきではないのだ。とはいっても、私はやはり、ほんとうにフェージャが裏切らないか知るために、フェージャを監視することにした。食後、彼が新聞を読みに出かけた時に、ほんとうにそこへ行ったのかを、私は見とどけた。それからは私は本を家に持って帰り、別の橋を渡って公園へ急いだ。その公園からは、彼が店を出る様子がよく見えるのだった。でも彼が全部の新聞に目を通すまでそこで待つのは、正直いって馬鹿げていた。というのは、時として、彼は2時間も読んでいたし、2時間も立っているのは苦痛だったからである。それで、私はこっそりと、彼に気づかれる心配はないとにらんだうえで、喫茶店のそばを通ってみることにした。通り抜ける時、案のじょう、彼がテーブルのそばにすわって新聞を読んでいるのを見とどけた。これで、私の疑惑もすっかり氷解した。私はもうこれ以上彼を監視するのはやめにし、商店街を眺めて歩くことにした。夕方、私たちはすこし散歩し、そのあと執筆にとりかかった。フェージャが私に口述をはじめてくれたのがうれしかった。すくなくとも、目下仕事は快調に進んでおり、私たちはきっと間もなくバービコフにこの論文(『ベリンスキーとの交遊』)を送ることができるであろう。私は書いていてすごく気持が満たされた。婚約時代のころがしきりに思い出された。
368 9月2日
ジュネーヴ
発作の
予感
発作か卒中が起こりはしないかと、彼は一日中心配していた。眠気がし、頭が重く、歩くのがおっくうで、手、特に爪がむずがゆい。これは卒中の兆候だ、と彼はいった。私はそれが心配でならない。
380-381 9月12日
ジュネーヴ
発作G 昨晩、かなり早く寝たので、夜中に数回目が覚め、少しも眠れなかった。それで、明け方4時35分に目が覚めてしまった。まだすっきりさめきらないうちに、突然、フェージャの発作を聞きつけた。ソーネチカなりミーシャなりが丈夫で生まれますようにとの私の祈りを、神様がきっと聴き入れてくださっているにちがいない、というのは、すでに何度かいったように、彼の発作が起きるのは、きまって私が眠ってない時か、眼がさめたばかりの時か、おびえていない時なのである。だから、これによって私の赤ん坊に悪い影響はない。私はすぐにとびおきてろうそくをつけ、ベッドの彼のそばにすわった。私の見るところ、発作はあまりひどくなかった。というのは、叫び声はそれほど強くなかったし、かなり早く意識をとりもどしたからである。しかし、そのあと、彼の顔つきはしばしものすごい形相になり、私はすっかり肝を冷やしてしまった。(それとも、私が恐怖に襲われやすい状態にあったかもしれない。)彼の発作が起きた時、これまでは一度もおびえたことはないのだけれど、今日はとてもものすごい、苦しい苦悶の顔なので、彼のことが心配だった。しかも、急に彼の顔、特に鼻がすっかり冷たくなった。彼は死ぬのではなかろうか、と私はふと思った。その思いは私にはなんともつらいことで、少しでもはやく発作が終わるようにと懸命に祈った。フェージャはかなりはやく正気づいて、私に気づいた。彼は私の名前を呼んだけれど、私にはよく聞き取れなかったので、私の名前が言えるかどうか確かめるためにたずねてみた。彼はまだ十分には意識をとりもどしてはいなかったけれど、おまえはアーニャだ、といってくれた。そのあと、彼はすっかり自分にかえったようだ。彼は死ぬのがすごくこわいといい続け、自分を見ていてくれるようにたのんだ。もう大丈夫よ、それに眠らないで起きているから何か異常が起きてもすぐにわかるわ、と私はいってきかせた。彼はいろんな素敵な呼び名で私を呼び、ぼくの天使だといい、おまえをとても愛しており、介抱してくれてありがとう、といった。彼のこの言葉に、私はとても感激した。彼はほんとうに私を愛してくれているようだ。そのあと彼は寝た。夜中の彼の眠りはごくわずかだったので、9時半まで寝かせておいた。私はすごくおなかが空いていた。でも6時から主婦がコーヒーを持て来てくれる10時まで、私はじっと待っていた。下宿の隣人(ドイツ夫人)はフェージャが発作を起こしたことに感づいていて、老婦人に話したのだった。妹の方の老婦人ルイザは、茶碗をとりに部屋に入ってきた時、たぶんこわがってのことだろうが、フェージャを見まいとしていた。でも、最近見ていると、フェージャは発作のあとの朝はいつもほがらかな気分で、笑っている。とはいえ、そのあとふさぎこむのがいつものことなのだけれど。今日は、彼は肩にひどい痛みを訴えた。きっと寝相がよくなかったのであろう。
382-383 9月13日
ジュネーヴ
発作後 今日、9時に目がさめてフェージャを見ると、彼があまりに青白くて、あまりに動きがなさすぎるように私には思えた。私はすぐにベッドからおりて、彼のそばへ行き、確かめるために、彼の鼻をつまんでみた。鼻は冷たかった。それで私はいささかどきりとしたが、彼はすぐに目を開けて、生きている証拠を見せてくれた。私に鼻をつままれたとわかって、彼はとてもびっくりし、なぜそんなことをしたのか、とたずねた。そのあと、彼はひと眠りしてコーヒーを飲む時に起きた。でも今日は発作後二日目なので、ご機嫌が悪い。
393 9月19日
ジュネーヴ
隠し事
ノート
盗み見
今日彼は新しい長編小説(『白痴』)の執筆計画をたてはじめた。彼は『罪と罰』と同じノートに書きこんでいる。食後、フェージャが家を空けている時に、私はいつも彼のノートを読む。もちろん、彼にはそのことをおくびにも出さない。そうでないと、彼はかんかんになって怒るだろうから。彼を怒らすことはない。彼がノートを私の目から隠すようになるのを私は望まない。それより、彼のしていることをまったく知らないと思わせておくほうがいい。・・・・・フェージャがいうには、私たちはお互いかなりうまく暮らしている。ここでのこのような落ち着いた生活を自分は期待してもいなかった。めったに喧嘩することもないし、自分は幸福だ、というのだった。晩にお休みをいう時に、彼は、もし自分が死んだら、自分のことをよい夫だったとしのんでくれ、といった。私はそんなことを言われると、いつもすごく心配になってくるので、いわないでちょうだい、とたのんだ。すると彼は、いや、死んでたまるものか。こんな妻を残しておけようか。いや、この妻のためにも必ず生きなければ、といった。
407 9月26日
ジュネーヴ
発作H [9月23日サクソン・レ・バンに行きルーレット。1300フラン勝ったが、翌日の9月24日にすべてすってジュネーヴに帰ってくる]。9月26日、夜中の2時10分に、ふと眼がさめて、突然に、フェージャが発作を起こしたのを聞きつけた。それは軽いように私には思えたのだけど、あとでフェージャがいうにはとても気分が悪く、発作は重いほうだったそうである。10分後にはもう意識をとりもどして、私と話していたけれど、サクソン・レ・バーンとは何であるか、どこへ彼は行ってきたのか、とても長いこと思い出せなかった。
444-446 10月5日
ジュネーヴ
発作の
予感
今日はめったにないような、まことに素晴らしいお天気。医者のストルランに行くように、フェージャを無理に説得した。フェージャはどうしても行きたがらず、5フラン払わなければならないから、行かないほうがずっとましだ、といいはった。でも私は彼を行かせた。・・・・・医者から帰ってきて、彼がいうには、心臓と肺には特に異常はなかったが、神経が乱れているということで、丸薬を処方してもらい、一日3回服用するよう、そして8日後にくるようにいわれた、それから、てんかんの治療も試みてみよう、とのことだったそうな。この言葉に、私はいくらか希望を持った。もしかしたら、治療にとりかかってうまく全治するかもしれない。フェージャは医者に行ってから、なんとなく安心したようで、私も同じだった。・・・・・フェージャはお休みを言いながら、今夜は発作の心配はないだろう、そんな気がする、と確信を持っていったが、私はなぜかその言葉は信じられなかった。そして私の予感が当たった。
446 10月6日
ジュネーヴ
発作I 夜の2時15分に、フェージャとお休みをいって別れたのだけれど、2時半にはまだ彼がベッドで寝返りをうっている気配を感じていた。最初のうち、よく寝つけず、そのあとやっと目を閉じたばかりのちょうど夜中3時に、私は彼の叫びを聞きつけた。驚かないように、との彼の忠告にもかかわらず、ひどくびっくりしてしまい、ベッドの上で3度ばかり寝返りをうって、ついにとび起きた。あまりに心臓がどきどきするので、少し落ち着くために、コップに一杯水を飲みほさずにはいられなかった。自分のことはまったく気づかわなかったけれど、ソーネチカなりミーシャのことは、ストユーニナのいったようなことになりはしないか、と心配だった。彼女は私にこういったことがあった。もしあなたに赤ちゃんができたら、ご主人の発作の時に、ショックで流産しはしないかと心配だ、というのだった。私はろうそくに明かりをともして、フェージャに駆け寄った。発作はひどく強いものではないらしかった。でも目はすごくやぶにらみで、歯をきしらせていた。彼の入れ歯が何かのはずみではずれて、飲み込まなかったかしら、と心配になった。もしそうだと、喉につかえるかもしれない。彼が正気づいた時すぐに、口を開けてみてちょうだい、といった。彼は口を開けてみせ、私はほっとした。でもフェージャはなんで、どういうわけで、口を開かせたのか、とうるさくいいはじめた。私は返事に困った。まだよく意識が回復していないと思われるころ、この世でのお前の末長い幸福を祈る、と彼はいった。ではソーネチカなりミーシャにもそういってちょうだい、と私がいうと、それはそうだ、ソーネチカなりミーシャにも、と微笑みながらいった。
456 10月11日
ジュネーヴ
発作の
うわさ
今日、コーヒーを頼みにいくと、主婦たちがフェージャのことをすごく同情しはじめた。「気の毒なかたですね」といい、あの人は病気だ、と告げるのだった。誰が病気ですって?と私は聞き返した。「それはあなたのご主人ですよ」といった。「主人はゆうべはぐっすり眠りましたし、ちっとも病気なんかではありません」と私は答えた。・・・・・私の神経はひどく変調をきたしていて、すごく泣きたい気分がした。横になりながら、私はフェージャに発作が起きはしないかと、ひどく心配だった。極端なくらいものすごく気がかりで、もし彼の叫び声を聞きつけるやいなや、気が狂うのではないか、と思われるほどだった。まったく私がどんなに自分の神経を狂わしていたか、目もあてられないくらいだった。しかしすべて異状なくすぎた。フェージャも私もとてもよく眠った。
519 11月27日
ジュネーヴ
発作J 明け方4時30分に発作が起きた。顔面がすごく真っ赤になって、私をサーシャと呼んだ。でもそのあとすっかり正気にもどって、筋道のたったことをうんとしゃべったが、あとでは何もおぼえていないといった。
521 12月3日
ジュネーヴ
発作K 今日また、朝7時10分にフェージャは発作を起こした。貸間を捜してくれと、今日ははっきりといわれた。何度か部屋さがしに行ってみたが、私たちの部屋探しはいつも完全に失敗ばかり。私のようなおなかに子どもといる女は、いろいろ面倒なことがあるので、といって、けんもほろろに断られ、きまって食事つきの貸室をすすめられる。でも私たちにはまったくその気はない。