Medical Dostoevsky & My Dostoevsky



精神病理学の立場から  [ムイシュキンのてんかんに関連して]

赤田豊治 

典拠
ドストエーフスキイの世界 荒正人編著 河出書房新社 1963
背景と環境の章より (P.267-272)

赤田豊治(1963年当時略歴)
精神医学者。1926年青森県生れ。東京大学医学部卒。東京女子医大精神神経科講師。
日本精神神経学会会員。主著『内因性鬱病とヒステリー』

ドストエーフスキイが癲癇の発作をもっていたこと、又、その作品に癲癇患者がしばしば登場することは周知の事実である。しかしそういう患者の多くは脇役であり、従ってこの病気も作品の構成上たいして重要ではなく、いわば景物をそえる程度の場合が多い。これに対し、『白痴』では主人公ムイシュキン公爵自身が癲癇患者であり、この病気のために「白痴」同然になった所からやっと回復した主人公が療養地スイスから祖国ロシヤに帰るところから始まって、作中の重要な二つの場面でそれぞれ大発作を起こし、最後は悲劇の心理的痛撃による如く描かれているが、とにかく再び白痴同然になる所で終わっている。思うにドストエーフスキイは、一度この病気を作品中に十分盛りこんでみたかったものであろう。しかし、それは癲癇を描く為にという意味でないことは勿論で、ムイシュキン公爵という無類の人物を創造するに際して、癲癇患者とすれば好都合であったし、旁々この病気についてかねての経験、思索をじゅうぶん語り得る機会ともなったという関係ではなかろうか。ドストエーフスキイに癲癇がなければ『白痴』の主人公も癲癇発作を起こさなかったにちがいない。そうなればしかし、主人公は如何なる方法で「白痴」にするか難しくなってくるであろうが、又しかしその必要も半ばなくなるかもしれないのである。

ところでこの白痴というのはいささか微妙な意味のもので、主人公の特異な性格の文学的表現である。いったい真の白痴ならば小説の主人公になり得ないであろう。作中、他の人々が主人公をしばしば白痴呼ばわりするが、寛大この上もない主人公もそう呼ばれるのを勿論好まないし、又、誰も彼を真の白痴と思っていない。それどころか人々はこの「白痴」の真価を各自の尺度に応じて早晩理解するに至り、ある者は心から尊敬するに至る。その一人、彼を思慕する女性アグラーヤは、「あたしはあなたが一番正直で、一番正しい方だと思っております、・・・・・かりに実際にあなたが頭のご病気をお持ちにしても、(あなたは、勿論、こんなことを申し上げてもお腹立ちにはなりませんわね、あたしはずっと高い見地からそう申し上げているのですもの)その代わりあなたの肝心かなめの智慧は、あの人達の誰よりご立派なんですものねえ。・・・・・智慧には肝心なのと肝心でないのと、二つの智慧がございますもの」と言っているが、この言葉は主人公の「白痴」に対する的確な判断を表現している。

この智慧の中、一つは社交や利害打算に抜け目のない智慧であり、他の一つは心情の暖かさ、魂の深みから発するおのずからなる智慧である。主人公には前者が誰よりも少なく、後者が誰よりも多い。前者の面では一見間の抜けた滑稽なところがあって、「こいつは馬鹿じゃなかろうか」と思わせることがしばしばあるが、しかしまた他人の意表を出るひらめきを往々に見せるのは後者によるのである。つまり、ドストエーフスキイは世俗的智慧を「白痴」的にすることによって心情の智慧を見事に浮き彫りにしたのである。かかる人物造形は性格学、したがって精神病理学に対しても大きな賜物であると思う。『性格学の基礎』(千谷・詫摩訳)『心情と相克する精神』その他諸著に、精神即ち理知的意思偏重の結果、生命性、心情の喪失を招きつつある人類の歴史を洞察したルードヴィッヒ・クラーゲス(1872-1956)の所説と比較考察するならばいっそう興を覚えるであろう。

ところで上述の如き主人公ムイシュキンの性格を時空の具体的環境によって更に規定するならば、ドストエーフスキイはロシヤのキリストを創造したのだという定説的解釈に近づくことになる。伝統的キリスト教に対して心情のキリストを求め、西欧の進歩思想、功利主義に対し、ロシヤの未だ失わざる心情に望みを繋いだとすれば、正にロシヤのキリストを創造したと言える。西欧の理智に比すれば「白痴」的な後進国民ロシヤ人の魂への呼びかけが、この作品の題名にもこめられているのではあるまいか。

さて「白痴」と癲癇の関係に戻るとしよう。作の冒頭と末尾の「白痴」は癲癇なくしては考えられない病的なものであるが、作の主要部では少しもいわゆる「白痴」でないことは既述の如くである。併しドストエーフスキイ自身「発作は私の力を何もかも奪ってしまう。発作後はいつも少なくとも四日間は考えがまとまらない・・・・・」(1867年アポロン・マイコフ宛書簡)と洩らしているいる如く、この病気は彼の生活、就中創作活動を妨げたことは事実である。そんな時彼の念頭にふと「俺はこのまま白痴のようになってしまうんじゃないか?」という恐怖が浮かんだことがあるのではあるまいか。而も発作はいつ襲ってくるかもわからない。この古来人類が怖れる業病に対し、彼としても対決すると言うか、心構えを必要としたものであろう。そして時には「白痴の様になる」ことがあるにしても、結局、この病気もこの自分を、とりわけこの魂をどうするものでもないという信念が生じたものではあるまいか。多くの癲癇患者は病気を恥じ、中には悲観のあまり自殺を企図する者もいることを思えば、ドストエーフスキイの信念は貴重なものと言ってよかろう。

以上『白痴』一読後の全体的印象から得た感想であるが、この作品中の癲癇症状の描写は極めて精密なものであって、その体験者にして而も文才があるのでなければとうてい描き得まい。否、それだけでも未だ足りないものを含んでいる。二回の痙攣発作の中、一回は第二編第五章で起きるが、前触れは既にその前、同編第二章に主人公が久し振りに再び姿を見せた時から始まる。彼は前から不思議な恋(彼はこれを限りなき憐憫と呼ぶ。もののあわれに幾分通じるか?)に陥ちていて、その時もこの女性ナスターシャの跡を追っていたのであるが、なんとも言えぬ憂鬱な、読む者をも知らずに誘い込む、雨雲の垂れ込めるが如き暗い気分に沈みつつ、過去の経験からそろそろ雷が近いなと思う。そして過去の発作直前の前兆を回想する。

・・・・・憂愁と、精神的暗黒と、胸苦しさの真只中に突然、脳髄が一瞬ぱっと燃え上がり、・・・・・この世のものとも思われぬ光明にさっと照らしだされる。あらゆる胸のざわめき、あらゆる疑惑、あらゆる不安はまるで一瞬に鎮まったようになり、水のように澄んだ諧調に充ちた、何か悦びと希望に溢れる、理性と神性に充ちた、何か知れない崇高な平静境へと解き放たれる。だがこの数瞬は、この閃きは、それと共に発作そのものが始まる、あの決定的な一瞬のただ単なる前触れに過ぎないのである。この一瞬は言うまでもなく、耐え難いものだった。すでに発作が去って健康な状態に戻ってからこの一瞬のことをあれこれと深く考えてみて、彼は独り言をいうのだった。

「あの崇高な自覚と自意識の、したがって崇高な実在の稲妻と閃きとは、要するに病気にほかならぬものではないだろうか・・・・・もしもそうだとするならば、それはぜんぜん崇高な存在などというものではない、いやそれどころか反対に、もっとも低級なものに数えられるべきものではないだろうか?」と言いながらも彼はやはり結局、きわめて逆説的な結論に到達したのだった。「これが病気だとしてもそれが一体なんだというのだ?」と彼は結局決めてしまった。「・・・・・美であり祈りである・・・・・崇高な生の統合・・・・・」という風に長々と主人公の考えが続く。事実その日、数時間後、恋敵ロゴージンの兇刃に襲われようとする刹那「この世のものとも思われぬ心中の光がさっと彼の魂を照らしだし・・・・・」半秒位のうちに凄まじい悲鳴をあげ、意識喪失し、「文目もわかぬ闇が襲って来た」というわけで発作が襲来したのである。ロゴージンは神秘的な恐怖感に打たれて逃げ去る。

われわれはここに、ドストエーフスキイが主人公ムイシュキンの体験と思索を借りて、その独特の「癲癇の精神病理学」を繰りひろげ、その秘密を公開してくれているのを見る。これと同様の趣旨をドストエーフスキイは「天があたかも自分の所まで降って来て自分をのみ込んでしまう様に感じた。そうだ神がある!と叫んだ時、私は意識を失した。・・・・・あなた方健康な人達はわれわれ癲癇患者が倒れる直前に感じる至福を思い浮かべることが出来ない・・・・・この至福の続くのが数秒か数時間か、或いは又数カ月なのが私にはわからない。併し人生のあらゆる幸福をもって来ても取り換えたくはないということを信じておくれ」と語ったと伝えられる(ソーニャ・コヴァレフスカヤの回想)。

ドストエーフスキイは「われわれ癲癇患者の感じる至福云々」と言っているが、すべての患者がこのような体験をするとは限らない。ムイシュキンの捉われた深い憂愁は、医学的には癲癇性抑鬱性気分失調と言うべきものであり、数時間及至数日続くのが普通であり、癲癇患者一般にしばしば見出されるものである。これは発作の前兆としても来るが、又ドストエーフスキイもそうであった様に単独にも来るものである。しかしドストエーフスキイの「至福」とか「光明」の一瞬は発作直前に限られており、一般患者には見られないのが普通である。少なくとも筆者の乏しい経験では見当たらない。単に明るい光を感じる視覚前兆だけならばそう珍しくはないが。又、癲癇患者は往々にして神信心に凝ることがあるが、それは殆どすべて度重なる発作の結果、この業病から救ってくれるのは神以外にはないとして、いわば病気の二次的症状として神に縋りつく様になるものであって、自余の種々の点でも好もしからざる性格変化の一つの表れと観るべきものである。ドストエーフスキイの如き前兆体験は他に絶無ではないかもしれないが、とにかく稀有、独特なものであって、平生からの宗教的、哲学的傾向がその一瞬に凝縮したものとでも言うべきであろうか。古代インドのウパニシャッドの哲人なら梵我一如と叫んだかもしれないのである。なお、ヨーロッパに於いては癲癇を古来神聖病と呼んだり、又悪魔の仕業として中世の魔女裁判に附したりした歴史があるが、ムイシュキンの発作を見てロゴージンが神秘的恐怖に打たれ逃げ出すくだりは、そういう癲癇の歴史を想起せしめる。

作品『白痴』における主人公の二回目の発作は、全篇の終局に近い第四篇第七章で起こる。彼を上流階級の人々に識ってもらう為の夜会の折、恋人アグラーヤは、あらかじめ、みっともないから喋るなと彼に命じておくが、彼はいつの間にか陶酔境に陥り、アグラーヤの禁止も忘れ、滔々として「・・・・・ただロシアの思想、ロシアの神とキリストによってのみ到達し得るのかもしれない、全人類の復興及びその復活を未来において示してやってください・・・・・」というような思想の奔流を、歓喜に充ちてとめどなく吐き出す。読む者もグングン一気に読んでしまう。「一本の木の傍を通るとき、その木を眼にしているのだということで幸福な気持になれずに、どうしてそのまま通りすぎてしまえるものか、私にはわからないのです・・・・・すっかり途方にくれてしまった人でさえも、これは見事だなと感じるような美しいことが、どのくらい私の足許に転がっていることでしょう?赤ん坊をごらんなさい、神々しい天映をごらんなさい、育ちゆく草をごらんなさい、あなたを見つめ、あなたを愛している眼をごらんなさい・・・・・」と叫ぶ所で発作を起こす。この発作前しばらくの間の陶酔気分は、アルコール酩酊に似た一種の発揚状態と言うべきもので、第一回発作前の抑鬱性気分失調と対照的である。即ち医学的には特に珍しいとも言えない癲癇性発揚性気分変調であるが、ドストエーフスキイ流に言うならば「これが病気の前兆だとしてもそれがいったい何だと言うんだ」と言わざるを得ないものがあり、自然と人に対する深く、暖かい心情、思想が流れている。ここに詩人の特異な魂の流露がある。

以上『白痴』をひもどきつつ、ドストエーフスキイの癲癇経験と、それについての独特な思索、信念をあらましたずねてみた様に思う。この作品の結末で、ロゴージンに殺されたナスターシャを見て、ムイシュキンは再び白痴のようになってしまい容易に治りそうもないことになる。医学的には、強いて言えば朦朧状態か癲癇性精神病であろうが、大体その面から取り上げることは無理な文学的創作としておこう。ドストエーフスキイは大発作のない時も往々ひどく不機嫌になったり、感情の激変を呈したことがあると言われるが、それらもたいてい病的性質のものと言ってよかろう。又発作後は「癲癇発作に続いて起こる陰鬱な気分の特色は、自分を大犯罪者の如く感じることである。自分の良心をある未知の罪責、ある犯罪行為が圧迫するかの様に思われる」(手記)という一種の抑鬱性気分変調を経験しているが、これからすぐに連想されるのは『罪と罰』のラスコーリニコフの精細な心理描写である。

ドストエーフスキイは今日の医学的研究に知られる範囲内で天才及傑出人中に見出される唯一の確実な癲癇の症例である。(やや不確実なものは他に二、三ある)従って希少価値から言っても貴重なのであるが、病気についての精密な自己描写、更にそれについての思索、信念に至っては全く類例を見ない貴重な資料を残したのである。その意味で、変な言い方かもしれないが、創作家としてのみならず、癲癇患者としても天才的であった。とことんまで考え抜く哲学的精神と詩人の魂の結合とも解される稀有なる性格が、病気にまで浸透し、これを染め上げたとでも言おうか。併し又逆に、癲癇はそういう性格者を光と闇の中へ相互に投げ込むことによって形成的影響を及ぼしたことも十分考えられる。そこで性格と病気との相互影響を結論してもさしつかえあるまい。

以上は病気の影響と言っても考え様によっては比較的利点をそえ得るものである。大体不利にしかならないものとして、一般に癲癇患者にしばしば見られる、一つのことの繰り返し(保続)、核心を衝かず副次的テーマにかかずらう癖(些事拘泥)、重箱の隅をほじくるが如き穿さく癖(ペダンテリー)、利己的な視野狭小等の性格変化がドストエーフスキイにも認められるかどうかの問題が残っているが、訳書を読んだだけでは無理であろう。しかし敢えて印象を言えば、作品が難解な理由の一部は前記特徴の二、三のためではないかという懸念がある。

一般には癲癇はかなり多い病気で、発作の頻度、症状全体の重篤さも実に様々である。軽い方では、年に一度位、否一生に二、三回しか起こらないものがある反面、一日に数回、しかも連日に及ぶ重篤例もある。初発年齢は五歳頃からどんどん出て、殆ど三十歳迄に出尽くす。ドストエーフスキイの場合、その初発が二十九ないし三十三歳の間に推定される比較的晩発性の癲癇であったこと、頻度は不詳であるがあまり多くはなかったらしいこと、そういう事情がその才能開花に幸いしたものと考えられる。