ドストエフスキーとてんかん/病


<抜粋>

脳のなかの倫理 : 脳倫理学序説
マイケル・S.ガザニガ著 ; 梶山あゆみ訳
紀伊國屋書店, 2006.2
Gazzaniga, Michael S.  The ethical brain 2005

第9章 信じたがる脳 
側頭葉てんかんと信仰(P.213-220)

神経心理学の成果からもわかるように、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、特定のこころの状態を生み出すのにとくに大きく関与する脳領域が存在する。たとえば言語の処理は右脳より左脳で、また後頭部より前頭葉で行われる。信念体系の場合も、関与の大きい脳領域がある。私たちは人生の本質について物語を作ろうという性質を持っていて、その物語を生み出すのが左脳の解釈装置だ。

左脳の解釈装置を理解する上で分離脳患者が手がかりになったように、別の脳神経疾患や異常からも心の働きに光が投じられてきた。なかでも、側頭葉てんかんと呼ばれる疾患のの患者は、物質としての脳と、そこから生まれる「心」がどのように相互作用しているかを教えてくれる。アメリカでは約100万人の側頭葉てんかん患者がおり、診断が未確定の患者がさらに100万人はいるとの見方もある。

側頭葉てんかんは、てんかんの一種でありながら、一般の人が思い浮かべるような発作は起こさない。患者は意識を失わず、ほかのてんかん発作に見られる筋肉の痙攣も現れないのが普通だ。それどころか、発作の最中でも患者がとりたてておかしくは見えない場合もある。側頭葉てんかんの発作が起きると、患者は聴覚、視覚、嗅覚、あるいは触覚に異常を覚える。さらには、しばらくのあいだ話せない。呆然自失の状態になる。口をぺちゃぺちゃしたり衣服をまさぐったりするような無意味な動作を反復する、などの症状があらわれる場合もある。

側頭葉てんかんの患者についてとくに注目されるのは、発作が起きてないときでもいくつかの共通する特徴を示す点である。この特徴は側頭葉の損傷が原因と見られ、その損傷が発作の原因にもなっている可能性が強い。ボストンにあるベスイスラエル病院の脳神経外科医だった故ノーマン・ゲシュヴィンドは、のちに「ゲシュヴィンド症候群」と呼ばれる症状を記録した。(Geschwind,N. Behavioral changes in temporal love epilepsy. Archives of Neurology 34(8):453.1977)ゲシュヴィンド症候群は五つの明確な特徴を示す。@過剰書字(大量の文章を書かずにはいられない)A過剰な宗教性(極端なまでに宗教心が強く、道徳への関心が強く、「たびたび改宗する場合もある」)B攻撃性(たいていは一時的なもので、暴力に発展することは少ない)C粘着性(自分からは会話を終えられないなど、他者への依存度が高い)D性的関心の変化(非常に強まるか非常に弱まるかの両極端になる)である。ゲシュヴィンド症候群を伴う側頭葉てんかん患者のなかには、非常に有名な人物が何人かいるうえ、この疾患にかかっていたと疑われる著名人も大勢いる。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは側頭葉てんかんと診断され、ゲシュイント症候群のすべてを示していた。まず便せん5枚以上にも及ぶ手紙を弟に宛てて日に2,3回は書いた。おびただしい数の絵を描いたことも、過剰書字と関係があるかもしれない。その証拠に、側頭葉てんかんが悪化してから作品数が増えている。ゴッホは若いころにプロテスタントの伝道師になった。ぼろを身にまとい、食事を拒むことで自らを罰した。ときおり、「復活したキリスト」のような神秘的な幻覚を見たこともある。また、しばしば怒りを爆発させ、一度などは友人のポール・ゴーギャンを追いかけて殺そうとする事件につながっている。怒りの発作が収まると、ゴッホは自分の耳を切り落とした。友人を殺せと命じる声から逃れたかったのである。ゴッホが弟のテオに精神的に依存していたのは言うまでもない。テオが婚約したときに送った手紙には、自分が見捨てられた気がして、自分がかわいそうで、喜ぶ気になれないと書かれている。少しのあいだ共同生活を送ったゴーギャンにも依存しきっていた。ゴーギャンが出ていくと告げたとき、ゴッホは行かないでくれと懇願している。さらにには、「性行為への関心」がおおむね「欠如」していた。(Eve Laplante Seized: Temporal Lobe Epilepsy in Medicine,History,and Art  HarperCollins 1993)

側頭葉てんかんだったと見られる有名人には、
フョードル・ドストエフスキーもいる。ドストエフスキーの才気あふれる長大な作品には、てんかんの特徴がいくつも見てとれる。ルイス・キャロルもそうだ。『不思議の国のアリス』はキャロルが発作時に経験した幻覚の影響を受けているという意見があるし、伝記作家たちはキャロルの宗教心の強さと性的関心の欠如に注目してきた。ほかにも、フィリップ・K・ディック、ギュスターブ・フローベル、ジョナサン・スウィフト、ソクラテス、ピュタゴラス、アイザック・ニュートン、アレキサンダー大王、ピョートル大帝、ユリウス・カエサルは、いずれもてんかん患者だったとの説があり、その作品や思想がてんかんの影響を受けた可能性があると言われている。

側頭葉てんかんとそれに伴うゲシュヴィンド症候群には、信仰とのからみで非常に興味深い側面がある。患者が発作時にしばしば宗教体験をすることと、発作と発作のあいだの時期に非常に信心深くなることだ。発作によって宗教体験を引き起こすことができ、その発作は脳組織の異常興奮にすぎないとしたら、正常に機能している脳においても、宗教的に器質的な原因があるのかもしれない。いや、むしろその可能性が高いと言っていい。もちろん、信仰にも物質的な基盤があったとしても、信仰心のある人が発作を経験しているというわけではない。

側頭葉てんかんと宗教体験を関連づける証拠は、歴史家からも得られている。賛否両論はあるものの、何人かの宗教指導者が側頭葉てんかんを持っていた。(少なくともときおり側頭葉にてんかん発作が起きた)かもしれないのだ。側頭葉てんかんの発作が起きると、幻視と幻聴の両方を経験する場合がある。それがたとえば、強い光や、具体的な特徴を備えた人の姿となって現れてもおかしくない。医学史家は聖書に登場するサウルの身に起きたのがてんかん発作ではなかったかと考えている。サウルはダマスコ(現在のダマスカス)に向かう途中で強い光を見て地面に倒れ、イエスがこう呼びかけるのを聞いた。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」。この事件のあとサウルは回心してキリスト教に帰依し、名前をパウロと改めて伝道師となり、キリストの教えを広めた。パウロはマラリアにかかったことがあると伝えられているので、そのせいで高熱が出て脳が損傷していた可能性がある。パウロは光を見たあと一時的に目が見えなくなるが、これもまた、稀ではあるが、てんかん発作の後遺症のひとつであることが知られている。パウロは自分が病気なのを自覚していて、コリントの信徒に宛てた手紙のなかでその病気に対する考え方をこう説明している。「キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は弱さ・・・・・そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています」。(新約聖書「コリントの信徒への手紙二」)

キリスト教以外の宗教でもてんかん発作を経験したと見られる著名な宗教家はいる。そのひとりが、イスラム教創始者のムハンマドだ。ムハンマドが神の啓示を受けるときにしばしば経験した幻視や幻聴や感情は、てんかん発作に伴うものとよく似ていた。しかもムハンマドは「脳のまわりの液体が多すぎる状態で生まれ、子どもの頃はひきつけを起こした」と言われる。このひきつけが、てんかん発作だったのかもしれない。ほかにも、伝記からてんかん発作の形跡に読み取れる人物に、モーゼ、ブッダ、ジャンヌ・ダルク、聖チェチーリア、聖マルグリート、聖ミカエル、聖カタリナ、聖テレサがいる。

偉大な宗教家がてんかん発作での経験に影響されていたとしたら、そこから生まれた信仰の真実味がなくなると考えるものもいなくはない。だが、そう思わない人たちにとって、彼らが得た啓示は「
ドストエフスキーの小説やゴッホの絵画に劣らず真実を表している」のである。道徳的秩序についての信念を生み、結果的に宗教体験をもたらすような本能的な反応には、器質的な基盤があることが研究によって確かに示されている。しかしそれは、霊的な存在である神が、死すべき運命の人間とやり取りするのにはほかの方法がないからだという見方も成り立つ。

ゲシュヴィンド自身は、側頭葉てんかんの研究は心の働きについて理解を深める上で重要だと認識していた。彼はこう書いている。「側頭葉てんかんによる性格の変化は、患者のみならず患者以外についても、行動を導く感情の力にどのような神経的基盤があるかを解明するうえで、私たちが持つ最も重要な手がかりである」。一部の人々が、指導者となって新たな宗教体系を確立するほどの意欲を掻き立てられるのは、てんかん発作の経験が強烈だったからかもしれない。

脳神経科学からも脳と宗教体験とのつながりをさらに際立たせる成果が得られている。「神経神学」と呼ばれる新しい分野の研究論文を分析したところろ、信仰心と宗教体験に大きな役割を果たす脳領域が3か所あるのがわかった。前頭葉は、人が何かに注意を向ける上で重要な領域である。脳画像を用いた研究からは、仏教の僧侶が瞑想しているときやフランシスコ会の修道女が祈りを捧げているときに、前頭葉が活動していることが示されている。ドイツの脳神経科学者、ニーナ・アツァリのグループによる実験でも、信仰心の厚さを自認する被験者が宗教関連の文章を読み上げているときに、前頭葉の活動が確認された。(Azari,N.P. 2001)。

側頭葉は、強烈な宗教体験を知覚しているときや、幻聴が聞こえているときに活動する。「神の声を聞く」ときに活性化するのもこの領域だとの説がある。宗教体験に伴う感情的な側面も、側頭葉(特に側頭葉中央部)で生み出される可能性が高い。カナダにあるローレンシアン大学のマイケル・パーシンガーは、弱い磁場を発生させるヘルメットを被験者にかぶせて、側頭葉に活発な活動を引き起こすことができると主張している。この装置で側頭葉を刺激したところ、被験者はまるで、側頭葉てんかん発作のように明確な宗教体験をした。パーシンガーの推測によれば、「左側頭葉は私たちの自己感を維持」していて、「その領域が刺激されているのに右側が不活発なままの場合、左「脳」はこの状態を、何者かの気配がある、自分が自分の体から抜け出している、神の存在が感じられる、などと表現する」という。実に興味深い見解であり、「左脳の解釈装置」ともなじむ。(Hill,D.R.&Persinger,M.A. 2003)

また最近「ネイチャー」誌に掲載された論文には、右角回と呼ばれる脳領域を電気刺激したところ、確実に対外離脱を引き起こすことができたと報告されている。この現象が発見されたのは、てんかんの原因部位を突き止めるために患者の脳にいくつかの電極を挿入して刺激を与えているときだった。(Blanle,O.etal 2002)。右角回は、体性感覚と平衡感覚の情報を統合する重要な役割を果たしている可能性がある。空間内における自分の体を知覚するうえで、この統合はなくてはならないものだ。電気刺激やてんかん、あるいは正常な脳でも見られる脳組織の過剰興奮によって、この脳領域の機能が乱されると、体外離脱体験が起きるのかもしれない。(この章終わり)