Medical Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.88(2005)


ドストエフスキーのてんかん 
アリバイ工作に使われたスメルジャコフのてんかん発作に関する考察


John C. DeToledo,MD  (下原 康子 訳)

論 題:The epilepsy of Fyodor Dostoyevsky: insights from Smerdyakov Karamazov's use of a malingered seizure as an alibi.
著 者:
DeToledo JC.
所 属:
Department of Neurology, University of Miami, 1150 NW 14th St, Suite 410, Miami,FL 33136, USA.
掲載誌:Arch Neurol. 2001 Aug;58(8):1305-6.
出版形態:Biography, Historical Article


まことに嘘は嘘の父なり
(フョードル・パーブロヴィッチ・カラマーゾフ/ヨハネ福音書第八章四十四節)

ドストエフスキーの発作に関する記述は数多く残されている。発作の説明と解釈を試みてきた学者も多い。ドストエフスキー自身が、若い頃の手紙の中で、「私はあらゆる種類の発作を経験しました」と書いているように、発作の時々の様々な症状を自ら書きとめ、後世の研究に寄与している。(1)。フランスのてんかん学者、Gastautはドストエフスキーの発作を理解するにあたって優れた洞察力を示した(2,3)。彼は、最初の論文ではドストエフスキーの病を全般てんかんとしているが、数年後に発表した論文では、明瞭な鑑別診断を避けて、次のように述べている。「ドストエフスキーのてんかんは次に述べる二つ両方の要因があったと考えられる。まず側頭葉の障害、ただし非常に限られた範囲だったので発作間欠時の側頭葉てんかんに特有の心身の症状は現れなかった。次はてんかん発作を来たすに十分な体質的素因、これは側頭葉の障害とは別の機序でどちらの型の発作にしろ二次的には同じ帰結をたどることになる全般発作をほとんど即時に引き起こしたものと考えられる。」(3)

最後の小説『カラマーゾフの兄弟』の中で、ドストエフスキーは、ばかと呼ばれ、幼いころからてんかんをわずらっていたとされるスメルジャコフを通して、自らが体験したと思われるさまざまな発作を描いている。ピョートル・カラマーゾフは何ものかに殺害される。物語の展開とともに、犯人はスメルジャコフで、彼がどのようにして犯罪を実行したか、そして長男ドミトリーに罪を負わせようとしたかが明らかになる。偽の発作を利用したスメルジャコフの策略によって捜査は裏をかかれ、知識人たちもだまされる。物語の最後で、スメルジャコフが本物のてんかん発作と詐病による偽発作の両方を使い分けていたことが明らかにされる。ドストエフスキー自身が、偽発作が時として利用できることに気づいており、死がまじかな最後の小説の中で、スメルジャコフを介してそれを伝えたのかもしれない。そのことは、25年前にすでに「私はあらゆる種類の発作を経験した」と述べていたことを思い起こさせる。

ドストエフスキーのてんかん発作については彼を診た医師(1)、友人(1)、2度目の妻(4)による記述があり、彼自身の手紙にも書かれている(1,5)。そうした記述は数多いが、発作が原発性かあるいは二次的に引き起こされたものか、研究者の間の見解は一致していない。Alajouanineは恍惚前兆を伴う部分てんかんが、二次的に全般発作を起こしたと述べた。(6)。症状を広範囲に調べ直すことにより、Voskuilが分析を広げ、「恍惚前兆を伴う複雑部分発作から二次的に引き起こされた夜行性の全般発作」とした。(7)。Gastautは、全般てんかんとした最初の論文の中で、ドストエフスキーの症状のすべてがてんかんによって引き起こされたものとは限らないことを示唆し、次のように述べている。「研究者たちはこの卓越した作家の想像から生じた症状を誤って信じ込み、側頭葉てんかんの症候学の知見に加えたのである」(2)

ドストエフスキーは異なる時期の異なる症状を記述することにより、てんかん研究に寄与した。彼自身、最初は自分が本当にてんかんかどうか疑問視していた。(3)。一方で「私はすべての種類の発作を経験した」と書き残している。(1)。Freudは、ドストエフスキーの発作はすべてヒステリーによって引き起こされると信じていた。「ドストエフスキーと父親殺し」という著作の中で、てんかんと偉大な知性は相容れないと述べている。「てんかんは精神の構成とは無関係な有機的な脳の疾病であり、必ず知能の後退を伴う。てんかんとされている天才の多くはてんかんではなく、ヒステリーである。」(8-9)

『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの死の2か月前に完成している。彼は1877年12月の『作家の日記』の中で、新しい作品に専念するために暫くの間、雑誌の連載を中断すると伝えた。『カラマーゾフの兄弟』が世に出るまで3年を費やした。(10)。ドストエフスキーはこの最後となった作品の中で、ばかと呼ばれたスメルジャコフを介して、自身が体験した様々な異なるタイプの発作を描き、新しい解釈を提示している。(11-12)。

スメルジャコフは老カラマーゾフの継子で幼いころからてんかんを病んでいた。老カラマーゾフは彼を「バラムのロバ」(聖書でしゃべる動物のこと)と呼び、教育しようとゴーゴリを読ませてみる。スメルジャコフは『ジカニーカ近郷夜話』の内容がすべてうそっぱちだからと言ってゴーゴリを嫌い、また、韻をふんで話す人などいないということで、詩も嫌った。彼にとってフィクションはすべて嘘とみなされた。スメルジャコフの母親は、頭の弱い浮浪者で、ほどこしを頼りに生きている女性だった。彼女が通ると悪臭でそれとわかった。老カラマーゾフはそのような彼女を陵辱した。彼女は風呂の建物の中でスメルジャコフを生み、そこで死ぬ。老カラマーゾフの使用人であるグリゴーリイと妻マルファが赤子を引き取り、老カラマーゾフが「臭いもの」という意味を持つ、スメルジャコフという苗字をつけた。

ドストエフスキーが描いたスメルジャコフの性格および発作

スメルジャコフの発作は、少年のころ、使用人のグリゴーリイから平手打ちを受けた1週間後から始まったとされている。老カラマーゾフはそれまでこの少年をまったく無視していたのに、発作が始まって以来彼に興味を持ち始める。彼はなぐったグリゴーリイを叱り飛ばし、医者を呼び、前よりいい住いに移らせる。スメルジャコフの発作は平均して月に1回ほど起こった。発作の程度はさまざまで、激しいことも軽いこともあった。彼の病歴は明らかではないが、性格においてきわだった特徴があった。極端に食べ物を気にする性質でそれに関しては非常に気難しかった。「彼は一口食べるごとにそれをフォークにのせて光にかざし、仔細にながめた後にやっと口に運ぶのだった」(11)。女性には興味を持たなかった。人に対する親愛の情もなかった。彼を育てたグリゴーリイは当惑して「あれは人間じゃない、化け物だ」と言った。(11)。彼の父親が老カラマーゾフであることは疑えなかったにしろ、彼が他の異父兄弟から同等に扱われることはなかった。彼はカラマーゾフ家のコックをしていた。

ドストエフスキーが描いたスメルジャコフの心因性発作

老カラマーゾフは殺害される。物語の展開とともに、スメルジャコフがどのようにして罪を犯し、最年長の兄ドミトリーに罪がなすりつけたかが明らかにされていく。1960年に出版された英訳では次のように描かれている。イヴァンが、父親が殺された日に起こした発作についてスメルジャコフに訊ねると彼は次のように答えた。
「あなたは立っておしまいになった、それから、わたしは穴蔵におちました・・・・」
「発作(fit)でかね、それともやらせ(sham)かね?」とイヴァンは聞いた。
「もちろん、やらせに決まっていますよ。いっさいがっさいやらせです。こっそりと階段を下までおりて、静かに横になってから、喚き(scream)だして、老カラマーゾフがいる隣の部屋に運ばれるまで、ばたばたもがいて(struggle)おりました」
イヴァンは、スメルジャコフをみくびっていたことを思い知らされる。「おまえは、ばかじゃない・・・」(1)。

1994年に発行された英訳では次のように訳されている。
「あなたは立たれ、私は地下室の階段を転げ落ちたのでございますよ」
「発作(fit)でかね、それとも振り(pretending)をしたのかね」
「もちろん、振りでございますよ。終始、振りをしておりました。地下室の階段を下までひっそりと下りて、そこに静かに横たわってから、金切り声でわめき(shriek)始めたのでございます。そこから連れ出されるまでわめき(shriek)続けておりました。(12)。

考察

屈辱的な名前で呼ばれた私生児の孤児スメルジャコフは彼を拒絶した人たちを破滅させることにより復讐を遂げる。(13) 父親を殺し、最年長の兄に罪を負わせる。偽発作を利用したスメルジャコフの策略によって捜査は裏をかかれ、知識人たちもだまされる。スメルジャコフが本物のてんかん発作と偽発作の両方を使い分けていたことが明らかになる。生涯にわたって発作に苦しんだドストエフスキーではあったが、時として発作が利用できることを明確に認識しており、スメルジャコフによってそのことを明らかにしたのだ。25年前の手紙に書いたようにドストエフスキー自身が「あらゆる種類の発作を起こした」ことを、死がまじかな最後の小説の中で、我々に思い出させようとしたのかもしれない。

REFERENCES

1. Dostoevsky FM. Letters of Fyodor Michailovitch Dostoevsky to His Family and Friends. Mayne EC, trans. New York, NY: Macmillan Publishing Co Inc; 1914.
2. Gastaut H. Fyodor Mikhailovitch Dostoevsky's involuntary contribution to the symptomatology and prognosis of epilepsy. Epilepsia. 1978;19:186-201. ISI | MEDLINE
3. Gastaut H. New comments on the epilepsy of Fyodor Dostoevsky. Epilepsia. 1984;25:408-411. ISI | MEDLINE
4. Dostoyevsky AG. In: Miller RF, Eckstein F, eds. The Diary of Dostoyevsky's Wife. New York, NY: Macmillan Publishing Co Inc; 1928.
5. Dostoyevsky FM. In: Frank J, Goldstein DI, eds. Selected Letters of Fyodor Dostoyevsky. New Brunswick, NJ: Rutugers University Press; 1987:112.
6. Alajouanine T. Dostoiewski's epilepsy. Brain. 1963;86:209-218. ISI
7. Voskuil PH. The epilepsy of Fyodor Mikhailovitch Dostoevsky (1821-1881). Epilepsia. 1983;24:658-667. ISI | MEDLINE
8. Freud SL. Dostoyevsky and parricide. In: Halliday J, Fuller P, eds. The Psychology of Gambling. New York, NY: Harper & Row; 1975.
9. Freud SL. Letter to Stefan Zweig, October 19, 1920. In: Stern T, Stern J, eds. Letters of Sigmund Freud. New York, NY: Basic Books Inc Publishers; 1960:331-333.
10. Troyat H. Firebrand: The Life of Dostoevsky. New York, NY: Roy Publishers; 1946.
11. Dostoevsky F. The Brothers Karamazov. Garnett C, trans. New York, NY: The New American Library; 1960.
12. Dostoyevsky FM. The Brothers Karamazov. Avsey I, trans. Oxford, England: Oxford University Press; 1994:784.
13. Morson GS. Verbal pollution in The Brothers Karamazov. In: Bloom H, ed. Fyodor Dostoevsky's: The Brothers Karamazov. New York, NY: Chelsea House Publishers; 1988.