ドストエフスキーとてんかん/病い


ドストエフスキーとてんかん 


K.B.Bhattacharyya ,MD  (下原 康子 訳)

論 題:Fyodor Mikhailovich Dostoyevsky and his epilepsy.
著 者:Bhattacharyya KB.
所 属:Department of Neuromedicine, R. G. Kar Medical College and Hospital, Kolkata, West Bengal, India.
掲載誌:Neurol India 63:476-9. 2015



フョードル・ドストエフスキーは、古今東西で最も偉大な小説家の一人である。 [1] ドストエフスキーが小説、なかでも『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』において行ったような方法で人間の心理を探求した作家は稀有である。多くの批評家がドストエフスキーを心理小説の父と呼び、実存主義文学の先駆けとも称された。登場人物には惨めで猥雑で心理的に破綻した人びとが多い。そうした状況の中でしばしば犯罪に耽る人物も描かれている。かれらは当時のロシアの社会、政治、経済環境の断面を写し出している。暗く重苦しい人間存在の側面、そして、てんかんはドストエフスキーの小説にたびたび現れるテーマである。

ドストエフスキーは1821年にモスクワで生まれた。1849年、空想的社会主義の秘密結社であるペトラシェフスキーサークルに参加していたかどで逮捕された。 釈放後は作家・ジャーナリストとして執筆生活に入ったが、金銭感覚に乏しく(ルーレット賭博に熱中した時期もある)、常に経済的に逼迫した状態にあった。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』がそうであるように、個人的な体験を作品の中に描いたと言われ、酔って9歳の少女を強姦したという同時代人の証言が議論されたことがある。しかし、人生の終盤には国際作家会議名誉会員に選出されるという名誉を得た。このメンバーにはヴィクトル・ユーゴー、イワン・ツルゲーネフ、アルフレッド・テニスン、ヘンリー・ロングフェロー、ラルフ・ワルド・エマーソン、トルストイなどがいた。ドストエフスキーは後世の作家、アントン・チェーホフ、アーネスト・ヘミングウェイ、フリードリヒ・ニーチェ、カフカ、ジャン・ポール・サルトルたちに霊感を与えた。ガブリエル・ガルシア・マルケスとヘルマン・ヘッセはドストエフスキーから多大な影響を受けた。 ノルウェーのノーベル賞受賞作家、クヌート・ハムスンは、「複雑極まりない人間の精神をドストエフスキーのような方法で探求した作家は他に例がない。彼の人間心理に対する感覚は圧倒的で、かつ先見的である」と述べた。1881年、ドストエフスキーは肺気腫のため死亡した。

ドストエフスキーのてんかんは発作に先がけてエクスタシー前兆を伴うめずらしいタイプだったので、エクスタシーてんかん(Ecstatic Epilepsy)と呼ばれてきた [1]。 最初のてんかん発作については、1839年に父が農奴に殺害されたという知らせを聞いたときであったという説が知られている。ドストエフスキーの病気に関する研究に先鞭をつけたのは、ウィーンの比類なき精神分析学者のジグムント・フロイトであった。1928年に発表された「ドストエフスキーと父親殺し」の中で、ドストエフスキーの発作と父親の死との間にいくつかの密接な繋がりがあるとして、次のように述べている [2]。「ドストエフスキー自身がてんかん性と呼んだ発作は重度のヒステリーに類するノイローゼの徴候にすぎないのであって、hystero-epilepsy(フロイトの指導者であるパリのサルペトリエール病院のジャン・マルタン・シャルコーによる造語)として分類されるのが適切である。」フロイト説を解説した1985年の論文の中に次の記述がある。「最もありそうな仮定として、子どものころから穏やかな徴候を示す発作があったという可能性は高い。その場合、18歳のときの父の死との関連は否定されるだろう。もしシベリア流刑中に発作が完全に止まっていたことが証明できたら、適切な議論を促すポイントになるのだが。」[3]

フロイトは「ドストエフスキーは父を嫌いその死を望んでいた。父が死んだときに起こった発作は、罪悪感から自分を罰したいがために引き起こされた身体症状だった。ドストエフスキーのてんかんはその原点において心理的であった」と述べた。 しかし、Joseph Frank, Geir Kjetsaa, Jacques Catteau など、近年の研究者がフロイトの理論には合理的な基盤がなく想像にすぎないと宣言した。[4] [5] [6]。 ドストエフスキーの伝記作家であるE.H.カーも1930年の論文で、ドストエフスキーのてんかんが父の死によって引き起こされたというフロイトの主張を論破した。ドストエフスキーの発作が1849年の彼の投獄の前に起こったという証拠はなく、1857年の最初の結婚以前にてんかんと診断された事実もない、と述べた。[7] 。その後も最初の発作がいつだったかに関する議論は続いた。研究者たちの見解には、9歳のころ、シベリア流刑の期間、解放された後に屈辱的な作家活動を強いられた時期など、様々な説がある。

ドストエフスキーは日記や友人への手紙に発作について書き記している。また、妻、友人、医師たちの回想の中にも言及が見られる。さらに小説の登場人物たちがてんかん発作の一覧表に加わる。ドストエフスキーは死ぬまでの20年間に102回の発作をメモしている。そのほとんどは夜間に発生した特発性全般てんかんであった。 頻度は少なかったが、昼間に起きた発作の場合は心地よい香りや光などの感覚を伴うエクスタシー前兆があった。神経科医は側頭葉てんかん、あるいは近年、複雑部分発作と呼ばれる部分発作が二次的な大発作を引き起こしたと想定した。このエクスタシー前兆は神経学の父と呼ばれる英国の医師、ヒューリング・ジャクソンが夢様状態と呼んだものと同じである。検死によりこの症例のほとんどに内側側頭葉硬化が明らかにされた。ジャクソンは前兆においては匂い、味の感覚、高揚した知的状態などの感受性が亢進していたと述べている。 このいわゆる「知的前兆」は側頭葉てんかんに顕著な症状である。 [8] [9] [10] 。しかし、てんかん学者として長いキャリアを持つガストーはエクスタシー前兆はきわめて稀であり、ドストエフスキーは小説において「無意識の神話化」を行ったのであって、エクスタシー前兆の描写は作家の創作であるとした。[11]。Hughesは自らの経験を踏まえてガストーの説に反論し、オランダのVoskuilもそれを支持した。 [1] [12]。 Saver と Rabinは、近年の論文「宗教体験の神経的基盤」において、側頭葉てんかん患者が喜ばしい前兆について説明するとき、そこには性的な意味合いが含まれる可能性が高いことを強調している。 [13] [14]

ドストエフスキーが側頭葉てんかんであったとする研究者が論拠にするのは、ドストエフスキーが発作が起こった後は「長い間しゃべることができなかった」また執筆に際して「よくことばを取り違えた」と語っている点である。この症状は、ブローカ野に関連する左側頭葉内側の領域に起源を持つ失語症を示唆している。[8]。1863年、ドストエフスキーは、イワン・ツルゲーネフへの手紙に書いている。
[15] 

「小生は重いてんかんを病んでいまして、それが次第に募っていくので、絶望に陥っているくらいです。どうかすると発作のあとで、二週間も三週間も、ご想像もできないような憂愁に襲われるのです!実際のところ、小生はできるだけ近いうちにベルリンとパリに向けて出発します。それはただただてんかんの専門医の診察を受けるためなのです(パリではトルソー、ベルリンではランベルグ)ロシアには専門医がおりません。小生は当地の医者たちから、互いに矛盾撞着した診断を与えられるので、彼らに対してまったく信頼を失ったほどです。」(米川正夫訳)


さらに、いくつかの論文では、ドストエフスキーの父には頻繁に発作があったことや精神的な病気を持っていたことを示唆している。また3歳の息子は1880年にてんかんで死亡している。これらの病気の常染色体優性の性質は側頭葉てんかんの可能性を示唆している。 [1] [8]

哲学者で文芸評論家、ドストエフスキーの友人であったはニコライ・ストラーホフは回想にドストエフスキーのことばを書き留めている。
[8]。

「(発作の前には、恍惚となる一瞬が訪れるのだそうである。かれはこう言っていた)「ほんのわずかの瞬間、ぼくは正常な状態ではおこりえないような幸福、ほかの人々には理解できないような幸福を体験するのです。ぼくは自分のなかにも、全世界にも、完全な調和を感じます。それに、その感じはとても強烈で、甘美なものなので、あの快感の数瞬間のためなら、十年、いやもしかしたら一生涯を捧げてもかまわないくらいです。」
(ドリーニン編 水野忠夫訳『ドストエフスキー同時代人の回想』河出書房 1966)

一方で、1865年、ドストエフスキーは、兄のミハイルへの手紙の中で「私はあらゆる種類の発作を経験しました」と語っている。現在、それらの発作を正確に調査して分類することは不可能だが、 少なくとも4つの小説『虐げられた人びと』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の中でドストエフスキーはてんかん者を詳細に描いた。中でも際立っているのが「白痴」のムイシュキン公爵である。 [16]。 ドストエフスキーはこれらの小説で、てんかん者のデーモンを否定した。むしろ、てんかん者はしばしば他の人びとよりも偉大な認識を持ち、哲学的、道徳的、宗教的な成果を表現する人物として描いた。 [1]。 ドストエフスキーは『罪と罰』でスヴィドリガイロフに語らせている。
[16]

「幽霊なるものは、べつの世界のいわば断片であって、そのはじまりである。したがって、健康な人間は、もちろん、それを見るべくもない。なぜなら、健康な人間はもっとも地上的な人間だから、その充足と秩序のためにも。もっぱら地上の生活を生きなければならない。しかし、その人間がちょっとでも病気になり、人体組織のなかの正常な地上的秩序がちょっとでも破れるとたちまちべつの世界との接触もひろがる。そして、人間が完全に死ぬと、こんどはすっかりべつの世界に移っていく。」(江川卓訳)


ニコライ・ストラーホフは、1863年に目撃したドストエフスキーの発作を書き残している。
[4]

「あれはたしか1863年のちょうど復活祭の日曜日のまえの晩のことだったかと思う。夜おそく、十時すぎに、わたしのところにかれが立ち寄り、二人で熱中して話しこんだときのことである。なにを話し合っていたのか今は思い出せないが、それがたいへん重要な、抽象的な話題だったことはおぼえている。ドストエフスキーはすっかり興奮して、部屋の中を行ったり来たりはじめたが、わたしはテーブルに向かって腰をおろしたままだった。彼は何か高尚で、楽しい話をしていた。わたしが少し感想を述べてからその考えを支持すると、かれはものにとりつかれたような表情をし、最高潮に達した熱意を示しながらこちらを振り返った。かれは思っていることを表現する言葉を探し出そうとするかのように、一瞬たちどまって口を開けた。なにかただならぬことを言うにちがいない、啓示のようなものを告げるにちがいないとわたしは予感し、心を張りつめてかれを見つめていた。すると突然、開いていた口から、異様な、長く引っ張るような、意味をもたぬ響きを出すと、かれは気を失って、部屋のまんなかの床に倒れてしまった。そのときの発作はそう強いものではなかった。それでも痙攣のために全身が硬直するや、唇の端に泡を吹くふきだしはじめたのである。かれが意識を回復したのは三十分ほどたってからであった。それから、わたしは近くにあったかれの家まで歩いて送って行ったのである。」
(ドリーニン編 水野忠夫訳『ドストエフスキー同時代人の回想』河出書房 1966)

二度目の妻アンナは次のようなエピソードを残している。
[4]

聖週間の最後の日、わたしたちは親類の家によばれ、姉の家にまわって夕べをすごしていた。夕食はとても愉快で(いつものとおりシャンパンが出た)客が帰って身内のものだけになった。フョードル・ミハイロヴィチは殊のほか元気で、姉と楽しそうに何か話していた。すると突然、何か言いかけて、真っ青になったかと思うと、ソファから体を浮かすようにしてわたしの方にもたれてきた。すっかり変わってしまったその顔つきを見てわたしはぎょっとした。急に、おそろしい、人間のものとも思われぬ叫びが、というより悲鳴がひびきわたって、彼は前にたおれはじめた。」(アンナ・ドストエフスカヤ著 松下裕訳『回想のドストエフスキー』筑摩書房 1973)

いつの時代にも、多く神経科医がドストエフスキーのてんかんの性質を理解しようとしてきた。ジャン=マルタン・シャルコーの伝統をつぐ神経科医、サルペトリエール病院のTheophile Alajouanineはドストエフスキーは部分発作および二次的全身発作に苦しんでいたことを確信していた。アンリ・ガストーはドストエフスキーのてんかんは本質的に特発性疾患であると主張したが、後になってドストエフスキーには側頭葉に病変があったことを認めた。彼は次のように述べた。「側頭葉の障害はあった。ただし非常に限られた範囲だったので発作間欠時の側頭葉てんかんに特有の心身の症状は現れなかった。てんかん発作を来たすに十分な体質的素因、これは側頭葉の障害とは別の機序でどちらの型の発作にしろ二次的には同じ帰結をたどることになる全汎発作をほとんど即時に引き起こしたものと考えられる。」 [11] [17] [18] [19]

Voskuilは二次性全般化へ移行する複雑部分発作の可能性を示唆した。 [12]。 DeToledoは、ドストエフスキーにはふりをする傾向があり、そのため偽発作に陥いりやすかったのではないかと感じた。[9]。 この見解は『カラマーゾフの兄弟』のキーになる人物、スメルジャコフによって明らかにされている。スメルジャコフは本物のてんかん発作と詐病による偽発作の両方を使い分けた。イワンからあのときの発作が本当であったかどうかたずねられたとき彼は答えた。「もちろん、振りでございますよ。終始、振りをしておりました。地下室の階段を下までひっそりと下りて、そこに静かに横たわってから、金切り声でわめき始めたのでございます。そこから連れ出されるまでわめき続けておりました。」 [20] 。DeToledoは述べた。「ドストエフスキーは時として発作が利用できることを明確に認識しており、スメルジャコフによってそのことを明らかにした。それは“私はあらゆる種類の発作を経験しました”ということばを思い起こさせる。」[9]

今一度、『白痴』のムイシュキンのエクスタシー前兆を引用しておこう。
[21]

「それは発作の来るほとんどすぐ前で、憂愁と精神的暗黒と圧迫を破って、ふいに脳髄がぱっと焔でも上げるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。生の直感や自己意識はほとんど十倍の力を増してくる。が、それはほんの一転瞬の間で、たちまち稲妻のごとく過ぎてしまうのだ。そのあいだ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、諧調にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境に、忽然と溶けこんでしまうかのように思われる。しかし、この瞬間、この後輝は、発作がはじまる最後の一秒(一秒である、けっしてそれより長くはない)の予感にすぎない。」(米川正夫訳)


最近では、RosettiとBogousslavskyがドストエフスキーの病因は複雑部分発作と二次全般発作を引き起こす内側側頭葉硬化症であり、その経過は比較的良性であったと記している。 [22]。 Baumannらは、ドストエフスキーは独自のスタイルと言葉を駆使して、文学作品の中にこれらの奇妙な症状を表現したと述べた。 [23] 。ドストエフスキーには神経の緊張と衝動が亢進する傾向があった。彼の文章はしばしば長たらしく捉えどころがなかった。独白、おしゃべり、公用語、ジャーナリズム的な表現、科学用語、言い誤り、外来語、人名や引用など、奇想を凝らした文章の寄せ集めであった。ドストエフスキーは「突然に」という意味の「vdrug」という言葉を好んで使った。小説の中のできごとは準備や説明なしに、あたかも発作のように「突然に」起こった。ドストエフスキーはこれら「突然に」の余白を丁寧な描写で埋めた。彼の作品世界は広大である。いくつかの場面では偏執的な傾向を示し、それらはしばしば道徳的・倫理的問題や宗教問題に及んだ。これは、Waxman と Gesc
hwindによって側頭葉てんかんの特徴として記載された発作間欠期の症候群を反映しているかもしれない。宗教的・哲学的な傾向を別にしても、ドストエフスキー文学が人間の感情や罪に対する問いに対して、人びとを大きな自覚に向かわせることは疑いを入れない。

ドストエフスキーは、周囲の人びとに気づかれずに行った悪と不正に対して強烈な罪悪感を抱いていたと思われる。 [1] [24]。  ドストエフスキー研究の権威 Yarmolinskyは、彼の性格を次のように説明した。「心気症に著明な未治療の神経過敏、厭世傾向、神に対する強迫的な強い信仰心、現実から夢の世界に避難する傾向」[25]。 また、彼の性格の一部をなす紛れもない特質、すなわち、「いらだち、怒りの発作、烈しい憎悪。これらは攻撃的、破壊的な特徴を帯びている。 後者の特性は側頭葉てんかん患者の一部に典型的なものである。」 [26] [27] [28]。 後年には発作の頻度は弱まったけれども、感情的に消耗する状況になると時々幻覚を起こしたようだ。神経科医の Landoltはてんかん患者の治療場面における「forced normalization*」あるいは 発作の強度や頻度が減少していく一方で精神症状の兆候が増加することがあるという事実を観察し、重要な問題として提起した。[29]

*訳者注:forced normalization
抗てんかん薬持続服用中ときとして発作の消失ないしは改善とともに,気分の変調,乱暴,兇暴性,抑うつなど多彩な精神症状を呈することがある。1953年Landoltはこのような現象の発現と異常脳波波型の改善との密接な関係をみいだし,この現象をとくにForced Normalizationと呼び報告している。一般にこのForced Normalizationは側頭葉てんかんなどのように脳波上Focusを持つてんかんにしばしば認められる。


Sekirin、Iniestaによれば、ドストエフスキーが局所に関連する特発性てんかんを患っていることを最初に記録したのは生涯の友だったステファン・ヤノーフスキイ医師であった。 ヤノーフスキイは回想している。「1847年7月、私はなにか予兆のようなものを感じて聖イサク広場を横切ったときドストエフスキーを見かけた。彼は帽子を被らず、上着とチョッキのボタンはとれ、ネクタイもなかった。軍服の数名の男たちが肘で彼を支えていた。」 [2] [30] 。ニコライ・ストラーホフの回想にも発作の目撃がある。「そのときの発作はそう強いものではなかった。それでも痙攣のために全身が硬直するや、唇の端に泡を吹くふきだしはじめたのである。」 [2]。 ドストエフスキーは自らもてんかんについて学び知識を増やしていった。後の小説になるほど、発作の微妙な症状についてより簡潔にかつ鋭敏な方法で描かれたことは明らかである。

結局のところ、ドストエフスキーは何に苦しんだのだろう? 現在入手できる文献は多いが、問題を解決に導くには至っていない。むしろ、ますます混沌となり厄介になったように見える。見解は多いがあまりにも多様で、あまりにも混乱している。 しかし、ドストエフスキーがある種のてんかん様疾患に苦しんでいたことはほぼ間違いない。フロイトのhystero-epilepsy論争は後の研究により否定された。DeToledoは、ドストエフスキーはスメルジャコフを使って偽発作の可能性をも明らかにした、と述べた。一方、友人のニコライ・ストラーホフ、二番目の妻アンナ、その他同時代人の証言は、ドストエフスキーが気質的な発作性疾患を患っていたことを示唆している。

ドストエフスキーが体験したと言われる、非常に稀だが、神経科医たちによってその存在が認められたエクスタシー発作は現在でも重要な論点とされている。てんかん学の世界的権威であるウィリアム・ゴードン・レノックスの発言は銘記されるべきだ。「ある種の人は、おそらく複合現象として、ヒステリーとてんかんの両方を経験することがある。」さらに、John M. Sutherland と Mervyn J. Eadieが 「てんかんおよびヒステリーは、1人の人物の中で、病因学的には無関係な別々の症状として同時に存在することがある。」と述べている。

References


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