ドストエフスキー作品メモ

『分身』について


米川正夫

(
典拠:米川正夫「ドストエーフスキイ研究」第2章:分身(『ドストエーフスキイ全集 別巻』)

ベリンスキイは、この作品に漲っている幻想的な色彩を、根本的な欠陥と見なして、「現代では、幻想的なものは精神病院でのみ扱われるべきもので、文学においてではない。これは医師の管轄の属すべきもので、詩人の関するところではない」と断定している。

しかしながら、かつてベリンスキイは、科学も文学も同様に、自然・人生の真実を究明することを使命とするが、ただ違うところは、科学が理論と証明を手段とするのに対して、文学は形象の再現によって、感情を通して認識させる点に存する、というような意味を述べたことがある。

まさしく、ドストエーフスキイは『分身』のなかで「幻想的なもの」(この場合では精神錯乱)という人間的な一現象を、形象によって再現したのであって、ただ芸術的な表現が完璧でなかったというに過ぎない。

1956年に発表された『ドストエーフスキイ』で、エルミーロフが、ベリンスキイの断定を敷衍して、「精神病理そのものは臨床家の分野であって、芸術家のそれではない。『分身』の中ではそれが独立した意義を持った場合が多すぎる」といい、作者は「病める魂の上に超越することなく、主人公の世界感覚と一体化した」ことを責めている。

まさしくドストエーフスキイは非凡な作家として、主人公の世界感覚と一体化したには相違ないが、それと同時に「病める魂の上に超越」したのである。もしそうでなかったら、ドストエーフスキイはゴリャートキンといっしょに、発狂していたはずではないか。

エルミーロフは、『狂人日記』の中には詩があるけれども、『分身』にはただ精神病理学があるのみだ、と断定している!それよりもさらに前にベリンスキイは、『分身』によって初めて芸術化された近代文明の産物、近代都会の生んだ現象を、いとも簡単に否定したばかりか、嘲笑せんばかりであった。ところが、ドストエーフスキイは、これを科学の反面である文学によって、大きく肉づけしたのみならず、かかる現象に対して人類的な悲哀をいだき、これを絶滅せんことを、おそらく無意識に祈願したのである。

かくしてドストエーフスキイは、『狂人日記』のポプリーシチンの発狂、『鼻』のコヴァリョフの分裂という二つのテーマを総合して、先師をはるかに凌ぐ思想的な作品を創造した。彼は自分の鋭い感覚と知性をもって、ゴーゴリの幻想的な作品の蔵する魅力を分析し、その思想を深化し、現代化したうえ、どうしてこのような現象が起こるかを示したのである。

主人公のゴリャートキンは、単に地下生活者のみならず、『悪霊』のスタブローギン、『未成年』のヴェルシーロフ、イヴァン・カラマーゾフの先駆者として、ドストエーフスキイの創作において、最初の大きな道標の役をつとめている。ドストエーフスキイ自身も、その意義を自覚して、1877年の『作家の日記』でこんなことをいっている。

「この小説は断然失敗であったが、その着想はかなり立派なもので、あの構想以上にまじめなものは、わたしもかつて文学の中へ導入したことがない。が、形式はぜんぜん不成功であった。その後15年たって、うんと直したけれど、そのときもこの作品がまったくの失敗作だということを、ふたたび確信した。もしいまわたしがこの着想を取り上げるとしたら、ぜんぜん別の形式を与えたであろう」