Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会 『読書会通信』No.184(2021)


美しい生涯 新美しづ子さん

下原康子


新型コロナウイルスがまたたくまに世界中を覆いつくした令和2年。私は二人の大切な人を亡くしました。郷里の母(6月7日・享年99)、そして読書会のメンバーだった新美しづ子さん(10月12日・享年102)です。新美さんとの出会いは2004年11月25日。早稲田大学で開催されたドストエフスキーの曾孫ドミトリー・ドストエフスキーさんの講演会後の懇親会(高田馬場の居酒屋)です。私の前に新美さんが座っておられました。意気投合し、さっそく読書会にお誘いしました。 その日の思い出を生き生きと書かれています。
ドミトリー・ドストエフスキー氏来日と私 (ドストエーフスキイ広場No.18)

新美しづ子さんは1918年東京生まれ。青春時代に戦争体験された数少ない参加者のお一人でした。「今読むドストさん」を心底楽しまれていました。居酒屋二次会にも必ず参加され、みんなと同じように生ビールのジョッキを傾け、食べ、誰ともでもくったくなく語り合われました。男女二人の大学生が新美さんのファンになりました。あるとき、新美さんと私が高校の同窓であることがわかりました。同窓とはいえ、私の母より2歳年上の新美さんの女学校と戦後十数年後の私の高校では、思い出を共有すべくもありません。でも、新美さんはそんなことはおかまいなしで、「ねえ、××先生憶えてる?」などと聞かれるのです。そういう時の新美さんは愛らしい女学生そのままでした。

新美さんは優れた書道家であり、また歌人でもありました。美しいかな文字の書を何度か拝見する機会がありました。孫を連れて出かけた東京都美術館の書道展をとりわけなつかしく思い出します。書道展の後、読書会で新美さんから半切(34.5×136)の書をいただきました。北原白秋の歌が斬新なレイアウトで流れるように描かれていました。
大きなる足が地面(じべた)を踏みつけゆく力あふるる人間の足が (地面と野菜)
孫(男の子)は当時4,5歳だったでしょう。幸い書道展会場は人がいなかったので、孫にねだられベビーカーから下したら、広々した会場を靴下のまま駆け出したのです。私はあわてました。ところが、新美さんは孫のやんちゃがたいそう気に入って、この白秋の詩を連想なさったそうです。その日は上野公園のうなぎ屋でうな重をごちそうになりました。孫もほぼ一人前を平らげたのには驚きました。今年中三になるこの孫の大好物は今でもうなぎです。

同窓の縁に加えて、下原敏彦の郷里、長野県のつながりがありました。新美さんの思い出の長野県は下諏訪。敏彦は下伊那郡阿智村でやや離れているのですが、長野県出身というだけで十分でした。戦争中、どういう経緯か、下諏訪駅の駅舎で長男を出産されたのです。その時助けてくださった助役さんのお名前を何度も口にされていました。戦後お二人のお嬢様に恵まれましたが、駅舎で生まれたご長男を若くして亡くされたことは新美さんの生涯でもっとも悲しいできごとだったでしょう。諏訪は私たち夫婦にとってもなつかしい地です。私の短大の同級生、ドストエーフスキイの会や読書会でいつもいっしょだった無二の親友伊東佐紀子さんの故郷です。伊東さんは平成7年4月20日に49歳で亡くなりました。何度かお墓参りに行きました。中央高速バスから見る諏訪湖は見慣れた光景です。

東京芸術劇場小会議室、池袋西口の居酒屋、高尾山、習志野市谷津干潟、上野不忍の池、石神井公園、日芸(江古田)。たくさんの楽しい時間をごいっしょに過ごし、折に触れて詠まれた歌を記したお手紙をいただきました。その中から。

2009年5月 谷津干潟散策を詠む。
次の日も次の日も消えぬ花のいろ私のなかの栃の木の花
この今がふっと不可思議樹の下に友だち十人小雀一羽

2009年11月23日 紅葉の高尾山を詠む。
あきつしま紅葉の山にゆきあえりすらり黒衣のイスラムのひと
シルバーシートにまどろめり今日の息子たちイワン、アリョーシャ メニイサンクス

2014年7月26日 清水正先生の講義を聞く(60年前に一学期だけ在籍した「日芸」で)
目にはみえない神秘のゾーン文学の頭上に長く横線ひとすじ
燃ゆるものひとばしるもの身にひびき受講三時間しずかに終る

自慢めいたことは口にしない新美さんでしたが、下原敏彦の本
(『ドストエフスキーを読みながら』)進呈の返信に「安岡章太郎さん、椎名鱗三さん、私にもいくらかかかわりのあるお名前に引き込まれました」とありました。安岡章太郎と新美さんは同年代で、お父上はいずれも陸軍獣医官でお互いに親交があり、章太郎くんとシズちゃんはいっしょに遊んでいたそうです。椎名鱗三さん、また北原白秋さんとのかかわりについては、いつかじっくりうかがいたいと思いつつ、とうとうかないませんでした。詠まれた歌からも新美さんの文学に対する愛着と本物の教養が感じ取れます。

2007年2月10日の読書会で『』の報告をされました。
『鰐』を読んで  
(ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.100 発行:2007.2.1)
専門家でもあまり論じない小品『』をおもしろく紹介しながらも、本家ゴーゴリの『鼻』に軍配をあげ、曾孫くんに『一寸法師』を読み聞かせながら『』を連想、「呑み込まれ方」における日本人とロシア人の気質の比較など、その発想のみずみずしさ、ピリッとくるユーモア、年齢を超越した表現に目をみはりました。このときの新美さん88歳。

新美さん、大好きでした。メニイメニイサンクス。あなたのように賢く愛らしく美しく年を重ねていきたい。そして、「今読むドスト君」と仲間たちとの交流を愉快に続けていきたいと思います。見守っていてください。もし、天国の庭で草むしりをする小柄なおばあさんを見かけたら私の母かもしれません。傍に痩身の紳士がいたら文学好きだった父かも。声をかけてみてくださいね。


     

読書会HPのトップページに載せた読書会光景(2006年ごろ?)。最後列の後姿の白髪の女性が新美しづ子さんです。2015年4月15日のお手紙には、「近くの方の声も聞こえなくなりました」とあり、次第に参加が減っていきました。その後は、3、4回石神井公園駅のカフェでお会いしました。しきりに読書会をなつかしがられ、身体がふらふらしなければ、みなさんに会いに行きたいと話されました。令和元年の春、堀田信子さんとご自宅にうかがったのがお会いした最後になりました。
 
   2019年(令和元年) 最後の年賀状 
 
谷津干潟散策(ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.114 2009.7.2)
連休の5月4日(土)、読書会有志は、千葉県習志野市にあるラムサール指定地の谷津干潟散策とバードウオッチングを実施しました。10名の皆さんが参加しました。前列右から3番目が新美さんです。駅前でお弁当を購入。ぶらり干潟に向かいました。途中のバラ園は、まだつぼみでしたが、潮風のなかに微かに薔薇の香を感じました。うす曇で、暑くもなく、寒くもなくお天気にもめぐまれました。3`余りのコースを2時間余りかけての散策。楽しい愉快なウオーキングとなりました。くすのきの木陰で、皆で食べたお弁当、おいしかったです。帰り道のコーヒー専門店では、にわか読書会開催となりました。