ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.59 発行:2000.2.12


私は、なぜドストエーフスキイを読むのか、読み続けるのか

ミレニアム記念寄稿 3サイクル&30周年記念特集 (2000.2.12)

読書会がスタートしてから間もなく30年になります。全作品読了も3サイクル終盤に入り今春完了をメドにすすめられております。そして、気がつけば時代はミレニアム。この節目を記念して先般、下記のテーマでアンケートをお願いいたしましたところ、現在続々と熱いメッセージをいただいております。ご協力ありがとうございます。本紙面にて連載形式で順次ご紹介していきたいと思います。なお、引き続きご協力をお願い致します。何時でも受付けております。また、書き足らなかった方は、再度でも結構です。




四大作品があるから人生やっていける! 

出川成海

                                  
私が人生の極限情況に直面したとき、例えば死病に取り憑かれたとき、机上の読書から得た思想をもってその運命を従容として受け入れることが出来るだろうか?書物から得た思想が頭で理解した知識にとどまらずに血肉化されることの難しさ、書物にしか人生の拠り所を見出せなかった私にとり、これは大問題でした。しかし、初めて『白痴』を読んだ時の震撼は我が人生上の衝撃的体験でした。椎名さんが「ドストエフスキイ体験」と言うように、ドストエフスキイを「読む」ことは即ち、「身で経験する」ことにほかならない、と実感しました。活字を読んでドストエフスキイほど直接生身に応えた例は他にありません。四大作品があるから人生なんとかやっていける、というのが私のドストエフスキイに対する思い入れです。ですから我が存命中は常時、何れかの作品を読み返し続けるつもりです。


若い頃と異なった視点で読む楽しさ

桧垣京子                               

10代から20代にかけての青春時代、トルストイやドストエフスキーに魅せられて両文豪の作品群を読みあさりました。人生の深層に触れることができるように思ったのでしょうか。しかし、結婚により、家庭生活に埋没。いつのまに時が流れてしまいました。ある機会に、「全作品を読む会」の存在を知り「ミニ通信」を送っていただくようになりました。読書会にはなかなか出席できませんが(もう少しで時間がとれるようになると思うのですが)、皆様の熱い思いに触発されまして、ドストエフスキーを再び手にとるようになりました。現在、若い頃の感性をふりかえりつつ改めてドストエフスキー全集を本箱の全面に並べて、時間のあるとき読み返しております。60代に入らんとする今、昔と異なった視点でドストエフスキーを読んでいます。


人間の全てが描かれているから

鈴木寿仁

1.愛と冒険の小説だから。
2.悲と苦に満ちた小説だから。
3.すぐれた心理描写が小説だから。
4.きらめくような知恵がちりばめられているから。
5.深淵な思索・思想が横たわっている小説だからる。
6.抱腹絶倒必定のユーモアに溢れているから。
7.知のあらゆる側面を刺激するテクスト性(モノリス性)に富んでいるから。
8.作者の底知れぬ怒り(偉大なる憤怒)が渦巻いているから。
9.とても下卑ていてかつ崇高な小説だから。


魂と霊について語ってくれる

近内トク子

ドストエフスキイは私に魂と霊について語ってくれるからです。


たどり来て、いまだ山麓

佐藤隆彦
                                 
マクベスはそのダンカン王殺しの最中、隣の部屋から「神よ、お慈悲を」と聞こえたにもかかわらず、「アーメン」と答えられなかったことにひどく嘆くのである。『悪霊』において神に最も近づいた男キリーロフは、「マリヤがお産するんだよ」と告げるシャートフに対し、すっとんきょうな対応しかできない。(旅の女)。いかにすぐれた人物であろうと日常的な挨拶もできなかったという一点で完成された人物像をつきくずすという小説の一形式を踏襲しているにすぎないのである。が、ドストエフスキーの場合、これがわかって「たどり来て、いまだ山麓」といったあんばいなのである。※ マリヤは、キリーロフのことを気違いとまでいう。さらに主人公たるアントン君の視点。これは小説を読みづらくする手法の何ものでもないが、読んでくる人もいるから世の中こわい。


提起したものが解決されていないから

中本敦 

19世紀ロシア文学の中で、最も難解なので、現代においてもドストエーフスキイが提起したものは解決されていないから。読書困難な年齢になってまいりました。有難うございました。


難解さに愉しみとファイト

山本一郎

ドストエーフスキイは難解だから読み応えがあります。解明できない所を色々考えることに愉しみとファイトが湧くのですが歳にはかないません。能率が悪く読むのが困難です。長編が多いこと描写が細かく深いことで難渋します。読書会は夜間のため出席不可能です。昼間の会合だったらいいのですが・・・。


私は生涯、読み続ける

田中幸治                              

ドストエーフスキイにおいて、イヴァンという典型においてであるが、神に反逆することまことに神々しい。そしてドミートリイは餓鬼のためにゆくという。祈る人アリョーシャはグルーシェンカから「貴方は私の三日月さまよ」といわれる。そういうドストエーフスキイであるからこそ、私は生涯ドストエーフスキイを読み続ける。


人生尽きるときまで

金村繁

私がドストエーフスキイを読むのは結局ドストエーフスキイがドストエーフスキイであるからで、それ以外の理由はないのです。強いてそこの所を聞かれるなら、アンドレ・ジイドの次のような意味の言葉を借りてご返事することになりそうです。「他の作家は人と人、人と社会の関係を扱ってきた。(が、Dは人と神の問題を扱った)そこがドストエーフスキイの傑出しているゆえんなのです。」ジイドは多分自分もドストエーフスキイのようになりたかったのではないかと想像しているのですが、私もまあそんなとこです。私は最後までドストエーフスキイを読むことをやめないつもりです。


美しき人間に魅せられて

岡田多恵子

私は、「なぜ」ドストエーフスキイを読むのだろうか?まだ、20才になる少し手前の頃だつたと思う。世界文学全集の中から『罪と罰』を読んだときのショックは今もって、心の奥深い所にうずいているような気がする。読み始めて、しばらくは、そのストーリーや心理描写にどんどん引き込まれ、読み終わった時は茫然自失の状態だったように思う。私の心をやにわに素手で掴み取り、それを目の前に曝け出されたような、そして、その隣に燃えるような心を並べられ、ほら、お前の心は確かに激しく波打ちピンクに燃えているが、もっとよく見てごらん!この隣の心は、もっと大きく赤く燃えて炎を出したり、それが急にすきとおる湖のように水色に染められたり、黄金に輝いたり、そんな心もあるんだよ、お前の心も、もっともっと多くの経験をして、学んで、痛みを味わい愛を知ったなら少しは近づけるかもしれない。そんな暗示を与えられた思いであったように思うそんな時から、かえって恐さを感じてか、しばらく遠ざかっていたが、20代後半ぐらいから、もう一度めぐり会い、もがいたり、苦しんだり、涙しながら読み続け、その後、10年ぐらいたってドストエーフスキイの会を知ったように思う。そんな中でドストエーフスキイに魅せられ悩まされ虜にされた人々が腐れ縁のように、あるいは旧友として、または恋人のように、しかしそれぞれが深い理解と愛を持って、歩いて来た人が沢山いると知り、大きな驚きであった。そして今、多くの人々と出会い経験し、人間の不可思議さについて、悲しみについて、生き方について学び、良いも悪いも認め受け入れつつ愛さずにはいられない人達。そして、ドストエーフスキイの作品の登場人物を胸に抱いて終生共に歩もうと思っている。そして少しでも彼の求めた美しき人間像に近づけたら、と思って、又、読み続けることでしょう。      


心の対話における師

下原康子

内なる声に気づかせ、その声に答えてくれるから。心の対話における先生だから。
愛すること以上に大切なものはないこと、また同時にその困難さを思いおこさせてくれるから。
許す訓練をさせてくれるから。
偽善を嫌う気持ちの中に潜む偽善に気づかせてくれるから。
今、この瞬間からでも生まれ変わることができるという希望を与えてくれるから。
人間の謎を解く鍵を探すために。


生き方の示唆を与えてくれるから

中曽根伝

@辛酸をなめた作家として人生を知っているかた。
A自己完成的(宗教的)人生観が現代に生きる私たちに行き方の示唆を与えてくれるから。
ドストエフスキーにもっとも影響を与えてた書物は聖書。ドストエフスキーの愛読者はまず聖書を読むべきだと思う。新訳聖書のどの個所が最も重要で次に重要なことはどこか知ることが大切と思います。ドストエフスキーは聖書のどこに聖書全体のポイントを置いたのかを理解することが本当にドストエフスキーを読むことだと思われます。


自分の生き方を考えるため

北川正路

「自分の生き方を考えるため」に読み続けるのです。


未来永劫、あり続ける姿

高橋由紀子

ことしはじめ、試験終了。ちょっと寂しく、とげぬき地裁に行ってみた。3時半頃のことだった。出店は片付けにとりかかりはじめ、高島易の看板をつけたところだけがそうした気配もない。多分、夜遅くまでやっているのであろう。さすがに年末に近い頃(といっても、12月半ばのことだったが)娘とともにはじめてきてみた寒風吹き荒ぶ5頃とは違い、ひとの気配を感じはしたが、それでもいわゆるなにか巷間うわさされるお年寄りの原宿というようなにぎわいはなかった。私は境内をプラブラし、いま来た道をとってかえしては、あたたかい飲み物を求めてまた境内に戻った。アンパンをかじりたかったからである。塩大福を買ってきたという人の話を何気なく耳に入れているうちに、まるで置物のように立ち尽くしていたひとりの僧の婆が浮びあがってきた。そうだ、彼はここにくる大分手前の寺の門前で物乞いをしていたのだった。足元に紙袋の包みがなかったならば、ほんとうに未来永劫そこに在り続ける飾りとなんら変わらぬ姿で。黒塗りのお碗を持つその手のなにやらふあふあした感触がつたわるほど近く寄った私は、わずかなためらいを覚えつつその前を通り過ぎたのだった。帰り道にもまたその僧はいた。
僧の瞳(め〉の 窪みにたまる つゆ幾つ
笑うが如き 怒るが如き 怒るが如


変わらぬものがある

野澤隆一・知恵

自分の直感、感性を小説の中の人物像に照らし合わせ、基本形から一つ一つ検証して行く為の文学としての最もすぐれた作品がドストエーフスキイの中にはあります。世の中がどのように移り変わろうと人間である以上変わらない部分の典型が作品の中にはちりばめられています。「政治と文学」の論議はいつの時代にもありますが、ドストエーフスキイはそれを超超していると思っています。


近代化に対する深く鋭い分析があったから

高橋誠一郎

最近、私は日本の近代化をドストエーフスキイの受容という視点から考察した論文「日本の近代化とドストエーフスキイー福沢諭吉から夏目漱石へ」(『日本の近代化と知識人』所収 東海大学出版会)を書きました。ここでドストエーフスキイが日本の近代文学にも強い影響を及ぼした理由の根底には近代化〈西欧化)に対する彼の深く鋭い分析があったことを明らかにしようとしました。『ドストエーフスキイ広場』第9号に掲載の論文では、ドストエーフスキイが「近代化の制度としての学校」の問題をすでにフーコーに先だって深く考察していることを『貧しき人々』と『分身』の考察を通して明らかにしようとしました。また、同じ時期にまとめた「近代的な<知>の反省−『死の家の記録』から『地下室の手記』へ」(『文明研究』)では、このような制度や権力の考察が『死の家の記録』において一層深められていることを示そうとしました。ドストエーフスキイが提起した問題やその解決の試みを解明することは、新しい世紀を切り開くためにも焦眉のことだから、と考えています。


ドストエフスキーは、今ここに生きている

熊谷暢芳

「陽気な人は無神論者ではない」という『未成年』のマカール老人の言葉が私をとらえて放さない。あらゆる人が、どこかに「明るさ」を持っている。たぶんそれなしでは生きていけない。すると、あらゆる人は好むと好まざるとにかかわらず無神論者ではない。ラスコーリニコフ、キリーロフ、イワンその他のピックネームの思想は見物としてはたいそうなものだ。しかし、このマカール言葉は、そうした物語を離れて日々生きる現実の私に対し、死角を突いてくる。「おまえは神を信じているはずだ」というのだ。私は神を信じているのだろうか。私が否定しきっていないこと、そのことによって、私は明るさを持ち続けていられる。それは、私の一部である見えない部分だ。ゾシマにかかるとこの思想はもっと明示される。それがなければこの世は地獄であるという愛は、この世を地獄と感じることから人を遠ざけさせるこの明るさのことだ。この明るさは異界から来るという。しかしこれは一層わからない。一方、明るさの源泉は、現在の脳生理学の知見によれば、個体の脳に存在する脳内物質の作用として説明される。個の快のみであるなら、もう異界は不要だ。いったい明るさとは、個にのみ還元できるものなのか、それとも個を越えるものなのか。個を越えるものである、との答えの向こうに異界からの放射であるという言葉の実質が見えてくるかもしれない。いまや、神があるか、との問いには、麻薬の快楽と崇高なるものに対する至福は同じか、という設問に置き換えられる。これは、二つの美の差異を見いだせず驚愕するミーチヤの姿だ。この差異とは何か。陋劣な欲望に耽りながら崇高なヴィジョンを見ることの出来るスタブローギンの前に立ちふさがり、両者の併存を許そうとしないマトヨーシャの幽霊だ。この差異がなければ神はいる余地がない。神の有無を問うことの意義が失われ、ドストエフスキーのモチーフは失われたか。競合するにしろ共有するにしろ、ひたすら欲望の充足と快の追求を原理として動く現代において、快を追求するそのままの姿勢を、その深部において個の呪縛から解き放そうという苦闘によって、ドストエフスキーは、今ここに生きている。だからドストエフスキーはわたしを放さない。


大切な宝物

南川逸子

会の仲間たちは、私にとっては大切な宝物のようです。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。本格的に参加させていただくには、まだまだと思いますが、忘れずにいて下さることは有難いですし、感謝しています。


原点への郷愁

釘本秀雄

まずは雨ニモマケズ風ニモマケズ30年の長いスパンを乗り切ってこられた先輩諸兄姉ならびに会の皆様の弛まざるご努力と熱意に脱帽、暫し鳴りやまぬ熱烈な拍手を送るものであります。新しい門出にあたって、皆様さまざまな感慨をお持ちでしょうが、私は、昔好きだった中学の国語の先生が「人間、死ぬまで(童心)を忘れてはダメだよ−それは心の宝なのだ。」と仰言ったことを事あるごとに思い出し、いわばそれを座右銘としておりましたが、今もふっとその言葉を思い出すのであります。(童心)−それは一体何だろう?

ダブラ・ラサ(白紙)の上に描かれた1枚の絵、何気ない、しかし鋭敏に反応する1枚の感光紙の上に投影される光と影・・・。いまだ世の既成概念に汚染されない、そして金属疲労していないヴィヴィッドでシャープな感受性、それこそが、あらゆる論理に先行する「文学の原点」ではないでしょうか。〃そんなことは解っている〃−そう確かに(釈迦に説法)には違いありません。しかし今、この時にあたって敢えてそれを確認したいのは、4サイクルの節目を迎え、回を重ねる毎に、細分化(ジレッタンティズムへの傾斜)、抽象化(形而上学的探求)そしてそれらと深く係わりつつ、D文学の現代文学との接点等が問われつづけ、論理的先鋭化を競い合う形で会が持たれるであろう展望をもつからであります。いや、すでに現在進行形のかたちでその傾向は続行していると言っても過言ではないかも知れません。

誤解を避けるために言えば、その傾向をネガティヴな形で私が把えている、と言うことでは決してありません。それどころか、これら観念の構築作業は、テキストを読んだ時の実感や情念に対し、文学的想念の新しい地平を切り拓いてみせてくれる、文学サークルに必須な活動であろうと了解しておりますし、また私自身(D文学と現代文学との接点)については深い関心を持ちつづけております。ただ具体的には、例えば間もなく4サイクルの1回目として『貧しき人々』のテキストを再読したとき、それとどの様に向き合うか、と言うことであります。ポクローフスキー老人が最愛の息子の柩を追って氷雨降るなか、嗚咽しつつ泥道をこけつまろびつ、ポケットからこぼれ落ちる息子の本を拾いつつ駆けてゆく・・・あのシーンに涙することが、この度も出来るでしょうか。言いかえれば昔の感動を生き生きと甦らせることが出来るでしょうか。それとも、もうそんな愁嘆場はわかりきっていることだ。と、概念的に割切って、さきほど述べた観念の構築へと急ぐでしょうか。あなたご自身はどちらでしょうか?

つまり、私の言いたいことは(自戒を含めて)足場を疎かにして天にも届けよとばかりにバベルの塔を築くのではなくて、基礎工事(これは論理に先行する感動、実感を意味します)を確認しつつ近代的高層ビル(論理の構築)を建てるべきだ、と言うことであります。論理は確かに必要でしょう。しかし、またそれは両刃の刃であって性急に論理で割り切ったあとには、割り切れなくて切り捨てられた(余り)が点々と散らかってゆきます。それは文学の方法ではありません。文学の原点である(感動)、(実感)を尊重しつつテキストを読みこむことは分かり切ったことの様でいて、実はなかなか難しいことかも分かりません。それは会の運営と個人の主体性の双方に係わる問題であるからであります。以上を要約すれば、文学は言語芸術であって学問ではない。芸術に対するには芸術に対するスタンスが必要であって、本質的には学問に対しているのではない以上、学問はこの場合方法論でしかない、と言うことを再認識することの必要性であります。
次にD文学に対するスタンスの問題があります。勿論、文学に対している以上、各人各様のスタンスがあってしかるべきで、寝そべって読もうと、襟を正し、テキストを三拝九拝して読もうと大きなお世話であります。何をどの様に読んでもよい。その自由闊達さ、大らかさ優しさ・・・が文学の魅力でもある訳ですが、その(自由さ)の中に或る種の(アイマイさ)や不文律的なタブーが(ドストエフスキーのもつ、ある種のカリスマ性やファン心理からくる個人崇拝的感情を絡み合って)もし会にあると仮定すれば、そのような雰囲気は打破したいと思います。それは多分、私個人の被害妄想的杞憂であろうと思いますが、たとえばドストエフスキーの晩年における反動的な政治姿勢に言及したときに、聴く側も語る側も、ある異和感、抵抗感を感じつつそれを聴いたり、語ったりするのではないでしょうか。これに対する反論は感情論でなく、冷静に事実を踏まえたうえでの反論であって欲しいと思います。話題としての「宗教と政治」は社交の場では昔からタブー視されて参りました。理由は勿論、そのふたつは余りに人をエキサイトさせ社交の場にふさわしからざる情景へと導くことが懸念されたから、でありましょう。

併し、「宗教と政治」を抜きにしてドストエフスキーの思想の何を語ればよいのでしょう?ホットにならないで何が論じられるでしょうか。一人の作家を徹底的に研究するのに、あらゆる角度からその人間像を立体的に照射し、X光線をかけてみる必要があり、そこに臭い物に蓋をしない、明晰な分析への可能性が拓けてくるものと確信します。宗教に対しても同様です。個々の信仰生活における精神的美的感情とは別の次元で、宗教の曖昧模糊とした神秘のベールは一度、徹底的にはぎとってみなければ、裸形において把握するのでなければ実態は捕捉しがたいと思います。この点、少なくとも読書会で聴きたい宗教論は一般にドラマチックでなくいささかソフィスティケイトされてジレッタンティズムに流れてゆき、その論旨の収斂されてゆく先が見えてこないのです。難しいから下手なことを発言して笑われるのではないかと懸念しないで、もっと活発な発言や討論を期待したいと思います。誰がどう言ったとか、何々の本にどう書いてあった、と言うばかりでなく生活実感として、宗教を信じているのか、いないのか、神はあると思っているのか、いないのか・・・。この問題は素朴な個人の意見をこそ尊重すべきで、そこを足場としてこそドストエフスキーの宗教思想の解明も進んでゆくのではないでしょうか。ミレニアムと4サイクルがかさなったこの新しいスタート。その前途、多幸ならんことを・・・おお神よ、恩寵を垂れ給え! 


私は、今なぜドストエフスキーを読むのか

藤倉孝純                               

学生時代にはマルクスボーイ(ガール)、30〜40歳代ではリベラリスト、50過ぎたら頑固な保守主義者、という現象は以前はよくみられました。一人の人間が世界観を転換するには、並大抵ではない人生経験と思想上の葛藤が伴うものでありますが、おしなべてみるとマルクス主義、リベラリズム、そして保守主義へと転化してゆく過程に興味がひかれます。ここには一人の人間が辿る思想上の遍歴と、その人間が年令と共にたどる心身の変転とに、どこか相関性があるのかもしれません。このように言うぼく自身、実はこの過程を辿っているのかもしれません。まだ頑迷な保守主義者にはなっていないつもりですが。しかしかつての仲間からみれば、レッテル付きのリベラリストである点は間違いないらしいのです。「私はなぜドストエフスキーを読むのか」−? この問いはぼくにとっては、とりもなおさず、「ぼくはどのようにして、ドストエフスキーにたどり着いたのか」、ぼくの40歳までの生活を語ることに等しいのです。というのは、ほかでもない、ぼくの世界観の転換の節目節目にドストエフスキーがからんでいるからです。

1.会員になるまで               
父親の影響が大きかった、と今にして思いあたるのだが、学生時代は勉強は二の次で、学生運動にのめりこんでいた。ぼくはマルクス主義過激派の一グループに身を置き、六十年安保闘争に参加した。逮捕歴が数回あり、わずかな期間だったが拘置所暮しもし、当時は公安当局の「要監視」の人間となっていた。学生の最初の人生の転機は就職であって、大多数の学生はここで早くも主義・主張を放棄して実社会へとびだすのだが、無器用なぼくはそれができず、サラリーマンになってからも研究会に参加し、学生時代よりも一層、マルクス主義への確信を深めた時代は戦後日本の反体制運動としては最大規模の展開をみせた六十年安保闘争から七十年安保闘争への上昇期であった。七十年安保闘争では、ぼくは日雇労務者になってゲバ棒、鉄パイプ、火炎ビンで武装した仲間と一緒になって、連日神田の出版街で機動隊と衝突をくりかえした。当時はそういう時代だったのである。七十年安保闘争が敗北し、運動が下降線を描き始めたころ、実に悲惨な事件が明るみになった。ゲバ棒等では警察力の前に無力だと考えた最過激派がライフル銃をもって山にたてこもり警官と銃撃を交えるという、いわゆる「浅間山荘」事件が起こった。しかもこの事件が起きるまでにグループ内部の意見の対立から、悽惨なリンチの末に14名の同志が虐殺された事実も明らかとなった。いわゆる「連合赤軍」事件である。殺した側にも、殺された側にもぼくが属していたセクトの後輩が数名含まれていた。この事件はぼくには大きなショックだった。運動に参加する時があと3〜4年遅れていたら、ぼくはまちがいなく、殺す側かあるいは殺される側にいた人間であった。良識ある人々が「連合赤軍」事件を激しく非難した。一部の知識人はドストエフスキーの『悪霊』のシャートフ殺しを想起して、この事件を糾弾した。新聞の文芸欄で「ドストエーフスキイの会」を知ったのは、この事件の2〜3年後だったと思う。これが、ぼくの世界観の第一回目の転換であった。37〜8歳になっていた、と思う。しかし無器用に生まれついたぼくは、従前の世界観からスムーズに抜けることができず、「マルクス主義はどうして同志を殺すのか」という疑問に答えがだせず悩みつづけた。ドストエフスキーを読む一方で、マルクス主義の総点検をせねばなるまい、と決意を固め、いろいろ本を読みあさった。その過程で『民族問題とレーニン』という拙書が生まれたし、結局出版にまで至らなかったけれども第一インターナショナル期のマルクス派についての論文や1848年ドイツ革命におけるマルクス・エンゲルスの戦略・戦術についてのノートも生まれた。ところがこの作業を続ければ続けるほどマルクス主義についての疑問点が出てきた。とくに赤裸々に暴力を肯定するマルクス主義は、レーニンやスターリンの政治手法に起因するのではなく、マルクスやエンゲルスの思想体質となっている点が、ぼくにはことのほか重大な問題と映った。一方で「連合赤軍」事件という現実の問題にこだわり、他方で「ドストエーフスキイの会」の新しい仲間に支えられて、ぼくは徐々にマルクス主義から離れていった。

2.合理主義批判 
革命の美名のもとにマルクス主義が惹き起こした殺人は枚挙にいとまがない。たとえばスターリンの粛清と処刑、文化大革命での大量殺害、ポル・ポト派の農民虐殺等々、これらの事件で幾千万もの命が奪われたのだ。しかし大量殺戮はマルクス主義に限った悲劇ではない。「民族浄化」の名の許に、ナチスが行なったユダヤ人ホロコーストも同じ構造をもつ悲劇である。いや、ホロコーストだけではない。今世紀中、日・ロ戦争、第一次大戦、第二次大戦、ヒロシマ・ナガサキ、朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・、いかに大量殺戮が行なわれたことか。二十世紀は他の世紀にみられないほど、人間が人間を殺してきた。今世紀が〃メガトン・デス(Megaton Death)〃の世紀といわれる由縁だ。なぜ人間はこうまで殺し合うのだ ろうか−。問題がここまで展開してしまうと、マルクス主義の思想体質の検討という次元で作業は収まりがつかなくなってしまった。二十世紀をリードした自然科学の発達、技術の改良はなんだったか、今世紀をリードした諸思想とはいかなるものだったのか。換言すれば、〃現代〃という時代はいかなる時代なのか、という歴史総体に関する認識にまで問題は拡大してしまったのだ。いうまでもなく、こんな壮大なテーマは偉大な歴史家にこそふさわしいテーマであって、ぼくの矮小な頭脳の埒外にあるのだが、問題の真の所在だけは明確になった。〃現代〃とはいかなる時代なのか−これが真に究明すべき課題である。

このように、問題の真の所在がわかりかけてきた頃、ぼくはちょうど『地下室の手記』のノート作りをしている最中であった。地下室の主人公が自然科学の確実性にぶっける懐疑、「進歩と改良」になげつける不信、「美しくして崇高なもの」へ向ける蔑視が、ぼくの頭脳を駆けまわった。地下室人が呪詛しつづけた相手とは、簡潔に表現すれば近代合理主義である。西欧史の長い期間をとれば、デカルト、パスカル、スピノザ、ライプニッツ等以降の近代合理主義、短い期間をとれば、産業資本主義以降を支配した合理主義、これが地下室の主人公が対決した相手であった。ヨーロッパの合理主義に対して地下室人は、人間の内奥に息づく、ことばに言い表わすべくして表しえない非合理を強調した。この〃非合理〃に気づかされたのが、ぼくの第二の転機であったらしい。この転換はやっと十年ほど前に起こった。 ところで現代をどのような手法で解明すればいいのだろうか、これがなかなか難しい。時代区分としては、現代とは十九世紀末以降、学界の用語を使えば帝国主義成立以降とみるのが妥当であろう。ぼくは現代を解明する大事な手がかりとして、現代に先行する30〜40年を重視したい。現代に先行するこの短い期間のうちに、現代の大まかな輪郭が出来上っていった、と言えないだろうか。恰好な事例を2、3挙げてみよう。スタイルの転換で時代区分が画然としている点では、近代美術史が一番わかりやすい。

印象派と呼ばれる若い画家達が第一回の展覧会を開いたのが1874年である。第八回印象派は1886年で、これが印象派展の最後で、出品した画家達は自らを象徴主義とか総合主義とか呼んだ若者たちだった。その後美術の様式は表現主義、フォーヴィズム、キュヴィズム等めまぐるしく変転しながら現代美術の流れをつくりだしてゆく。フランスの文学に例をとると、象徴派の詩人ヴェルレーヌの登場は劇的で、普仏戦争とパリ・コンミューン(1870〜1年)抜きに語れない。彼と共に語られるランボーの『地獄の一季節』の発表は1873年である。後期のマラルメは象徴詩の指導者であって、彼のもっとも有名な『半獣神の午後』の決定稿が出版されたのが1876年である。毎週一回集まる「マラルメの火曜日」の会合から、二十世紀文学を担ったヴァレリー、ピェール・ルイス、クローデル、ジッドらが輩出した点を考えると、象徴詩を経てフランス現代文学へという流れは截然としている。

3.現代に先行する3〜40年            
現代に先行する30〜40年間の知的変動はむろん、芸術の世界にだけ起こった特殊な現象ではない。変動を先導した主力は、むしろ科学の発達と技術進歩だったといえよう。アインシュタインの相対性理論はニュートン力学の限界を明らかにし、量子力学の発展を促したことは周知のとおりであるが、ニュートン力学への批判的考察はアインシュタインが先鞭をつけたのではない。超音速の研究で有名なエルンスト・マッハがアインシュタインへ大きな影響を与えた。マッハは十九世紀末に哲学の分野でも大きな功績を残した。彼はアリストテレス以来の実体概念を否定して、認識論において相対主義を強調した。

上記のほかに音楽の分野ではシェーンベルク、言語学でソシュール、心理学でフロイト等々多彩な人物がこの時期に活躍した。ようするに現代に先行する30〜40年はヨーロッパの知的世界で、パラダイムの一大地殻変動が始まった時であった。この時期は、しかしまた流刑後のドストエフスキーの活動時期と不思議なほど重なる。『地下室の手記』が1864年出版され、『カラマーゾフの兄弟』が80年に刊行されていて、この間にドストエフスキーの名作が続々と誕生している。ヨーロッパにおける知の変動期とドストエフスキーの活動時期が、このようにほぼ重なるのは偶然ではない。両者はともに既成の概念に対する批判を内容としているから時期的に重なるのである。両者をより詳しくみれば、近代合理主義批判では、ドストエフスキーが先んじていた、と言えるかもしれない。「神は死んだ」と叫びヨーロッパの思想界を震撼させたニーチェは、『地下室の手記』を読んで強い衝撃を受け、また『悪霊』を丹念に読んで抜き書きノートを作っている。上の傍証になるだろう。ドストエフスキーのもつ影響の大きさは測りしれない。生存中から今日に至るまで世界中に影響を与えつづけている。その訳は、彼が提起した問題を、二十一世紀を迎えるわれわれが、まだ解決できていないからである。ドストエフスキーの真の偉大さは、神を喪い、知性・理性にも全幅信頼しきれない、それゆえに自我の分裂に苦悩する男女を、優れた文学として、定着させたところにある。

以上の論考から、なぜぼくがドストエフスキーを読むのか、大略から理解いただけると思う。改めて記せば、ぼくが今ドストエフスキーを読むのは、現代とはなにか、現代に生きるわれわれとはなにか、そのわれわれの一人であるわたしは今どこにいるのか・・・、こういう問いを抱いているからである。自分のおかれている場を明らかにしたい、と痛切な思いを抱いているからである。ところで「なぜ読むのか」という問いは、「いかに読むのか」という方法論に支えられてはじめて生彩を放つ。この点に若干触れて、小論の結びに代えたい。

4.いかに読むか            
ドストエフスキーといえばここ30年間というもの、ミハイル・バフチンの「ポルフォニー」論や「カーニバル」論が、かならず論題として引き合いにだされてきた。バフチンは一定のイデオロギーや理念を前提にしてドストエフスキーの作品を解釈する姿勢を批判し、なによりも彼の作品を小説としてきちんと読むことが重要である、と提唱して、大きな共鳴を呼んだ。バフチンの理論はあの悪名の高い「社会主義リアリズム」論の衰退を機に影響力を拡大していったのだが、この理論の批判の射程は「社会主義リアリズム」論を越えて、1905年前後に盛んだったロシア・シンボリスト(ロザーノフ、ヴォルィンスキー、シェストフ、ベルジャーエフ、トウルナイゼン等)にまで及んでいる。後者が哲学的、宗教的、あるいは美学的な観点という一定の尺度をもってドストエフスキーを読みこもうとした点、前者と同断である、とバフチン派の人々は批判した。

バフチンの「ポリフォニー」論については、公表された当初以来、いくつもの疑問が指摘されている。バフチンは世界文学はドストエフスキーによってモノローグ文学からポリフォニー文学へ高められた、と強調するのだが、ひるがえって、プーシキンやトルストイ、シェクスピアーやバルザックにはポリフォニーは認められないか、という素朴な疑問がまずある。この疑問に対してバフチンは最後まで納得いく回答を用意できなかったようである。また「ポリフォニー」論といえば必ずといっていいほど引用される、「作品構造の中で、主人公の言葉は極度の自立性を持っている。それはあたかも作者の言葉と肩を並べる言葉としての響きを持つ」という有名な部分は、ルナチャルスキーその他によって早くから反論がだされている。ぼくは、これまでの批評家があまり問題にしなかったところを、一点指摘したい。バフチンは「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである」と自論を述べた後、「したがって個々の題材そのものがじかに一つにまとめられるのではなく、そのそれぞれの世界、それぞれ独自の視野を持った意識世界同士が、いわば第二次的なレベルにおける高度な統一を、ポリフォニー小説としての統一を得るのである。」と述べている。

もともとpolyphonyという用語自体がさまざまな音が一つに融合して成り立つ諧調を意味 していて、統一性が前提となったイメージなのだが、バフチンはさらにその点を強調して、「高度な統一」を獲得すると述べている。問題は「統一」である。どんな統一なのか。また、ドストエフスキーの小説(主要作品に限定したとしても)には、それぞれ「高度な統一」が認められるのか。「統一」とはデカルト的な自我の復権を意味するのか、それとも絵画「アキスとガラティア」を前にしてドストエフスキーが熱っぽく語った人間性の全回復というイメージなのだろうか。処女作から『カラマーゾフの兄弟』に至るまでのドストエフスキーの創作活動を、特定の視角から整序して統一的に把握することは大事だが、「統一」の内容を明らかにしないまま、一つ一つの作品に「統一」を認めようという主張は首肯しがたい。ドストエフスキーの作品に対話性(ダイアローグ)という構造上の特徴を認めることと作品の内容に統一を認めることとは、次元を異にしたテーマのはずだ。作品に結果として「ポリフォニー」の統一性が認められたとしても、ドストエフスキーは「統一」をめざして作品をつくりあげたわけではあるまい。特定作品には「ポリフォニー」があるだろうし、他の作品には、登場人物の多くの声が一つにまとまらずpolymeric(多部分からなる重合)に終って いる場合もあるだろう。バフチンについては以上のほかに、小説を作者の伝記、社会背景、理念等から説明する手法を嫌い、言語学的、修辞学的、あるいは音韻学的分析によって進めようとするフォルマリスムスとの類縁性にも注目しなければならないが、バフチン理論のつっこんだ批判は別稿を予定している。ぼくはドストエフスキー文学の本質は「ポリフォニー」にはない、と考えている。ドストエフスキー文学の本質は、引き裂かれた魂の二極の開示にこそある、と考えている。善を求めて天国へ天翔る魂と、その同じ魂が悪に魅せられて地獄へ突走る、その両極間にくり展げられる人間実存のドラマを、優れた文学として描いた所にあると考えたい。日常茶飯の呼気・吸気のリズムから、宇宙創生の秘密までの間に、人間の偉大さと卑小さとを描いて成功したところに、ドストエフスキーの素晴らしさがある。人間の偉大さと卑小さ、それは換言すれば人間の肯定的部分と否定的部分といえよう。ドストエフスキー文学の本質は、この「Pro et contra」(肯定と否定)にこそある。

ドストエフスキーほど、人間とはなにか、神の存在・不在、善悪・美醜の基準如何等々を作品の中にもちこみ、深刻に考察を加えた作家はほかになかろう。ドストエフスキーが150年以上たった今日においても熱心に読みつがれる理由は、ここにある。一人の人生の折目、節目に必ず出会うこの種の哲学的、宗教的アポリアについて、ドストエフスキーは決して回答は出さなかった。ましてや「統一」などだしはしなかった。課題の深淵さを、課題の無辺さを、われわれに提示しただけである。ドストエフスキーが、かかる人間がかかえるアポリアを、深刻に考察できたのは、彼の天分を「」でくくれば、ドストエフスキーがおかれた時代状況に負うところが大きい、と言わねばならない。時代が示した危機意識が、ドストエフスキーの創作活動をそこまで推し進めたのである。歴史状況と作品を切り離して、言語学的にドストエフスキーを解釈したり、予定調和のもとに「ポリフォニー」の統一を措定したのでは、ドストエフスキー文学の真実は、決して理解できなかろう。ドストエフスキーを「いかに読むか」、ぼくなりの視点を大胆に提示すれば「再び、ドストエフスキーに形而上学的視点を・・・」となる。     (了)