ドストエーフスキイ全作品読む会


ドストエーフスキイとわたし 『貧しき人々』に感動した私

典拠:「ドストエーフスキイの会」会報No.15 1971.6.22 

三木卓(詩人・作家)

ドストエーフスキイに最初に感動したのは、『貧しき人々』だったと思う。『罪と罰』はこれより早くて読了したのは中学一年生の時だったが、これはそうとうな苦行で、途方に暮れた記憶しか残っていない。『貧しき人々』はそのあと『死の家の記録』をはさんで読んだが、異様な感動をうけた。それは何よりも、この作品が非常に熱っぽい衝迫力を持っているからだった。当時は朝鮮戦争の最中で、わたしをとりまく生活環境はそうとうなものであったし、わたしは何といっても無力な少年にすぎなかったから、おそらく、そのこともあったかもしれない。しかし、そんなことだけでは、もちろんなかった。

年譜を繰ってみると、この作品はドストエーフスキイ24歳の時に完成している。わたしはそのことに驚いてしまう。これが才能というものなのかもしれない。「君、君はどんなものを書いたか自分でわかっていますか。いや、君にはわかっちゃあいまい」とべリンスキーは言った、ということであるが、わたしもそういいたい思いだ。

『貧しき人々』を読み返してみて目をみはるのは、24歳の青年が、なんと深く他者と交感することができるのだろう、ということである。この作品の輝きはまさにそれに根差している。わたしは、ここに他者の悲惨を見てとり、それを出来得る限り自らの悲惨として受けとめ、感受しようとする精神を見出す。その精神は巨大な感受力を持っていて、それによって、この世界をおおいつくしたい、とねがっているのだ。わたしは、その作品の願望にまず圧倒されたのだった。

しかし、そのような志向を持った精神がどうして生れたのだろう。わかっていることは、まず、その精神が何らかの意味において苦痛を知るものである、ということだろう。余裕や弛緩は人間を鈍感にする。幸福なものは充足して外部に関心を示すことが少ない。

『貧しき人々』を読みつづけていくと、この作家が悲惨な人間の心について、それから発する行動について実によくわかっている、という思いにおそわれる。われわれは、ここにすでに後年ますますとぎすまされていくドストエーフスキイ流のリアリステックな眼が確固として存在することを知るが、同時にそんな眼をもたされてしまった青年作家の生というものの実態についても、かいま見る思いがするのである。作中人物たちは、おたがいの関係について「あ々、友よ!不幸は伝染病でございます。不幸な者と貧しい者とは、その上の伝染を予防する意味で、お互いに避けあわなければいけません」(中村白葉訳)といわせているが、これはまた、作者自身の感懐でもあったろう。不幸な者は不幸な他者をよく理解し得るし、またかれを必要ともする。そして若きドストエーフスキイは、その作品において、それを避けるどころかその逆に身をかけたのである。その〈交感〉への素直な努力がわたしを打ったのであろう。そして、後期の作品にふれたあとでも、この作品への尊敬と愛は少しもあせないのである。