江川卓さんの思い出 

ドストエーフスキイの会『ドストエーフスキイ広場』合評会報告要旨
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.75(2002.10.1)より


下原 康子


江川卓さんはドストエーフスキイの会創設メンバーのお一人で、初期のころの例会や総会、シンポジウムなどで何度かお目にかかる機会がありました。そのころを知る人は、だんだん少なくなります。それでドストエーフスキイの会における江川さんの思い出の一旦を話させていただこうと思います。

ご承知のとおり、会の発足は1969年です。今日参加されている中にはまだ生まれていなかった方もおられると思いますが、東大、日大に代表される学園紛争が一応の収束を迎え、一方で人類が初めて月に着陸した年のことです。

私がドストエーフスキイの会に初めて参加したのは翌年の1970年10月の第11回例会からです。当時の例会は毎月開催されていました。初めて参加したその日は、岩浅武久さんの「カラマーゾフの世界」という報告でした。カラマーゾフの子どもたちのお話がたいへん新鮮で、印象的だったことをよく憶えています。新宿厚生年金会館の会場は60名近くの参加者でいっぱいなり、熱気にあふれていました。ちなみに翌月の11月には三島事件が起こっています。

江川卓さんにはじめてお目にかかったのは同じ年の暮れの忘年会でした。入会したばかりでしたが、最古参の会員のお一人である田中幸治さんのお誘いがあって参加しました。その席で、新谷敬三郎先生と江川さんが「ラスコーリニコフとソーニャの間に性的関係があったかどうか」で議論されるのを目の当たりにしました。お二人ともこの話題にたいへん積極的なご様子で、新谷先生が「非常に重要な論点です」と強調されていたように記憶しています。

私の目にはお二人がドストエフスキーその人、でなければ、作品の登場人物のように映りました。新谷先生は、最初のころはスタブローギン、しばらく後になるとステパン先生、一方、江川さんは『罪と罰』のポルフィーリーです。これは江川さんご自身が「僕はポルフィーリーです」と言われたのです。「すでに終わってしまった人間です」とも言われましたが、それはマユツバのように思われました。とにかく、このときのお二人の印象が、私のドストエーフスキイの会に対するイメージを決定的なものにしました。

江川さんに似合わないものが2つありました。一つはネクタイです。夏はポロシャツ、冬はトックリセーターに上着というスタイルが定番でした。もう一つ似合わないのが先生という呼び名です。まわりの方が、江川先生と呼ぶのを聞いたことがありません。もっともこれは、ペンネームだからかもしれませんが。

ドストエーフスキイの会で4回ほど江川さんの報告を聞いたことがあります。

1回目は1971年1月の例会、私にとって2回目の例会でした。ちなみにこの年は成田闘争、ベトナム反戦運動でさわがしかった年です。江川さんは「『悪霊』におけるフォークロア的、神話的要素」というお話をなさいました。

『悪霊』を読んでさえいなかったので、内容はよくわからないながらも、その楽しげな話し振りには魅了されました。会報の報告要旨を読むと江川さんのライフワーク「謎解きシリーズ」がスタートしていたことがわかります。

この年、1971年はドストエフスキー生誕150周年で、秋に2つの大きなイベントが行われました。10月にドストエーフスキイの会とロシア手帖の会共催で記念講演会が、11月にドストエーフスキイの会単独で、記念シンポジウムが開催され、どちらも大成功でした。シンポジウムは参加者200名、延々8時間でも終わらず、第3部を次の例会に持ち越したほどでした。

このとき、江川さんもシンポジストのお一人で「ドストエフスキーにおける悪の問題」というテーマで話されました。ドストエフスキー文学の悪を民間伝承の「悪魔」から解き明かそうという前回の報告に通じるフォークロア路線のお話でした。これが江川さんの報告を聞いた2回目です。

3回目は翌年の1972年12月の第2回シンポジウムです。その時の報告は「ドストエフスキーの作品におけるフォークロア的要素」。ソーニャの「ラザロの復活」朗読場面をフォークロア的に解き明かすという、後の『謎解き罪と罰』のさわりの部分を聞かせていただきました。

4回目は、ずっと後で、これが江川さんとお会いした最後になりました。平成3〜5年くらい、総会後の講演だったと思います。『謎解き罪と罰』『謎解きカラマーゾフ』はすでに出版されており、当日の報告は『謎解き白痴』だったような気がしますが、はっきりしません。というのも、江川さんのお顔から、あの笑いが消えてしまったことに動揺し、話の内容に集中できなかったからです。病気をなさったことを後で聞きました。

そういうわけで4回も「謎解き」を直接聞く機会に恵まれましたが、肝心の内容が記憶に残っていないのです。具体的に憶えていることといえば、早稲田の小野講堂での講演中に、となりの建物からフォークソングを練習する歌声が聞こえてきて、当時はベトナム反戦運動がさかんでフォークブームでした、そのときに江川さんがすかさず「むこうはフォーク、こっちはフォークロア」と言われて、会場がどっとわいた、そんな妙なことだけはっきり憶えています。報告内容をいささかなりとも理解したのは後に「謎解きシリーズ」を読んでからでした。

にもかかわらず、お話が実におもしろかったという印象が強く残っています。なぜおもしろかったのか、うまく説明できないのですが、いの一番にご自身がおもしろがっておられ、その情熱にいつしか感染させられるようなところがありました。加えて、内容の理解うんぬんを超えた、なにか謎めいたドストエフスキー的磁力があったのです。

後に『白痴』の中の夢について書かれた部分を読んで、江川さんのお話から受けた印象に似かよっていることに思い当たりました。『白痴』のその部分を引用してみます。

「夢はそこから醒めて現実界へもどったあとでも、何か謎のような印象をのこす。この印象の中には何か一種の思想のようなものがあり、その思想はすでに現実のものである。自分の生活に即したあるものである。それは何かの新しい予言か待ちこがれていたものを聞かされたような気持ちである。この印象は非常にうれしいか、非常に悲しいか、とにかくじつに強烈である。しかしその本質がどこにあるのか、意味はどうであるか−そんなことは理解も出来ない」

つまり、私にとって、江川さんのお話は何回聞いても本来の「謎解き」の理解には至らず、あくまでも夢に似かよった「謎かけ」に終始していたというわけです。

そういえば、江川さんはトランプ占いと手相観という特技をお持ちでした。「ロシア手帖の会」の合宿に参加したとき、女性ファンの仲間入りをして、手相を観ていただいたことがあります。人に謎をかけること、とりわけ女性に謎をかけるのがお得意で、それをちょっぴり楽しんでおられる、そういう感じもしました。

今でも気になっている謎かけが一つあります。いつ、どこで、どういう脈絡で言われたか憶えていませんが、江川さんが最も好きな登場人物としてあげられた、その人物がアリョーシャだったことです。
私はこれを江川さんからのメッセージとして心に留めています。それは「アリョーシャこそはドストエフスキーが人類に残した最大の謎であり、贈り物である」というメッセージです。

そんなこんなで、これからも、アリョーシャの謎、ドストエフスキーの謎、ひいてはドストエフスキーの会の人々の謎と楽しくつきあっていきたいと思っています。
らちもない思い出話ですが、江川さんは、あの世でニコニコしながら聞いてくださったことと思います。 (2002年)

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