朝日新聞「天声人語」(7月5日)
日本人はどうしてこんなにもロシア文学が好きなのか。その一方でロシアやソ連という国への警戒心は昔から根強い。その落差に驚くことがある。ロシア文学者の江川卓さんの死に接して、改めてそのことを思う。江川さんとロシアとの遭遇は決して幸せな遭遇ではなかった。父親がロシア語学者で江川さんも独学でロシア語を勉強していたが、思わぬかたちで役立つことになる。ソ連のチェコ侵攻の年の68年、抗議行動をする江川さんの名を紙面で見た読者が声欄にこんな投書をしてきた。日本の敗戦時の平壌でのこと。女性が子どもが避難していた宿舎にロシア兵が毎晩押し掛けた。「女を出せ」と叫んで発砲する。そのたびに、一人の青年が、落ち着いた態度でドイツ戦線帰りの荒々しいロシア兵と相対し、ピストルをつきつけられながらも臆せず、堂々と話をつけて追い返してくれました。これが当時旧制高校2年の若き江川さんだった。江川さん自身はのちに「ピストルの銃口で胸をぐりぐりやられながらの応対だから、度胸だけは十分すぎるほどついた」が「私のロシア語はいやが上にも品のないものになっていった」と回想している。(毎日新聞)
父親はソ連に連行され収容所で亡くなった。「好意を持っていたロシア人のこの現実」に江川さんは引き裂かれる思いだったろう。しかし、ロシア文学への愛着は消えることはなく、晩年までロシア文学へのよき導き手だった。そんな江川さんをしのびながら、ドストエフスキーでも読み返すことにしようか。
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