ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.191
 発行:2022.3.22


読書会のお知らせ

月 日 : 2022年4月2日(土) 
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分 
時 間 : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 : 『貧しき人びと』第1回 好みの箇所を朗読 /朗読終了後はフリートーク
会場費 : 1000円(学生500円)



6月読書会:2022年6月4日(土)。
時間:14:00~17:45
会場:東京芸術劇場小5会議室
作品:『貧しき人びと』

第68回大阪読書会: 2022年3月30日(水)
時間:14:00~16:00 
会場:東大阪ローカル記者クラブ
作品:『貧しき人びと』 

【お願い】

会場の東京芸術劇場は、コロナ感染のため、直前まで開催は不確実です。心配な方は当日、東京芸術劇場(03-5391-2111)にご確認ください。
会場では姓名と連絡先(電話番号)の記入をお願いしています。
参加される方は、検温と体調管理を。発言・朗読の際にもマスク着用が必須です。



読書会6サイクル目スタート


長引くパンデミックとロシアのプーチン大統領による戦争。6サイクル目の読書会は、先の見えない嵐の中の旅立ちとなりました。6サイクル目の旅は、どんな旅になるのか。人間とは何かを改めて考える旅になりそうです。読書会は変わりません。これまでどおり、テキストにそって、自由に感想や意見を述べあっていきたいと思います。6サイクル目の最初の作品は、処女作『貧しき人びと』です。 

4月読書会は、『貧しき人々』朗読リレーを行います。各自が手紙のなかで一番気に入っている個所を選んで朗読してください。  



資 料 ① 

『貧しき人びと』ドキュメント

典拠:『ドストエフスキー写真と記録』V・ネチャーエワ 編訳・中村健之介 論創社

1844年
9月  勤務先の工兵局製図室に退役許可願を提出。 
10月19日  一身上の理由による退役 許可が下りる。
  D・V・グリゴローヴィチと同居。貧しい人たち』の執筆に打ち込む。 再三書き直す。
1845年   
1月4日  『貧しい人たち』の執筆に打ち込む。再三書き直す。 
5月4日  『貧しい人たち』をグリゴローヴィチに読んで聞かせる。グリゴローヴィチは『貧しい人たち』の原稿を『ペテルブルグ文集』に載せてもらうべく、ネクラーソフに渡し、二人で徹夜して原稿を読み、明け方共に訪ねてくる。ネクラーソフはその日のうちに原稿をべリンスキーに渡す。 
1846年  
1月15日 『貧しい人たち』の載った『ペテルブルグ文集』発行。 
3月※日 『祖国雑報』に『貧しい人たち』を高く評価するべリンスキーの批評が載った。 
1847年   
  『貧しい人たち』の単行本出版。 



資 料 ②


V.G.べリンスキー『貧しい人たち』の批評
〈ネクラーソフ刊『ペテルブルグ文集』批評〉

若き詩人に名誉と栄光あれ!――そのミューズは屋根裏や地階に住む人々を愛し、そういう人びとのことを“かれも同じ人間ではないか、あなた方の兄弟ではないか!”と、金で屋根を葺いた宮殿に住む人々に向かって言う。その詩人に名誉と栄光あれ!



ドキュメント
 

『貧しき人びと』マラソン読書 あの感動をもう一度
 
(日本大学芸術学部文芸学科 下原ゼミ/『江古田文学6号 2007』)
~ 軽井沢・ゼミ合宿で体験する1845年5月6日未明の白夜の出来事 ~
  朗読会参加者は、下原ゼミの学生たち(男子3名、女子2名)



2・20読書会報告
 

2月読書会は、コロナウイルス感染拡大のため中止しました



連 載
 

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第100回)プーチンとは何者か?ドストエフスキーに一体どんな影響を受けたのか?

福井勝也

「一寸先は闇」の現実とは、元来この様に生起するものであろうか。本連載を始めて丁度百回目の今回、核兵器使用まで堂々と語られる戦争が突如開始され、本日(3/9)で二週間になる。長年ドストエフスキーを通じ、浅からぬ因縁を自身感じてきたロシアが、隣接する同じ歴史文化を共有する兄弟国ウクライナに襲いかかっている。それも40年前(1982年夏)に、筆者も旅行者として訪れたウクライナの古都キエフが地上戦の標的になり毎日破壊されつつある。この戦闘は暴発というより、2014年のロシアのクリミア攻略前後から、ロシア・プーチン大統領によって周到に準備され、好機を狙って開始された戦争である。

国際社会は、プーチンが狙った露中心の欧州秩序の再構築、第三次世界大戦すら誘発しかけかねない今回の暴挙に対して批難と制裁を強めている。当方も今後発生が予想される惨禍を含め、その責任はロシア権力を独裁者的に掌握しているプーチンに帰せられるものと考える。そしてこの点で、彼の権力が滅ぶか暗殺でもされない限り、ウクライナ側に有利な戦争終結は残念ながら難しい。何故、こんな事態が引き起こされてしまったのか。

しかしここで当方は、国際政治の情勢論的予想をなぞるつもりはない。今回のプーチンの暴挙が何故おきたのか、その問いを根本から考えるにあたって、そこにロシア的なるものがどのように深層で作用したのか。標題に掲げたが、まずそのことはプーチンとは何者か?と問うべきだろう。そしてさらに、われわれが長年愛読して来たドストエフスキーの文学と思想が、今回の事態とどう触れあうのか否かを考えてみたいと思った。

まず気になる前提から言えば、プーチンはドストエフスキーにどれ程親しんで来ているのかという問題がある。その十分な情報は残念ながら(当方には)ない。ただ彼が、昨秋(2021.11)のドストエフスキー生誕200年にあたって、大規模改修を終えて新装開館したモスクワのドストエフスキー博物館に足を運んだとの事実が伝えられている。そしてその際「ドストエフスキーは天才的な思想家だ」とのメッセージをノートに残したと言う。そのモスクワの博物館の改修も、数年前にプーチン自身が大統領として指示している。しかしこれだけでは、無論彼がドストエフスキーの「愛読者」であるとは到底言い得ない。

そしてもう一つ、結果的にウクライナへの軍事侵攻を予告させる論拠を示した「プーチン論文」なるものがある。これは昨年夏(2021.7.12)に大統領府hpに掲載された「ロシア人とウクライナ人との歴史的一体性」と言うもので、ロシア語とウクライナ語の両方で公表された。ここでは、ロシアとウクライナ両地域が歴史文化的かつ宗教的に不可分一体であり、それは同じ血縁で結ばれた同一民族による土地だと論じられている。結果としては、その内容と決定的に矛盾する軍事行動が取られた。すなわちどんなに同胞の血が流れても、ロシアはウクライナのNATO加盟を認めず、自国へ再編入するという結末であった。

今回ここで、プーチンとドストエフスキーという問題にも言及されている読売新聞の記事(2/26)を取り上げてみたい。「視点ウクライナ危機」というトピック欄で、最初のインタビューが亀山郁夫氏であった。当方、連日のニュース・コメントに食傷気味であったので、プーチンの深層に迫る内容を興味深く読んだ。亀山氏は、まず一点「ソ連崩壊によって共産主義という大義が失われた後、プーチン氏が新たな国家的アイデンティティーのよりどころにしたのは「新ユーラシア主義」だ」と、プーチンの前提にするイデオロギーを紹介している。これには「ロシアを「ヨーロッパでもアジアでもない」独自の存在と定義する思想。ロシア革命後、共産主義に対する「ユーラシア主義」として生まれ、今世紀に入ってから「新ユーラシア主義」として改めて注目された。」との注釈が欄内に付されている。

このプーチンの行動を支える思想には、どこか既視感が伴わないか。当方、昨年の春先にDSJのzoomシンポジウムに参加するために『作家の日記』を中心に文章を読み返した。そして今回ロシアのウクライナ侵攻があってから、その時読んだ最晩年の『作家の日記』掲載の「プーシキン講演」(1880.6/8)が無性に読み直したくなった。当方、作家が当時モスクワの記念講演で賞賛したプーシキンが、そしてドストエフスキー自身が狭隘な「新ユーラシア主義」の先駆などとは毛頭言うつもりはない。ドストエフスキーが賞賛し紹介するプーシキンの理想は、より全人類的・世界的・宇宙的であるからだ。それにしても、当時19世紀の西欧世界の行き詰まりはあきらかで、作家はその後二度の世界大戦をも予測したように、基点になるべき「ロシアを「ヨーロッパでもアジアでもない」独自の存在」と考え、それによる世界的救済を訴えた。おそらく確かに、ここに真の「新ユーラシア主義」の出発点があったはずだ。しかしどこかで勘違いが始まり、それがプーチンに極まってしまったのではないか。とにかくそこでは、ドストエフスキーは下記のように書き記しているのだ。

「‥‥来たるべき未来のロシヤ人は、それこそひとり残らず、本当のロシヤ人になるというのはつぎのことを意味するものであることを理解するようになるでありましょう。それはつまり、ヨーロッパのさまざまな矛盾に最終的な和解をもたらし、全人類的な、一切を結合させるそのロシヤ精神の中にヨーロッパの悩みの解決策があることを指し示し、同胞的な愛によってわたしたちのすべての同胞をその中に収容し、究極においては、たぶん、キリストの福音的掟(おきて)にしたがって、全民族の同胞的な、そして決定的な和合と、偉大な、全人類のハーモニーという、最終的な言葉を口にするという目的に向かって突き進むことなのであります!」(『作家の日記』6 p.64、小沼文彦訳、ちくま学芸文庫)

本文中、さらに亀山氏はプーチン氏の無謀な「新ユーラシア主義」の実践が「誤った「救世主的」使命感」にまで高まっているように見える」とまで、その危険性を指摘している。この「「救世主的」使命感」には、確かに履き違えたドストエフスキー的な語感が漂う。要は、その情動の向かうべき方向が間違っているのだ。そして亀山氏は、プーチンのロシア的心性に触れて、ドストエフスキーの言葉も引用しながら、さらに何点かを指摘している。

 
「ソ連崩壊後、欧米流の自由と民主主義を基軸とするグローバリズムの波はロシアにも及んだ。しかし、ロシアには古来、個人の自由には社会全体の安定があってようやく保たれるという考えがある。この「長いものに巻かれろ」的な考えについて、ドストエフスキーは「わが国は無制限の君主制だ、だからおそらくどこよりも自由だ」という逆説的な言葉を残した。/ 絶対的な権力が失われれば、社会の無秩序が制御不能な形で現れるのではないかと恐れるロシア人は、グローバリズムに対抗するためだけでなく、自らを統制するためにも強大な権力を本能的に求める。/ ロシア人の心性には、永遠の「神の国」は歴史の終わりに現れるという黙示録的な願望があり、それが政治の現状に対する無関心を助長している。だから自立した個人が市民社会を形成するという西欧のデモクラシーが入ってきても、やがてそれに反発する心情が生まれ、再び権力に隷従した以前の状態に戻ってしまう。この国民性をロシアの作家グロスマンは「千年の奴隷」と呼んだ」

亀山氏らしい鋭い洞察が感じられる部分を何箇所か抜き書きしてみた。異論もありうるだろうが、今回のプーチン戦争を考える際、参考にすべきロシア的深層を教えられる思いがする。ただし同時に、少なくとも前述の「プーシキン講演」 (1880.6)にあって語られるべきドストエフスキーの理想は、本来別のところにあって、「救世主的使命感」を帯びた作家の語りかけも、現在のわれわれにこそ届けられるべき言葉であると感じた。

そして、それは当方がゴチにした、引用のドストエフスキーの「逆説」的言葉(残念ながら、その出典箇所を自身は確認できなかったが)の解釈にも関連してくる。私見では、その部分は『作家の日記』 (1880.8)の第三章「とんでもない言いがかり。A・グラドーフスキー氏がわたしにお説教をしたある講義についてそれぞれテーマの異なる四つの講義。グラドーフスキー氏に一言。その三「一刀両断」のなかに同じような、しかしやはりニュアンスの異なる文章として発見すべきものだと思う。以下に引用してみる。

「おお、グラドーフスキー氏よ、おそらく、ほんの一瞬でもヨーロッパから解放されたならば、そのときはじめてわれわれは、今度こそ自分の力で、ヨーロッパの後見を受けずに、われわれ自身の社会理想、それもかならずやキリストと各個人の自己完成に立脚した理想によって、そうしたことに取り組むようになるに相違ない。だがあなたは、ヨーロッパを無視してわれわれがいったいどんな自分自身の社会的、あるいは市民としての理想を持つことができるというのだ、と反問されることだろう。なに、社会の理想だって市民の理想だっていくらでもある。しかもわが国の社会理想は――あなたのありがたがっているヨーロッパの理想よりもすぐれてもいれば、ずっとしっかりしたものと言ってもいいくらいだ。――それに第一、口にするのも恐ろしいことだが――そんなものよりはるかに自由主義的である!そうだとも、ずっと自由主義的なのだ。なぜならば、奴隷的になんでもありがたがって西欧からそのまま移植したものではなくて、直接わが国の民衆のオルガニズムから発生するものだからである。(上掲ちくま学芸文庫、『作家の日記』6 p.127)
 
講演直後のグラドーフスキー氏からの批判を受けて、ドストエフスキーは喝采を受けた「プーシキン講演」の根底にあるロシア民衆の古代的理想に触れ、その進化生物的な発生根拠にまで辿ってみせる。ここに、作家の地球宇宙規模の思想思索が改めて明らかになる。
 この時期ドストエフスキーは、トルストイの非(反)戦論に対して、好戦論を唱えたナショナリストと称されることがある。しかしこの言い方には、十分な注意を要する。それはこの時期の露土戦争(1877-78)の開始時期、イスラム教徒のトルコ人に迫害されたセルビア人正教徒を救おうとしたロシア民衆(多くは農民)が、義勇兵として参戦(宣戦布告以前に)したのだった。作家はそれに共振し、目に一丁字無き民衆の心底にあるキリストによる古代宗教的な情動を自身のものとして語ったのだった。それが、民衆(義勇兵)の参戦への賞賛になった。それは、決して抽象的なプロパガンダ(好戦論)の表明ではなかった。

現在のウクライナにおいても、義勇軍、義勇兵をウクライナ政府が世界に向けて募り、すでにかなりの人数の応募が来ていると言う。各国の直接的な軍事的支援(参戦)が困難な今の国際情勢にあって、かつてのスペイン戦争のように、この個人単位の義勇兵の存在は意外に大きな働きになると予想される。たとえば、困難だとは思えるが、ロシア人の中からウクライナを救うために義勇軍に参加する者たちが出て来る可能性もある。そうした時に、もしドストエフスキーが生きていたら、かつてのロシアの民衆兵士の「義挙」を讃えたように、その参戦におそらく賛意を表明するのではなかろうか。

話が最後変わるようだが、筆者はここ数年、ベルクソン最後の大著『道徳と宗教の二源泉』(1932)を読んでいる。別のところでも触れたが、この書物は、全般的にドストエフスキーの遺作『カラマーゾフの兄弟』(1880)に同調するトーンを不思議な程強く感じさせられる。哲学者ベルクソンは、二度の大戦まで経験し、人類の行く末を深く憂慮する言葉を本著の結語とした。その言葉は、それまで自己の哲学的探求が辿って来た結果としてあった。

ベルクソンは『道徳と宗教の二源泉』を説く前提に、前大著の『創造的進化』(1907)では、知性を発達させた人類種の生物進化の現在到達点を示した。その地点は、知性動物としての停滞をも意味するが、単純な道具利用から核兵器使用まで発達し、種の自滅さえ招来しかねない危険な段階に人類が到達したことも示した。例えばベルクソンは、人類にとって戦争が避けられないものであることを生物進化の道筋として次のように説いている。

「自然は、小社会を欲したにしても、小社会の拡大化には門を開いた。なぜならば、自然は戦争も欲したからであり、あるいは少なくとも、人間の生活条件を戦争を不可避にするように作ったからである。ところで、戦争の脅威は多数の小社会を、共通の危険に備えるために、連合させる。もっともこうした連合が永続的であることはまれである。‥‥」(『道徳と宗教の二源泉』p.339、平山高次訳、岩波文庫)

本著最終章の一項目「自然社会と戦争」のほんの一部の引用だが、ベルクソンは人間知性が必然的に戦争に向かう本性を孕む生物種である事実を進化哲学から坦々と説明している。三度目の世界戦争の危機を感じさせられる今日、ベルクソンの文章が急に現実味を帯びる。
 そのような流れから、この地点まで到達した人類のこの先の可能性のあり方。それをベルクソン哲学は語ろうとして来ていたのだ。それは『創造的進化』の「生命の飛躍(エラン・ビタール)」と言う事実線と『道徳と宗教の二源泉』で新たに説かれた「(キリスト教)神秘家」と言う事実線の交点として現れる創造的人格、特権的な魂の出現に係っている。ベルクソンはその例示として、聖パウロ、シエナの聖カテリナ、聖テレザ、聖フランチェスコ、そしてジャンヌ・ダルクの出現をあげている(前掲同著p.278)。

これ以上の深入りは止めておくが、当方には『カラマーゾフの兄弟』(1880)にせよ、その一部を引用した『作家の日記』「プーシキン講演」 (1880.6)にせよ、ドストエフスキーが最晩年に到達した<希望>とは、「神秘家」に導かれる「新たな人類種」(ex.ゾシマ長老に導かれるアリョーシャ)の出現であって、それとベルクソン哲学の動的到達点が、ほぼ重なって見えて仕方がない。ただしドストエフスキーは、その正真正銘の特権的魂の「キリスト」に近しい魂を持つと考えたロシア民衆に最大限希望を抱いた。と同時に、真逆の悪魔的存在(ex.『悪霊』のスタヴローギン)を描いた。批評家小林秀雄は、戦後の『悪霊論』とも言える「ヒットラアと悪魔」(1960)で、ヒットラアをスタヴローギンに重ねて語った。最後に小林の文章とベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』の結語を並列して終わる。

「ドストエフスキイは、現代人には行き渡っている、ニヒリズムという邪悪な一種の教養を語ったのではなかった。しっかりとした肉体を持ったニヒリズムの存在を語ったのである。この作家の決心は、一種名状し難いものであって、他人には勿論、決心した当人にも信じ難いものであったようだ。その事を作者が洞察して書いている点が「悪霊」という小説の一番立派なところである。おそらくヒットラアは、人性原理から必然的な帰結、徹底した人間侮辱による人間支配、これに向かって集中するエネルギイの、信じ難い無気味さを、一番よく感じていたであろう。」

「人類は、みずからが為した進歩の重圧の下で半ば押し潰されている。人類は、自分の未来が自分次第ということを、まだ充分にはわかっていない。まず、自分が生き続けたいかどうか、それを確かめるのは、人類の方なのだ。次には、ただ生きたいのか、あるいはその上に、神々を作る機械にほかならぬ宇宙の本質的機能が、この反抗的な地球においてまでも果たされるのに必要な努力をしたいのか、それを問うのも人類なのである。」(ジル・ドゥルーズ編纂ベルクソン選文集『記憶と生』1975、前田英樹訳・1999・未知谷)

                                (2022.3.10)

参 考

●[視点 ウクライナ危機]プーチン氏、無謀な賭け 露中心秩序再構築狙う
名古屋外国語大学長 亀山郁夫氏(聞き手 文化部 松本良一)
読売新聞オンライン 2022/02/26 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/commentary/20220225-OYT8T50101/2/

●ロシア文学者を「絶望」させたプーチン氏の「最後の夢」
亀山郁夫氏(聞き手 大野友嘉子 )
毎日新聞 2022/3/12 16:00(最終更新 3/13 23:17) 有料記事
https://mainichi.jp/articles/20220311/k00/00m/030/358000c
     
●プーチンは、ロシアをも殺したのです。 ロシア反体制派知識人の手記 (全文)
 朝日新聞 2022/3/15




資 料 ③ 
 

ドストエフスキ―の蔵書 (編集室)

ドストエフスキーの蔵書
L.P. グロスマン [著] ; 中村健之介訳
(陀思妥夫斯基 No.24)
日本ドストエフスキー協会資料センター, 1973.9
所蔵:北海道大学付属図書館

ドストエフスキーの伝記や年譜で知られるグロスマンが編集し解説を加えている。中村健之介氏が翻訳され、日本ドストエフスキー協会資料センター(代表:小沼文彦氏)発行の定期冊子『陀思妥夫斯基』に掲載された。

本文の解説より:
ドストエフスキーは、生涯を通して旺盛な読書家であった。想像力と霊感の人でありながら、記録文書を好み、書物とつき合わせての精密な論証を好んだ。手紙や作品から、ドストエフスキーが所蔵していたと見当がつけられる本はあるにしても、その数は多くはない。

しかし、幸運にも、グロスマンたちは、手書きの蔵書目録を発見した。表題にアンナ夫人の筆跡で「わが文庫の書物及び新聞の覚え書き帳」と書かれたノートである。これはドストエフスキーの蔵書目録を作る目的で書かれたものではない。蔵書を処分するためのリストであり、古本屋がつけた値段が記入されている。
アンナ夫人によれば、寄付したり売却したりした本はかなりの量に昇り、ドストエフスキーの蔵書の全貌に近づくのは不可能に近い。しかし、新発見のリストは、ある程度の補いになる。

収録されている図書・雑誌は、712点。
①文学作品(1-109) ②批評・文学史・哲学(110-127) 
③歴史・法律・社会学(128-174) ④哲学と神学(175-209) 
⑤自然科学・医学・雑録類・子どもの本(300-608) 
⑥雑誌と文学選集 (609-712)




資 料 ④
 

ドストエフスキ―に対する人定審問より
(前号のつづき)
(典拠:『ドストエフスキー裁判』ペリチコフ編 中村健之介訳)


ペトラシェフスキー事件 最初の審問 1849年5月16日
1849年4月23日未明、ドストエフスキーは国家転覆陰謀の廉で逮捕される。

: 不動産あるいは自分の動産をもっているか。
: 現在は動産ならびに不動産は一切持っておりません。自分の生活の資は文学上の活動によって得ております。これまでそれによって生活してきました。
: 近しく親密な知人および頻繁に往来のあった者は。
: 完全に打ち解けた関係は、兄である退役陸軍中尉ミハイル・ドストエフスキーを除き
その他だれとも持ったことはありません。友人と言える知己は何人かあります。その中で、
とくに親しいものは、画家マイコフの家族、医師ヤノーフスキー、ドゥーロフ、パーリム、
プレシチェーエフ、ゴロヴィンスキー、フィリーポフです。繁く往き来したものとしては、
兄ミハイルと、病気の治療にすでに二年通いました医師ヤノーフスキイと、アンドレイ・ア
レクサンドロヴィチ・クラエフスキーがあります。クラエフスキーとの往来は、私が彼の出
版している雑誌『祖国雑報』と密接な関係があったためです。
: ロシア国内および国外にはいかなる知人があるか。
: ペテルブルグでの知友以外で交渉のあったのは、モスクワの親戚たちです。国外には
一人も知人はおりません。

退役工兵中尉 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
記録作成 五等文官シマーコフ 1849年5月16日




広 場
 


シンポジウム 

第18回国際ドストエフスキー協会(IDS)シンポジウム
https://www.ids2022n.jp/ コロナで下記日程に延期しました。
開催日時;2022年8月22日~8月27日
開催場所;名古屋外国語大学

新 聞 

現代社会の予言者・ドストエフスキー 祖国に説いた「同胞愛」 どこへ(藤盛記者))
北海道新聞 2022年2月12日(土)サタデーどうしん 

雑 誌

ドスエーフスキイの会 会誌『広場』31号 作家生誕200年特集号
近日発刊

『清水正研究 No.1』 2021.12.3発行
日本大学芸術学部文藝学科 文藝Ⅱ坂下ゼミ

梶原公子「ドストエフスキー作品における「聖痴愚」への一考察」
『静岡近代文学 36』静岡近代文学研究会 2021.12.10発行

ウェブマガジン

下原康子:ドストエフスキーと医学(1)~(3) 
地域医療ジャーナル
https://cmj.publishers.fm/

ドストエフスキーと医学(1):ドストエフスキーのハマり方 /「エビデンス主義」に掉さす『地下室の手記』 (2022年1月号)

ドストエフスキーと医学(2):ドストエフスキーとてんかん / W.ペンフィールド『脳と心の正体』 (2022年2月号)

ドストエフスキーと医学(3):ジークムント・フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」をめぐって -「ドストエフスキーのてんかん研究」の変遷 -
(2022年3月号)





編 集 室

☆ドストエフスキ―生誕200周年記念原稿募集
「私は、なぜドストエフスキ―を読むのか、読みつづけるのか」ひき続き受付けます。

カンパのお願いとお礼

年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援でつづいております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)

郵便口座名・「読書会通信」 番号・00160-0-48024   

2022年1月22日~2022年3月15日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて
心よりお礼申し上げます。

「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原敏彦方