ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.172
 発行:2019.2.7


2月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日 :  2019年2月16日(土)
場 所 :  池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 :  午後1時30分 
開 始  :   午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  :  『カラマーゾフの兄弟』 1回目
報告者  :   野澤高峯さん「大審問官」 司会進行 梶原公子さん       
会 費  :  1000円(学生500円)



5サイクル最終作品  『カラマーゾフの兄弟』1回目


「全作品を読む会・読書会」第1回が開かれたのは、48年前の1971年4月14日だった。初代世話人を務めた佐々木美代子さんは、この時の感想をこのように述べている。
「何年後に読み終えることになるのか、それはわからぬがという気の長い意気込みで発足した。〈そして、スタートさせた〉」(ドストエーフスキイの会の記録『場Ⅰ』)
文豪が残した膨大な作品群、ゴールは気の遠くなるような彼方だった。だが、我らが読書会チーム、いだてんのごとくの速さで読みつづけタスキを繋ぎ、1977年3月17日に最終作品『カラマーゾフの兄弟』のテープを切って第1回を完読した。実に最短6年だった。その後、10年1サイクルのペースで読み継がれ、今年5サイクル最後の年を迎えた。ちなみに母体「ドストエーフスキイの会」は発足50年周年を迎える。



報告レジメ


「大審問官」を読む二つの視点-「無神論」について-


野澤高峯

ドストエフスキー文学の日本における受容については、小林秀雄を筆頭とした批評家の論説を踏襲するのが文芸批評としての王道ですが、単なる一読者としての私はそこから離れ、今回は作品解釈に素人なりのオリジナリティを提出できればと考えています。私が特に後期作品に魅力を感じるのは、作家の捉えた「無神論」の現代的意味を読み込む対象である事に他なりません。その点、過去の読書会でも『カラマーゾフの兄弟』を思想小説と位置付け、「反逆」(第五編四)でイワンが語った反神論に対して、「神の義の論理的説明を読解できるか否か」という現代の不条理な世界説明に直結する主題や、『大審問官』の劇詩に限れば、「イエスに人類救済能力があるのか」という問いの基に、大審問官に対する肯定と否定という対立構造を前提に多くの論議なされて来たと推察します。今回はオリジナリティ重視という自らに課した制約を念頭に、そうした主流とされる内容は助走として語り、その先にある作家にとっての「無神論」について、標題の劇詩を基に、私なりの解釈を提示したいと思います。また、発表時間を短縮させる為、今回の「読書会通信」に予めレジュメを掲載させていただきました。特に私が「大審問官」を興味深く読んだポイントは、二つの目の視点から導いた「跪拝の統一性」の解釈です。それは「救済」を救う側から考えるのではなく、救われる側から考えていくという事です。時間が許せば、この現代的意味まで遡及させてお話しできれば幸いです。提示した視点に縛られず、各位の忌憚のない意見による討論の時間をできるだけ多く作りたいと思います。

A ドストエフスキーの「無神論」
* 「社会主義とは、単に労働問題や、いわゆる第四階級の問題ではなく、主として無神論の問題でもあり、無神論の現代的具現化の問題である。」(第一編五)
* 「はたしてこの全体が十九世紀間にわたって生きつづけてこなかっただろうか、今も個々の心の動きの中に、大衆の動きの中に生きつづけているのではないかね?すべてを破壊しつくした、ほかならぬ無神論者たちの心の動きの中にも、それは以前と同じように、びくともせずに生きつづけているのだよ!なぜなら、キリスト教を否定し、キリスト教に対し反乱を起こしている人たちも、その本質においては、当のキリストと同じ外貌をし、同じような人間にとどまっておるのだからの。」(第四編一)
* 作家の「無神論」を読解する際、上記のパイーシイ神父が語った「個々の心の動きの中に、大衆の動きの中に生きつづけているもの」の解釈が標題のポイントとなる。それをネガティブに捉えれば「悪霊」と呼べるだろう。
* 作家の「無神論」の本質には、宗教の虚構性に進み行く現実(近代的思考)を対置させるのではなく、その幻想が社会や人間の内心に「信」(信憑・確信)を生ませ、それがどのように現実を動かしていけるのかという「問い」を内包しているのではないか、と自分は受け止めている。現代のポストモダン社会(今の日本はプレモダンになりつつあるが)において、この意味は、むしろ、神の視点とも言える全体性を志向せずに考えていくことに、相対主義から抜け出るヒントがあるように思えることに同期している。

B 語りの構造
* この劇詩は無神論者であるイワンの創作であり、大審問官は無神論的ヒューマニストであることから組織にいるキリスト教徒という立場ではなく、あくまでもイワンが作った神の使者として、大審問官とは神の存在を認めるが、神の作った世界は認めないというイワンの思想をも具現化したメタレベルの視点を持つ人物である。作家→イワン→大審問官→無言のイエス(と思しき人)という語りの構造に、作家の文学的リアリズムがある。(奇跡はあくまでも作品内の物語として語っている)

C 一つ目の視点:キリスト教における統治権力の象徴を描いている点。
* 「マタイの福音書」によるサタンの三つの試みに対するイエスの拒否とは、自由の獲得のための「奇跡・神秘・教権(教義と権威)」への拒否であったが、大審問官的統治権力はこのサタンの試みを持って人々を統治した。しかし、大審問官自身はその「奇跡・神秘・教権」を信じ得ず、それは「魔術・神秘化・専制」(コックス)という欺瞞的手段(現代でいうところのオルタナファクト)であると認識している事から、人々に対してはその事を隠蔽している。
* サタンの試みを拒否したイエスだったが、セビリアに現れたイエス(と思しき人)は、あの世から来たことにより、死者を蘇らせるといった奇跡と神秘を人々に目の前に見せた。大審問官はこの行いはタブー(奇跡・神秘・教権として秘匿されたもの)を暴く自由を実現した異端的行為と受け取り、この行いを封じ込めた。サタンの試みを拒否したイエスには、奇跡を自ら実践し、タブーを暴露する資格や権利は今更ないと言う。
* 大審問官の問いに目の前のイエス(と思しき人)が具体的に何か回答を返せば、人間に与えた自由を自らが侵すことになり、神自らが人間の自由を否定することになる為、そうした大審問官への回答は無言なのだ。
* 一つ目の視点で取り出したテーマは、プロテスタンティズムからすれば自明のことかもしれないが、「カトリシズムによる統治権力の維持には、秘匿されるべき神秘性が必ず伴うという事であり、イエスの主張に人々が従うのであれば、個々人が苦痛や重圧を伴う自由を自らの実存に照らし、引き受けて生きていく事が出来るか」ということになる。それはその正統性の論拠も含め「近代的な統治権力が何時、どのようにして出来たのかという問題に、宗教が持っているような超越性がどのように機能しているか」と捉えることができよう。現代の日本社会では、象徴天皇制を考える視点にもなろう。また、イエスの目指した自由とはリバティではなくフリーダムと考えた方が、現代に即した解釈ができるのではないだろうか。

D 二つ目の視点:無神論を前提とした「信」(超越への希求)の象徴を描いている点。
* 「奇跡・神秘・教権」の内、「奇跡」と「神秘」とは、その内実が「語り得ぬ超越性」である。
* キリスト教に限らず宗教の共同体はこれを物語化・理論化して教義を示す権力構造(教権)に支えられて組織化され、人々はそれを信仰すれば救われると説く。大審問官は「われわれは、お前の事業を訂正して、それが奇跡と神秘と教権の上に打ち建てた」と言う。
* 大審問官にしてみれば、人間にタブー(奇跡・神秘・教権として秘匿されたもの)を暴く自由を与えれば、人間の「超越的なるもの・聖なるもの」に対する信仰や憧憬を保つことができない。
* 無神論者であるイワンの実存の在り方は、幼児虐待のような悲惨な状況を現実に受け取れば、そうした宗教的な「超越性」とは絵に描いた餅という事なのだろうし、「神の義」を問うことは本質的な問いである。そこから「神が無ければすべては許される」という考えを導き出す前に、イワンのリアリズムに踏みとどまってこの問いを解読するべきである。リアリストである大審問官は、そうした超越の内実はあらかじめ虚構だと受け止めている。
* 二つ目の視点から取り出したテーマを一言でいえば、「人間にとっての「超越的なるもの」の存在理由とは何か」いう難問と言えるだろうが、それ自体は「語り得ぬもの」である為、その内実を問う事には意味がないと言えよう。
* 自分にとっての「超越的なるもの」とは、宗教的共同体が秘匿している外在的な「神」ではないが、作家にとっての「超越的なるもの」とは、「自分や自分の仕事以上に、はるか優れたものが何かあるに違いない」(『作家の日記』)という憧憬である。
* 作家の理想とは、「もし誰かが私にキリストは真理の外にあると証言しても、もし真理がキリストを排するなら、私は真理を棄て、キリストとともに止ることを望む」という言葉として象徴されるような「キリスト」がそのシンボルだったと言えよう。
* 大審問官にとって「信」が、統治権力を維持させる必要から、教権の上に構築された奇跡と神秘という秘匿された「超越的なもの」であると仮構した(そこには自身の「信」を置かないので欺瞞なのだが)のに対し、イエス(と思しき人)にとってのそれは人々に対し「聖なるもの」へのやみくもな「信」として示すのではなく、それが語り得ぬものだからこそ、そのような超越者がどこにも存在しないかもしれないにもかかわらず、しかしそれでも「はるかに優れた何ものか」を信じ、憧れる、という人間の精神であるということであり、そのことを人々に促した。むしろ、その対象は自由に選択できるものだと考えることもできよう。
* 人間にとっての「超越的なるもの」の存在理由とは、神という外在にモラルの根拠があった世界観が崩壊し、モラルそれ自体に根拠があるのかという問いを導くことになる。その点ではこの劇詩を「イワン本人にとっては父殺しの動機にしたかった」という作家の辻原登(『「カラマーゾフ」新論』)の解釈は興味深いが、殺人教唆の呵責から狂気に向かうイワンの姿とは、ラスコーリニコフでも見てきたように、モラルの根拠となる人間性の「核」が失われてくる状況を描いたものと受け止めることができよう。ただ、この「核」を「自己の良心的意識に現れるキリストの掟」と表現されるような外在性としては捉えたくない。

E 「跪拝の統一性」の意味
* 「常日ごろの不公平と、自分自身の罪ばかりか全世界の罪よっても常に苦しめられているロシアの民衆の隠やかな魂にとって、聖物なり聖者なりを見出して、その前にひれ伏し、礼拝する以上の慰めや欲求など存在しない」(第一編五)
* ルサンチマンのみならず、こうした人間の心の不具性(抑圧感・不当感)だけが、その根拠なのだろうか?全人類の「跪拝の統一性」を実現するという目標は、近代以降はその成就を彼岸に置くのではなく、その目標を此岸に置き、いくつかの形而上学的理論や政治的イデオロギー、宗教的教義を基に現代でも具現化している。
* 作家はイワンを通じ大審問官には「跪拝の統一性の欲求こそ、有史以来、人間個々人の最大の苦しみに他ならない。(中略)神が消え去る時でさえ、同じであろう」(第五編五)と、言わせている。無神論者のイワンにしてみれば、この欲求は人間にとっての「苦しみ」(あらゆる論争の動機、愛するものへの無理解、孤独、征服の渇望、その他様々に共通する構造)なのだが、彼自身は「ねばっこい春の若葉やるり色の空」と表現するロマン性として肯定的に保持している。
* つまり、この欲求とは冒頭述べたパイーシイ神父の語った「個々の心の動きの中に、大衆の動きの中に生きつづけているもの」と捉えることができ、これを一言でいえば究極では「超越への希求」だと言えるが、そこには人間の心の不具性に根拠があるだけではなく、この希求は苦しみだけとは捉えない。ロマン的心性はルサンチマンによらず、誰でも現実的な生活の中に沈めており、この事実が社会性、政治性、文学性、芸術性等々を支えていると思わざるを得ない。その点、自分にとってこれは、日常的なロマン的世界への憧憬(真善美に向かう欲望)だとも言え、イエスの標榜した「自由」とは、この事だと自分なりに受け止めている。
* 大審問官はこの欲求を人間の本性と捉え、イエスに対し「お前は人間の本性の主要な秘密をしっていた」(第五編五)と指摘し、尚且つ、「人間の生存の秘密は、単に生きることにあるのではなく、何の為に生きるかということにある」(第五編五)とまで言わしめている。
* 自分は作家の「無神論」を「神がいなければ、人間の欲望の存在それ自体が「真・善・美」に向かう本性をもっているかどうか」という問いの形で変奏してきたが、今回の作品解読にあたり「神がいなくても、人間の欲望の存在それ自体は「真・善・美」に向かう本性をもっている」と結論めいて受け止めている。読書会での各位のご批判を仰ぎたい。



12・15読書会報告
 
               
参加者18名『キリストのヨルカに召されし少年』『百姓マレイ』を西村美穂さんが朗読しました。


連 載 
     

ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第81回)堀田善衛におけるドストエフスキー

福井勝也

年が明けた。平成時代も31年4月で終わること(御譲位)がはっきりした年始となった。西暦と元号の並列という紛らわしい問題はあるにしても、カウントダウンを前にして、昭和(1925―45―1989)とは明らかに異なった平成(1989―2019)という時代の相貌を改めて感じている。その背景には、日本の歴史文化を貫く天皇(制)の存在がある。そして今回の御譲位を決断された今上天皇が、昭和天皇とは異なる時代をはっきり示されてきたご努力がある。それは、憲法で定められた象徴天皇という地位を懸命に模索されたことによるもので、その前提には、未曾有の戦争を招来させた昭和の苦難の時代が存在していた。

平成時代をどう見るかについて議論があるにしても、国際的に重要なのは、隣国の中国が米国に次ぐ世界第二位(GDP)の大国(軍事的にも)に成長したことだろう。その経済指標(2010、平成22年達成)はともかく、米ロもさることながら米中冷戦まで叫ばれる昨今の事態は、今後の世界情勢を左右する最大の危険要因と言える。

思えば、社会主義国家中国の変貌は鄧小平の「改革開放」(1978.12)路線によって開始された。それは今から40年前、昭和末からほぼ10年を遡る昭和53年でもあった。さらにその10年後に起きた天安門事件(1989.6、平成元年)という国家的危機を踏み台にして、現代中国は宇宙空間にも及ぶ地球規模の情報戦を制する覇権国家的様相を強めて来ている。見方によっては、ジョージ・オーウェルの『1984』のディストピア国家のグローバルな完成型が想像されないか。この事態は、それ以前毛沢東文革紅衛兵時代(1966-1978)を知る世代には、予測不能の驚きの変貌であった。

前置きが長くなったが、今回論じようと思うのは、本欄でこれまでも触れて来た作家堀田善衛(1918-98年、大正7~平成10年)の文学、そのドストエフスキー文学との関連である。当方はここ4年程、多摩の読書会で堀田の主要作品を仲間と読んで来た。ちなみに、2014~15年には『上海にて』(1959)『方丈記私記』(1971)『定家明月記私抄 正・続』(1986-88)、2016年には『若き日の詩人たちの肖像 上・下』(1968)、2017年には『ゴヤ(第1~4部)』(1974-77)、2018年には『ミシェル 城館の人(第1~3部)』(1991-94)ざっとそんな順になると思う。そして今年は、昨年の堀田生誕100年没後20年という記念の年を経て、最初に読んだ『上海にて』に戻るかのように、問題の南京事件を描いた長編小説『時間』(1955)を読み始めている。

実は、これらの堀田の生涯をかけた文学作品を貫く「キイワード」を二つだけあげろと言われたら、当方今回の前置きで触れた、「天皇(制)」と「中国」と答えたいと思う。確かに『ゴヤ』のスペインが、『ミシェル』のフランスもあるわけだが、堀田にアジアからヨーロッパに向かわせる起点になったのは中国の「上海・南京」であり、そのさらに前提となったのが、東京大空襲下で堀田が偶然に見かけた「昭和天皇」とそれを取り巻く戦火で家を焼かれた「日本民衆」の姿であったと思う。その原点になる文章をやや長めだが、まずは引用させていただきたい。戦後の堀田文学は、ここから出発したと思うからだ。
 
私(堀田、注)は方々穴のあいたコンクリート塀の蔭にしゃがんでいたのだが、これらの人々(戦災者、注)は本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました。まことに申訳ない次第でございます。生命をささげまして、といったことを、口々に小声で呟いていたのだ。

私は本当におどろいてしまった。私はピカピカ光る小豆色の自動車と、ピカピカ光る長靴(どちらも陛下のもの、注)とを眺めながら、こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとるものだろう、と考えていたのである。こいつらのぜーんぶを海のなかへ放り込む方法はないものか、と考えていた。ところが責任は、原因を作った方にはなくて、結果をつまりは焼かれてしまい、身内の多くをころされてしまった者の方にあることになる!そんな法外なことがどこにある!こういう奇怪な逆転がどうしていったい起り得るのか!

というのが私の考え込んでいることの中軸であった。ただ一夜の空襲で十万人を超える死傷者を出しながら、それでいてなお生きることを考えないで、死ぬことばかりを考え、死の方へのみ傾いて行こうとするとは、これはいったいどういうことなのか?人は、生きている間はひたすらに生きるためのものなのであって、死ぬために生きているのではない。なぜいったい、死が生の中軸でなければならないようなふうに政治は事を運ぶのか?

とはいうものの、実は私自身の内部においても、天皇に生命のすべてをささげて生きるその頃のことばでのいわゆる大義に生きることの、戦慄をともなった、ある種のさわやかさというものもまた、同じく私自身の肉体のなかにあったのであって、この二つのものが私自身のなかで戦っていた。せめぎ合っていたのである。 (『方丈記私記』より)

そして昨年初めに廻り合わせだが、上記の東京大空襲から間もなく堀田が向かった(1945.3.24)、上海時代(1945.3.24~1947.1)その終戦間際に創刊され1号限りで終わった日本語雑誌『新世界』が北京の図書館で発見された。実は、ここに堀田のエッセー「上海・南京」(全集未収録原稿)が掲載されていた。この内容を伝える産経新聞記事(2018.7.30)によれば、堀田の「「上海・南京」は、上海について、非人間的で「愛情」が街角に欠如していると冷ややかに眺める。同年5月に旅した南京では、城壁の上から眺めた紫金山の美しさを「人間の歴史を既に終わつた後の風景」と評し、杜甫の漢詩「国破れて山河あり」を吟味する。代表作「時間」(昭和30年)の冒頭で描くことになる、原点とも言える光景だ。」と伝えている。そして、この記事末尾には、堀田の未発表原稿と発見者の秦剛教授(北京外国語大教授・日本近代文学)の論考と四方田犬彦氏のエッセーが合わせて『すばる』9月号に掲載発表されるとの情報が記されていた。思わぬ、うれしい天の配剤だと感じた。

早速、堀田の「上海・南京」を読んで驚いた。これまでに堀田の上海時代の文章は、『上海にて』のほか、『上海日記』(紅野謙介編)として未発表日記を纏めた著書(2008)を読んでいた。しかし本文は、それらともおそらく違う、高い思想性と文学性が明らかな一文だと感じた。終戦間際、国策論調のあからさまな雑誌によくぞここまでの批評文が掲載できたものだと思った。時事評論の類いと全く違う作品だ。引用、コメントしておきたい。

「私は上海の町々を一人歩く。しかし私には町を歩いているとはどうしても思えないのだ。建物の一つ一つが「思想」に見えるのである。」四方田氏は、「さながらベンヤミンの説く遊歩者(フラヌ-ル)のように街角の散策」と評したが、自分にはドストエフスキーの『作家の日記』あるいは『白夜』の「フェリエトン」の文体であるなと直観した。「上海には思想の幽霊が充満している。夜の町を歩く時、売笑婦を見かけても、私にはそれが真っ当な性欲に関することとは思えない」。「上海に於て絶望するならば、一体何について、絶望すればよいのか。人間についてか、世界の運命についてか、――希望といい、絶望といい、上海に於ては、これらの言葉が真当に、古典的に適用されるべき現実は存在しないのではないか、語を換えて云えば、現実の次元が異なっているのではない」。「中国そのものについてすら、既に内藤湖南博士は、「世界の未来」ということを云って居られるのである。今世紀は国際管理というフィクションが実に流行する世紀である‥‥。そういうフィクションが現実になった時、人間が喪失しなければならぬものは、一体何であるかを今日よくよく考えねばならぬと思うのだ。それを考えるについては、上海ほどに適当したところはない。人の手と頭は、「帳簿」という中を泳ぐためにのみあるものではない筈である。」

堀田のここでの上海を見る視線の先には、ドストエフスキーがフェリエトン『夏象冬記』(1863)で眺めた19世紀ロンドンやパリの街の風景があり、そこで見抜いた勃興する産業資本主義の本質への鋭い感覚がおそらく共有されていた。ただその様相の違いをも指摘すれば、世界を覆うグローバルな金融資本主義の無機質な現代世界が、この20世紀の上海にすでに出現していたことへの、堀田のさらに未来的な(21世紀的な)先取り的洞察であったと思う。国際金融都市上海の本質を見抜いた堀田は、その後の毛沢東の共産中国の時代を飛び越えて、最先端のテクノロジーで武装した現代中国における変貌(「ポストモダン」)をこの時<予言>していたのではなかったか。無論資本主義の本質から言えば、ここに彼我の差異を超える核心が前提されていたと言えるだろう。そしてその彼我をドストエフスキー的に要約すれば、「2×2=4」が支配するマトリクス(「帳簿」)なのだと言えるかもしれない。さらにこの「上海」という文章では、その地底から、近代都市に蝕まれた人間の「地下室の叫び」が聞こえて来るようだ。そこには『夏象冬記』の翌年刊行の『地下室の手記』(1864)の人間観への洞察が基底になっていると読んだ。

それでは、堀田の「上海・南京」のもう一つの都市「南京」はどのように語られたか。文量的にも、その言及は「上海」に比べてかなり少ない。結局、上海から南京へ旅することは、かつての日本軍が中国国民軍を追いかけて南京に侵攻し陥落させた、あの南京事件(1937.12)を想起することになる。当然ここでの堀田の文章は、その歴史的記憶を背景に綴られている。しかし、その真実を文学化するにはやはり時間がかかったということだろう。堀田は、それを『時間』(1955)という問題作で表現することになった。今年は、この小説を読むことから開始されたことはすでに触れた。できれば、次の機会に触れたい。

山もまた太古と云えばよいのか、或いは人間歴史以降と云えばよいのか、ともあれ全く僕等の人間という概念内容と全く懸け離れた姿をしている。「史前」という言葉があるが、人間の歴史を既に終わった後の風景と思われても仕方がなかった。国破れて山河ありという詩の言葉は実に見て見て見抜いた表現と思われる。それは決して悲壮の表現ではない、むしろこの地についての正しい自然観なのであろう。(‥)「哀而不傷」(‥)(「上海南京」)

最後に、昨年読んだ『ミシェル 城館の人』とは、16世紀ヨーロッパの宗教戦争時代に『エセ―』を書いたフランスのミシェル・モンテーニュ(1533-1592)のことである。その表題の中身は、従来の「モラリスト・モンテーニュ」ではない、等身大の「ミシェル」を意味していて、人間存在探求者「ミシェル」の乱世を生きる姿を活写する「小説」であった。

それは『ゴヤ』を経て、最後ヨーロッパの本丸のフランスに踏み込んで、ヨーロッパ近代の淵源<宗教改革><ルネサンス><植民地主義>が重なり合った「歴史」を語ることでもあったのだ。読みながら、やはりドストエフスキーのことを考えることが多かった。それは19世紀ロシアを生きたドストエフスキー文学の淵源は、ミシェルが苦闘した時代のヨーロッパに(半分以上は)あるなとの感慨であった。そしてそのことの表現が、人間探求の書『エセー』であった。そのスタイルは、元来自由な散文であって、決して道徳家の箴言集として書かれたものではなかった。このことを堀田は本書で教えてくれた。

そして、ミシェル・モンテーニュはそのヨーロッパ的端緒であって、その後デカルト(1596―1650)・パスカル(1623―1662)、そしてカント(1724―1804)へと繋がる人文学から近代哲学への系譜が派生してゆく。そしてその延長に、ヨーロッパの中心を越えて、18世紀スペインに画家ゴヤが、19世紀ロシアに作家ドストエフスキーが問題的に出現した。

ほぼ最終長編作品とも言える本作は、堀田の死(1998.9.5)の4年程前の1994年に刊行された。ちなみに、堀田の亡くなったには、時の江沢民中国国家主席が初の元首公式訪問として来日(11.25)した直前のことであった。当然今上天皇とまみえている。すでに日中国交回復(1972、昭和47年)がなされてから、四半世紀以上経過していた。それからさらに、ほぼ20年を経過して今日があるが、堀田氏が生きていたら、この間の日中関係をどう評したろうか。その声を探るためにもう少し堀田を読み進めたいと思う。(2019.1.26)



連 載

ドストエフスキイ研究会便り
ドストエフスキイ研究会で出会った青春 
―― Kさんの「行き場」 ――

芦川進一 (河合文化教育研究所研究員)

三十年にわたるドストエフスキイ研究会で出会った若者たちの中から、今日はKさんについて紹介をしたいと思います。Kさんは或る国立大で学ぶ在日朝鮮人三世の女性で、彼女が最初に私の度肝を抜いたのは研究会が始まって間もなく、『罪と罰』をテキストとして講読していた頃のことです。毎回一人ずつ担当者を決めて、その回のポイントを提示してもらっていたのですが、その日の担当者は哲学専攻のY君でした。しかし彼の発表はダラダラとしていて、どうも十分に準備した形跡が見えません。これは一つ叱ってやらなければならない、こう私が思っていた矢先です。Kさんが激しい口調でY君に喰ってかかりました。「何よ、それ! 私ね、そんな軟弱なレポートを聞きにここへ来てるんじゃないの。いい加減にしてよ!」。最近NHKで人気の「チコちゃん」の怒りさながらの権幕で、Y君は完膚無き迄に遣り込められてしまいました。

この時の打撃からか、翌月の研究会にY君は顔を出しません。しかし彼の欠席を知ったKさんは言いました。「フン! 私の言葉程度で、ここに出席が出来なくなるような軟弱な人だったんなら、初めから来る必要などなかったのよ!」。私は再び度肝を抜かれました。

Kさんは、同じ在日の人たちが日本での辛い体験から、どうしても心を祖国に傾けがちになることを嫌い、祖国回帰のメンタリティを自ら強く拒否する人でした。それは逃げでしかないと言うのです。ではKさんの心はどこに向かったのでしょうか ―― 二つの方向、二つの国。つまり一つは中国、他の一つはロシアです。

まず中国。この国は日本民族と朝鮮民族の文化の共通の根であり、中国文化を深く知ることで、自分は日本と祖国とを共に相対化できる視点を与えられるだろう。もう一つのロシア。これはドストエフスキイを生んだ国であり、この作家にぶつかり学ぶことで、日本民族も朝鮮民族もまた中国の人々も共に自分の狭さと小ささを離れ、より大きな精神の場に出ることが可能なはずだ。これが彼女の直観と確信でした。これには私は度肝を抜かれるというより、感動させられ学ばされました。

Kさんは『罪と罰』に出てくる「どこにも行き場がない」という言葉が好きでした。自らが立つ場を「行き場のない」場と捉え、その上で積極的に二つの方向に乗り越え、過去を見据えた上で、更に先へ先へ、未来へ未来へと進むことを目指したのです。ドストエフスキイ研究会に参加し、毎回彼女が見せた激しい気迫と鋭い眼、そして周到な準備。それらは皆、彼女の人生へのこのような姿勢から出たものだったのです。

私はそれから後に書き上げた『罪と罰』論を、是非Kさんに読んでもらいたいと思っています。しかしその後、彼女とは連絡がとれていません。彼女は今、中国語の通訳として活躍しているとの噂で、実際には何も心配してはいないのですが・・・

これから後に紹介するS君と共にKさんは、日本に侵略され支配された民族の辛さを背負い、「どこにも行き場がない」窮境の中で、決して否定的な方向に答えを出さず、ひたすら肯定の方向に新しい人生を切り拓いて来た人たちの一人です。私は彼らの先生でしたが、頭を下げて学ぶべきは自分の方だと常に思っています。そしてドストエフスキイという作家がこのような形で、切り離された民族と民族とを繋ぎ、「行き場」のない人々に真の「行き場」を与える人であること、そして彼の文学が愚かな政治家や軍人たちがまき散らした大変な負の遺産を贖い癒す力を持つ文学であること、これらを教えられたことにも心から感謝をしています。

※河合文化教育研究所HPの「ドストエフスキイ研究会便り」で、この春から「予備校graffiti(グラフィーティ)」というタイトルの下に、私が河合塾の本科と、河合文化教育研究所のドストエフスキイ研究会で、この三十年に出会った若者たちの中から、ドストエフスキイと関係する人たち約三十人について報告をしたいと思います。上に紹介したKさんもその一人なのですが、プライヴァシーの問題や、私の記憶力の問題もあり、記述が時に舌足らずなものや、曖昧なものとなることもあると思いますが、日本のバブルの絶頂期からリーマンショックを経て現在に至る三十年間に、日本が確実に衰退の道を歩む中、若者たちがドストエフスキイと如何に出会い、また如何にその体験を自分自身の現実に生かしていったか、出来る限り正確かつ多様に、その証言を残しておきたいと思います。



広 場
 

寄稿

アリョーシャと母ソフィア 
―ひとりのコラムニストの死に寄せて―

江原あき子

コラムニストの勝谷誠彦さんが亡くなった。同世代の人の死はいつも悲しいものだが、勝谷さんの死はあまりにも突然だったので、ただ、驚きだった。一緒に仕事をしていた高橋茂さんのコラムをインターネットで読ませていただいた。高橋さんは勝谷さんの闘病生活を支え、その最期を看取った。コラムはその日々をつづったものである。

勝谷さんは8月に黄疸が見つかった。急性肝炎。酒の飲みすぎによるものである。その後の闘病生活は壮絶なものだった。肝炎は一進一退。入退院を繰り返した。すべて、勝谷さんが酒をやめられなかったことによる。断酒をすすめる高橋さんを避け、勝谷さんはひとり、自宅に引きこもるようになる。死の直前には病室で酒を飲み、文章も書けなくなった。彼はアルコール依存症だった。このコラムは大きな反響を呼んだ。高橋さんのもとには同じ依存症の家族を持つ人達から沢山の意見が寄せられた。元アイドルの飲酒運転、飛行機パイロットの飲酒をめぐる問題は社会問題になっている。それを受けて、高橋さんはコラムの続編を発表した。

続編は勝谷さんの生い立ち、その後の仕事の内容から、依存症となった原因を探るものとなっている。それによると原因は仕事の量が減ったこと、知事選に落選したことなどいくつかの理由はあるが、最も大きな理由は教育熱心だった母親の存在にあった、としている。勝谷さんの母親は勝谷さんを自分の夫と同じ、医者にしたかった。しかし勝谷さんは医学部の受験に失敗。医者にはならなかった。勝谷さんはこの母親をとても、崇拝していたと思う。いつだったか、レギュラー出演していたラジオ番組で勝谷さんが母親のことを話していた。バレリーナだった母親はとても努力家。レッスンのしすぎで体を壊し、それがもとで亡くなったという。自分の母を語る勝谷さんの語り口がいつになく高揚していて、今でもこの時の勝谷さんのことが忘れられない。他人の私の目からみるとレッスンのしすぎで亡くなった母親と、何かをやり始めると徹底的にやらずにはいられない少し融通のきかない勝谷さんは、よく似ていると思うのだが母を語った時の彼の言葉の中に自分と似ている、といったような言葉は一切なかった。

今回、高橋さんのコラムで思い出したのはこの母を語った勝谷さんのことと、もう10年以上前、友人の夫がアルコール依存症になり、更生施設に入った時のことだ。友人からもらった家族向けのパンフレットには男性のアルコール依存症の原因のほとんどが母親との関係にある、と書かれていたという。

『カラマーゾフの兄弟』の主人公、アリョーシャにとって、母、ソフィアはどんな存在だったのだろうか? 私はこの作品を読むたびにアリョーシャにとって母のソフィアの存在は非常に重要なものだと考えている。勝谷さんの死を知り、私はもう1度、アリョーシャと母ソフィアの関係について考えてみることにした。

母ソフィアはアリョーシャが4歳の時に亡くなった。この母はアリョーシャが2歳ぐらいの時、祭壇の前で彼を高く掲げ、神に捧げようとしたことがある。彼はこの時のことを鮮明に覚えているのである。後にゾシマ長老と出会い、信仰の道に進んだアリョーシャのその後のことを考えると、この母の思い出と、彼が選んだ道はひとつづきに繋がっているように私には思える。わが子を神に捧げようとした、てん狂病みのソフィアの思い出は、常識的に考えれば良い思い出とは思えない。乳母がおびえた表情でアリョーシャをソフィアから取り上げた、ということからわかるように周囲から見れば、狂ったソフィアが息子をいけにえにしようと映ったと思う。しかしアリョーシャはこの時のことを受け入れ、たびたび思い出し、その時のソフィアが美しかった、とすら言っているのである。突然、帰郷したアリョーシャは、母の墓を捜し、父や兄たちと親しくなろうとする。アリョーシャにとって母と、カラマーゾフ家は決して否定するものではないのだ。アリョーシャの帰郷の時の行動は自分自身のルーツを検証しようとしているように思える。

私にも覚えがあるが、自分の肉親に関して人は必要以上に美化したり、卑下したりしがちだ。肉親に対して客観的な目を持つことは、非常にむずかしい。肉親はとても身近な存在であるだけに遠目に突き放して見る、ということが困難になるせいなのだろう。しかしアリョーシャは母の思い出を受け入れ、カラマーゾフ家の一員としての自分の運命を受け入れたのだ。この力はアリョーシャの信仰が与えた力だ。つらい運命から精神を病み、信仰にすべての救いを求めた母ソフィアを、だれよりも理解できるのは同じ信仰を持つアリョーシャだからだ。イワンがいう生への渇望、カラマーゾフ的な力を一番多く持っているのは実はアリョーシャだった。アョーシャの精神は他の兄弟たちに比べて、とてつもなく強い。それは自分自身と家族を客観視できることができることから生まれた力だ。

勝谷さんは兵庫県知事選に出馬。感謝の気持ちで地元のために尽くしたい、と彼は言っていたという。高橋さんのコラムによれば地元とはイコール兵庫出身だった母そのもの、勝谷さんは亡くなったお母さんにほめてもらいたかったのだ。しかし落選。その後は酒の量が増えていった。破滅しようとする兄たち(スメルジャコフも含めて)の中でアリョーシャは、たくましく生き抜いていく。アリョーシャだけが、母、ソフィアと、カラマーゾフ家の一員としての自分自身を見つめることを恐れなかったからだ。勝谷さんの中で母親の存在はどんどん肥大化し、耐えがたいほど重くなっていったのだろう。私は、勝谷さんのお母さんは、勝谷さん自身が考えるより、ずっと平凡な、息子を愛するひとりの女性だったと思う。しかし彼がそれに気づくことは、遂になかった。



資 料 ①

ドストエフスキー文献情報
 2018.10.7~12.6 
提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん

〈指定席〉ドストエフスキーの名作『罪と罰』を舞台化 殺人者となる青年に三浦春馬が挑む/三浦春馬(大内弓子)公演は2019.1.9~2.1Buokamura シアターコクーン。「朝日新聞」2018.10.18(木).夕刊P8
*中々、情報が集まらないと思っていたら、前回紹介した「シアターガイド」が12月で休刊というニュースが入って来た。
〈DVD〉「黒澤明DVDコレクション・21 白痴」が発刊された。2018.11.4 朝日新聞出版 ¥1657+
*今夏、立川の古書展で、未所蔵だったロベール・ブレッソンの「白夜」のプログラムを入手した。作品は1971年仏伊合作。1978年岩波ホールで公開。「エキプ・ド・シネマ第18回ロードショー」で1977年度芸術祭大賞受賞作。内容は品田雄吉の作品研究、飯島正の作家研究、そして木村浩の「ドストエフスキー随想」。そして『白夜』を語るロベール・ブレッソンと採録シナリオを収録。
・2018.10.25に刊行された邁實重彦の『シネマの記憶装置』(初版1979)の新装第2版には「手と指の宇宙的交感 ロベール・ブレッソンの『白夜』」(P93-97)を収録。
・2016.5月に単行本の出た頭木弘樹の『絶望読書 苦悩の時期、私を救った本』の文庫版が〈河出文庫か34-1〉として出版された。2018.11.20 河出書房新社 ¥880+(p161-170)

※今後のドスト情報は都合により不定期掲載となります。



資 料 


荒野の誘惑
 
(マタイ福音書 第4章1-11 塚本虎二 訳 1963))  提供・編集室

間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野の上られた。四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。すると誘惑する者(悪魔)が進み寄って言った、「神の子なら、そんなひもじい思いをせずとも、そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」しかし答えられた、「“パンがなくても人は生きられる。もしなければ、神はそのお口から出る言葉のひとつびとつでパンを造って、人を生かしてくださる”と聖書に書いてある。」そこで悪魔はイエスを聖なる都エルサレムに連れてゆき、宮の屋根に立たせて言った、「神の子なら、下に飛び降りたらどうです。“神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。”と聖書に書いてあります。人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国ができます。」イエスは言われた、「ところが、“あなたの神なる主を試みてはならない”とも書いてある。」悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華を見せて言った。「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」そこでイエスは言われる、「引っ込んでろ、悪魔!聖書に“あなたの神なる主をおがめ、”主に”のみ”奉仕せよ”と書いてあるのだ。」そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。


資 料 ③

カラマーゾフの兄弟 学習ガイド
以下のページに転載
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/karagido.html



掲示板

ドストエーフスキイの会情報
例会 ドストエーフスキイの会例会 第250回 2019年3月16日(土)午後2時
会場 千駄ヶ谷区民会館和室 報告者 福井勝也氏
題目 堀田善衛のドストエフスキー、未来からの挨拶(Back to the Future)

新 聞 

露サンクト空港の冠名、人気1位はドストエフスキー 提供・小野さん
ロシア全土の空港に冠する各地ゆかりの歴史的人物らの名前を選ぶ投票イベントで、結果が決まっていなかった5空港の結果が23日発表された。第2の都市サンクトペテルブルクの空港は19世紀の作家ドストエフスキー、モスクワのブヌコボ空港は、航空機設計者ツポレフが1位になった。ロシア各地の47空港に冠する偉人の名前を選ぶイベントは、政府の支援も受け地理学会などが主催した。(モスクワ 共同)サンケイ2018.12/25


下原敏彦著『オンボロ道場は残った』
(のべる出版企画) 好評 !!
NHK大河ドラマ『いだてん』人気から本書最終第9章「嘉納治五郎とドストエフスキー」が注目されています。アジア初の国際オリンピック委員・嘉納治五郎とは何か。



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