ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.169
 発行:2018.8.10


第288回8月読書会のお知らせ

月 日 : 2018年8月25日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始  :  午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『未成年』2回目
報告者  :  富樫紀隆さん 司会進行 近藤靖宏さん       
会 費  :  1000円(学生500円)

重要なお知らせ
会場予約の抽選にもれたため、10月の読書会は、夕方~夜の時間帯になります。
(これが例外であることを祈るばかりです)
10月20日(土)夜6時00分 ~ 8時45分 二次会は、9時~11時
会場は、第7会議室 (5時30分開場)作品は『未成年』第3回



第47回大阪「読書会」案内 8・18(土)『カラマーゾフの兄弟』第3編

ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会第47回例会は、以下の日時で開催します8月18日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)
小野URL: http://www.bunkasozo.com 



『未成年』読書会 第2回


報告者は、富樫紀隆さん 司会進行 近藤靖宏さん
『未成年』1回目は國枝幹生さんでした。今回は富樫紀隆さん。つづいて若い人たちの報告。酷暑のなか涼しい風を感じます。楽しみです。(レジメは当日配布)



『未成年』創作までの周辺
 (米川正夫『ドストエーフスキイ全集』別巻「ドストエーフスキイ研究」河出書房新社)

1874年の春、ドストエーフスキイはネクラーソフの編集する『祖国雑誌』のために、翌年の1月から新しい長編を掲載することを約束した。長いあいだ反目の状態にあったこの旧友から、新作の依頼を受けたということは、ドにとって意外でもあったが、同時に喜びでもあった。(米川正夫『ドストエーフスキイ全集』別巻「ドストエーフスキイ研究」河出書房新社)
【アンナ『回想』】
4月にネクラーソフが訪ねて来て、フョードル・ミハイロヴィチ、に今度書く長編を1875年の『祖国雑報』誌に連載させてほしいと申し入れた。夫は、ネクラーソフとの親交が甦ったことを大変喜んだ。ネクラーソフの才能を夫は高く評価していた。
【ネクラーソフのドストエフスキー宛ての手紙 1874年10月12日】
深く尊敬申し上げるフョードル・ミハイロヴィチ、貴兄が小生の頼みに応えてくださったのでまことに嬉しく感じています…『祖国雑報』1875年第一号より、貴兄の長編(『未成年』)を掲載させていただけることを、まことに嬉しく感じています。
(『ドストエフスキー 写真と記録』V・ネチャーエワ 仲村健之介訳)
1873年(52歳)ペテルブルグ刑務所の青少年犯罪者収容所を訪れ、浮浪者の精神状態についての資料を蒐集。
1874年(53歳)3月サマーラ県の飢餓救済のための文集『資金』刊行。作家、この救済運動に参加。同文集に『小さな風景画』を掲載。21日~23日、さきの検閲違反の実刑執行―センナヤの営倉に留置される。営倉内で『レ・ミゼラブル』を読む。
4月、『市民』編集長辞職。5月、スターラヤ・ルッサに移住。8日、かねて希望のチュレムヌイ城少年院見学(アリョーシャの少年院開設、『カラマーゾフの兄弟』のノート中にみえる)6月7日、外国旅行に出発。6月~7月、『未成年』の構想を練る。7月ドルグーシン一派の住民扇動事件、元老院で審理、審理経過資料『未成年』で利用。



6・9読書会報告
 (編集室)
               
参加者は14名。我が青春の時をアルカージィに重ねた、若葉の季節らしい報告だった。6月読書会に新鮮な息吹を感じた。報告者の國枝幹生さんは、少し遅刻されての到着だった。司会進行の小山さんは、ほっとされた。が、それも一瞬のこと、國枝さんの一声は「レジメ、忘れました」だった。これまでの読書会での報告では、レジメは重要だった。報告者は、作品だけではなく関係資料・評論を丁寧に調査して立派な報告資料を作成してきた。それを基に報告していた。レジメなしで大丈夫だろうか。司会進行の小山さんは、不安顔の紹介だった。が、杞憂だった。「ぼくの若い頃の夢は、世界平和でした」のっけからドラえもんばりのでっかい人生目標を知らされ、この日の参加者13名は、そのまま國枝さんの「未成年」時代に引きこまれていった。「わたしは悩み、絶望し、そして死を知った。だが、わたしはいま、生きていることを喜んでいる」こんなタゴールの詩の一篇を思い浮かべる彷徨いの青春時代。だが、ねばっこい若葉は、青春の迷路を脱して現在の健全な人生に辿り着いた。報告者・國枝さんのアルカージィ人生は、100枚のレジメにも勝る報告だった。作品を自分の人生に照らしてどう読むか。ある意味で、これが本来の読書会が目指した姿ともいえる。アカデミックな研究とは、一線を画す。そんな思いから自然発生した読書会だったが、50年という歳月が、真摯で勤勉な報告者によってより深化して、研究的読みになった。それ故に、自らの青春に重ねた國枝報告は新鮮だった。



連載 
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像

(第78回)大木論文「スタヴローギンの告白」について、合評会(7/14)論評(レジュメ 改稿)  

福井勝也

1、大木貞幸氏の論文は「スタヴローギンの告白」を対象に語られたものである。「大審問官物語」と並ぶドストエフスキー文学のアポリアの一つへの論究で、研究的考察とはひと味違ったレトリカルな表現も気になる文学的批評文として味読した。研究的論文が多い『広場』にあっては注目すべき内容で、今回合評会の一番の問題作であると見た。

2、なぜ問題作かと言えば、大木氏の論稿が、究極には「告白」の従来からの倫理的・文学的〈悪〉理解の〈脱構築〉を目論んでいるように見えたからである。それは無論当世風な議論ではなかろうが、その発端の<見立て>は身も蓋もない<セクシーなスタヴローギン像>であった。それ自体興味深い<切り口>であったが、同時に余り愉快でない既視感を誘う<出だし>もあって引っかかった(山城むつみ「小林秀雄のクリティカルポイント」1992、但し2009の文庫解説は必併読)。それは第1章発端から、小林秀雄戦前の「悪霊論」(1937)を論じて、その「告白」の長文引用とその「中断」を「躓き」だとする見解であった。

3、最初に、この小林の「悪霊論」に触れておく。確かに議論は尻切れとんぼ(未完)の体裁だが、この中断は大木氏が指摘する、ひとり小林が「精神の地獄」の極みで「倫理性の問題」に望んでいたためだけではなかった。この論考は昭和12年の6月に『文藝』に発表されたものであったが、実にその直後に盧溝橋事件が勃発し(7/7)日中戦争が本格化した時期に重なっていた。その半年前の1月『改造』に、小林は「ドストエフスキーの時代感覚」を発表し、その数年後に纏まる『ドストエフスキーの生活』(1939)にも重なる批評文を「悪霊論」に先駆けて発表していた。この「悪霊論」に前後する二つの時評的文章は、本来一体のものと見るべき内容で、19世紀ロシアに擬えて同時代日本の行く末を見通す体のドストエフスキー論であった。注目すべきは、その論考の終わり部分「作家の日記」に掲載の「百姓マレイ」(1876)に触れて、作家がシベリア流刑中に観察した〈民衆〉を通した人間〈悪〉の根源を見据えた文章で、ほぼ同様な内容が「悪霊論」にも見られる。

「彼が観察したものは、社会の諸規約から離れ、善悪の彼岸をさまよう人間の魂の素地であった。彼は兇暴な犯罪の英雄達に、社会生活そのものの不可能な絶対的な無邪気さを見た。(中略)注意して「作家の日記」を読むものは、この焦躁が作者のペンを慄わしているのをまざまざと感ずる事が出来るのである。マレイは農園を離れてシベリアで育った。監獄さながらの当時のインテリゲンチャたるドストエフスキイの苦痛の中で育った。彼には実際のナロウドの姿は判然とはしていなかったが、ナロウドという言葉は人間のように生きたのである。僕等はこういう仕事に哲学的觀念論を利用する事が出来ない。彼のやった事はどの様な哲学でもないからだ。」 (小林秀雄「全作品9」、p.28-29)

引用しながら分かることは、この時既に小林は「悪霊」のスタヴローギンの〈悪〉を次ぎに論ずる事を決めていたのだろう。さらにその文体まで頭にあったのではないか。そこでの要点は、極力ドストエフスキーの小説の言葉を、そのまま伝えることにあったろう。何故なら、彼の小説表現が、小林が言う通り哲学的、倫理的な観念の抽象表現を許さない人間の記憶そのもの、生きた時間を写しとる文学の言葉であったからだ。実は、これ自体の大きな問題で、一言で言えば、ドストエフスキーの文体が〈持続する生命=時間〉を本質的に独創性を孕むものであったからだと思う。そのことの顕著な文章が、スタヴローギンの「告白」の文体であったと思う。ここで問われているのは、「告白」の中身でなく、その形式としての〈文体〉であると言う大木氏の本論での指摘は、その点で正しいものだと思う。ここにこそ、小林の長々しい「引用」の真の理由があった。埴谷雄高も、自らが戦前に翻訳したウオルィンスキイ著『偉大なる憤怒の書』の後記の解説文に次のように書いていた。当方には、小林の『悪霊論』の「告白」引用を念頭においた表現のように読めた。

「批評家の置かれた立場の『不幸』についてドストエフスキイの場合におけるごときものをわれわれは他に知らない。すべての『引用』は異常な迫力と基準をもって批評家のあらゆる努力を無視してしまうのである。『引用』がもっとも辛辣な意味をもつことにおいてドストエフスキイに比肩し得る作家は稀であると敢えて断言し得るであろう。批評家が語り得る最高のものドストエフスキイ自身を読み聞かせることに帰結する悲惨な讃歌がそこに存することだろう。」(みすず書房版、1975改版、p264)

そしてさらにこの「悪霊論」(未完)には、もう一つ考えられる大きな理由があった。それは、民衆の全てが総力戦に向かおうとする歴史的転換期が日本国に押し寄せていたからで、小林は誰よりも敏感に、この時期それを感じ取っていた。そしてそれを、小林はドストエフスキーの「作家の日記」に読み込んでいた。それは、次の表現辺りにあるだろう。先の引用箇所に続く「ドストエフスキーの時代感覚」の末尾までの文章である。

「彼(ドストエフスキー)には正教を信じないマレイという人間を考えられる事ができなかった。ナロオドニキ思想家の社会学にとって農村共同体を持たぬナロオドが考えられなかった様に、ドストエフスキーの人間学にとって正教を信じない民衆は考えられなかった。彼は「作家の日記」のなかで正教を定義しようとして遂に定義出来なかった。ロシアの民衆にとって正教はすべてであった。福音書のキリストの代りにロシアのキリストが現れた。ロシアのキリストはツァアと共に剣をとった。これはもはやどの様な神学でもない。

僕はここに歴史的限界という今日流行の言葉を書けというなら書いてもよい、若し読者がこの言葉の無気味さをよく理解してくれるならば。この言葉の無気味さを納得する事とこの言葉を使用する事とは、全く別事である事を理解してくれるならば。僕はドストエフスキーが遺した「大審問官」の謎が、今日どこの歴史でも解決しつくされていると思っていない。僕は人間の眼が複眼である事を信じている、謎を作る眼と限界を見る眼と」(小林秀雄「全作品9」、p.29)

4、大木論文に戻ろうと思うが、問題はスタヴローギン像の〈脱倫理化〉を論じてゆくうえで、小林の「悪霊論」<中断>を恰好な材料にしているように見えることであった。それへの反論は既に述べたが、当方は、スタヴローギンの存在を平俗化するような脱倫理的理解の類は、そもそも「悪霊」という小説の本質を決定的に損なうものだと思っている。そして、大木氏は「告白」における<悪>の脱倫理的理解の徹底を目指していて、それが小林の「悪霊論」を標的にするやり方をのっけから戦略にしているのではないか。

そもそも、大木論文のその目論見、「告白」の脱倫理的読解は、第二章のステパン氏とスタヴローギン新旧主人公像への「身もふたもない見立て」に端的に表現されていた。すなわち、彼ら二人が「女なしに生きていられない」「恥知らずの淫乱男」「異性を求めるが決して他者を欲しない。他者としての女に働きかけない」そういう彼らを、女達の無償の愛が包む「色男」」であるというのが、大木氏の二人に対する基本的な見方の出発点であった。それは、随分と思い切った散文的な断定であるが、それだけではない何かエロティックな思考も潜在していて、そこにはどこか日本人的感性が漂っているようにも感じた。そして、そんな彼らを女が決して捨てないのは、その「受動性」のゆえであるというのが、氏の見立ての核心の言葉だろう。

その上で、大木氏は「スタヴローギンの受動性には、女の愛は通じない。彼は女を死に追いやる。そこには関係があって関係がない。女は彼とともにそういう「関係」にとらえられる。そして、彼女にとって「関係」がすべてだとすれば、彼女の一方的な関係づけは「命」を差し出すことである。彼の「不能」はこれに応える。」と書き連ねている。さらに、大木氏は「スタヴローギンは「悪霊」でもそれに憑かれた「豚」でもない。ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、「なんだか色魔とでも言いたいような人物」と彼を評する。スタヴローギンはその「色魔」である」と大木氏は大胆な結論に踏み込む。

当方はまず、ここにこれまで指摘してきた、スタヴローギン〈脱倫理化〉の根拠をここに見定めた思いがした。しかし、まず本人が自分の放蕩についてそれを好みもしないし、望んでいなかったと自殺直前にダーシャ宛てに手紙で語っていた事実があると指摘したい。同時に、この「色魔」説への興味から勝手な連想が働いた事も付記しておく。それは、ここでの大木氏の表現が中里介山『大菩薩峠』(1913~1941)の主人公である机龍之助のヒーロー像を連想させたからである。堀田善衛はかつて、ドストエフスキーの小説の主人公像との比較を試みながら、「机龍之助論」を書いた。(「大菩薩峠」とその周辺」『日本文化研究』1959)そこでは、龍之助のニヒリズムにスタヴローギン像を連想させるような「貴種流離譚」と「色好み」の共通性を指摘し、そこに日本人の精神性、天皇制の文化的深層まで論じた興味深い指摘をしていた。確かに机龍之助の倫理的無感覚は、ウルトラ「色好み」=「色魔」と関係がありそうだ。この戦争に至る時期、中里介山という作家こそ(小林秀雄と並んで)、ドストエフスキー文学の真実の日本的受容者であったのかもかもしれない。その点で、無論中里介山の机龍之助の執筆意図は、単なる「大衆小説」の受け狙いで剣豪主人公の色事を題材にしたわけではなかった。大陸での戦争が激化してゆく時代の中で書き継がれた『大菩薩峠』は、日本人の罪障感、倫理観の根底を見極めながら、ドストエフスキーの小説主人公達のロシア近代ニヒリズムが重ねられた結果であった。

5、大木氏の第二章のスタヴローギン像は、実は、第四章の「色魔の関係学」のベースになるもので、さらにその前第三章の「告白」長文引用も、スタヴローギンとマトリョーシャの関係を語るうえでの基本的な編集要約であると思う。しかし本論は、その後に大木氏の前著『キリストの小説』のモデルを応用するように「転倒」を果たす。そこにスタヴローギン「色魔」説の真の狙い<脱倫理化>があったのか。議論はとにかく、ここで跳躍的着地をするのは確かだ。大木氏の本論考での眼目は、おそらくこちらにあるのだろう。その焦点が、本論第5章〈「関係」の「映像」〉にあると思うが、その前第4章終わりの方で、次のような「色魔」スタヴローギンの先駆的飛躍体験が語られる。

「<一切が終わったとき>、彼は少女 を突き放す。彼は、それが遅れたことを悔やむ。彼は色魔の常道を外れ、みずから彼女との「関係」に入ってしまった。彼の拒絶は強いものとなり、突き放された少女が為した関係づけはまるで行き場を失う。彼女は「子供の常として」行為の一切の醜さを己の上に負う。スタヴローギンは、彼女が母親に告げはしないかと恐れる。彼は「この時を除いては、一生涯後にも先にも、何一つ恐ろしいと思ったことがない。」」そして、この新たな「関係」がスタヴローギンの存在に固定されたものとして、常に現在的なものとして、彼自身が自分で呼び出す「映像」として語られる。即ち、部屋の閾に立って、小さな拳を振り上げた少女マトリョーシャの「映像」である。そして、スタヴローギンは、この「映像」を消すために、無量の苦痛を自身に求め、それによって「僕は自分で自分を赦したいのです」と語ることになる。

6、ここから、大木氏は、本論考の結論へと向かう。すなわち、ここで作者ドストエフスキーが試みた実験は、「後光のない、昇天できない「イエス」」としてのスタヴローギンの姿であったのだと。そこでは、マタイ伝11・6を引きながら「小さきもの」を躓かせ、そこでだ
れをも躓かす自身の関係的な「罪」が作者によって考察されていたことを指摘している。そしてその前提になるモデルが、大木氏の『キリストの小説』におけるマルコ福音書における「躓き」の主題の考察とその論注が参照されるべき内容になる(註六)。ここには、きわどい「転倒」があり、<脱倫理化>が「ロシアのキリスト」となって達成されている。

大木氏の論考は、小林の「悪霊論」の中絶「挫折」批判から始まって、スタヴローギンの「色魔説」から、さらに飛躍して「後光のない、昇天できない〈イエス〉」に到る展開を辿った。その成行にあって、その最後の転回点になったのが、色魔スタヴローギンの失策行為であった。しかし、彼のこの一世一代の〈行為〉は、吉本隆明の『マチウ書試論』に倣えば、その<関係の絶対性〉を引き受ける因果であった。しかしここで問題は、その<関係性>においてスタヴローギンが呼び出す〈マトリョーシャ〉の〈映像〉の<実在性>という問題に係わってくる。スタヴローギンのニヒリズムの根源は、実はここにあると思う。注意すべきことだが、ドストエフスキーは、「もしそれが、本当の映像であったら!」という科白を彼に吐かせていた。小林も、大木氏も「告白」でこの場面にスポットを当てている。問題はスタヴローギンの<記憶映像>としての〈マトリョーシャ〉が、どこまで実在の<イマージュ>であったか、単なる心理現象<幻視>でしかなかったのか。

ここで僕は、スタヴローギンがチイホンに語った言葉を、改めて思い出すべきだろうと思う。「よく自分の傍らに、何かしら意地の悪い、皮肉な、而も理性のしっかりした生物を感じます。時によると目に見える事さえある。色んな変わった顔をして、様々な性格に化けて来るけれど、正体はいつも同じなのです……僕は真面目に、且つ図々しく声明しますが、僕は悪霊を信じます。譬喩や何かでなく、個体としての悪霊を合法的に信じます」

スタヴローギンのマトリョーシャの〈映像〉である<対象>との<関係>は、〈悪霊〉を実体ある〈生物〉〈個体〉として知覚するリアリズムにあった。大木氏が、この「〈関係〉の〈映像〉」に特別に拘ったことは重要だと思う。しかしこの点で、大木氏の「後光のない、昇天できない〈イエス〉」と言うスタヴローギン像が、マトリョーシャの〈映像〉とどのような〈関係〉を結び得たのかは十分明らかではない。この点、小林の「告白」での引用文はこの<実在>をそのままに伝えることに賭けられていた。小林は中途半端ではなかったのだ。

小林は(未完)で中断した戦前の「悪霊論」を、戦後になってしばらくして、そのスタヴローギン論を書き継ぐことで、その落とし前をつけていた。それは「ヒットラアと悪魔」と題した1960年の安保騒動の最中5月に発表したドキュメンタリー映画の感想文であった。この文章は、前掲した「ドストエフスキーの時代感覚」(1937)から開始された。小林の〈悪〉の探求は、この後すぐに「悪霊論」になったが、それは、その後の世界戦争の歴史的顛末をも重ねて読むべき危機感を先見していた。それが戦後、この間の歴史の立役者がヒトラーという存在であったことが分明になり、小林は、再びスタヴローギンの「悪」を論じる好機を得た。その文章の推移を読む時、改めて小林秀雄の批評の強度に触れた思いがする。最後に、小林の「ヒットラアと悪魔」の最終部分を引用する。

「もしドストエフスキーが、今日ヒットラアをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考えに揺らぎがあろう筈もあるまい。やはり、レギオンを離れて豚の中に入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであろう。そして、彼はこう言うであろうと想像する。悪魔を、矛盾した経済機構の産物だとか一種の精神障碍だとかと考えて済ませたい人は、済ませているがよかろう。しかし、正銘の悪魔を信じている私を侮る事はよくない事だ。悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか映らぬのも面倒も無理のない事である。」(小林秀雄「全作品23」p.156) 
(本稿は、発表後に大木氏から丁寧な感想を頂き配布のレジュメに改稿を加えた。2018.7/21)



ドストエフスキー文献情報

2018・5/27~2018・8/1   提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん
           
○前回も紹介した岩下博美による〈講談社まんが学術文庫〉に「0008・カラマーゾフの兄弟」が追加された。「0006・罪と罰」と同様、「日本文芸社2010.11.25 ¥876」の再出版。
  2018.6.8 318p 14.9㎝ カバー・帯 ¥800+
○『チェーホフとサハリン島 反骨ロシア文人の系譜』糸川紘一著 水声社 2018.5.25 ¥4000+ 343+2p 18.3㎝
・第二章 シベリア流刑とロシア文学(p47-139) 
・チェーホフとドストエフスキー(p49-54);「生の家」の記録――異説『死の家の記録』(p55-82);ドストエフスキー逆説の文学 序説(p83-111);付録 ドストエフスキーとイサーエフ――クズネックの婚礼/リュボーフ・ニーコノフ(p113-139)
○ドストエフスキー再考 ※3.13 東京大学でのドストエフスキー国際シンポジュウムから
「すばる」40(8)(2018.7.6=8月号)p76-119
・〈評論〉カタストロフィの想像力とナラティブ戦略/亀山郁夫 p76-85
・〈特別講演〉ゼロ年代のドストエフスキー/平野啓一郎 p86-105
・〈評論〉ドストエフスキーとリーチノスチ/安岡治子 p107-113
・〈エッセイ〉いま一つの「ゼロ年代のドストエフスキー」/番場俊 p114-116
・〈エッセイ〉映画『ビジランチ』と「カラマーゾフの兄弟」/入江悠 p116-117
・〈エッセイ〉ドストエフスキー Xコスモス「おかしな人間の夢」/高山羽根子p118-119

○関係資料の収集を始めた頃、古書店廻りや古書店(展)目録に集中していた頃、珍しい映画音楽の楽譜(ピース)を入手した。それは1957年イタリアの作品(1958年日本公開)ヴィスコンティの「白夜」であった。楽譜には「イタリア映画『白夜』主題歌スクーザミ」とある。後々映画雑誌を集中して集めたところ、「スクリーン」の綴込み付録楽譜「スクリーン・ヒット・ミュージック・シート」の34(「スクリーン」13巻4号=137号(1958.4.1)。2頁の楽譜である。映画自体の音楽の担当はニーノ・ロータであるのだがこの主題歌は“SCUSAMI”(English lyric by Carl Sigman. Music by G. Malgoni and A.Prrone.Piano Arr. by Dick Kent)と記されている。ここまでくれば次は音源の探索となる。LP時代だったが「映画主題歌集」といったアルバムをCD時代にも渡って待機していたが、どうも人々の口元を喜ばせ愛唱するものではなさそうだ。「スクリーン」の編集子が、「編集後記」か楽譜のメモに「現在ティ-・ロッシが歌って好評!」などと記されていて Tino Rossi を追い掛けたが入手できなかった。そこで勤務先の利を生かして音大卒の人に演奏・録音を依頼して世界でも稀な資料となっている。然し現今、You Tube の時代となり、〈T.Rossi × Scusami〉で作品を体験できるでしょう。当方には、今、その手段がない!

○今春、20世紀ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの本が2冊出た。1点は亀山郁夫著『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』(岩波書店 2018.3.27 ¥3300)。もう1点はソロモン・ヴォルコフ著『ショスタコーヴィチとスターリン』(亀山郁夫・梅津紀雄・前田和泉訳 慶應義塾大学出版社2018.4.14 ¥5800)。どちらとも浩瀚な評伝なので読破するのも
大変なのだが、ドストエフスキーの作品にインスパイアされた曲が若干あるので興味のある方は、その曲譜と解説を手にしてみて下さい。
・作品146「レビャートキン大尉の4つの詩」(1974作曲)(1.レビャートキン大尉の恋 2.油虫の歌 3.家庭教師嬢たちのための慈善舞踊会 4.高潔な人)初演1975.5.10 モスクワエフゲニー・ネステレンコ(バス)。
○〈予告・1〉現在も連載されている河出書房新社の文芸誌「文藝」に橋本治による〈落語世界文学集〉がある。これが単行本化され店頭に「おいぼれハムレット」が並んでいる。順次配本されるもののなかに「人情噺罪と罰」が表示されていて期待される。但し、初出も把握していないので仕上がりの程は分からない。
○〈予告・2〉「シアターガイド」という雑誌がある。この最新号の広告頁にBunkamura30周年記念 シアターコクーン2019.1 罪と罰」を発見した。詳細はこれから頻出されると思われる。
・『ロシア訳対訳 名場面でたどる『罪と罰』』原作フョードル・ドストエフスキー訳・解説望月哲男 NHK出版 2018.6.15 ¥2000+ 223p 21㎝ 
〈音声DL Book〉※2016-17「まいにちロシア語」に掲載、これを再編集したもの。



ドストエフスキー関連の著作の紹介


雑誌


『現代と親鸞』第37号 抜刷 2018年6月1日発行 提供=芦川進一さん
ドストエフスキイ、イエス像探究の足跡 ―ユダ的人間論とキリスト論―
感想(編集室)
2017年3月31日、親鸞仏教センター(文京区)で開催された「現代と親鸞の研究会」での問題提起と質疑をまとめたものである。なお、本文中の発言者は、センタースタッフならびにゲスト参加者である。講師・芦川進一 発言者・所長、事務長、他研究員9名。聖書(キリスト)を手引きとしてのドストエフスキー論に親鸞の研究者たちは、大いに関心をもったようです。忌憚のない意見、感想が寄せられました。例えば、こんな質疑もありました。(研究員の質疑、抜粋)「私はドストエフスキイが好きで『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などを読んできました。ところが今日の研究会のように聖書、「キリスト論」「ユダ的人間論」などを踏まえ、イエス像探究の足跡としてドストエフスキイを読まねばならないとされますと、じゃあ自分は一体何を読んできたのだろうか、何に感動したのだろうかと、自分に疑問が出てくるわけですね。文学を味わう時、そのような知識ではなく、私はああおもしろいなと感じることが大切だと思うのです。その時に学問的根拠が大切で、イエス像なり聖書学というものを踏まえなければ誤読になるのであれば、では自分はドストエフスキイを読めるのかという疑問が湧くわけです。これは恐らく私のみならず、キリストに関心のない多くの日本人が、共通に感じることだと思うのですね。つまり、バックボーンが違う我々日本人が果たしてドストエフスキイを読めるのかという問いです。/」

新聞 東京新聞「大波小波」 2018.7.17  

『すばる』8月号の「ドストエフスキー再考」特集が面白い。驚いたのは、亀山郁夫の「カタストロフィ」の想像力とナラティブ戦略」。『罪と罰』の中で道連れに殺されてしまうリザヴェターが、草稿段階では六月(むつき)目の男児を身ごもっていたことになっていたという。これが決定稿に残っていたら、ラスコーリニコフに対するすべての感情移入は吹っ飛んでしまう。ラスコーリニコフもまた、自身の「罪」を自覚しないではいられまい。自殺という結末の可能性もあるだろう。作家はラスコーリニコフの「罪の自覚を無限に引き延ばす」ことによって、「罪と罰」を小説として成立させた。それは、自らもかつて死刑宣告を受けた作家がラザロの復活に重ねて、ラスコーリニコフを八年の量刑で人間として甦らせるための戦略だった、というのが亀山説である。なるほどと首肯するが、六月目の男児の挿話も強烈な魅力を感じる。ドストエフスキーの天才をもってすれば、そこからも別の世界文学が立ち上がっただろうという思いは否めない。平野啓一郎の「ゼロ年代のドストエフスキーは、個人と、個人から分化した「分人」と言う概念との関係を語っているのが、現代の社会状況にも合致して興味深い。

新聞 東京新聞「大波小波」 2018.7.20 

「先生、ドストエフスキーって誰なんですか?」と質問した東大院生がいた。バフチンのポリフォニー」論を説明していたときのことで、石田英敬教授は「ついにこの日がきた」と教養崩壊時代の到来を2002年に雑誌『世界』で嘆いた。一方、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が光文社古典新訳文庫として出たのが06年。ベストセラーとなり、「カラキョウ」の言葉を生んだ。このゼロ年代の真逆の現象をどう見るかと考えてきた。先日の当欄も着目していたが、『すばる』8月号では特集「ドストエフスキー再考」と題して、三月に開催された国際シンポジュウムの内容を掲載していた。その中の平野啓一郎は「ゼロ年代のドストエフスキー」が平成文学論としても目を惹き、長年の疑問に光明を得た。彼は持論の対人関係ごとに複数の人格を生きる「私」、つまり主体文化の概念と「対話」を考察し、平成文学の「自分探し」の潮流に重ねた。今、ネットでは若い層のドストエフスキー論議が活発で、同人雑誌も刊行されている。これも彼らの自分探しだ。神や革命の大きな物語ではなく、自己確認の場なのだ。平野は新しい読みを提示したが、150年たってもわれわれはドストエフスキーの手のひらから抜けだせない。

新聞 朝日新聞 2018.7.22 海外ニュース

村上春樹氏小説『騎士団長殺し』香港で「18禁」に。
香港の司法当局は、作家・村上春樹さんの小説『騎士団長殺し』について、暴力シーンやわいせつ表現を含む物品などの流通を既成する条例に基好づき、18歳未満の青少年への販売を禁止する決定をした。公表は12日。書店では本をビニールなどで封をして、警告文を貼る必要がある。香港メディアが伝えた。司法当局が内容を審査したところ、暴力や堕落、不快な表現など、公序良俗に反する出版物だと判断した。小説のどの部分が条例に抵触したのか、具体的には明らかにしていない。



広 場 


寄稿

閑話「今、ドストエフスキー作品を読むこと」中編

野澤高峯

第四次帰属先とした「サイファ」とは、社会の中で生きることを自明のこととして社会の外側から動機づけてくれる、無条件の理論的な受容とか承認を指しますが、速水はこれを逆のベクトルでも捉え、下記の通り述べている点に留意しました。
「普通の人間は友人や恋人や家族の関係で、自分についてのスタンダードな前提ができていくんですよね。でもそれがないと、社会の外に向かっていくんです」
僕は以前、この「社会の外に向かっていく」情動を「超越への希求」と明示しましたが、その前提とは前編で第一次から第三次帰属の劣化や変容を述べたように、僕のような老齢世代では、第二次帰属が職場引退等で喪失しつつある自らの社会性の見直しは、自分が第三次帰属をそれまでどのように捉えていたかという問題です。つまり、僕の場合、アイデンティティは文学や哲学に手助けされ日常生活で確認してきたような気がしますし、宮台が規定したこのアイデンティティが重要なのは「自己内対話のできる安全な場所」としてのこの内的領域を常に確保するという事です。そこには孤独が常に付きまとうかもしれませんが、そこから文学作品に向き合い、その登場人物への共鳴や対抗を見極めたり、または古今の哲学理論を自分の実感に基づき理解していくことです。ドストエフスキー作品の登場人物は、全てにおいてこの姿勢に寄り添うように描かれています。また、僕が敬愛する太宰治の前期の文学作品も、言語芸術として具体的にこの「自己内対話」を表現し、物語を紡いでいると言えるでしょう。

先般、『おとなしい女』の読書会で、僕は物語の主人公(質屋)を否定的に「昭和のおっさん」と自戒を込めて類似させました。日本でも昭和の昔のクイアが家族愛と称し、厳格な家父長制マインドで営まれる家庭を賞賛し、パターナリズムで社会を見てきたこのアイデンティティが、現代では否定されたスタンダードであることに、当人は無自覚である人物として類似させて解釈しました。日本文学では「新しい政治小説」を標榜してきた星野智幸の一連の作品の原型を、ここに見ることもできると思いますが、こうしたポリティアル・フィクションにどう向き合うかは後述いたします。しかし、似非保守政治家を筆頭に、日常的にネット上でネトウヨ的言説を演出する勢力は、主に権力による世論工作を「仕事」として請け負う業者や、情報を歪めて発信することでアクセスと広告費を稼ぐ確信犯としての業者・個人は論外として、ここで問題とすべき対象は、それらの誤情報や炎上を真に受けて信じた善意の拡散者である、こうした「ネット的男性人格者」達です。彼ら彼女らは僕を含めて、昭和の時代に人格形成してきた中高年層に多く、ネトウヨ現象がむしろ経験や教養もあるとみられた中年から壮年世代に多く広がっているのが現実です。ポリコレを背景に否定されたスタンダードが、ルサンチマンを含んだ自己肯定の向け先として「人とつながっている実感がない人がネットへこぼれ落ちたときに、彼らを回収するいちばんわかりやすい唯一の価値観が「国家」というものでしかなかった」と是枝監督が述べ、そこには日本人として生まれたことに努力も能力も必要が無く、「「日本人でよかった」という言葉は、自分が日本生まれの日本人であること以外に誇れる要素、自信を持てる要素が見当たらない人には、魅力的に響く。孤立や孤独から解放され、立派な集団の一員だという「絆」意識が生まれる。これだけを切り取れば、一見問題がない。「これの何が悪いのか」と居直れる」と戦史/紛争史研究家の山崎雅弘が論じたことは、サミュエル・ジョンソンが「愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である」と述べた事にも表象ではつながるでしょう。ここには、愛着や信頼によって維持するゲマインシャフトとして機能すべき第一、第二帰属として大きく変化した現代の共同体にアイデンティティを確保できず、劣化した似非保守論壇の言説に引っ張られ「日本すごい!」と声高に主張し、本来はゲゼルシャフトである国家に安易に自己同一化してしまうという大きな錯誤があり、自らの第三次帰属に立ち戻らない現実があります。ビジュアル・コミュニケーションの台頭と共に、そうしたネット空間では「文字はわかるが、文が読めない」人達を中心に、言葉が持っている意味を伝えるという機能が、日常のコミュニケーションの場でもあまり必要とされず、意味よりも愛着や嫌悪の感情が優先されている点で、前編では「感情化された社会」と括りました。しかし、一方では国家を共同幻想とみて、その解体を今でも思想信条とする一部の教条主義的アナログ左翼が第一に敵認定されている現状は、学識はあっても文化と教養と社会人スキルがない点では、両陣営共に感情が優先されていると僕には見えます。このことはロマン主義的な文学的反俗の心情とも共通であり、ドストエフスキー文学が初心者である僕が感じるのは、そうした文学の学識の広さの優劣だけで読書会を成立させてしまうと、結局、オタク的島宇宙に閉じられてしまう為、今後も開かれた場であり続ける事を願う限りです。その点、ドストエフスキー作品とは常に「読み手の在り方が問われる文学である」と言え、反知性主義から抜け出す問題系は、こうした第四次帰属に直結させず、僕がドストエフスキー作品については特に実存論的読解にこだわり、文学や哲学を第三次帰属として僕なりに受け止めている理由です。また、この感情優先現象については国際基督教大副学長の森本あんり(『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』の著者)が、最近の宗教のイメージを下記の通り述べていたことに共振すると思います。

「昔は、何かを『正しい』と信じるには、論理的整合性や組織の裏付けが必要でした。今は違います。個人個人が、心の中で感じられるものが大事。感動して涙が止まらない、そういうものが正しいのです。これは神秘主義の特徴でもあります。日曜日には礼拝に行く、といった行動よりも、自分がどれだけ感動できたかが大事で、それが正しさの基準になっているのです」

ここで言う「論理的整合性や組織の裏付け」とは僕の解釈では外部に想定した「本体」という価値基準であり、それが既に現代では無効になっていると指摘だと受けとめた事です。ネトウヨ現象の別側面として、宮台同様、僕達しらけ世代は、若い頃のニューエイジムーブメントを一部引き継いだサブカルも浴びてきましたが、その点、「オウム帝国」・「リアル二十世紀少年」と称すべき現政権を支持する若い世代に、メンヘラ系やセカイ系ナショナリストが生まれた背景には、こうした個々人の「実感」をもとに「正しさ」を判定する神秘主義的宗教感情が安易な物語を呼び込んだ、80年代以降のスピリチュアリズムの流行からセカイ系を経由した右傾化という意外な展開であるとも思います(2016年の日本映画『君の名は。』や2018年の楽曲『HINOMARU』は象徴的)。このことは、心情としては容易に「サイファ」としての「名状しがたいすごいもの」に向かうという点で、僕がこの現象をあえて「思想」と捉えるなら素朴なロマン主義でしかなく、むしろ「情動」と捉えている理由でもあります。僕なりに読んだ『白痴』や『悪霊』の読解主題にも低通しますが、この現象は伝統宗教にありがちな組織性が重要ではない「信仰」に基づくという点で、報告会で述べた「否定神学」を基にした「教会の権力構造から培われた「神」が無化されつつある時代に、無神論として作家が相対化した「キリスト」とは、「意味や価値の源泉は外側にない」と言う理路で考えれば、実存論的にはそれは人間の内在から意識(身体)に浮上する「語り得ぬもの」」の現代的頽落形態なのかもしれません。このネトウヨ現象をカルト宗教的「信仰」と位置付ければ、その「正しさ」は当人にとって普遍性を持ち、自己の「正しさ」は日本社会にとっても「善」であるという確信になります。この背景には既成組織である各種宗教団体の右傾化ということも見過ごせませんが、自分たちの行動のために他者に迷惑をかけることは気にせず、容易にこの「正しさ」をもとにヘイトクライムを呼ぶとしたら、この現象は批判されてしかるべきでしょう。

「サイファ」とは、歴史的な起点が社会の外側にある「世界」であり、中世までは宗教的世界観ですが、信仰は自明のこととして第一次帰属から第三次帰属で生きる自分を「世界」から規定すると考えられ、この宗教的世界観が自明でなくなりつつあったのが、ドストエフスキーが活躍した時代と言えるでしょう。日本では戦前まで、第四次帰属として国家神道を背景に近代天皇制が機能してきましたが、宮台は宗教を「前提を欠いた偶然性を馴致する装置」「端的なものを、無害なものとして受け入れ可能にする仕組み」と定義しています。宮台はこれを太宰治の小説『走れメロス』を例に、そうした宗教の立ちあがり方を読解しています。メロスは自分が走り続ける意味を、友人のセリヌンティスからの絶対的な信頼という「端的なありそうもなさ」について、「人の命も問題ではないのだ。なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ」と独白させている点を指摘しています。ここにある「恐ろしく大きいもの」が社会の外にある「サイファ」の概念系列として宗教性を呼び寄せていると解したことは注目すべき点です。

僕は本会第244回例会報告会で、ドストエフスキーがこれをどう受け止めたかという問いをもとに、作家の捉えた「無神論」の内実として、ピョートルに具現化された「行動的ニヒリズム」やキリーロフの「人神思想」を例に、彼らを「反理想的ニヒリスト」とし、表象としてはラスコーリニコフの「ポナパルティズム」やスタブローギンから派生したシャートフの「国家宗教的超民族主義」、シガリョフの「奴隷平等主義的革命論」というイデオロギーを標榜する彼らの実存を「理想的ニヒリスト」と定義しました。これは第三次帰属(アイデンティティ・実存)を突き詰める過程で、コミュニケーションの可能性を信頼できない「底が抜けた存在=脱社会的存在」としての地下室人の人物像を展開した、既成宗教にかわる第四次帰属先(「サイファ」)を求めた姿を悲劇として作者が提示したと読みました。

今回の閑話の主旨を一言でいえば、作品を通じ、第三次帰属の意味を第一次帰属や第二次帰属という「生活世界」で確認できない当時のロシアの知識人がおかれた背景を踏まえ、作品にある「現実的世界喪失の観念的自己回復」(笠井潔)の悲劇的末路をたどり、第四次帰属の条件設定の困難さを読み込むことであり、一言でいえば、それは「サイファ」をどう受け止めるかという事です。その意味は日本でも過去の歴史を通じ、現代社会でもある現象が再起しているという現実を見極めていく事に繋がります。

僕がこうした実存論的読解に拘るのは、ネトウヨ現象ともリンクしますが、もう少し掘り下げてみれば、ここ数年、現代日本の右傾化傾向や戦前回帰についての分析(文学においては会員である高橋誠一郎先生の御専門領域)にみる通り、日本でも1930年代に台頭した「超国家主義」の内実です。これを表象として『悪霊』に見られるイデオロギーの類型として取り出せば、「理想的ニヒリスト」と定義したシガリョフの「奴隷平等主義的革命論」は、設計主義による大川周明の「アジア主義」や北一輝の「国家社会主義」、シャートフの「国家宗教的超民族主義」は田中智学・石原完爾の「日蓮主義による国家改造論」などとして捉えることもできるでしょう。歴史資料となる公文書をも改竄する現代日本では、そうした事態の本質を見極めるうえで、その後、戦争に向かった過去の再帰性に目を向けることはとても重要だと思います。ただ、僕の着眼はこうしたイデオロギーを標榜した首謀者達の青春期に共通してみられる事情として、橋川文三が説いた「人生論的煩悶」が挙げられます。丸山真男は国家を国民の内面に干渉しない中性国家(カール・シュミット)と位置付け、明治国家は国民の個別的価値観に介入する(個の内面までも天皇に帰一する)点を、超国家主義の特質として捉え、明治期の国家主義と昭和初期の超国家主義の斬新的連続性が強調されていると説きました。それに対し橋川は超国家主義を唱えた首謀者に見られる特徴として、過剰な自意識による「人生論的煩悶」という存在論的な側面をその起源として見出しました。その自我の苦悩の中で、宗教(親鸞主義・日蓮主義)に強い関心を寄せた事が国家主義一般と超国家主義を区別する重要な特徴であると指摘しました。そこには国家を超越しようとする価値(万教帰一)の追求を含んでいます。これにより人生論的煩悶は解消され、国体ユートピアに溶け込むこうした国粋主義は、本来は絶対平和を希求する宗教的潮流から、日本原理が称揚され、民族の一体化が鼓吹されました。この国家権力との合一性への志向は、個の欠如ではなく、地下室人(シェフトフ的不安)に見られるような強い自我意識の結果であり、マルキストがナルプ解体後に転向した後、日本浪漫派を経由し、戦後は九条堅持の世界平和活動に転身してきたような実存の根底にも、こうしたユートピア思考の継続性を見ることができるでしょう。この「人生論的煩悶」とは、文学者では北村透谷、高山樗牛、宮澤賢治、倉田百三などに散見されますが、ともすると文学好きが陥る第三次帰属問題の「人生論的煩悶」から、第四次帰属としての「サイファ」の受け止めに、各種の宗教が多大な役割を果たした歴史を見ることができますが、実存論的な観点での日本浪漫派批判として、橋川自身は「サイファ」(死と美意識)をどうの受け止めていたかに絡め、文芸評論家の神山睦美はさらに切り込んで下記の通り解釈しているのが興味深い点です。

「たとえば日本人の愛国心について、死への願望とエゴイスティックな欲望ということがいわれます。それらがコインの裏表のように心情の深いところで綯い混ぜられているという言葉など、当時の日本ナショナリズム論からはめったに聞けないものでした。日本浪漫派の保田與重郎に、戦中派といわれる橋川の世代が、なぜそれほどまでに魅かれたのか。そこに政治と文学という問題の最もアイロニカルな解答があったから、そうこたえるのですが、要するに最もラディカルな政治的選択とは、極端なまでに洗練された美意識と死への願望においてなされるということなのです。これがかたちを変えて、六八年を前後する時期の情念的な革命志向に現れている。それは、三島由紀夫にまで通ずるエートスといっていいので、これをどこかで相対化しないかぎり、私たちは何度でも、死への願望と美への投身というところへと拉致されてしまうというのが、橋川の批判でした。 死と美意識に対置されるのが、エゴイズムとルサンチマンです。死への願望とエゴイスティックな欲望とをコインの裏表のように具えた私たちの愛国心というキャッチフレーズは、現在でも有効です。ナショナリズムや愛国心にあらわれる排外主義、自民族中心主義が個々の人間のコンプレックスやルサンチマンから醸成されるということは疑いありません。しかし、これが理念としてかたちづくられるためには、人間のエゴイスティックな欲望は否認されなければならない。六八年当時の風潮が、欲望への否認の意志によって成っていたことはまちがいないといえます。パンをもとめて群がる民衆の欲望に対して、大審問官のように、それを充足させつつ統御するのではなく、むしろ忌避することによって、死と美意識の極限へと向かう。それが橋川のいう、イロニーとしての態度です。保田與重郎から三島由紀夫にまで通ずるこのようなエートスに対して、しかし、当の橋川ははっきりと距離を置きます。理由は、明らかです。そこには、大審問官の「絶対的多数の群衆の際限ない苦悩」に対する同情もみとめられなければ、イエスの「一人の人間の不幸の特殊性」への共苦もみとめられない。もっというならば、彼らのなかにある他者への関心、他なるものへの配慮というものがみとめられないからといっていいでしょう。これは、批判ではありません。日本ナショナリズムというのは、多かれ少なかれこのようなかたちをとってあらわれるということを、橋川は言いたかったのだと思います。」(『大審問官の政治学』)

この見解は、また今後の読書会で『カラマーゾフの兄弟』(大審問官)を基に、六八年の全共闘運動の「享楽」と「祝祭」などを通じ、笠井潔やバタイユやアレントを絡めて論議したいとは思います。ただ、アメリカ西海岸のカウンターカルチャーからスピリチュアリズムを捉えてきた僕たちの世代にはとても意外ですが、過去の歴史をスピリチュアリズムと愛国が結びつく現代日本の潮流を捉える必要もあり、この点は後編で述べたいと思います。

ただ、このことは『罪と罰』『白痴』『悪霊』を読む現代的意味として参考になり、超国家主義について政治学者の中島岳志の説く「超国家主義を理解するためには、ラディカルな個人主義が全体主義へと反転するパラドックスと共に、内的価値を占有する国家主義が『国家を超えた人間のビジョン』を追求するという逆説を捉えなければならない。~理想は現実を超えなければならないが、しかし、それをリアライズしようとした瞬間、それはデストピアを帰結する」というアポリアを裏返すと、文芸評論家の浜崎洋介が実は「現実を超えて現実を支えるはずの超越的価値(倫理)が、しかし、近代日本においては、ついに現実のなかにしか見出すことができない」と述べた諦念に、あえて理想を掲げることがその人の必然であるとしたら、僕がドストエフスキーの「無神論」で捉えた観点と同じ状況把握を感じます。ここには、真正保守としての二人の「政治と文学」に対するスタンスの違いも見え隠れして興味深いのですが、僕としては、それが諦念だとしても、今ある現実について一歩先を見据えている浜崎に共感する次第です。ただ、中島の指摘も橋川説を受け、超国家主義者の精神的な背景には、日蓮主義や親鸞主義という宗教が国家主義を超越する形で、各々の第二次帰属(実存)を信仰として支えていると読み、この時代の歴史知識が初心者である僕は興味深く受け止めている点です。それは現代でも現政権を支えるも、実態としてはドグマも政治的組織力も弱い日本会議のコアメンバーが宗教(光明)原理主義者であるという構造によく似ており、ドストエフスキーが捉えた観念の顛倒について、そうした宗教の抱えている物語の強度とそれから展開される負の側面を、「煩悶」する人物が多く登場するドストエフスキー作品についての共通課題として、読書会でも「現代を読む」話題にできればと思ったりしています。

視野を広げて考えると、こうした「ナショナル・アイデンティティと宗教」については、現代ロシアでの展開も見過ごせません(宮川真一著『ロシアの「国民正教」: 新たな統合原理を求めて』を参照)。「ソ連崩壊後のロシア・ナショナリズム台頭に正教が大きな役割を果したこと、その時期にオウム真理教が進出し、かつオウムへの反カルト運動がナショナリズム強化に貢献した」と宗教学者の島薗進もコメントしていますが、僕自身も宗教自体をすべて否定してはいません。ただ、今回、述べてきたように日本の場合はむしろ右傾化したカルト宗教運動が似非ナショナリズム強化に貢献していると言わざるを得ません。次回では、僕自身が哲学やドストエフスキー作品を通じ、「サイファ」をどう受け止めているかと、「政治と文学」について、ドストエフスキー文学におけるポリティカル・フィクション批評の現代での有効性についてなどをお話ししたいと思います。(続く)



人間の謎
(編集室)   

犯行動機見えず  新幹線3人殺傷 富山の交番襲撃事件 容疑者家宅捜索ニュースに一瞬『罪と罰』の映像が。

前回、6月読書会があった9日夜、東海道新幹線(新横浜―小田原間)の車内で殺傷事件があった。22歳の男がナタで乗客を襲ったのだ。女性二人が重軽傷、助けようとした男性がメッタ刺しあって死亡した。犯人・小島一朗容疑者の動機は「社会を恨んでいた」「自殺したい」といった短絡的なものだった。後日、家宅捜索のニュースを見た。捜査員が手にしてみせたのは、買ったばかりの哲学書と小説の文庫本だった。一瞬『罪と罰』とわかった。この作品は、よく犯罪者に利用される。小島容疑者は、この作品をどのように利用しようと思ったのか。つづいて起きた富山の交番襲撃事件。こちらも、「世の中を恨んでいた」「居場所がなかった」が理由とのこと。人間の謎の闇は深い。



読書会参加のみなさんの著作の紹介


短歌 〈平成30年2月号「歩道」から〉
詠み人 石井郷二さん

秋冥菊終わりてしばし花のなき庭に今朝見れば山茶花ひらく
葉の落ちてあらわになりし柿の実の梢に数多日に照りてをり
友逝きて幾年経しか故もなく指折りかぞへ熟柿を食ふ
九条を守る集ひの晴れしけふ議事堂まぶし文化の日にて
暮れそめし議事堂を囲む群衆の帰路は黙してゆるりと動く

〈平成30年3月号「歩道」から〉

押し寄する観光客を包むごと高尾の山の黄なるもみじ葉
深山ともいふべき高尾の参道の山門くぐれば人ら賑はふ
亡き妻の涙なるべし改葬の式始まれば小雨降りくる
墓前にて讃美歌うたへば妻顕ちて歌続け得ず黙し涙す
亡妻の改葬式済み永年の思ひを果たすわれいま老いて

梶原公子さん「ドストエフスキーと若者」(『おかしな人間の夢』を読む)
同人誌 創作同人誌『YPSILON』エプシロン35号 2018



創作・連載5   
小説 ドストエフスキイの人々  七、遅れてきた青年
dokushokai.shimohara.net/henshushitsu/hitobito.html



新 刊

下原敏彦著『オンボロ道場は残った ―柔道町道場と我が家の記録―』
2018年8月15日(株)のべる出版企画
「金なし、職なし、才もなし」柔道の町道場に関わって33年。大雪被害、借地問題など幾多の消滅危機を奇跡的に乗り越えた…その歩みを振り返る。柔道の祖・嘉納治五郎の考察も併録。
オンボロ道場にかかわったすべての方々に捧げる感謝の書。酷暑の折、本書が一時の涼風となれば幸いです。



編集室


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