ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.148 発行:2015.2.10



2月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日 : 2015年2月21日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『罪と罰』2回目
報告者 :  前島省吾氏 (テキスト新潮文庫上下・工藤精一郎訳) 
会 費 : 1000円(学生500円)



大阪「読書会」案内 2・14

ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第26回例会は、以下の通りです。
・2月14日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 作品は『いやな話』〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)
小野URL: http://www.bunkasozo.com 



2015年、本年もよろしくお願いします

ドストエフスキー全作品を読みつづける意義

なぜドストエフスキーを読みつづけるのか。毎年、新しい年を迎える度に、ちらと想い返します。読みつづけるのは、新しい自分との出会いがあるからだと思います。ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。物語は同じでも20代のときに読んだ作品、50代に読んだ作品、老齢に入って読んだ作品。感想は違うものがあります。読んだその時々に知る新しい発見の楽しみ。ドストエフスキーを読みつづけるということは、真にその楽しさ故にだと思う。読書会は、個々の楽しみの集まりの場でもある。その楽しみは、決して一元でも同様でもない。その人それぞれのものである。全作品を読む読書会とは、他者の感想を尊重し楽しむカーニバルである。今年も愉快に楽しく語り合いましょう。そうして調和を希求しながらもいつまでも憎しみ争いをやめない人間の謎について考えようと思います。



2・21読書会について 

『罪と罰』2回目の報告者は、前島省吾さん

報告者の前島省吾さんは、昨年6月読書会で『地下生活者の手記』2回目をレポートしていただきました。地下室人とは何か。「矛盾の総体である」「虫けらにもなれなかった男」など考察深い発表でした。「地下室男」から金貸し老婆姉妹殺しまでをどのように読まれたのか楽しみです。テキストは新潮文庫・工藤精一郎訳 上下です。(文中は岩波文庫・江川卓訳)

「罪と罰」の不思議な言葉とラスコーリニコフの犯行動機

前島 省吾

1.不思議な言葉(キーワード)は二度現れる

ドストエフスキーは言葉の魔術師である。不思議な言葉(キーワード)にあふれている。その言葉は二度現れる。時には頻出する。例えば部屋、斧、石、墓穴、夢、生命、花、水、茂み、15,6歳の少女(上83,下366 新潮文庫 工藤精一郎訳 以下同じ)、馬殺しのミコルカと無実の罪をひきうけようとするミコルカ。「貧は罪ならず(上22,上172)」「ラザロの復活(上456.下88)」など。マルメラードフの「わかりますか、どこへも行き場がないことが?」(上29)は、二度目はラスコーリニコフの脳裏に現れる(上81)、やがてそれは「逃げ場がない」(上115)となり、「出口が見つかった」(下304)に転換する。無数に現れる「卑劣(卑怯、意気地なし、しらみ)」もキーワードである。特に「人類全体が卑劣でないとしたら、他のことはすべて偏見だ(上48)」は、小説の核心ともいえるほどの最重要語だ。皮肉なことにこのセリフは小説の最後で、「こいつらはどれもこれも生来は腹の底は卑怯者で強盗なのだ。」(下439)「おれは乞食だ。ゴミだ。おれは卑怯者だ。(下446)」という正反対の言葉に変換する。

「ソーニャ、それにしてもよくまあこんな井戸を掘りあてたものだ。人間なんてあさましいものだ……だが俺の言ったことが嘘だとしたら、人類全体が卑劣でないとしたら(上48)」の意味は文学を読まない若い人の為に息子の友達のHPhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~skawashima/GoToday/ (yahooでお手軽文学散歩「罪と罰について」で検索して下さい)の第5話に書いたので読んでいただきたい。この言葉はソーニャを意識したもので、その後ラスコーリニコフの思考はソーニャを離れることはない。(例えばドーニャのルージンとの結婚をソーニャの売春と同一視するなど)。この時のソーニャの発見がラスコ-リニコフの「踏越え」の根拠となった。ソーニャの存在が彼の「犯罪」を後押ししたと言っても過言ではない。こんなことを言うのは、私とラスコーリニコフの母親だけかもしれないが(上420、江川訳岩波文庫中104)。「僕は君を選んだ。お父さんやリザヴェータが生きていた時に。」(下97 江川中293)という不思議な言葉の源はこの言葉にある。

この小説は、「善を見失ったひとが善を見出すことができるか?」つまりラスコーリニコフによるソーニャの発見、出会い、魂の触れ合いの物語である。その意味で最も重要な場面が「ラザロの復活」だが、今回改めて読んでみて、ブログ(第18話)に「石」のことには触れながら「何故ドストエフスキーは、聖書の数々の挿話の中からラザロの復活を選んだのか?」という大事なことを書き落としたことに気付いた。ポルフィーリーは、「では ラザロの復活も信じておられる?下458、江川中146」とラスコーリニコフに問う。その問いがあまりにも強烈な印象を残したために、ラスコーリニコフはイエスへの信仰が無いにも関わらずソーニャにこう尋ねるのであった。「ラザロの復活はどこかね?探してくれ、ソーニャ。下88 江川中262」 ソーニャの読む聖書には、この小説の核心ともいえる言葉が潜んでいた。それは、「主よ、もしあなたがここにいて下さったら、私の兄弟は死ななかったでしょう。(下91、江川中286)」という言葉である。この言葉には、「もしイエス・キリストが、あれを決行すべきか否か自問自答して煩悶していた棺桶、墓穴のような屋根裏部屋(死の世界)をもっと早く訪れてくれさえすれば、ラスコーリニコフの犯行はなかったであろう」という悲痛な思いが込められている。この言葉にはソーニャの思いと同時にドストエフスキーの強いメッセージが込められていると私は考える。

ドストエフスキーは、この小説の末尾で、「ひとりのひとが更生していく物語、それは新しい作品の主題になりうるだろう」と語った。学者は新しい作品は「白痴」だと断定しているが、私にはニンマリとほくそ笑んでいるドストエフスキーの顔が浮かぶ。「白痴」の中の誰が更生しただろうか?ドストエフスキーは読者を欺くかのような謎を残しながら、実は「罪と罰」をこそ「更生物語」として完結させたのではないかと私は考えるが、この問題は、次回以降にもっとキリスト教に明るいひとに解説をお願いするとして、実質的には第一回といえる今回の「読書会」は順序として、「ラスコーリニコフの犯行の動機」を取り上げたい。ブログ(第8、10、15、16、21、最終回)に書いたが、まだ判然としない問題が多々あるので皆様の意見を拝聴したい。

2.「犯罪・罪」の動機

私の息子はこんな疑問を私に呈した。ラスコーリニコフもラズミーヒンも大学を中退している。まともな努力家はルージンだけだ。苦学して弁護士資格を得て七等官(部長級)まで出世した。本当の出世主義者なら政府高官か金持ちの娘にアタックするはずで、貧乏で美人のドーニャを選んだのは本当に惚れたからではないか、これから結婚しようとする相手の兄が売春婦などと関わりをもったとしたら嫌だし、その関係を断たせようと色々画策するのは当然のことで、少し意地悪に書きすぎている。ラスコーリニコフもナポレオンのような権力者になりたいなら、まず大学を出てルージンのように元老院(国家中枢)に食い込んでから、上を目指すべきではないか。

また叔父はこう言った。 何故質屋の老婆を殺したのだろうか?質屋だって立派な職業だ。(確かに文中で学生が、『僕達の仲間は随分世話になっているよ(上113 江川上136)』と言っている。)執拗で強引な借金取り立てでそれこそ命の危険でもあるなら兎も角何の恨みもないのに、何故そんな無力の老婆とリザヴェータを斧で残虐に殺したのか?死刑にすべきだ。

皆様はどう答えますか?この問いへのラスコーリニコフの一応の答えは、工藤訳下248 江川訳下124に書いてある。ブログでも触れなかったし、私もまだよく理解できない文章だ。

「仮にナポレオンが僕の立場にあって、しかも栄達の一歩を踏み出すために、ツーロンも、エジプトも、モンブラン越えもなく(参照:ブログ第16話の注)、そうした輝かしい不滅の偉業の代わりに、そこらにごろごろしているような馬鹿げた婆さんひとり、金貸しの後家婆さんの長持ちから金を盗み出すために、(身を立てるためだよ、わかるかい?)どうしても殺さなければならない、しかも他に道がないとしたら、彼はその決心をするだろうか?これは偉業とはあまりにも程遠いし、しかも罪悪だ、という理由で、二の足を踏みはしないであろうか?この問題に随分長い間苦しみぬいたんだ。」

あれはできるだろうか?と悶々としていた問題とはこのことだった。この言葉には矛盾があると思う。まずナポレオンには大勢の国民を死に追いやっても達成しようとした旧王政の打倒と新しいフランス帝国樹立という自他ともに明確な目的があった。ラスコーリニコフに目的があったのか?身を立てるとはどういうことか?盗んだ金で何をしようとしたか?仮に老婆の手元にあった1500ルーブルを盗んだとて、母とドーニャの苦境をその金で救うことはできない。彼自身盗んだ金はすぐには使えないことを知っていた。結局、彼を苦しめたのは、「罪悪だという理由だけで人を殺してはいけないのだろうか?」「殺人は罪悪か?」という問題であったのか? ラスコーリニコフはこんなことも言っている。「実行に当たっては、重さと量と数を考えて、できる限りの公平を守ろうと決めて、全てのしらみの中から最も無益の奴を選び出し、そいつを殺して多くも少なくもなく、俺が第一歩を踏み出すためにかっきり必要なものだけをとろうと決めた。(中略)罪があろうがなかろうが無差別に射ち殺して何の釈明の必要があるとうそぶいた(アラーの神の)預言者が正しかったのだ。(上482 江川中177)」(このことからラスコーリニコフがナポレオン主義者でないことがわかる)

読書会では、工藤訳上122~125 江川訳上148~151を読んでみたい。
「問題の道徳的解決という意味では一切の分析がもう完成されていた筈だった。上123江川上149」

「なぜなら、彼の計画が、「犯罪Преступление (プレストゥプレーニエ)」ではないからである(上125、江川上150)。」(「罪と罰」の題名の「罪」はこのПреступлениеである。小説中でラスコーリニコフが「罪」と言うときにはこのПреступлениеを使っている、ソーニャやカテリーナが使う「罪」はгрех(グレフ)から派生する言葉である。*)。「道徳的解決」とは、「第二の層(非凡人)は自分の思想の為に、たとえ血を見、死骸を踏み越えても進まねばならないとすると、良心の声に従って血を踏み越える許可を与える(上456 江川中146)」つまり、老婆殺しは、ラスコーリニコフの論理(詭弁、弁証法)では、「道徳的には「犯罪(罪)」ではない。」という意味なのだろう。

ドストエフスキー自身この論理の無効を語っている。「問題の道徳的解決と言う意味では、一切の分析がもう完成されていたようだ。彼の詭弁論(論理)はかみそりのように研ぎすまされてもう自分の中に意識的反論を見出すことができなかった。ところがいよいよとなると、…まるで誰かに無理やりそこへ引き寄せられたように、本道をはなれていく。着物の裾が機械の車輪に挟まれたように、彼は老婆殺しに突入していくのであった。(上124 江川上149)」

ラスコーリニコフもその論理の無効を予知していた。「どうしておれは、自分を知り、自分を予感していたくせに、斧で頭を叩き割るなんてことができたのだ?いや、ああいう人間(非凡人)の身体はきっと肉じゃなく、ブロンズでできているんだ。(上480、江川中174)」

詭弁論(論理―江川訳)。この語も二度現れる。但し二度目は弁証法(思弁―江川訳)という語で。「弁証法(思弁)の代わりに生活が前面へ出てきた。(下484 江川下402)」。

この犯罪については、様々な解釈(小林秀雄 無償の殺人、高橋誠一郎 正義のための犯罪など)がある。彼の「殺人」が「詭弁論」による「哲学的、思想的踏み越え」であったことは明白だ。しかし、ラスコーリニコフの「犯罪」が、全く私利私欲を伴わない(人間的感情的要素を持たない)純粋に無償(無動機)の哲学的殺人であったと断言することはできないだろう。(もっとも「罪と罰」の哲学的問題, 特にラスコーリニコフが解決済という「道徳的問題」は、神の存在、その摂理の有無およびイエス・キリストの受容に関わる高遠な問題だから別途に議論する必要がある。後日の「読書会」のテーマとしてもらいたい。)

今回ここで私が問題にしたいのは、彼が主張する理論の意義や正当性ではなく、彼がどうしてこのような理論にとりつかれたのか、彼の理論を、そして彼自身を次々と打ち砕いていく力が何だったのかだ。「理性ではない。悪魔の力だ。(上127江川上152)」「あの婆さんは悪魔が殺したんだ、僕じゃない。(下257 江川下135)」 悪魔とは理性を無にする力である。つまり「凡人・非凡人論」や「権力への意思」や「完全犯罪」の理論とは全く異なる反理論的な何かがラスコーリニコフを「犯罪」に駆りたてたのだろう。 それは何か?

何故老婆殺しをしたのか?ラスコーリニコフが正直に誠実に語っているシーンがある。(上248~257。江川下125~135)「あの婆さんの金を手に入れて新しい独立自尊の道に立とうとした。」と言った後、「それは全部嘘だ」といい、「本当は権力を得ようとしたのだ」という。そう言いながらまた「僕には権力を持つ資格がないことくらい僕が知らなかったと思うのかい?」。 そして挙句の果てには、「母を助けるために殺したのではない。手段と権力を握って、人類の恩人になるために殺したのではない。僕はただ殺したんだ。自分の為に殺したんだ。金ではなく他の物が必要だった。僕がしらみか、人間か、踏み越えることができるかできないか?その権利があるか?それを試すだけだった。」と語る。

上80 江川上98 母からの手紙を読み終わったときのセリフ。「おまえは二人をどうやって守るつもりだね? (中略」ただちに一刻も早くどうにかしなければならないことは明らかだ。それがどんなことであろうと。さもなければ… 」 ここに「もうどこへも行き場がないということの意味が分かりますか?」というマルメラードフの言葉が再登場して来る。この場面を見て、ラスコーリニコフを犯罪に駆りたてたのは、母プリへーリアだと言った学者がいた。私はその意見には反対だ。「良心に基づく殺人」のことを下宿の娘に語っていた(下438 江川下347)が、彼がその娘と交際していたのは1年半前(上374、江川中52)のことだ。手紙を読んで突発的に「犯行」を思い立ったわけではない。

「大学を卒業して就職した後、自分の運命を、未来を二人に捧げるのか?その十年間に母さんは手内職で、涙で目をつぶしてしまうよ。その十年間に妹の身に何が起こるか?(上80,江川上98」この問いは、「あのひとたちはどうなる?カテリーナが死んだら、子供たちは残されて…、ポーレチカもきっと同じ運命になるだろう。(下80、江川中272)」「彼女には三つの道がある。運河に身を投げるか?精神病院に入るか?あるいは淫蕩な生活に落ち込むか?(下85 江川中278)」と同じ問いである。まさに「行き場のない、逃げ場のない」状況。ラスコーリニコフに何らかの決断を迫ったのは、母と妹の苦境だけではなく、マルメラードフ一家の惨状、ひいてはペテルブルグ全体を覆う「どこにも行き場のない赤貧は悪徳なり」の状況だ。「さもなければ、あるがままの運命を永遠に受け入れて、愛する権利を一切拒否して、自己の内部の一切を押し殺してしまうのだ(上80 江川98)。」「おれはただ全体の幸福の来るのを待ちながら、一ルーブルぽっちの金を握りしめながら飢えた母親のそばを素通りしたくなかっただけだ。(上481、江川中175)」 彼の脳裏に金貸しの金を奪って、それによって(母親の送金を当てにすることなく)自立しようという意思がなかったとはいえない。裁判で3000ルーブルを奪うつもりだったと(本心かどうかは疑問だが)語っている(下462、江川下375)。しかしそれだけが目的ではなかったことは明らかだ。彼自身犯行直後に述べている。「実際に一つの定められた確固たる目的があったとしたら、一体どうして今までおまえは財布の中をのぞいてみなかったのだ。なんのためにすべての苦しみを引き受けて、態々あんな卑劣な、けがらわしい恥ずかしい真似をしたのだ? (上187,江川上222)」 ポリフィーリーも(下322 江川下210)スヴィドリガイロフも(下386 江川下288)、殺人犯は金を盗むことさえできなかった臆病者だと皮肉っている。

ラスコーリニコフの思考は、常に「あれか、さもなければ」である。「どちらが生きるべきか?ルージンか、カテリーナか?(下235 江川下108)」「僕はみんなのようにしらみか、それとも人間か?踏み越えることができるか、できないか!身を屈めて、権力を握る勇気があるか、ないか?(下256、江川下133)」ラスコーリニコフのラスコールは分裂。彼の性格をラズミーヒンが語っている。「ふさぎの虫、おっとりして人が好いが、時には石のように無感動、二つの正反対の性格がまじりあっている(上372、江川中49)」「ぼくは、考え抜いた末…絞め殺した。権威者の例にならって。結果は全く同じ事になったが!(下249 江川下125)」という冷酷非情と、「ああ、俺が一人ぼっちで誰からも愛されず、俺も決して誰も愛さなかったら、こんなことは一切起こらなかったろう。(下439、江川下348)」と言う苦悩する人々への共苦の感情が共存しているのだ。ブログ第21話では、この言葉の意味を「もし母や妹の窮状を救おうとする愛がなかったら犯行はなかっただろう」と解釈したが、その愛は自分の母妹だけではなく、ソーニャやマルメラードフ、カチェリーナ、その子供たちのような行き場のない赤貧の人々全体への愛を意味していた。物語の冒頭の部分でソーニャを発見した時に、「行き場のない人々の『踏み越えをせずには』『罪を犯さずには』生存できない人々の苦悩と悲惨の現状」を知り、自らの「詭弁論・犯罪の道徳的解決」の正当性、つまりこの悲惨な現実を一挙に解決するためには、「非凡人」の権力を自分のものにしなければならない、自分にはその力があると過信した。その過信は自覚的なものではなかったとしても、すでに踏み出した新しい一歩は、偶然か、悪魔の導きかによってか、止めることができなかった。それが彼の「犯罪」の動機ではないだろうか?彼の犯罪が「哲学的踏み越え」だったとみなす根拠がここにある。「彼の思考には、自分を「卑怯者、卑劣、しらみ」として責める自虐的思考と共に、彼の「詭弁論」を正当化し、「権威者、非凡人、偉大な人々」でありたいという自負と誇りが常に共存している。ラスコーリニコフが、ソーニャに「僕は君に頭を下げたのではない。人類のすべての苦悩に頭を下げたのだ。(下82、江川中275)」と語ったとき、ポリフィーリーに語った彼自身の言葉、「苦悩と苦痛は広い自覚と深い心にはつきものだよ。真に偉大な人々は、この世の中に大きな苦しみを感じとるはずだと思うよ。」(上464,江川中155)を念頭に置いていたことは間違いない。ソーニャの前では、彼は「非凡人の良心」を持つのであった。

私は息子に言いたい。 ルージンには、『赤貧の行き場のない人々』への共感があるだろうか?「安定した個人事業を通じて社会基盤を強固にする進歩主義(上257、江川上304)」、それ自体は決して間違っていないが、「誰でも罰を受ける心配なしに自分を辱めることができると常に思っている罪深きソーニャ(下228、江川下100)」に、いわれなき罰を加えようするルージンにはなってほしくない。「五カペイカ程度の値打しかない賢者(下474、江川下390)」にはなって欲しくない。   

ラスコーリニコフはソーニャの前では自分を偽らない。ところが一人きりになると、自分を偽るのである。「彼の冷酷な良心は、失敗を除いては、恐ろしい罪は何も見いだせなかった。(下473~474 江川下390~391)」は、石のように無感動な第二の自己の詭弁論、弁証法のたわごとなのだ。

叔父さん、もし死刑の判決がでていたら、彼の死によって何が解決されたと思いますか?ラスコーリニコフはこう言っていますよ。「勿論 刑法上の犯罪が行われた。法律の文字が破られ、血が流された。じゃ法律の文字の破損料としておれの首をとるがいい。自らの手で権力を奪い取った人類の恩人たちは処刑されねばならなかった。彼らは堪えた。だから彼らは正しいのだ(下474、江川下391)。」ラスコーリニコフは「処刑」を「非凡人」の「正しさ」の証明と思っている。死刑を得れば「自分の犯罪」の正しさが証明されたとみなし、「自分はしらみでなく」「人類の恩人の一員」になったと確信して死んでいったことだろう。自分の「弁証法」の世界、「棺桶部屋の思考」の中で、涙を流すこともなく、生命の限りない泉(下483、江川下401)を発見することなく一生を終えたことだろう。

彼は生き延びた。ある日の夕暮、遠くの病院の門のそばにソーニャの姿を見たその瞬間、何かが彼の心を貫いたような気がした。(下481、江川下398)。ブログ最終回でこの文章 Что-то как бы пронзило в ту минуту его сердце; を著名な諸先生の共通の訳(心を刺し貫いた)に対抗して、私は「何かが彼の心臓をぐさっと刺したらしい。」と訳し、「この瞬間彼は死んだ」と解釈した。Пронзилоには、剣や槍が突き刺すという意味があるからである。彼は死んで復活した。何ものかが彼を復活させたのだ。何ものかとは何かは書かれていない。死刑になっていたら、その「何もの」かに出会うこともなかったろう。
Преступлениеは、法律を踏越える・犯す「犯罪。」「罰」は処罰、処刑。
Грехは、キリスト教の戒律を踏越える・冒す「罪」、「罰」は教会からの破門、火刑、共同体追放。

「汝殺すなかれ」を冒しても「犯罪・罪」を免れ「罰」の代わりに「名誉」が与えられる場合があることはラスコーリニコフの言うとおりである。旧約聖書には神の殺人の例(ノアの洪水、ソドム、過ぎ越し等々)が多々あるし、新約時代になってからも、十字軍やナチやベトナム、イラクでのホロコーストなど「良心の名の下の殺人」が行われている。ラスコーリニコフの「踏越え」、仮にそれが「良心の名の下の殺人」であったとしても、「犯罪」であり、「罪」であったことは明白であろう。更生した彼は自分の「罪」を認めたに違いない。しかし不正を行うものへの敵意が彼の心から消えたとは思えない。時には殺意さえ抱いただろう。もはや殺意に身を任すことはないとしても。それでは、彼にとって「罰」とは何であったでろうか。佐古純一郎は、「虚無の中で苦しむこと、そのことの中に罰がある」と言う。(罪と罰ノート P168) 愛を得たラスコーリニコフ。確かにそこには「復活の曙光」があった。しかし「復活」したとしても別人になったわけではない。単に「更生」しただけである。復活した「ラザロ」とて彼のらい病が治ったのではない。再び苦悩の生を生きたのだ。「善悪の彼岸」を生きたラスコーリニコフが「復活」したとしても、完全な「善人・聖人」になったわけではない。この俗世界に生きる限り、虚無と苦しみを免れることなどできそうにない。「非凡人」の思想が全く間違いだとは断定できない。それほどその思想には真理があるし、現実に殺人、戦争は続いている。人は「罪」なしで生きることは不可能である。虚無という罰を担って生きていくしかない。我々はこれからも彼の「詭弁論・弁証法」を考察し続けなければならない。ラスコーリニコフもまたそこに立ち戻って懐疑を抱き続けるであろう。ソーニャとの愛にしても、愛には愛の問題、愛憎や嫉妬、絶望が伴うであろう。新しい作品「彼らが全く知らなかった新しい現実」は、ひょっとしたら新しい「罪と罰」あるいは「愛と罰」「愛の苦悩」の物語かもしれない。


「罪と罰」の不思議な言葉   ページ数は 工藤精一郎訳 新潮文庫 

言葉 ページ 本文と疑問
部屋 上5 部屋と言うより納戸(戸棚)という感じだった。 疑問:ラスコーリニコフは物?
上202 (ラズミーヒン) ひでえ船室だなあ 疑問:ラスコーリニコフは岸を離れた浮遊物? 
墓穴 上402 (プリヘーリアのセリフ) 汚い部屋ねえ。まるで墓穴(棺桶)みたいだよ。
下93 イエスは墓に入られた。「ラザロの復活」
上134 斧の背を老婆の頭に振り下ろした。
上138 斧の刃はまともに(リザヴェータの)脳天に落ち
疑問: 斧の背は自分殺し、刃でのリザヴェータ殺しは聖なるものの抹殺
上96 恐ろしい夢(父との散歩、父母との教会での祖母の供養、痩馬殺しの夢)
上119 オアシスの夢
上486 老婆の夢
下414 スヴィドリガイロフの自殺した少女の夢
下419 スヴィドリガイロフの娼婦の顔をした5歳の少女の夢
痩馬 上96 ミコルカの痩馬殺し
江川下168 (カテリーナ)みなで痩馬を乗りつぶしたんだ。 工藤訳(下286)にはない。
生命 上325 あふれるばかりに力強い生命の触感
上328 俺の生命はあの老婆と共に死ななかった。理性と光明の王国、意志と力の王国の到来だ。
上231 ラスコーリニコフは(壁紙の白い花模様)(白い花)強情眺めていた。
疑問:殺人の翌日棺桶の中のラスコーリニコフを白い花が包んでいた
下414 彼(スヴィドリガイロフ)の前には絶えず花が現れるようになった。
下415 花に埋まるように一人の少女が横たわっていた。
上295 (ラスコーリニコフ)醜悪だ。水はいかん。
下411 (スヴィドリガイロフ)おれは水を好いたことがなかった。風景画の水も嫌いだ。
茂み 上96 (ラスコーリニコフは)灌木の茂みに入ると・・そのまま寝込んでしまった。(馬殺しの夢)
下416 (スヴィドリガイロフ)どこでもいい、大きな茂みを見つけるんだ。
下420 (スヴィドリガイロフ)濡れた木木や茂み、最後にあの茂みがちらほら浮かんだ。
疑問:茂みとは何を意味するのだろう?
その他 笑い 特に子供らしい微笑 醜悪なる光景  新しい言葉
ネヴァ河の幻影 ラスコーリニコフの空虚 スヴィドリガイロフの無為と淫蕩
主義を殺した そのひとは俺と同じ女性でなければならない 
スヴィドリガイロフ「何も悪事ばかりしなければならん義務はない」
ソーニャの顔に浮かんだリザヴェータ  スヴィドリガイロフの善行と自殺
罪とは何か 罰とは何か


不思議な言葉は尽きない。他にも多々あるだろう。 皆様の解釈を聞かせてください。
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資 料

【ドストエフスキー『罪と罰』センナヤ広場】

道路から地階へ降りるふうになっている飲食店のあたりとか、干し草広場の家々に囲まれた汚らしい、いやなにおいのする空き地とかとりわけ居酒屋の前とかには、ありとあらゆる商売の男たちや乞食どもがたむろしていた。ラスコーリニコフはこの界隈がとりわけ好きだ。…ここなら、彼のぼろ服も、誰からも軽蔑の眼で見られたりすることはなかった…(訳・中村健之介)


『罪と罰』を書いた頃

妻マリヤの死、兄ミハイル・ミハイロヴィチの死、負債、2万5千ルーブル。
親友の批評家・アポロン・グリゴリエフの死。ギャンブル依存。
真っ暗闇の人生から、希望の光がみえはじめた

1865年(44歳)
3月  『世紀』2月号に『鰐』発表。『世紀』はこの13号で消滅。
      ドストエフスキーの負債、1万5千ルーブル。
6月  『祖国の記録』編集者クラエーフスキイに『酔っぱらい』(『罪と罰』の原型)の掲載を申し込み断られる。
7月  三度目の外遊。アポリナーリヤ・スースロヴァと落ち合う。バーデンでルーレットに夢中。スースロヴァ、パリに逃げる。バーデン到着後5日で所持金すべて失う。正真正銘のオケラ。ツルゲーネフ、ゲルッェン、ヴランゲリ、スースロヴァに借金の申し込み。
夏  『罪と罰』起稿。
11月 1日、在コペンハーゲンのヴランゲリを訪問、一週間滞在、帰途の船中で『罪と罰』推敲。※ヴランゲリ(県知事、友人)
11月末 『罪と罰』第1稿を焼却。著作権を出版屋に売却。三巻本著作集のうち第一巻、第二巻上梓される。

1866年(45歳)
1月 『罪と罰』を『ロシア報知』1月号から連載(2月、4月、6月、7月、
8月、9月、12月)。
6月末 『賭博者』の構想成る。『罪と罰』第5編執筆。
『ロシア報知』の要請を容れて、第四編七章(ソーニャがラスコーリニコフに福音書を朗読するくだり)の改稿にやむなく同意。(『ロシア報知』編集部カトコフ、リュビーモフはソーニャの理想化の過剰を指摘)
10月4日 アンナ・スニートキナ、『賭博者』口述筆記のためドストエフスキー宅を訪問。口述筆記開始。
11月3日 アンナに『罪と罰』の速記を依頼。
11月8日 アンナに結婚を申し込む。


最近の文学の最大の事件 『祖国雑報』1867年第1号

最近の文学の最大の事件は、疑いもなく、F・ドストエフスキーの長編小説『罪と罰』の出現である。この小説はあらゆる人によってむさぼり読まれた。刑事事件を扱った話としての外的な面白さもさることながら、作者は内的な問題を非常な高さにまで高めた。そのために、外的な関心事は妨げとはならず、背後に退いている。この小説の語っているのは現代の我が国の知的精神的体制のぐらつきであるが、それがさまざまな場面で衝撃的な力をもって描き出されている。(訳・中村健之介)




12・13読書会報告 
               
12月読書会、18名参加
 
『罪と罰』第1回目、フリートーク熱く

風邪、インフルエンザが流行った年の瀬だったが、18名の参加者があった。男性11名、女性7名で盛会だった。『罪と罰』作品の人気の高さは、健在。1年ぶりの人、遠く茨城県から泊りを覚悟で駆けつけた人もいた。最初ということでフリートークとした。活発な感想や考察がでた。「彼は本当に貧しく切羽詰まっていたのか」ラスコーリニコフの生活に対する疑問もあった。マルメラードフ同情論はなかった。

事件についても母親と妹が何年かぶりに出てくる。そんなときに犯行するだろうか。朦朧状態で、できるだろうか。多くの矛盾を指摘された。が、臨場感あふれる展開が払拭との意見も。10年後に読んだが、新たな新鮮さがあったなどの感想。以下の声があった。
「マルメラードフと周辺の人間は、ダメ人間か」「聖家族」「わかっていながら罪を犯さなければ生きてゆけない人間」「登場人物は、ドストエフスキーの分身と思っている」
「都会の貧困、田舎の貧困」「13年前、22歳の頃読んだ」「こんどで3回読み」
【メールでの感想】フリートークが楽しかった。

『罪と罰』論議、二次会の居酒屋で三次会の喫茶店までつづく




「ドストエーフスキイの会」情報

ドストエーフスキイの会の第225回例会は、1月24日(土)午後1時半から千駄ヶ谷区民会館で開催されました。報告者は、泊野竜一氏(早稲田大学大学院後期博士課程一年)
題目は、『カラマーゾフの兄弟』における対話表現の問題。
※報告者・博士課程では、19-20世紀ロシア文学における対話表現の問題を研究していきたいと考えている。

第224回例会傍聴記 (「ニュースレターNo.126」)

高橋誠一郎「木下豊房氏『小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観』を聴いて
会誌『広場』24号 目下、編集作業が急ピッチですすめられています。4月中旬刊行目標



ドストエフスキー文献情報
2014・11・25 ~ 2015・2・5     提供=佐藤徹夫氏

〈図書〉

『屍者の帝國』伊藤計劃×円城塔著 河出書房新社 2014・11・20 ¥780+
 525p 14.9㎝ カバー(2枚)〈河出文庫 え-7-1〉※初出:2012・8・30刊
 ※2015年、劇場アニメ化

『偉大な罪人の生涯 ―― 続カラマーゾフの兄弟』三田誠広著 作品社
2014・11・25 ¥4800+ 638p 19.7㎝ ※1500枚 渾身の書き下ろし小説(帯より)

『そうか、君はカラマーゾフを読んだのか。仕事も人生も成功するドストエフスキー66のメッセージ』亀山郁夫著 小学館 2014・12・17 ¥1000+ 159p 18.9㎝
・第12章 使徒的生涯 p267-290 (※小林秀雄のドストエフスキーと吉満)
 
『吉満義彦 時と天使の形而上学』若松英輔著 岩波書店
 2014・10・23 ¥2800+ vi+333+5p 19.4㎝
 印象Ⅲ ・小林秀雄氏のドストエフスキイ/池田健太郎 p304-311
 『この人を見よ 小林秀雄全集月報集成』新潮社小林秀雄全集編集室編 新潮社
 2015・1・1 ¥670+ 432p 15.2㎝ 〈新潮文庫 10136=こ・6・10〉
 ※初出:昭42・12 第二次、第七回配本・第六巻月報

〈逐次刊行物〉

特集 批評の更新2015 
 インタビュー山城むつみ 選び取進むこと/聞き手・岡和田晃 p158-175
私批評/大澤信亮 p208-219 「すばる」37(2)(2015・1・6=Feb.2015)

〈書評〉黒澤明は映画『白痴』を全身全霊をかけて撮った。
 高橋誠一郎著『黒澤明と小林秀雄』『罪と罰』をめぐる静かなる決闘 7・31刊
 四六判304頁 本体2500 成文社/植田隆 「図書新聞」3190(2015・1・17)

<演劇> 東京両国 シアターXカイ 『白痴』公演再開 提供・中村恵子氏
シアターXは、2015年前半、以下の日程で『白痴』公演を行います。
・4月16日(水)18:30~  全席自由席 1000円 (上演時間3時間30分)
・5月18日(月)18:30~  全席自由席 1000円 (上演時間3時間30分)
・6月 3日(水)18:30~  全席自由席 1000円 (上演時間3時間30分)
東京ノーヴイ・レパートリーシアター ℡/FAX 03-5453-4945



評論・連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                                            
小林秀雄の「ムイシュキン」から「物のあはれ」へ
(第57回)清水正氏の「『悪霊』の世界」について ― 小林秀雄の「白痴論Ⅱ」に絡めて

福井勝也

清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」(「通信」前号掲載)を書かせて頂いた後、さらに氏から標題の執筆依頼を11月末に受けた。数日後に、『悪霊』論決定版の清水正・ドストエフスキー論全集6(2012.9、全608頁)と『江古田文学第82号』(特集ドストエフスキーin21世紀、2013.3)が届いた。正直、電話での「安請け合い」を直ぐに後悔した。原稿締切の大晦日までに、到底大冊を熟読したうえでまともな文章など書けるはずがないからである。しかし折角の機会と思い直し、出来る限りの感想を書かせてもらった。今回やや手を入れた(副題の付記他)その文章をここに引き続き掲載させて頂く。

そもそも清水氏が、今回『悪霊』論を振ってこられたのは、前回当方が三田誠広氏と亀山郁夫氏と清水氏三氏の『悪霊』をめぐっての鼎談(「週刊読書人」2012.12)に言及したからだろう。清水氏はそのなかで『悪霊』読解のポイントとして、亀山氏の「父殺し」とは対照的に、「太母」「母殺し」からの持論を主張された。当方は『世界文学の中のドラえもん』を読みながら、この議論は清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」(「批評的核心」)だと直感した。今回『悪霊』論決定版の「全集6」に目を通しながら、そのことを再確認させて頂いた。まずは、前回当方が注目した鼎談他での氏の発言を断片的に再引用しておく。

「ニコライ・スタヴローギンの虚無を日本人の視点から描いたのは林芙美子です。『浮雲』の富岡兼吾という主人公がそうです」「日本の神は、熱いか冷たいかの神じゃないでしょう。日本は火山列島で、熱湯が噴出しているところに水を入れて適温にして「いい湯だな」となる。僕はここにこそ日本人が代々受け継いできた信仰、などという言葉を使わない神の意識があると思うんです」「ドストエフスキー文学の中には偉大な母性がない」「ドストエフスキーの文学の特殊性としてあげられる<同情=サストラダーニィエ>と<淫蕩=スラドストラースティエ>のうち、『ドラえもん』の世界で展開されるのは<同情>と極端化を回避した<欲望>の発揮である」

これだけの文章から、以後論じてゆく本稿の無謀を指摘されそうだが、十分とも思える。前回も触れたが、当方のドストエフスキー文学への興味はその作品の読解のみならず、それを受容してきた日本近代文学とそれを担ってきた作家等に転移して来た。年明けその観点から、小林秀雄に着目して「広場」論文を書かせて頂いた。当然に、清水正という「全身ドストエフスキー批評家」と考えられる人物にも関心を抱いてきた。一方清水氏は、上掲の「特集ドストエフスキーin21世紀」の中村文昭氏との対談で、小林の表現を「直感批評」とか「四畳半的ドラマ」と称して概ね批判的である。しかしながら、当方には根本のところで清水氏が長年ドストエフスキーを読まれて到達した上記の文章には、小林批評の晩熟期のそれと通底しているものがあると思える。これは賛辞のつもりである。そのことは、例えば『悪霊』の世界をニコライとステパン氏の「太母・ワルワーラ」の「母殺し」失敗による悲劇だと読み解く清水氏の解釈とも矛盾していないと思う。小林は晩年に、幾つかの対談で「キリスト教が分からないからドストエフスキーを論ずることを止めた」と語ったことがある。有名な話だ。清水氏はそんなことは言わないだろうし、ドストエフスキーを生涯語り続けるだろう。この点で清水氏は小林とは違っている。

他方で当方が、究極的な近代的人格のロシア的変形として描かれたニコライ・スタヴローギン(その先人のステパン氏)がユングやノイマンが説いた歴史心理学的元型としての「グレイト・マザー」(太母ワルワーラ)に呑み込まれ、そこに「母殺し」の挫折を指摘する清水氏の『悪霊』論に共感的魅力を感じるのも確かなことだ。おそらくその理由の一つは、当方がドストエフスキーの文学と関わった初期にユング心理学に興味を抱き、その読解に触れて来た経緯があるからだろう(「無意識的なるもの―ドストエフスキーとユング」1984.2)。その意味では、今回読ませて頂いた著作、特にその第三部「『悪霊』の謎-ドストエフスキー文学の深層」は、その充実した成果であると思った。そして実は、このユングという深層心理学者を教えてくれたのが、小林秀雄の戦後ドストエフスキー批評(「「罪と罰」Ⅱ」等)であったのだ。さらには、小林の遺著『白鳥・宣長・言葉』(1983)の末尾がユングへの言及で永久に途切れたことにも触れておきたい。

いずれにしても、ここでの清水氏の『悪霊』読解には、その背景に日本人の精神性に対する深い洞察力が潜んでいるのは確かだろう。そのことを端的に語っているのが、一見独断的にも聞こえる上記清水氏の感覚的批評文ではないか。その意味では、氏こそ「直感批評」の実践者とも言えよう(但し小林の批評は、元々そのような「直感批評」ではないものだ)。そして問題は、ロシア文学、ドストエフスキーというロシア人の書いた作品を理解しようとしているわけで、日本人の精神性自体が問われているわけではない。かえって日本人であることが理解の阻害要因となることも考えられる。だからこそ、小林は「キリスト教が分からないから」と言って途中でドストエフスキーを論ずることを止めたのだろう。そして間もなく、彼はより自分に近しい対象として「本居宣長」について論ずることを開始し、それを大成させて生涯を閉じた。まあ、とりあえずそう言えるだろうが、ここでの問題はその先にある。

つまり小林が、戦後に宣長を論じ始めるまで書き続けた『「白痴」について』(1964)などは、日本人として「ドストエフスキーのキリスト(ロシア的聖性)」を限界まで追求したものであって、今もって世界的に評価すべき名文の域に達している。それを可能にした理由は矛盾するようだが、二つ程考えられる。一つは、ロシアはユーラシア大陸の一部であって吉本隆明も指摘したように、ロシア人は西欧が産み出した近代的人格とは明らかに異質なアジア的古代性という精神的古層を有していたからであろう。だから小林は一方で聖書も熟読しつつ、ロシア的な精神性に日本人としてあそこまで迫り得たのだ。そして二つ目はそこまで考えたとき、むしろ小林の「本居宣長」とは、「ドストエフスキー」を考えてきたことの延長として、あるいはそれとかなり類似する思考実践の営みではなかったかと思えてくるのだ。その点では、小林の「キリスト教が分からないから」という言葉は、誠に正直な言葉であると同時に、氏らしい行き着いた先の言葉(「方便」)であったと考えられるのだ。

実は、今回書いた「広場」の論考「小林秀雄、戦後批評の結節点としてのドストエフスキー ― ムイシュキンから「物のあはれ」へ」では、その「白痴Ⅱ」末尾の言葉「限りない憐憫の情」と「本居宣長」の「物のあはれ」との意味の連続性を論じている。つまり「物のあはれを知る」ことが、両者を繋ぐ鍵ではないかと。そしてさらに論文でも触れた、小林「白痴Ⅱ」の最後の言葉「ムイシュキンは、ラゴージンのナスターシャ殺害の共犯者である」という断定について考えていた時に、その内実を適確に示唆した言葉が、清水氏の『悪霊』論第一部の「悪鬼どもとムイシュキン公爵」と「ムイシュキン公爵の危険性」の二項目にあった。清水氏は、前項の末尾で「単純に図式化して言えば、ムイシュキン公爵は次作『悪霊』でステパン先生とその教え子ニコライ・スタヴローギンに分裂したのである」と看破された。この言葉は、小林が繰り返し語った「ムイシュキン公爵は、スイスからではなくシベリア(ラスコーリニコフの流刑地)から還って来たのだ」という科白の後に置いてみるべきものだろうと咄嗟に感じた。そして後項の文章に驚いたのは、勿論清水氏は小林の「白痴Ⅱ」には一言も触れずに、実に小林が抉り出そうとしたムイシュキンの危険性を正確に表現していることだった。清水氏はきっと喜ばないだろうが、当方はそれが小林の言葉を読むようにうれしかった。今回清水『悪霊』論から得た当方の成果として引用しておく。

ムイシュキンの道化、つまり彼の純粋な生に耐えられるほど現実の社会は深く幅のある柔軟性を持っていない。<中略>要するに上から下まで、ムイシュキンの道化を受け入れる者はいない。ナスターシャ・フィリポブナとロゴージンは、ムイシュキンの道化ではなく、彼の純粋な生の領域に深く関わり合ってしまったのであり、それ故にこそ、自滅の途を駆け降りていかざるを得なかった。ムイシュキン公爵のような男は、欺瞞というばけの皮を何枚も着重ねて生きる者にとっても、また純粋に自己自身であろうとする者にとっても不断に危険な存在なのである。ムイシュキン公爵自身が自らのその危険性に無自覚であることによって、彼の危険性は彼自身にも及ぶことになる。彼の生存が滑稽であり狂気染みてくるのは、おそらく彼が現実の諸相をそのままに映し出す無垢な鏡のような存在であったからであろう。<中略>ムイシュキンの狂気とは、実は現実の諸相の総合化であるとすれば、世の多くの人たちがばけの皮を着て歩くことの、いわば生きる知恵を誰も責める訳にはいかない。実は現実こそ無際限の混沌であり狂気であるからこそ、ひとは現実を秩序づけ一義的に構築することにやっきとなってきたのである。<中略>わたしたちの多くは、ものとの対話を途中で放り投げる。これは現実的な時間的制約の問題というよりは、ものと直面しているときの不気味な感触に問題がある。このものは途方もなく奥深く、いつまでも凝視していてもきりがない。きりがないものを長時間凝視し続けることは、ひとに不安を生じさせる。なぜなら、そのきりのないものが、視る者を呑み込んでしまうからである。そこで呑みこまれを回避するために、ひとはほどほどのところで引き返す途を選ぶのである。コップは水を飲むときに使えばいい、コップを凝視するなどというのはコップに対して失礼なのである。

実は、ここで清水氏が語っている「ものに直面するという危険」こそ、ムイシュキンがナスターシャとロゴージンを巻き込んだ悲劇の究極の原因であったと言える。小林秀雄は、この人間の生の二重性から生じる問題をベルグソンの「物質と記憶」という著書を通じて徹底して学んだ。そしてそれを敷衍するように、「本居宣長」の「物のあはれ」を「知る」ことの認識論を説いた。その結節点に『白痴』の中のキーワード「憐憫」(「サストラダーニエ))というロシア語への着眼があったと当方は考えている。小林秀雄はそのことを「白痴Ⅱ」末尾で「限りない憐憫の情」という言葉に集約し、ムイシュキンの魔性、危険性として指摘したのであった。しかしこの言葉は、小林のベルグソン哲学にも通じていた大岡昇平にも理解が届かなかったようだ。そもそもムイシュキンがラゴージンの共犯であるという小林の指摘は、普通の見解としては受け入れ難いものだ。ほとんどまともな議論もされていない。清水氏も、この点には特に言及してはいない。しかし清水氏の上記引用文には、その前提となる深い理解が伺える表現となっている。ここで一挙に、当方の小林の「白痴Ⅱ」の理解が深められた。どうやら勝手な駄文になってきた。しかしここまで書いてきて、小林の突き詰め方が清水氏の「直感」に通底していることを改めて感じさせられるのだ。

今回「全集6」の大冊『悪霊』論の他に、『江古田文学第82号』を読ませていただいた。中村文昭氏との対談は、批評家清水正を知るうえで貴重な発言が目に着いた。特に中村氏が『悪霊』論に言及した、スピノザとその弟子との<内在神か超越神か>の遣り取り、さらにサドを引用するコリン・ウィルソンの文章、そこからドストエフスキー文学の核心へと転じてゆく清水氏の議論の展開は、西欧哲学の根柢にある人間観を一挙に辿るものとして圧巻であった。その部分の中村氏の下記の要約は適確でいい。

サドの大量殺人はまるでチャンバラ映画のヒーローが悪人をバッタバッタと切り倒していくのと同じだと(清水氏は、筆者注)論じていた。ドストエフスキーの書いている自殺あるいは殺人はどう違うか。それは、ドスト文学の中には同情という概念と淫蕩という概念が入っている、人間のどうしようもない肉体としての存在というのがあった上で概念の火花が散っているんだ、そう論じているところは正確だと思った。

なお、清水正「悪霊論」についての清水孝純氏の論考は、清水批評の核心となる分析方法を摘出し、精神医学ないし精神分析学を文学に適用することへの根本問題を投げかけている。この点では、小林秀雄は文学方法論として精神分析的手法を外部的に利用することを忌避していた。むしろ経験主義的なベルグソンの哲学と現代物理学の知見からドストエフスキー文学と内在的に格闘した。また、清水氏の「志賀直哉」論への下原敏彦氏の論考も氏ならではの批評文で、清水氏の母ならぬ父の問題が指摘され清水批評に対する新たな視点が提起された。思えば、志賀直哉は小林にとって師以上の人生の恩人でもあった。当方の拘りはこれ位にしなければならない。いずれにしても、清水氏への興味が一層深まる読書体験であった。一月も過ぎたが、昨年末いただいた機会に改めて感謝しておきたい。(2015.2.1) 



広  場 

連載4
『罪と罰』の世界―人間性の深みをめぐる優越感と負い目


渡辺 圭子

誰かを立ち直らせる、崇高な目的に向かわせる、その願望を満たすために、相手を必要とする、相手を必要とし、つなぎとめたい思いが、やがて淫蕩につながる。高潔さが、正義感が、逆に不義や淫蕩を生む。その根底には、前置きでも述べた人間や人生を広く深くみる力、人間性の深みをめぐる優越願望がある。精神面において優位でいたい、高潔さで人を惹きつける存在でいたい。高潔も最卑劣も同じ優越願望でつながっている。貴婦人を口説いたように、ドゥーニャを口説けなかったのは、スヴィドリガイロフは、「自分が馬鹿でこらえ性がなかったからだ」と言っていたが、本当は、ドゥーニャには、その貴婦人のようになってほしくなかったからではないだろうか。表面に現れたきれい事(純粋、貞淑な妻)に潜むもの(マンネリ打破願望、冒険心、好奇心)をむきだしにすることで、貴婦人とは不倫を楽しんだが、ドーニャとの場合は、表面に現れたきれい事(広い知性、純潔、高潔な態度)に潜むもの(救いたい願望を満たすために相手を必要とする、淫蕩につながる危険性)をむきだしにすることで、同じ楽しむにしても、自分の欲望をくだき、高潔な方へひきあげてほしい、と願っていた。事実、「あの女なら、おれをなんとか叩き直してくれたかもしれないかな」と回想している。スヴィドリガイロフは、ロージャの論文に理解を示し、ドゥーニャに、お兄さんや貴女、お母さんのパスポートもみんな取ってあげる、アメリカへ逃げられるようにしてあげる、と援助を申し出る。その時、あなたの気持ち次第です、私だってあなたを愛している、と告白する。衣ずれの音が聞いていられない、と欲望の片鱗をついみせてしまう。ドゥーニャは心底恐怖を感じ、怒り、殺人未遂までした末、彼をはねつける。もし愛しているなどといわわなければ、欲情の片鱗さえみせなければ、ソーニャが、はじめは断ったが、結局、今後のために必要なことから、スヴィドリガイロフの金を受け取ったように、ドゥーニャもスヴィドリガイロフの好意を受け取っただろうか。一方的に恩を与えて、負い目を感じさせないようにすれば、多分、受け取ったと思われる。なぜ、ソーニャにしてあげたように、さり気なく援助し、さり気なく去ることができなかったのだろうか。スヴィドリガイロフは、ラズミーヒンのことも知っていたはずだから、ドゥーニャがはねつけることは、ある程度承知していたはずである。後になって、叩き直してくれたかも、と回想するくらいだから、ある意味、望んだことともいえる。彼は、どんな言葉ではねつけられ、どんなふうに叩き直してほしかったのか。彼は、マルファにみつかって、ドゥーニャが追い出されたために中断してしまったドゥーニャとのやりとりを、再現したかったのではないだろうか。彼は、「あなたのためなら何でもします。あなたの信じるものを私も信じます」と、精神面の高潔さにおいては、貴女は女王で、私は奴隷です、とドゥーニャの心に潜む、救いたい願望を思い出させようとする。あの時(マルファにみつかって追い出されてしまう前)のように、表面に現れたきれい事(広い知性、純潔、高潔な態度)に潜むもの(救いたい願望を満たすために相手を必要とする、淫蕩につながる危険性)をむきだしにしょうとしていた。そうすることで、高潔も卑劣も同じ優越願望でつながっていることを知らしめたかった。ドゥーニャに、そこを知ることで、自分の中に潜む危険な兆候に気づいてほしかった、と同時に、スヴィドリガイロフの心に、高潔さが潜んでいる可能性にも目をむけてほしい、と思っていた。彼は、ドゥーニャから、自分の中に潜む高潔願望を指摘され、「本当に私のために何でもする、とおっしゃるのなら、○○(高潔願望が満たされること)して下さい」こんな言葉ではねつけられることを望んでいた。

しかしドゥーニャは、あの時とはちがい、ラズミーヒンという恋人がいたため、スヴィドリガイロフの言葉や気持ちを考える余裕を失くしていた。スヴィドリガイロフは、そこまでやる気はなかったと思えるが、あの時とちがい、恋人がいるからこそ、暴行されることへの恐怖心は、あの時よりも、強かったにちがいない。ドゥーニャの恐怖心を知ったスヴィドリガイロフは、そのまま彼女を解放する。スヴィドリガイロフが、こんなにもドゥーニャに惹かれ、執着したのは、ドゥーニャの姿は、自分が生きたかった人生だからではないだろうか。スヴィドリガイロフは、快楽も味わったが、屈辱的にな境遇(マルファに養われている)で、妥協と忍耐で生きてきた。一方ドゥーニャは、ロージャが、「黒パンに水しか飲めない暮らしでも、自分の魂を売ったりするような女じゃない。安楽な生活のために精神の自由を渡したりはしない」と評したように、屈辱的な境遇の中に身を置き、妥協して生きて行くことができない。スヴィドリガイロフが、自分が生きたかった人生を考え、自分の中に潜む高潔願望をくすぐり、叩き直してほしい、と思うようになった背景には、マルファの幽霊がみえたことから、自分の生命が長くない、と思えたことがある。そう考える根拠となる。ある殺人犯のエピソードを述べようと思う。

ある銀行員が、物盗りに襲われて殺された。行きずりのため、何の手掛かりもなく、迷宮入りとなった。時効も過ぎた頃、一人の男が自首してきた。犯人は、こんな時になって自首したことについて。「殺した相手が幽霊になってでてくる」と、さかんに言っていた。その犯人は、末期がんで、余命いくばくもなかった、という。(19)

スヴィドリガイロフがその時を待たず、自ら生命を断ったのは、ドゥーニャにはねつけられたためではなく、自分が生きたかった人生を生き直す時間がない、とわかった時点で生きる気力を失くし、遅かれ早やかれ死ぬつもりだった、と思われる。最後の最後で、ソーニャと弟妹を助ける、という善を施し、婚約者一家にも迷惑がかからないように話をつけ、高潔に(身辺整理をきちんとして)、死んでいった。

ソーニャの信仰、ポルフィーリーの態度について考える前に

作家、安部公房の死後、発見されたフロッピーに、こんな趣旨の文章が残されていた、という。「ドストエフスキーの偉大さは、どんなにんげんでも存在していいことを教えてくれたところにある」どんな人間でも存在していいのだから、他者からの弾劾を恐れる必要はない。また、他者を弾劾する必要もない。この言葉は、ドストエフスキーの後期短編『おかしな人間の夢』の、次の言葉に通じる。

すべての人間は、同じものを目ざしてすすんでいるのではないか、少なくとも、すべての人間が、賢者からしがない盗人風情にいたるまで、道こそ違え、おなじものを目ざして行こうとしているのだ。(20)

その目ざしているもの、とは前置きで述べた個と個性であり、それを追求するために、人間や人生を広く深くみる力を得たい、と思っている。これまで、その力をめぐる優越感と負い目が、犯罪になったり、いい関係を築けず、破綻していく様をみてきた。悪、卑劣を凝視し、昇華する、優越感と負い目から自由になる、その第一歩はスヴィドリガイロフとドゥーニャのところでもふれた、高潔も卑劣も精神面における優越願望という点でつながっている。  (次号149号へつづく)



新谷敬三郎先生没後20周年に寄せて

ドストエーフスキイの会・全作品を読む会発足者のお一人、新谷敬三郎先生が亡くなられてから20年がたちます。先生は、常に市井の読者とともにありました。没後20周年の節目に、いまいちど先生のドストエフスキー観を振り返ってみました。

ドストエフスキーを、どう読むか

新谷 敬三郎

近代文学の性格をひと口でいえば、それは理念のうえででは、個人の人格の独立と自由を求めて、社会の契約と国家の権力と風俗の因襲に挑戦する文学であり、内なる理性の優位を根拠としていた。同時に文学は活字で印刷し大量に配布する商品となった。それはヨーロッパで18世紀から、ロシアで19世紀から始まったが、そこで作家は自分の孤独な書斎で白い原稿用紙のかげに不特定多数の見えざる大衆読者を相手にして、語ったり、歌ったりしなければならなくなった。

こうして、個人の内なる理性を根拠として人格の可能性におのれを賭ける文学は、理念の面でも表現伝達の現実の面でも、孤独な作業と化した。近代文学の主たるジャンルが小説と抒情詩であるというのも決して偶然ではない。それは本質的にモノローグの文学であり、目に見える相手を失った自我の絶対化と抽象化を結束し、それは肥大していった。ロビンソン・クルーソオからルソオ、バイロンをへて、ジュリアン・ソレル、ラスチニャックと、近代文学の人間像はすべて限りない自我崇拝と自己分裂の道を歩んだ。それがロマン主義である。

18世紀~19世紀のヨーロッパ文学のこの流れのなかで近代のロシア文学は生れ育ち、ドストエフスキーの文学もこのロマン主義から胚胎した。そのとき文学的自我は内部から、つまり表現の主体としても、表現の対象としても、申し分なくこわれていて、新たなる表現、あるいはあるいは、描写の装置あるいは視点を案出することなしには、創作は不可能であった。同じことがヘーゲル以後の哲学思想の展開についてもいえる。そこからフォイエルバハ、キルケゴール、そしてマルクスの視点が生まれた。観念論とは自我のモノローグ的表出の理念的根拠の追求にほかならない。

理念の面においても、また文学的表出の面においても、こうしたロマン主義と観念論に真っ向から挑戦し、この根拠に唾を吐きかけたのが『地下室の手記』である。それは文学の近代的、つまりヨーロッパ的原理である人間人格の絶対性、それを支えている内なる理性が、肥大した自我の無限に循環する意識のなかで、崩壊していくさまを描きだしている。その描き方それ自体がすでにモノローグ的な堅牢さを失い、例えば、地下室人はおれはいったい何のためにこんなに喋っているのだろう。聞いている相手も見えもしないのに、こうやたらと「諸君」などと呼びかけているのだろうと、自分自身に問うて呆然自失しているのである。

近代文学の表現手段、活字を武器に使って、その表現の理念を根底からくつがえそうと試みた、おそらく最初の一人がドストエフスキーであって、そこに現代が問題を見出しているのである。(1972年12月9日 第2回シンポジウム「要旨と報告」から『場』Ⅰ)

新谷敬三郎著  海燕書房 1974年
『ドストエフスキイの方法』 言葉の意味とは 
独自の方法論を駆使して、ドストエフスキイの創作の秘密を解き明かし、外国文学研究に画期的地平を拓く論文集 !☆奥様の新谷ときわ様から寒中お見舞いを頂きました。お元気なご様子です。ありがとうございました



読 書
 (編集室)

『祟りの村』ベルナール・レーヌ 訳・高橋武智 1987 筑摩書房

文明(災害)とたたかったコロンビア・グアリノ族の冒険。10歳の少年ネルソンの話をまとめた。人口300人の部族の15年間にわたる記録。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を思い起こさせる人間・少数民族観察の創作ルポ。
序文 コロンビアの日刊紙「エル・ティエンボ」の記事を読んで、私ははじめてグアリノ族の存在を知った。グアリノ族は、密林の真っただ中、アンデス山脈北部の大河マグダレナ川とむすばれたある潟のほとりに漁をして暮らしている文盲の混血民族。1960年、村のそばに自動車道路が開通してからグアリノ族は、お金や開発、コカ・コーラ、麻薬などを知る。
純粋無垢だった密林の民は、文明を知ったことでどうなっていくのか・・・・。

『トリウム原子炉革命』長瀬 隆著 展望社(新書) 1700 2014・8・15

脱原発か、再稼働か・・・不毛な対立を超える第三の道
プルトニウムの消滅処理をしながら、平和で安全な原子力エネルギーに転換させる道がここにある。古川和男・ヒロシマからの出発。未来に光明が。
□トリウムは放射性物質で、ウランのように偏在しない。
□トリウム溶融塩炉はメルトダウンすることはない。
□核分裂を起こさない。プルトニウムを消滅させることができる。

【著者から】本書は、1945年米国による原爆の開発、広島への投下に始まり、2011年の福島でのウラン軽水炉原発事故により一段落のついた人類の前あるいは第一期とよばれる原子力時代を要約・俯瞰する試みである。理学博士古川和男の著書『原発安全革命』(文春新書)
は、氏の発明になるトリウム溶融塩核エネルギー協働システムについて述べており、私としては文系の著者活動の延長上で、古川の革命的な業績を把握したかった。長瀬 隆



事 件
 

人を殺してみたかった こんどは女子大生  深まる人間の謎

斧で襲う 知り合いの女性(77)を殺害 なぜ ?!

「地球は、地核から中心まで人間の涙でびしょ濡れになっている」(『カラマーゾフの兄弟』)――世界中の目が中東の人質事件に注がれている最中、日本国内でまたしても悪魔による殺人事件が発覚した。昨年は、佐世保の女子高生だったが、こんどは19歳の女子大生。動機は佐世保と同じ「人を殺してみたかった」。この事件の特徴は、犯人に「罪と罰」意識がないことだ。逮捕された彼女も取り調べで目的を果たした達成感に浸っているという。

彼女は東北に生まれ、教育熱心な両親のもとで育った。成績優秀で活発な少女だったが、ニュースでは猫を殺して遊んでいたという。高校生のときは、友人に毒を盛って殺そうとしたと告白。「人間を殺したい」悪魔の囁きは幼い頃からあったようだ。ラスコーリニコフを気取ったのだろうか。殺人の手段として斧を用意し、チャンスを待っていた。

そして、昨年12月7日、実行した。悪魔は、獲物を簡単には手放さない。死体を置いたまま実家で正月を越した。佐世保の少女は、友人の死体を切り刻んで楽しんでいた。
 人殺しを欲する悪魔。1997年、神戸の少年Aは、その存在を「透明な存在」として明らかにした。その存在は、ラスコーリニコフの夢にでた繊毛虫のように、世界に広まりつつある。悪魔は、荒んだ心に棲みつき成長する。人だけではない国家に、思想に、宗教に。温床を選ばない。世界は、いま『罪と罰』の問題を考えるときにある。。



掲示板


曾孫ドミトリーさん手術成功

<ドストエーフスキイの会ニュースレターNo.126 事務局便り(木下豊房)>

こちらはちょっと気にかかるホットニュースですが、例年同様、11月11日のペテルブルグ博物館のドストエフスキー生誕日の研究集会に私が送った挨拶状に対する博物館の友人からの返事の中で、曾孫のドミトリー・ドストエフスキーに新たな癌が見つかったという知らせがきました。

私が早速ドミトリー本人メールしたところ、すぐに返事がきて、大腸にかなり大きい腫瘍が見つかった、「爆弾跡に第二弾が着弾した」と伝えてきました。例の35年も前の腫瘍は完治しているはずで、私は「それは新しい着弾だ、日本でも大腸がんは珍しくなく、手術で多の人が回復しているので、頑張ってくれ」との励ましを送りました。その後検査入院をした結果について、博物館の友人から知らせが入り、結果、もう一つ見つかった。二つ同時に手術するか、時期をずらすか医者が検討中ということでした。

そしてこの12月11日に手術した結果を知らせてきました。手術の翌日12日には集中治療室から一般病床へ移され、腫瘍は悪性ではあったが小さいもので、転移はない、早期発見で幸いだったとの、安堵の文面が届きました。

ドストエフスキー関係の行事には、ドミトリーに代わって息子のアリョーシャが出席しているとのことで、アリョーシャにはアンナ、ベーラ、マリヤの三女とフョードルの一男がいます。曾孫の孫に作家と同名のフョードルが誕生したわけで、ドストエフスキー家の血は子孫に受け継がれています。
ホームページの表紙のメニュー「曾孫ドミトリー氏の家族」をクリックすれば、家族の本年1月の写真をみることができます
美術展 生誕100年 小山田二郎展 府中美術館 → 2015.2/22
交通・京王線東府中駅北口から徒歩17分 バス「府中市美術館」下車100円



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