ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.144    発行:2014.6.20



第263回読書会のお知らせ


月 日 : 2014年6月28日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始 : 午後2時00分 〜 4時45分
作 品 :『地下生活者の手記』2回目 米川正夫訳3巻(河出書房新社) 他も可
報告者 : 前島 省吾 氏     
会 費 : 1000円(学生500円)

8月読書会予定開催日 2014年8月23日(土) 




6・28読書会


     
「地下室の手記」について     前島省吾

真の水晶宮とは何か?
 
 地下室人とは矛盾の総体である。自尊心と卑下、屈辱感・絶望と快楽、<美にして崇高なるもの>と醜悪、英雄と虫けら・鼠、自然法則(二二が四、石の壁)と個性・自由意志・恣意 愛と憎しみ等々別人格が同時に共存していることや「自己断罪」と「自己肯定」の対立構造があることなどは多くの人が指摘している。
 しかし私は、今回は素直に本文だけを読んでみたいと思う。恨みやぼやきやあてこすりの陰で真摯に地下室人が訴えようとしていたものが何であるかを探ってみたい。
 意識に凝り固まっていて、意識することは病気だとまでいう。意識に集中ばかりしているから、自分が意地の悪い人間だと言ったかと思うと、意地悪にもなれなかったなどと混乱ばかりしているが、彼は真理をもとめて悩んでいた。拠り所にできる本源的原因(根本理由)(T―5 33p 新潮文庫 江川卓 以下同じ)はどこにあるのだ? 本源的理由は探求しても探求しても次々と現れてきて無限に続くと彼は言う。彼の言う意識や思索とはこのことだった。デカルトの「われ思う、故にわれあり」と同じではないか。デカルトはすべての存在・価値を疑った末に疑えない真理としての「我という個」を発見したが、彼も「ぼくらにとって一番大事で貴重なもの、それは個と個性だ。(T―8、54p)、人間に必要なものは、ただひとつ、自分独自の恣欲(独創的意欲)だ(T―7、48p)」と書いている。もっともデカルトほどの確信はなさそうだ。この恣欲は理性とは食い違う(54p)とか、自分がピアノの鍵盤ではないことを証明したいばかりにあさましい愚劣なことをするのも人間だ(57p)とかまで言っていてこころもとない。でも、「闘争、闘争に明け暮れて、昔も戦争、今も戦争」(55p)というのはそのとおりだと思う。人間の本性が闘争にあると言ったのはたしかホッブスだったが、それに対抗して個々の人間の自由を擁護するための哲学がロック、ルソー、カント、アダム・スミス等によって展開され、名誉革命、アメリカ独立、フランス革命が起こった。やがて市民間の軋轢と闘争を調停するための国家の必要性がヘーゲルによって提起された。地下室人もベリンスキーと一緒にヘーゲルを読んだはずだが、どうも国家とか社会とか法則にしばられるのが本当に嫌いらしい。

 法則と言えば、なんでこんなにこだわるのであろうか。自然法則とか自然科学の結論とか数学とかを石の壁といい、やがては善行や義務も数学の公式のようにがんじがらめに法則化されるのではないか、(24p)自由意志とか恣欲(意欲)やきまぐれとか欲望まで方程式や一覧表に基づき管理される時代がくるのではないかと恐れている(48p)(50p)。私はこの彼の恐れは単なる神経症の症状ではなく、ひょっとしたら正常な現実感覚ではなかったかと思っている。彼の卓見に驚いている。21世紀の今日、確かに一見法則や科学とは無縁だと思われる分野もその根幹に一定の法則や公式が内在していることが明らかになりつつある。二二が四のような数学的公式どおりというわけではなく試行錯誤しつつではあるが、化学、原子物理学、宇宙工学、医学や心理学を含む自然科学分野は巨大な装置・ネットワークを組立て我々の産業と生活基盤を作り上げた。政治学や法学、経済学などの社会科学理論も官僚と政治家と企業集団によって取捨選別され必要な実用化をはかりつつ法律による規制(義務)と国家道徳観の醸成(善)による公的秩序と社会統治システムを形成した。自由意志や欲望の発露にも公共の秩序維持のための報道の抑制など管理が行われている。数学は統計学として世論調査や意識調査、人口予測など我々の未来意識を変えるほどの機能を発揮している。現代社会では欲望は商品であり産業である。心理分析による流行の創出、新製品新技術の開発、高度で広範な情報産業の発達は際限なく拡大する人間の欲望充足のためのものだ。文化さえ商業化し、マスメデアによる世論操作等々が、二二が四の正確さで科学的に構築されている。まさに誰か全くわからぬ他者が作成した方程式と一覧表に記載された欲望と意思に只々個々人は従っているではないか。現代人は自分が本当には何を欲望(欲求)しているのかわからなくなっている。自由意志をもつことがいじめの原因となる。社会常識や社会通念はまるで石の壁のように立ちはだかっていて、それに抵抗するものは組織から排除され職を失いかねない。妥協するか、舌をだすしかないという地下室人の嘆きにはリアリテイがある。もっとも彼もこれらの法則の存在意義を完全に否定しているわけではない。医学の効用は認めている。ただ、どういうわけか一か月でも二か月でも歯医者に掛からず苦痛に耐えるのを楽しんでいるのだ。チェーホフにも歯痛に苦しむ話があるが、当時は抜歯以外の治療方法がなかったらしく大変な痛みだったらしい。その点、水晶宮はまだ完成はしていないが、ある程度形を見せ始めた21世紀に生きる我々は幸せである。

 「水晶宮」とはチェルヌイシェフスキーの「何をなすべきか」に出てくる言葉で、そのユートピア思想と「理性的エゴイズム」理論への批判だということだが、地下室人が社会主義に反対して皇帝や資本主義を擁護するためにわざわざこの手記を残したとは私は思わない。佐藤康郎氏は、「苦痛を減らし、快を増やすこと、幸福や富や自由や平穏を追及すること、これこそ自然法則であり、二二が四のように自明の理であるとしたベンタムの「最大多数の最大幸福」理論、倫理学の基本テーゼに反発したのだ」という(放送大学 哲学への誘い)が、私はベンタムに限らず、アダム・スミスであれ、ヘーゲルであれ、チェルヌイシェフスキーであれ、人間とは善や進歩や福祉社会を目指すものだと決めつける決定論そのものや、何であれ人間をモラルや法で束縛する秩序社会そのものへの疑問を、地下室人は投げかけたのだと思う。
 では、モラルや法(自然法則、壁)や水晶宮(未来展望)を失ったら、苦悩にあふれた世界で個性としての人間はどう生きたらいいのか?私は地下室人が水晶宮というイデー、あるいは理想を全く否定したとは思わない。ただ彼の祈念する水晶宮は通説とは全く違うもののような気る。

T―10 の要点を整理してみよう。

第1章 10 永遠に崩れない水晶宮、鶏小屋と宮殿、舌を出さないで済む水晶宮
1 諸君(知識人)は永遠に崩れない水晶宮(最大多数の最大幸福社会)を信じている。ただ僕(地下室人)はその水晶宮では内緒で舌も出せないのではないかと恐れている。
2 雨が降ったら鶏小屋に雨宿りする。でもその鶏小屋を宮殿(大邸宅)などとは考えない。諸君(知識人)は鶏小屋も宮殿(大邸宅)も雨から守ってくれる点では同じだと考えるが、地下室人は雨を防ぐ(生活を保証してくれる)だけの鶏小屋には不満である。宮殿(大邸宅)に住みたいと願望する。
3 水晶宮(宮殿 大邸宅)は空中楼閣、願望の中にのみ存在するものであってもかまわない。
4 自然法則によって、実際に存在する無限循環のゼロに安住したくない。
5 歯科医(医療機関)がついている千年契約の貧乏人用広大なアパ−トでも願望は満たされない。
6 地下室人はそんな広大なアパート建設のために煉瓦一枚運ぶことはしたくないと考える。
7 一方 地下室人は、水晶宮の建設を進める人々への期待も捨ててはいない。舌をだすことがないような水晶宮を望んでいる。
8 ―どうか僕の恣欲(願望・欲望)を消滅させ、僕の理想(複数形)を抹殺して、もっとより優れたものを示してもらいたい。そうすれば僕は諸君(知識人)に従う。 
9 ―舌を出さないで済む水晶宮が創られれば感謝して、自分の舌をきりとってもよい。
10 ―何故 人間はこんな願望をもつように創られているのか? こんな願望を抱いたまま世 の中にでたらどうなるのだろう?

 鶏小屋とは、人間の欲望は充足するが法と規制によって管理される水晶宮1「最大多数の最大幸福社会」で、大邸宅とは水晶宮2「空想的ユートピア社会」だと推測してみたい。地下室人はどちらの水晶宮にも住むことができない。水晶宮1ではどうしても舌をださずにいられないし、水晶宮2は幻想の社会で、実在しないからである。では、彼が祈念する舌をだすことがない水晶宮とは何だろう?
 地下室人は水晶宮の完成よりもむしろ自分の欲望(願望)の消滅を求めている。現世的理想を抹殺したいのだ。恣欲、病的な意識、情欲そのものを消滅させてくれる水晶宮とは、キリストのいる神の世界ではないだろうか? 地下室人はそんな願望を抱いている。そんな願望を抱いたまま、神のいない地上の社会にでていったらどうなるのか?地下室人は、もはやそのような願望が、果たされる見込みもなく、一切無視され否定される地上の世界に出ていくことを恐れている。不安なのだ。この不安が地下室人の心を自己反省、自己批判そして過去の追憶に導くのである。

虫けらにもなれなかった男

T―11 渇望している何か別のもの、懺悔、気を滅入らせる思い出(地下室万歳!といいながら)決して地下生活が一番いいのではなくて私が渇望しているのは何かしら別のもの、まるっきり別のものだ。ただそれが発見できない。地下室などくそ喰らえだ!(p70 
米川正夫訳)という。ただ<別のもの>とは何か明かさない。それどころか自分のこの言葉さえ信じていない。嘘をついているような気持をふっきれない。しかしこの<別のもの>という意識が自分の40年間を振りかえさせ懺悔の気持ちを起こさせたらしい。思い出の中には親友どころか自分にさえ打ち明けるのを恐れるようなものがある。彼は自分自身に対して完全に裸になりきれるか、真実のすべてを恐れずにいられるか、それを試してみたいと思ってこの手記を書いている。(p72)ハイネの懺悔録や諸君との会話は彼の韜晦であり照れ隠しだから無視してよいと私は思う。ある遠い思い出のためにとりわけ気持ちが滅入っている。(p75)「今、どうしてもぼくから離れようとしないあの話(p75)」とは彼の懺悔録である。地下室人は我々にチラとはいえ、心の真実を見せたのだ。私はそう思う。

U―10 彼は彼女の前に身を投げ後悔の涙にくれ、彼女の足に接吻し許しを乞いたかった。しかし彼は逡巡した。足に接吻したことを根に持って明日にも彼女を憎みだすのではないか。彼女に幸福を与えられるだろうか。果たして彼女を苦しめないだろうか?(p241―242)彼は一心にリーザ自身のことに自分の心を集中していたのだ。そして自分の真の価値に思いを巡らしていたのだ。
 自分の価値とは?彼は自分が虫けらであり、身を持ち崩し堕落の淵に溺れようとしている売春婦の娘を救う力のないことを知っていたのだ。自分が醜悪な、一番滑稽な、一番つまらない、一番愚劣なこの世のどんな虫けらよりも、一番嫉妬深い虫けらであることを悟っていたのだ。(U―9 p231)そしてリーザは、そんな彼が彼女以上に不幸な人間であることを知った。彼女は彼を愛したのだ。そのことを知った彼は、彼女の前で泣き崩れた。「僕にはなれないのだよ。善良な人間には!」(p231)
 自分を虫けらだと意識した時の彼は本物であったと思う。不幸な男として、同じ不幸なリーザと心を結びあえばよかったのだ。しかし彼は虫けらに徹しきれなかった。ヒーローにはなれなかった。彼女の愛を知った瞬間、彼の心に火のように別の感情が襲った。支配欲、所有欲、情欲が彼を捉えた。(p235)。彼にとって愛とは闘争、憎悪、精神的征服、暴君としての振舞でしかなかった(p237)。リーザは全く違う。彼の抱擁に狂気の喜びで答えた(p235)。彼女にとって愛は復活、破滅からの救済と新生であった(p238)。

 彼がリーザの手に5ルーブルを渡した時、彼は「生きた生活」から脱落した。「彼女が永久に屈辱を抱いて去って行くとしたらそのほうがいいじゃないか。屈辱は浄化だ。屈辱は彼女を高め、清めてくれるだろう。憎悪によって、あるいは赦しによって。」(p243)この言葉にはもはやリーザに対する愛はない。彼女の幸福を求める真摯な言葉ではない。自尊心と卑下、<崇高なものを求める心>と<醜悪の中に癒しと快楽を求める心>、二つの人格が共存する「地下室人」の言葉である。このときから彼は、悪人にも善人にも卑劣漢にも正直者にも虫けらにもなれない(p9)無性格の正真正銘な「地下室人」になり、「生きた生活」に嫌悪を感じる男になったのだ。その後何度も虫けらになりたかった(p12)とリーザとの再会を乞い願っても、失った時を取り戻すことはできなかった。

 「生きた生活」のことを思い出すことさえ耐えられなくなり(p244)、本の中に閉じこもり、理性と反理性の蜘蛛の巣の中に迷い込んで、意識の堂々巡りをするだけの男になったのだ。それでいて、地下室人は自負心を捨ててはいない。地上の住人に対して、「ぼくのほうが諸君よりずっと「生き生き」しているかもしれない(p245)と言い放つ。地下室人は孤立した「余計者」だとは考えずに、あくまで自分は現代人の代表者だと思いこんでいるようだ。「我々人間は書物から得た知識、理論、理性のみに生きている。もし書物を取り上げられれば、途方に暮れ、何を指針にしたらよいか、何を愛したらよいかわからなくなってしまう(p245)。かつて彼は、理知的能力、つまり書物から得る知識、理性の占める割合は「生きる能力」のただか20分の1だと言い、理性だけに生きる者に人間は意識的であると同時に無意識的な存在であるとして、理性的人間に反抗してあえて愚行する権利があるとさえ主張したことがある(p52)。その彼が、理性的に生きる人たち(諸君)と自分を同一視して、「ぼくらは、自分固有の肉体と血をもった人間であることを恥辱と考えて、これまで存在したことがない人間一般とやらに成り変わろうとしている。僕らは死産児だ(p246)。」と語る。
 死産児?「地下室人よ。死産児は、僕らではなく、おまえひとりだろう?人間であることを恥じているのは、僕らではなく、おまえひとりだろう?」と私は言いたいが果たしてそう言い切れるだろうか?リーザのような不幸な女を私は愛によって救えるだろうか?愛による「生きた生活」を私ならできるだろうか?
 「生きた生活」とは、「生命力の満ちた人生」ということである。書物の言葉に依存しない人生、つまり自然法則や二二が四の社会常識や社会通念にとらわれず、一切の束縛から脱し個性の命じるままの真の自由意志によって生きる人生、欲望を消滅し理想(野心や自尊心)を捨てた生活、無性格ではなく自分自身だけの個性的性格を完成させた生活、そんな「生きた人生」は、我々の願望の中にしか存在しない。神とキリストの助けなしにそれが可能か?私にはわからない。私と「地下室人」の違いは何か?私は「地下室人」のように「本源的原因」を探求し続けることがないから、疑惑と疑問が循環する意識の病気にかかっていない。その違いだけかもしれない。私も確かに「死産児」に違いない。





読 書  

地下室人に読ませたい『哲学入門』    

下原康子


 『哲学入門』(戸田山和久 ちくま新書 2014)という本を読みました。読売新聞の書評がきっかけです。
 評者は宇宙物理学者の須藤靖氏。この本のおかげで、哲学アレルギー症状がいくらか軽くなったそうです。哲学にも物理にも接触経験がない私には無縁の本に思われましたが、書評の中の次の一節に興味を惹かれました。

 <物理学的決定論と人間の自由意志の存在は両立するのか、さらに自由意志なくして道徳は存在しうるのかを論じた6章と7章は極めて刺激的>とあります。

 脳の中でアハ!細胞が発火し、おなじみの人物への連想につながりました。一人は『地下室の手記』の地下室人です。「自然法則に妥協しない」と強気ですが、実際には「‘ににんがし’にあかんべえ」するのが関の山という、御託の多いジタバタ男です。それから、『罪と罰』のラスコーリニコフがいます。彼は自分の犯罪について「はたして自由意志だったのか?そうでないなら罰って何だろう」とわけがわからない悩み方をする、これまた、はた迷惑な空想男子です。本書で彼らに対する示唆を得られるだろうか、そう思って読み始めました。

 『哲学入門』の著者の語り口はカリスマ塾講師さながらです。平易で懇切丁寧、ギャグで気を惹くなどの工夫満載。にもかかわらず、内容はとても難解で、しばしばお手上げ状態になりました。ひ弱な脳には重労働でしたが、飛ばし読みをしながらも、なんとか読み終えることができたのは、本書における著者のミッションが明快で一貫していたからです。

 「理系崩れの哲学かぶれ」という著者の研究・教育方針は「哲学と科学の境目をなくそう」。その方針に則り、本書が試みるのは、唯物論的・発生学的・自然主義的観点を基本姿勢とする『哲学入門』です。

 この世界にあるのはモノ(物理的対象)だけという世界観に立った上で、日常生活に現れる抽象的な対象(「存在もどき」)がなぜ存在するのか。意味・機能・情報・表象・目的・自由・道徳を取り上げて、それら「存在もどき」を「モノだけ世界観」の中に描きこもうとしています。その情熱は真摯で頼もしく感じられました。

 とはいえ、理系の説明の大半は理解できなかったというのが正直なところです。それでも、いくつかのインスピレーションを得ることができました。

「情報・知識は人間特有の概念ではなく自然界にもある」「自己は実体というより組織化のされ方である。自己と呼ばれる組織化を経由している行為が責任のある行為なのである」「生きること総体に目的はない。人生は短めの目的手段連鎖の集まりである」

 これまでいくら考えても埒が明かなかった問題、たとえば、目的とか自由について、進化論や発生学の観点から読み解く、といったアイディアそのものが私にとっては大発見でした。

 しかし、章が進むにつれて納得度は下降気味になり、書評でもっとも注目した、自由・道徳の部分には物足りなさが残りました。

 そういえば、朝日新聞の書評には次のように書いてありました。(評者は批評家の佐々木毅氏)<従来の「哲学」はともすれば「文学」に接近するが、そちらの方向には敢然と背を向け、日進月歩の「科学」の達成と歩を同じくしようとする「哲学」。そして著者は、これこそが本物の「哲学」だと言うのである> 

 しかし、その「哲学」を物語るという行為は「文学」に無縁ではないはず。一人のドストエフスキーかぶれが『哲学入門』に興味を抱いたという小さな事実を戸田山さんに伝えたい、と思ったりもしました。

 最後の章「人生の意味」の中(以下)に、ドストエフスキー的なテーマが響いているように感じました。

「一歩ひいて眺める能力と自分であることを止められないというギャップが無意味さを生む」

「人生の意味も無意味も、われわれが生存のために獲得した副産物だ」

「そもそも人生の無意味さは解決を要する問題なのか」

「アイロニカルな笑みをたたえ、ジタバタ生きることにおいて、われわれは自分の人生を生きるに値すると見なしていることを態度で示している」
 



4・26読書会報告 

4月読書会、17名参加


「ドストエーフスキイの会」情報

第46回総会と221回例会

5月17日(土)千駄ヶ谷区民会館で開催。

報告者・福井勝也氏「小林秀雄のドストエフスキー、ムイシュキンから〈物のあわれ〉へ」




連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                       (第53回)三島由紀夫の生と死、その運命の謎
ムイシュキンから「物のあはれ」へ 

福井勝也

 先月(5/17)の例会で、「小林秀雄のドストエフスキー、ムイシュキンから「物のあはれ」へ」と題して発表させていただいた。話の中身は、とりとめない雑駁なものであったが、この場を借りて、もう少し作品に即して補足してみたい。発表で問題にしたのは、「ドストエフスキー・ノート」で小林自身が一番良いと語った「白痴U」で、10年の執筆中断後に付加された9章の文末部分(1964)である。当方が着目したのはその下線部分、「ただ限りない問いによって、「限りない憐憫の情」の人として働きかけるように」描かれた「ムイシュキン」像だ。それは小林のドストエフスキー批評の到達点(「クリティカル・ポイント」)と言えよう。ここに、翌年連載が開始された『本居宣長』(1965−71)の「物のあはれ」に持続する批評の核心を見ようと考えた。まずは、報告要旨にも記載した小林秀雄の文章を引用する。

「作者が意識の限界点に立って直接に触れる命の感触ともいうべき、明瞭だが、どう手のつけようもない自分の体験を、ムイシュキンに負わせた事はすでに述べた。この感触は、日常的生の構造或はその保存と防衛を目的とするあらゆる日常的真理や理想の破滅を代償として現れる。それは、その堪え難く鋭い喜びと恐怖とが證している。この内的感触に、作者は「唖のように、聾のように苦しむ」のだが、その苦しみもムイシュキンに負わせた。ただ限りない問いが、「限りない憐憫の情」として人々に働きかけるようにムイシュキンを描いた。殺人者と自殺者とがムイシュキンの言わばこの魔性を一番よく語り、どうしようもなく、彼に惹かれる。彼は孤独ではない。ムイシュキンは、ラゴージンのナイフを無意識のうちに弄ぶと言ってはいけないであろう。生きる疑わしさが賭けられた、堪えられぬほど明瞭な意識のさせる動作だと言った方がよかろう。ドストエフスキイの形而上学は、肉体の外にはないのである。」

 第一に、ここで小林が「限りない憐憫の情」という言葉を括弧書きで表現していることに注意すべきであろう。小林は、ムイシュキンを単なる「憐憫の人」として考えているわけではない。それは「魔性」と呼び変えられるものとしてある。小林はこの付加した最終章で、それまで丁寧に『白痴』の創作ノートにおけるプランの錯綜、変遷に触れながら、結局「「キリスト公爵」から、宗教的なものも倫理的なものも、遂に現れはしなかった。来たものは文字通りの破局であって、これを悲劇とさえ呼ぶ事は出来まい。言わば、ただ彼という謎が裸になったのである。人間の生きる疑わしさが、鋭い究極的な形をとった。」と述べるに至る。

 さらに引用文によれば、小林がここで注目しているのが、ラゴージンのナイフを弄ぶムイシュキンの行為ということになる。これは『白痴』の破局的結末でラゴージンが凶器としたナイフについて、ムイシュキンが「ときに、ひとつききたいことがあるんだ、いったいきみはなんであれを、・・・ナイフで?あの例のナイフで?」と問い質し、ラゴージンが「あの例のだ・・・」と答える場面から来ている。そこから、「あの例のナイフ」の出所が問題になる。結局、それが物語の第一篇が終わり、モスクワでの半年の空白期間を経て第二篇が始まって間もない頃、ペテルブルグに戻ったムイシュキンがラゴージンの陰気な家を初めて訪ねる場面(第二篇、第三章)へと辿り着く。
 
 そのシーンでは、ムイシュキンは問題のナイフを二度までもテーブルの上から取り上げ、ラゴージンにその都
度それをもぎ取られる。この場面では神経質に苛立っているラゴージンに対して、ムイシュキンは「度外れにわくわくして」つぶやいたり、「なんとなくぼんやりして、やはりまだ深いもの思いの影が響いていた」と描写されるように、普通ではない。確かにここのムイシュキンには、それまでの彼とは異質な時間が流れている。最後に、ラゴージンは本の間へそれを挟んで、ムイシュキンから離れた別のテーブルへ怒ったようにして「例のナイフ」をほうり出してしまう。

 この後の第四章では、十字架からおろされたばかりのキリスト像を描いたハンス・ホルバインの模写を見る場面があり、ラゴージンが、ムイシュキンに「おめえは神様を信じるかどうだい?」とたずね、それにムイシュキンは「きみはほんとうに変なことをきくねえ、それに・・・きみの目つきったらないぜ!」と答えている。実は、ムイシュキンはペテルブルグに戻ってから、ずっと人込みの中からじっとこちらをうかがっているラゴージンの目とナイフのイメージに捕らえられてゆく。またムイシュキンはここで、ラゴージンにいくつかの話をする。知合いの二人の百姓が宿屋に泊まって、さて寝床に入ろうというとき、一人の百姓が、相棒が時計を持っていることを知り、その時計が欲しくてたまらなくなる。そこで連れの男がむこうをむいた隙にナイフを取り出し、後ろからそっと近づくと、空を見上げて「主よ、キリストのために赦したまえ」とお祈りをあげて、ただひと突きに殺した話。酔っ払いの兵隊が錫の十字架を銀だといってムイシュキンに売りつけ、その金で酒をのみにゆく話。赤ん坊が生まれてはじめて笑ったといって、十字を切って神とともに喜ぶ母親の話。

 その後で、ムイシュキンは「じっさい、これがキリストの最も重要な思想なんだ!しかも、それを道破したのが、無教育な一婦人なんだからね!まったく母親というものはねえ・・・それにもしかしたら、この女があの兵隊の女房かもしれやしない。ねえ、パルフェン、きみはさっきぼくにたずねたが、これが僕の返答だ。宗教的感情の本質というものは、いかなる論証、いかなる過失や犯罪、いかなる無神論の尺度にも当てはまるものじゃない。こんなものの中には、なにか見当ちがいなところがある。<略>しかし、何より大切なのは、このあるものがロシア人の心に、最も多く見られるということなのだ。これがぼくの結論だ!」と話す。

 この話の直後、ラゴージンはムイシュキンにせがんで、お互いの胸の十字架を交換するが、ムイシュキンのそれは、酔っ払いの兵隊から買わされた錫の十字架である。それから、ムイシュキンはラゴージンに案内されて、痴呆状態の母親の老婆から正教の作法通りの十字の切り方で祝福を受ける。別れ際に、ムイシュキンはラゴージンを抱擁しようとするが、彼は急にそっぽを向いてしまう。その際「心配することあねえ。おれはおめえの十字架をもらった以上、けっして『時計』のためにおめえを殺したりなんかしやしねえ!」とあいまいな調子でいって、ふいに一種奇妙な笑い声を立てる。しかし今度は、にわかに彼の顔は一変し、おそろしいほどに青ざめて、くちびるはふるえ、双の目はぎらぎらと燃える。が結局、両手を挙げてしかと公爵を抱きしめ、息を切らしながら、「もうそうした前世の約束なら、あの女は、おめえとるがいい!あれはおめえのもんだ!おれはおめえに譲った!・・ラゴージンを忘れないでくんな」と言ってこの目まぐるしい第四章が終わる。しかしこの二つの章は、最終章に繋がる因果を孕む小説の重要な結節点だと感じた。この点で、先述のムイシュキンがナイフを弄ぶ場面の少し前、ムイシュキンとラゴージンとの対話にはその問題が凝縮されている。

「ぼくはなんといってもきみのじゃまはしないよ」心内に秘めた自分の思いに答えるような調子で、小さな声でそう言った。
「ね、一つおめえに言いぶんがある!」ラゴージンはふいに元気づいて、双の目がきらきら光りだした。「なんだっておめえはそんなにおれに譲ろう譲ろうとするんだ。わかんねえな、それとも、すっかり恋が冷めちまったとでもいうのかい?だって、以前はやっぱりあれのことで、ふさいでばかりいたじゃねえか。おれはちゃんと知ってるよ。それに、今度もなんだって気ちがいみたいにこのペテルブルグへかけつけたんだろう。憐憫とやらのためかね?(こういう彼の顔は毒々しい冷笑にゆがんでみえた)へへ!」
「きみはぼくがだましてると思うの?」と公爵がきいた。
「いいや、おれはおめえを信じてる、だが何がなんだかいっさいがわからん。まあ、何よりいちばんたしかなのは、おめえの『憐憫』のほうがおれの恋よかも強いってことだ!」
なにかしら毒々しい、今にもそとへあふれだしそうなあるものが、彼の顔に燃え立った。
「だけど君の恋は、憎しみとすこしも区別がつかないんだものね」と公爵はほほえんだ。
「もしその恋がなくなったら、もっともっと恐ろしいことがおこるに相違ない。きみ、パルフェン、ぼくは、こういいきっておく・・・」
「じゃ、なんだね、おれが斬り殺すってえんだね?」
公爵はふるえあがった。 (翻訳文は、米川正夫訳の岩波文庫版(上)によった)

 ここまで『白痴』を辿りながら、その破局に出現した凶器(「ラゴージンのナイフ」)が、ムイシュキンに弄ばれていた場面に遡って、その前後を読み返してみた。「ナイフ」はラゴージンとムイシュキンの間をあたかもナスターシャ自身のように行ったり来たりしている。そして、ラゴージンの恋がいずれナスターシャの死を招き寄せる必然を孕みつつ、その予言もすでに書き込まれていた。そこには、ナスターシャのみならぬ「三人の運命」さえも告知されていたことになる。

 ムイシュキンのナスターシャへの愛は、憐憫から出たものであったが、それがただの憐憫でなく、この遣り取りの最中に、括弧付きの『憐憫』として語られてゆく。ドストエフスキーは少なくとも、この言葉に拘り、それをこの瞬間に書き分けている。そしてこの『憐憫』の中身こそ、ラゴージンの「おめえは神様を信じるかどうだい?」という問いへの、ムイシュキンの「返答」すなわち「宗教的感情の本質」ではなかったかと思う。それをムイシュキンは「キリストの最も重要な思想なんだ!」と言い切っている。ここまで書いて来て、小林の「白痴U」前掲引用文で省略していた末尾を復元しておこうと思う。是非、皆さんにはこの文章を一続きに読んで欲しい。

 「お終いに、不注意な読者の為に注意して置くのもいいだろう。ムイシュキンがラゴージンの家に行くのは共犯者としてである。彼と、その心が分かちたいという希いによってである。「自首なぞ飛んでもない事だ」と殺人者に言うのは彼なのである。」(1964年1月)

 例会発表では、配布資料の小林と数学者の岡潔の対談、「人間の建設」(1964)からこの部分についての小林の言葉を引用しておいた。
「小説をよく読み直すと、ムイシュキンという男はラゴージンの共犯者なのです。ナスターシャを二人で殺す、というふうにドストエフスキーは書いています。それをムイシュキン自身は知らないのです。夢にも思っていない。しかしムイシュキンの行動なり言葉なりがそういうふうにあの作品に書かれています。あれは黙認というかたちで、ラゴージンを助けているのです。そしてナスターシャを殺すのです。そういうふうにあの作品は書かれています。これは普通の解釈とはたいへん違うのですが、私は見えたとおりを見たとかいたまでなのです」

 例会発表後に、小林秀雄が学生に向けて語った講演録の新版『学生との対話』(2014.3/30)を興味深く読んだ。なかでも「信ずることと知ること」という講演とその確定稿を読み返した。以前にテープでも聴いていた内容であったが、気になったのは柳田國男が「山の人生」「故郷七十年」で繰り返し語った話であった。それは貧しい炭焼きが切羽詰まって、幼い二人の子どもに促されて、斧で手をかけてしまう実話である。ここでまず小林は、「子どもは、おとっつあんがかわいそうでたまらなかったのです」と語っている。さらに「「小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末のことであったという」全く同じ文句が繰返されている。読んでいると、何度くり返しても、その味わいを尽すことが出来ない、と言われているような感じがしてきます。夕日は、斧を磨ぐ子供等のうちに入り込み、確かに彼等の心と融け合っている。そういう心の持ち方しか出来なかった。遠い昔の人の心から、感動は伝わってくるようだ。それを私達が感受し、これに心を動かされているなら、私達は、それとは気附かないが、心の奥底に、古人の心を現に持っているという事にならないか。そうとしか考えようがないのではなかろうか。先ず、そういう心に動かされて、これを信じなければ、柳田さんの学問は出発出来なかった」と語っている。
 
 唐突な話を最後に出して来たように思われるかもしれないが、小林の『白痴』のラストシーンを貫く「白痴U」の最後の指摘に、ここで語られた「古人の心」を「物のあはれを知る」こととして考え合わせてみるとき、僕には納得が行くように感じられたと言うことだ。実は、発表後すでに木下豊房氏から貴重な傍聴記を頂いている。いずれにしても、小林秀雄の『本居宣長』の検討を含めもう少しこの話を続けたい。傍聴記については、下記をご参照ください。「会」のHP、http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost09-1.htm (2014.6.11)





ドストエフスキー情報

2014年4月24日 木曜日 朝日新聞   (提供・小野元裕さん)
朝日カルチャーセンター  ドストエフスキー 運命と意志の物語

日本で人気再燃なぜ  川西
 
 ロシア文学はとっつきにくいイメージがあるが、亀山郁夫・名古屋外国語大学長が新訳したドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』は、斬新さと読みやすさで百万部を超えるベストセラーになった。作品が描かれた19世紀後半のロシアでは数世紀に及ぶ農奴制が廃止され、解放された人々が年に流入した。が、仕事や希望は得られず、犯罪が急増して社会は混乱し、不穏な空気に満ちていた。ドストエフスキー自身、思想犯として約10年の流刑の後も厳しい検閲にさらされていた。
「本音と建前の間で描かれた彼の作品には限りがない(謎解き)の面白さがある」と亀山さん。『罪と罰』『悪霊』の新訳も刊行した。「翻訳は、九割九分苦行だが、その先にあるわずか1分がよろこび」とも語る。現代日本で、ドストエフスキー文学の人気が再燃したのはなぜなのか。偶然と必然、黙過などをキーワードに「運命と意志の物語」の深層に迫る。6月7日(土)14時、3672円(会員3456円)(小寺千絵)


D文学会主催・第1回清水正講演会

『清水正・ドストエフスキー論全集』第七巻刊行を記念して

日時 2014年7月26日(土)午後3時〜6時
会場 日本大学芸術学部江古田校舎西棟四階W-301教室
講師 清水正氏(D文学研究会代表 日本大学芸術学部教授)
題目 『ドラえもん』から『オイディプス王』へ  ― ドストエフスキー文学と関連付けて −

ドストエフスキーに関心のある方は是非ご参加ください。参加費は無料。
(参加希望の方は本紙編集室・下原にご連絡いただけると幸いです。会場準備の都合で)




乳母アリョーナ・フローロヴナとお伽噺
(ドストエフスキーのオズミードフ宛ての手紙)

私たちの家族のことを話すとなると、私は一人の人物を挙げないわけにはいかない。その人は、私たち家族の中に、自分のすべての生活をもって、一切の利益を捧げて加わっていた。その人とは、乳母のアリョーナ・フローロヴナである。   
  
 ・・・私たちの乳母、アリョーナ・フローロヴナは雇われて私たちの家で働いていたのであって、自由身分の女だった。彼女はモスクワの町人の出であった。私たち子どもをみんな育て上げたので、出て行くことになっていた。彼女は、そのとき45歳くらいで、明るい陽気な性格で、いつも私たちにまことに素敵なお伽噺を聴かせてくれたものであった。
ドストエフスキー『作家の日記』1876年
 
 実にたくさんのさまざまなお伽噺を聴いたものだった。今では、その題名さえ全部は思い出せない。『火の鳥』の話もあったし、『アリョーシャ・ポポヴィチ』(ロシアの豪傑物語の主人公)もあったし、『青ひげ』の話もあった。まだ他にたくさんあった・・・

 当時、つまり私たちが子どもだった頃、いわゆるルポーク(菩提樹の版木)のお伽噺が大層はやった。『ポヴァ皇子』とか『エルスラン・ラザレーヴィチ』(ロシア民衆の間で人気のあった豪傑物語)などのお話である。(弟、アンドレイの『回想』)

 私は10歳のとき、モスクワで、モチャーロフの出演したシラーの『群盗』を観たことがあります。本当のことですが、その時、実に強烈な感動を受け、それが私の精神的側面に大層実りある影響を及ぼしました。


広  場 

絵画展  小山田二郎生誕100年展    (提供・福井勝也さん)
回顧U、油絵大作1950s−1960s
文京アート(03−6280−3717)6/21まで、開催。代表作「ピエタ」(1955)
府中市美術館、今秋11月8日(土)〜 2015年2月22日(日)




人間の謎
  (編集室)

ある晴れた日に 中津川一家五人殺人事件の闇

 5月はじめの夜、NHKである殺人事件のドキュメンタリーをみた。9年前、中部地方のある都市で起きた親族間殺人事件の謎を追った番組だった。(番組制作者は、どうしても事件の真相を知りたかったという。それほどに事件は謎に満ちていた。)
 事件の概要は、このようであった。2月27日の早朝、被告は、日帰り旅行に出かける妻を最寄り駅に送った。彼は、57歳で、この町の老人福祉施設の事務長を務めていた。温厚な性格で、面倒見よかった。人に好かれ、地域では「先生」と呼ばれていた。地元警察からの信頼も厚く、このときは警察犬2頭の調教を嘱託されていた。
 彼の家は、市内の閑静な住宅街にあった。広い建坪に手入れされた庭木。2階建ての立派な自宅。85歳の母親と、54歳の妻、整体業の長男の4人暮らしだった。が、この日は、嫁いだ長女(30歳)と夫(33歳)、その子ども2歳男児と生後3週間の女児。そして警察犬2頭がいた。長女は出産のために里帰りしていた。事務長は、2歳の孫を可愛がっていた。第2子が女の子だったので、喜びもひとしおだったようだ。経済的にもめぐまれ、人も羨む明るい、希望に満ちた幸せな家族・家庭だった。
 「夕方、迎えにくるから」事務長は、そう言って笑顔で妻を見送り帰路についた。途中、彼の頭にあったのは、「アレができるだろうか」ではなく「アレを実行せねば」だった。
 青空が山間にひろがっていた。いつもと変わらぬ穏やかな日。が、一つだけ異変があった。事務長が昼になっても出勤しない。無断欠席はしたことがない。変に思った職員は、様子を見に彼の自宅に向かった。その頃、警察に事務長宅近くで男性が腹部を刺されて倒れているとの通報。全治2週間のけがを負った娘婿だった。
 事務長の自宅に着いた職員は、驚愕した。長女と2歳の息子、生後3週間の赤子、祖母、長男の5人が死んでいた。5人とも絞殺だった。他に、刺殺された2頭の警察犬が。
 事務長は、空の浴槽のなかに隠れていた。首に包丁が突き刺さっていた。全治3週間の怪我だった。近所でも評判の仲良し家族7人の殺傷。誰が、どんな理由で・・・・。
 3月末になって事件は、解決した。逮捕された人物に誰もが驚いた。なんと、5人の家族と2頭の警察犬を殺したのは、その家の主人・事務長だった。なぜ、どんな動機あって。正気の沙汰ではない犯行だったが、精神鑑定の結果は、異常なし。犯行責任能力ありだった。彼は、自分の母親、息子、娘、可愛がっていた孫二人、そして懐いていた警察犬2頭を殺害したあと、自分も死のうとしたが死にきれず、風呂場に隠れていたのだ。頭が変でなければ、いったい、どんな理由があってか。取り調べで事務長は、事件の背景を落ち着いた口調でこのように話した。
 自分は、母親と妻との確執に悩んでいた。母親に対する嫌悪感から、一家心中を計画、5人を殺害し、娘婿に「一緒に死んでくれ」と迫って腹部を刺したが、反撃され、逃げ帰って風呂場に隠れた。後悔していないという。
 当初は、母親だけ殺して自殺しようと思った。しかし、後に残された家族のことを想うと、「不憫」になって、全員を道連れにすることにした。しかし、妻は、長年連れ添ったことや事件を見届けてもらうために殺害するのをやめた。なんとも自分勝手な、精神異常者としか思えない犯行である。
 あまりの異常さに裁判長も動転したようだ。2008年の裁判では死刑判決。翌年の岐阜地裁では無期懲役となった。5人も殺してである。
 それにしても、「なぜ」。番組制作者は、面会して尋ねた。「その時は、それしか考えが浮かばなかった」それが彼の答えだった。 





新谷敬三郎先生没後20周年に寄せて その2


 1995年(平成7年)この年は、日本にとって忘れられぬ年となったが、ドストエーフスキイ全作品を読む会並びにドストエーフスキイの会にとっても、忘れられない年である。この年の11月、会の創設者であり会の代表者、そしてドストエフスキーを愛読する市井の読者にとって精神的支柱だった新谷敬三郎先生が亡くなられた。来年2015年は没後20年となることから、本紙面において新谷先生のド研究や読書会における足跡を再紹介したい。

 1969年、この年のはじめ発足した「ドストエーフスキイの会」は、3月25日に会報1号を発行する。感動的な会「発足のことば」につづいて会代表の新谷敬三郎先生は、ドストエフスキーについて、このように紹介をしている。


ドストエーフスキイのヨーロッパへの移入@

 ドストエーフスキイがヨーロッパへ本格的に翻訳紹介されるのは、ちょうど彼が死んでから10年ばかりのあいだである。むろんそれまでもまったく知られていなかったわけでもない。彼自身、自分が「死の家」から生きかえった作家としてヨーロッパに知られていることを自慢していたし、晩年は「ロシア小説」の著(1886)で有名な、ペテルブルグ駐在のフランス大使秘書で、のちのアカデミシャンであるヴォギュエ(1848-1910)とも度々会い、例えば、ロシアは混沌としているだけ、それだけヨーロッパより深いのだ、などと煙にまいていることが、ヴォギュエ自身の筆で報道されている(1880)。作品が次々に翻訳されだすのは、彼の死後である。今、その足取りのおおよそを英、独、仏に限って列挙してみると、

・1881年、ロンドンで『罪と罰』が訳された。『生ける埋葬者、或いはシベリヤ流刑10年』の著者の小説として『虐げられし人々』も出た。
・1882年(明治15年)ライプツィヒではすでに『罪と罰』が訳されていた。題は『ラスコリニコフ』として。訳者は、ウイルヘルム・ヘンケル。
・1884年、ライプツィヒで『カラマーゾフの兄弟』4巻が、パリでは『虐げられし人々』(これは81年ペテルブルグのフランス語紙に連載された訳である)『罪と罰』(ヴィクトル・ドレリ)がでた。
・1885年、シュットガルトで『虐げられし人々』、ドレスデンで「クロートカヤ(「おとなしい女」)、原題そのまま用いてある。 この年、パリではクーリエールの「現代ロシア文学史」がでて、そのなかで自然派として『貧しき人々』『虐げられし人々』、心理小説として『罪と罰』『悪霊』が語られている。
・1886年、ドレスデンで『死の家より シベリア流刑の記録』、ライプッィヒで『未成年』3巻、パリで『クロートカヤ』訳者ハルベリン・カミンスキイ。『憑かれた人々』(『悪霊』)訳ドレリ。同じ訳者の『地下のエスプリ』と題して『主婦』と『地下生活者の手記』第2部が出た。ヴォギュエの序文つきで『死の家の記録』が出た。ロンドンでは『罪と罰』が1881年に訳され『生ける埋葬者、或いはシベリヤ流刑10年』の著者として出、『虐げられし』が出た。    つづく




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